次は七月一三日木曜日です。
アシュリン=マクレーンは第二学区にある『
手元には白いトンボ──垣根帝督が
「それで? あなたの怪我はどの程度なのかしら?」
アシュリンがトンボで連絡を取っている相手は土御門元春だ。
トンボが再現した土御門の声は、少しだけ消耗しているような声だった。
『アンタの知ってる通り、俺は
「そうね。烏丸府蘭の目的が分からない以上、休んでいる暇はなさそうね」
アシュリンは形の良い柳眉を曲げて、そっと目を細める。
土御門元春はアシュリンに雇われて、上里勢力の動向を探っていた。
元々、アシュリンは土御門を雇う前から上里勢力を警戒していた。
理由はもちろん、学園都市の外から来た者たちだからだ。
学園都市はアレイスターによって、徹底的に管理されている。子供たちは科学の信徒として、骨の髄まで科学に染め上げられている。
だが上里勢力はそうじゃない。上里勢力には魔術サイド由来の少女たちが複数いる。
しかも上里勢力は一枚岩ではないのだ。上里翔流のある種のカリスマ性に惹かれていようとも、彼女たちは自儘に動く。
(彼女たちは学園都市にとって全くの異物。その中に、ローラの先兵がいてもおかしくない。それが烏丸府蘭だった。そして烏丸府蘭は協力関係を築いた土御門元春を害して逃亡した)
土御門元春はアシュリンに雇われて、ローラ=スチュアートのスパイであろう烏丸府蘭の動向を探っていた。そして烏丸府蘭は土御門に追い詰められて、上里翔流のためになるならば朝槻真守に協力することを受け入れた。
だが二人が共に真守をバックアップするために行動していたら、突然烏丸府蘭が土御門元春に攻撃を仕掛けたのだ。
『烏丸府蘭の動きはあからさまにおかしかった。外部から操られもしない限り、あそこまで言動と行動が一致しない事はないと思う』
『窓のないビル』が宇宙へと飛び立った直後から、烏丸府蘭はおかしくなった。
烏丸府蘭は、それまでとは明らかに変化を見せた。
そして府蘭は土御門を負傷させて逃走したのだ。
「……ローラの仕業ね」
アシュリンは『窓のないビル』が飛び立った直後、学園都市を監視していたトンボから情報を受け取っていた。
アレイスター=クロウリーは打倒できたが、新たな敵が現れたと。
その新たな敵とは
アレイスターは『窓のないビル』を発射させて、コロンゾンを宇宙へ放逐した。
とりあえずの時間は稼げているが、それでもコロンゾンは学園都市を手中に収めようと動いている。その手先が、烏丸府蘭なのだ。
『烏丸府蘭はコロンゾンと秘密裏に接触を続けてきた直属の部下だ。小細工をされて操り人形にされていても不思議じゃない』
ローラ=スチュアート。突然現れて、イギリス清教を統治し始めた女。
いつまでも若々しいあの女の事を、マクレーン家は注視していた。
だがまさか、大悪魔コロンゾンであるとは露ほどにも思わなかった。
マクレーンに勘付かれない程、ローラ=スチュアートは用意周到だった。
「まったくイギリス清教のトップが大悪魔だなんて。『清教派』も地に堕ちたモノだわ。でもご愁傷様ね。ローラは確実に、わたくしたちマクレーン家が学園都市にいることを知らない」
アシュリンは事の大きさにため息をつきながらも、意地悪い笑みを浮かべる。
「証拠はばっちり押さえた。これを本国に提出すれば、ローラの権力を根こそぎすべて奪うことができる。……『清教派』の真実を暴いたわたくしたちマクレーン家に、『清教派』はより一層大きい顔ができなくなる。楽しみだわあ」
『……本国の方が大変になってるのに、全くマクレーン家のご令嬢は隙がないにゃー』
土御門は苦い表情で笑う。
「あら。確かに本国とイギリス連邦勢力圏は謎の勢力の襲撃によって身もだえしてるし、カナダやオーストラリアなんて被害が特に甚大らしいけど。ローラの息がかかったモノなら、この際消滅した方が今後のためよ」
マクレーン家は世界中に手駒を配置している。その駒たちから、連合王国と協力関係にある国々が謎の勢力によって攻撃を受けていると知らされていた。
謎の勢力というが、その正体をアシュリンは知っている。
一つの肉体から解放された、アレイスター=クロウリーの可能性たち。
それがコロンゾンの力を削ぐために、世界中で大暴れしているのだ。
土御門はアシュリンの冷酷な声を聴いて、肩をすくめる。
『それでいいんですかにゃー? お貴族サマ』
「わたくしたちは貴族だけど、特例的に『騎士派』の役割を担わなくて良いのよ。あなたも良く知ってるでしょう?」
『王室派』は古くから国に根付くケルトの民であるマクレーン家の影響力を無視できない。
そのためマクレーン家は貴族の一角として『王室派』を守る『騎士派』に分類されているが、その措置は特例的だ。
それにマクレーンはイギリスにおける魔術の大家だが、『清教派』に所属しているわけではない。近代西洋魔術とケルトの民は、明確に一線を画する。
「それもこれも、国が建国する際に『王室派』や『清教派』が古くから根付くわたくしたちケルトをないがしろにしようとしたのがいけないのよ。だからわたくしたちは反抗して、マクレーン家にそれなりの地位を与えなければ国が成り立たないように配慮したの」
『配慮とか言うけど、実際は策謀で自分たちがいないと国が成り立たないようにしたんだろ。マクレーン家とイギリスの諍いはマージで大変だったと聞く。元々ケルトの民は好戦的だからな』
ケルトの民の本当の口伝は、ケルトの民しか知らない。
だがイギリスには、ケルトの教えがどこかしらに根付いていた。
形骸化しながらも、ケルトの教えはイギリスのいたるところに残されていたのだ。
『ケルトの密かな信仰は英国に多大な影響を与えていた。その信仰を無視することはできない』
「そうよ。ケルト十字なんて良い例ね。あれはわたくしたちの信仰を良い感じに取り込むために、十字教が折れた結果なのだから」
アシュリンは愉快そうにころころと笑う。
「現体制なんて特にそうよ。マクレーン家の現当主は英国女王と学友だったから、英国女王の采配を良く知ってらっしゃる。わたくしたちの機嫌一つで一国が傾くのだから、英国女王も懸念せざるを得ないわよね」
現当主というのはもちろんアシュリンの父であり、真守の祖父であるランドン=マクレーンだ。
『騎士派』、『王室派』。
そして魔術関係で絶対に『清教派』が無視できないマクレーン家。
マクレーン家に翻弄される彼らのことを思って、土御門は額に汗を浮かべながらため息を吐く。
『ほんとーに、どうして
近代西洋魔術師とは、一線を画するマクレーン家。
マクレーン家は単体でも世界に多大な影響力を与える魔術大家だ。
そんなマクレーン家と、朝槻真守は繋がっている。現当主の娘が母であるため、血に混じりがあろうとも直系に変わりない。
何が間違ってしまえば、魔術サイドの歴史ある大家の娘が科学サイドに流れ着いて、科学サイドの中枢にすっぽり収まってしまうのか。
科学の要である真守と明確な繋がりがあるせいで、最初から凶悪だったのにマクレーン家はより一層凶悪になった。
強大な力を持つマクレーン家のことを考えて土御門が半ばいじけて言葉を漏らすと、アシュリンは軽やかに笑った。
「あらあら。わたくしたちのことを凶悪とか考えているようだけど。あなたはそんな凶悪で強力な後ろ盾ができたことを喜ぶべきではなくて?」
ソーデスネ、と明らかに戦意喪失している土御門に、アシュリンはくすくすと笑う。
そして、話題に出た真守の事を思って目を細めた。
ケルトが望んだ『永遠』を手にした少女。
だが真守は無数の因果に絡めとられて、多くの役割を背負わされてしまった。
そしてその性質故に、神すらも超えた存在に進化する事ができる。
朝槻真守に魂を造り上げてもらい、何とかしてこの世界に受肉したい『彼ら』なんて、横から手を出したに過ぎない。そしてアレイスター=クロウリーも、ケルトの民から真守を半ば横取りをしたようなものだ。
(クロウリーのもとへ行って、真守ちゃんも真実を知ったでしょう。……十字教勢力から真守ちゃんを守ってくれたことには感謝するけど。──全てを許す気はなくてよ。人間)
アシュリンは明確な殺意を抱えたまま、土御門へと指令を出した。
「土御門、あなたは動けるようになるまで傷を癒す事だけに専念して。帝兵さんに手助けしてもらえればすぐでしょう?」
『ああ。カブトムシはていとくんと違って素直で従順だからにゃー。もう手伝ってもらってる』
アシュリンは傷が治ったら府蘭の動向を探る事を命令し、土御門との通話を切る。
「ありがとう、帝察さん。これからもよろしくね」
『はい。アシュリン』
アシュリンが礼を言うと、トンボはヘーゼルグリーンの瞳を瞬かせる。
アシュリンは同じ部屋にいて、垣根印の純白のタブレットで指示を出していた八乙女緋鷹を見た。
「緋鷹ちゃん。そちらはどう?」
「そうね。真守さんと帝督さんが予測していた混乱よりも酷いのが気になるわ。暴動や事件が数多く起こっているけれど、やっぱり少しおかしさを感じるわね」
緋鷹はタブレット端末で要人や学園都市の学生の様子を調べながら返事をする。
学園都市の大熱波は収束した。非日常は終わりを告げて、学園都市は日常に戻りつつある。
だが非日常から日常に移行する際に、大きな混乱が起きるのは必至だ。
それを予測していた真守と垣根は、きちんと対処ができるように用意していた。
その対処を、『
「
「汚染?」
アシュリンは能力に明るくない。そのため緋鷹の説明を待った。
「帝督さんの『無限の創造性』によって、
「確か、それで各勢力の……ええっと、『学会』や『能力』や『芸能』なんかの大衆心理の距離を変えて、各勢力同士が大きな抗争に発展しないように調節していたのよね」
陰ながら学園都市の思想統制を取っていた心理定規。彼女は大熱波が終了した現在の学園都市でも、思想統制まではいかなくとも人々の心の働きを探っていた。
「誰かが人の心を汚染して、背中を押しているのよ。思想統制をしていた
アシュリンは緋鷹の説明を聞いて形の良い顎に人差し指を当てる。
「……コロンゾンの悪意がそこまで広がっているというわけね」
思想を汚染する、などという芸当は大悪魔なら容易だろう。
何せコロンゾンはアレイスターの事をいつまで経っても狙っていたのだ。
学園都市を乗っ取ろうと前々から画策していたならば、あの女狐が罠を張りめぐらさない事などありえない。
イギリス清教に死んだはずのアレイスターの対策室が現在も設置されているのも、コロンゾンはメイザースとの契約でアレイスターが生きていると知っていたからだ。
「おそらくこれ以上の事をあの女狐はやってくるわ。緋鷹ちゃん。わたくしにも情報をくれるかしら。あの女の手口はこの目でたくさん見てきたから」
「とても助かります、アシュリンさま」
緋鷹が心強いと頷く中、カブトムシが声を上げた。
『八乙女緋鷹。真守が体調を崩しました。医療用設備を真守の部屋に運び込んでください』
「真守ちゃんが!?」
アシュリンは『窓のないビル』が飛び立った後の短時間で何があったのかと目を見開く。
『アレイスターが言うには、大悪魔コロンゾンに「拡散」を打ち込まれて無事では済まず、霊格や霊媒に揺らぎが生じていると』
「霊格や霊媒が?」
アシュリンはカブトムシから聞いて、そしてすぐさま頷く。
「それらについては科学よりも魔術で対応した方が良さそうね。わたくしも準備をします」
『お願いします』
朝槻真守の不調。
それによって、真守を神と掲げる『
──────…………。
「……よく食うなァ、オマエ」
多国籍創作料理店。
一方通行は大熱波の中でも営業していた店に、エルダー=マクレーンを連れてきた。
真守の血族だと話したら、大将はなんでも料理を作ってくれた。
権力の前では、やはり人間は平身低頭するものである。
「むぐむぐ。……ふふ。スモークサーモンのカルパッチョ、めちゃくちゃ美味いぞ」
エルダーは待望のサーモンを食べることができて、嬉しそうに微笑む。
ちなみにケルトではサーモンが良く食べられていた。
日本のサーモンは少し違うが、やっぱり美味しいものは美味しいのだ。
エルダーは上品にサーモンを食べて、表情をとろけさせる。
その姿は、真守にそっくりだ。しかもエルダーは指の先まで貴族に染め上げられている貴婦人であるため、真守とはまた違う種類の品がある。
真守も幸せそうにご飯を食べるのだ。
それを良く知っている一方通行からしたら、やっぱりエルダーは真守のご先祖様だと理解できる。
エルダーは満足げにご飯を食べていたが、ぴこんっと猫耳を片方跳ねさせた。
「しかして、大熱波が収束して学生たちが普通の生活に戻ろうとしたら暴動が起きそうなものなのに。やけに静かだな?」
「アイツは何でも完璧にこなす。統治がきちンとできてたら暴動だって必要経費以上は出ねェよ」
必要経費の暴動。
いくら統治が完璧でも、一定の割合で絶対に不満を持つ者たちが出てくる。
何かが変わる時には絶対に暴動が起きる。その暴動をいかに最小限に抑えられるかが、統治者の腕の見せどころなのだ。
「……ふふっ」
エルダーはナゲットに手を伸ばしながら、柔らかく微笑む。
「? 何がおかしいンだよ」
エルダーはにこにこ笑みを見せながら、
「オマエも丸くなったな。良くここまで頑張った。エライエライ」
エルダーは身を乗り出して、
一方通行はこれまで、苦難の道を強いられてきた。
だが真守や上条当麻、
その変化が喜ばしくて、エルダーはにまにま笑う。
「……うるせェ。ほっとけ」
まったく悪い気がしないのは目の前の淑女が真守のご先祖様で、子供を産んだ母らしく包容力があるからだ。
(まったくままならねェ……)
そんな一方通行の前で、エルダーは嬉しそうにナゲットを口にしてた。
一方通行はため息を吐くと、エルダーを見た。
「オマエは物事を違う視点から見ることができるからな。『
「うむ、よいぞっ!」
二つ返事で答えるエルダー。それを見て、
「待っててやるから早く食べ終われ」
「分かった、ちょっと待てっ! 元演算装置が高速処理を見せてやるっ!」
「微妙に意味が分からねェ言動だな……」
エルダーは笑顔で微笑む。
その眩しい笑顔は、やっぱり真守に似ていた。
この淑女はもともと、
アレイスター=クロウリーが進める『
その補助をするために組み上げられた魔導書の『原典』を核とした存在。
先程、エルダーは
この淑女の思考補助はとても役に立つ。
それに真守に似ているこの女性を捨て置くのは心苦しい。