次は七月二四日、月曜日です。
薄く空が明るくなり、日の出が近付いてきた時間帯。
路地裏に、銀猫系貴婦人が立っていた。
彼女はもちろん真守とアシュリンのご先祖様である、エルダー=マクレーンだ。
エルダーは自らの核である魔導書を腰から下げて、カブトムシを抱きかかえていた。
エルダーの目の前には、護送車が止まっている。
だがその護送車は無残な姿になっていた。
右方の後部扉付近がへこんで、扉が大きく曲がっているのだ。
車をぶつけてできた損傷ではない。
まるで、横から思いきり殴られたようにひしゃげている。
普通なら護送車を殴りつけるなんて無理だ。だが、この街に外の常識は通用しない。
「ふむ」
エルダーはゆらっと尻尾を振ると、その場に腰を下ろす。
そこには頭部を破壊され、血の花を咲かせている死体があった。
その黒服の死体は護送車にもたれかかる形で事切れていた。
殴殺されている男は一人ではない。すぐ近くにも数人、力任せに体を潰されて絶命している黒服の男たちがいる。
「普通の人間は生存本能故に体の出力に制限が掛かっている。それ故に、
『つまり、大悪魔コロンゾンに操られた烏丸府蘭だという事ですか?』
エルダーが抱き上げているカブトムシは、エルダーの呟きを聞いて問いかける。
エルダーはカブトムシの頭を撫でながら、力任せに殴り殺された死体を見つめて寂しそうにする。
「襲撃犯が烏丸府蘭であるという確証はない。帝兵、
『もうすでにやってます。ですが科学的な異能も魔術の痕跡も検出できません。単純な力だけで、彼らは死んだようです』
「科学も魔術も検出できないとすると、やはり烏丸府蘭か……まあ、他にコロンゾンに操られてる魔術師もいる可能性があるから、断定はできぬが」
エルダーはふむっと小さく頷いて、カブトムシを抱え直す。
エルダーたちは烏丸府蘭がコロンゾンに操られて土御門を攻撃し、逃走した事を知っている。
だから目の前で人間を殴殺した痕跡を、烏丸府蘭だと当たりをつけられるのだ。
エルダーが状況を精査していると、かつんかつんっと松葉杖を突く音が聞こえてきた。
「
「中で争った形跡はねェが、少し荒れてたの確かだ。『代替わり』先の
「む。本体だけではなく、スペアも奪われたのか」
この路地裏の奥には、とあるものがある。
それはアレイスターの情報網である、『
鉄扉の先では、次の『
『次代』の『
プロセッサスーツは特殊なスーツで、駆動モーターや電位伸縮性テープで補強されているものだ。
しかもスーツの外装は
それがいま、ここにはない。スペア共々、奪われたのだ。
「帝兵、他の施設から運び出された『次代』の『
『はい、五種類全てを確認しております。プロセッサスーツを持ち去った者もネットワークで検索を掛けていますが、未だ見つかっておりません』
現在、『
理由はもちろんマイクロ波で引き起こされていた大熱波の影響で、『書庫』のある場所がマイクロ波を遮断していた場所に限られてしまったからだ。
『
だからこそ、代替わりのために多くの『次代』の『書庫』候補が運び出されている。
代替わりを果たすために『今代』の『
その一つが、何者か──おそらく烏丸府蘭に盗まれた。
しかもその記録は、カブトムシとトンボのネットワークどちらにも残されていない。
「帝兵と帝察のネットワークを掻い潜れるとなると、両者のネットワークの知識を事前に持っているものだな。そのような人間は、大悪魔コロンゾンの手先であった烏丸府蘭と考えるのが妥当だ」
「そォだな。そォやって考えて動いた方が絶対に良いな」
「ただ何でスペアも運び出したンだ? 普通の悪党なら本体を持ち出してスペアを破壊する。本体だけで十分だろォが」
「そこは分からなんな。少しずつ情報を集めるしかあるまい」
エルダーが
『ここら一帯に精査用の
「よろしく頼むぞ、帝兵。犯人が烏丸府蘭だという確証を得てくれ」
『はい。──ですが、少し待ってください』
エルダーがよろしく頼むと告げると、即座にカブトムシが声を上げた。
「む、帝兵。一体どうした?」
『私のネットワークでプロセッサスーツを着込む人物を確認できました。その数は五』
プロセッサスーツは『次代』の『
それなのに、二着以上存在しているのはどう考えてもおかしい。
「ブラフか。ふン、スーツを奪ったヤツはスペアを囮にするだけじゃ物足りねェって事か」
「帝兵、ブラフだと分かっていても複数確認されているプロセッサスーツに接触してくれ。どういう絡繰りで増えているか確かめたい」
『了解しました。この近くにも一体、発生しています』
「──場所教えろ。俺が行く」
そしてカブトムシに指定されたポイントへと急行した。
エルダーは甲斐甲斐しくすぐに動く一方通行を見送って、片手を腰に沿える。
「さて。『窓のないビル』で放逐されたコロンゾンはどうなったものか。おそらくエイワスが空気を読んで色々時間稼ぎしているとは思うが、果たしてそれまでに『
エルダー=マクレーンは一人呟いて、少しずつ明るくなってきた空を見上げる。
そしてゆらんっと尻尾を揺らして、へにゃっと猫耳をしおらせた。
「……お腹空いた」
『いま他の個体に食事を持ってこさせますから、我慢してください』
「……うむ。頑張るっ」
エルダーはカブトムシに元気づけられて大きく頷く。
そしてそっと目を細めた。
(さて。我らが混ざり者にして真なる者はいまも苦しんでおるだろうか)
エルダーは真守のことを考えながら、むぎゅっとカブトムシを抱きしめる。
そしてカブトムシから、真守の情報について聞き出していた。
──────…………。
浅い呼吸音。
そして時折辛そうに唸る声が、静かな部屋に響き渡る。
真守は変わらずに『
一度熱は落ち着いたのだが、また上がってきてしまったのだ。
アシュリンの魔術は霊格や霊媒、魂に作用するものだ。
だが真守は完成された人間である。
そのため普通の人間に作用する魔術の出力を調整しても、快復させるには至らなかった。
これ以上は命の危険に関わるし、アシュリンもここまで来るとお手上げである。
そのため夜も明けたことだし、これからエルダー=マクレーンの指示通りに
真守は外に出るためにセーラー服を着させられている。
誉望には車の準備を、アシュリンや深城には入院となった時用に真守の荷物をまとめている。
そんな中、垣根は直前まで真守の世話をしていた。
じっとりと濡れた肌を優しく冷たい布で拭ってやると、真守が目を開けた。
「…………かきね」
浅いをしながら、真守はぼうっとした瞳で視線を彷徨わせる。
垣根は真守に無理をさせたくないため、真守の顔に自分の顔を近づけた。
「どうした?」
優しく垣根は問いかける。だが真守は熱が辛いのか、すぐに答える事ができない。
「……ん……」
真守は小さく呻くと、垣根へと頑張って手を伸ばす。
「抱きしめてほしいのか?」
垣根は優しく問いかけながら、ベッドの端に座る。
そして寄り添うように、真守を優しく抱きしめた。
「かきねの……腕のなか……」
真守は垣根に頑張ってすり寄りながらぼそぼそ呟く。
「安心、する……」
垣根は真守を動かさないように自分が密着すると、真守のことを優しく抱きしめる。
「ん」
真守は垣根に包み込まれるように抱きしめられて、幸せそうに小さく唸る。
垣根は真守のことを優しく抱きしめながら、そっと目を細める。
こんなに弱弱しい真守を見たのは、第三次世界大戦終戦以来だ。
あの時、真守は演算能力の過剰行使によって、脳の疲弊から体調を崩した。
あれは眠ればよくなるものだった。だが今はどうすれば真守が良くなるか分からない。
しかも真守は元々、エネルギーを生成できる能力者だ。
そのため能力開発を受けてから、一度も風邪を引いたことがない。
それなのに体調不良に見舞われるというのは本当に辛いことだ。
真守も自分の体内エネルギーが操作できないとなると、もどかしい思いをしているだろう。
「……みんな、大丈夫かな」
「大丈夫だ、お前は自分のことだけ考えてろ」
体調が悪い状態で、人の心配なんてしなくていいのだ。
垣根が真守の頬を優しく撫でると、真守は安堵の笑みを力なく浮かべる。
自分よりも体温の低い、冷たくて優しくて繊細で大きな手。
それがとても、真守は安心するものだ。
「ん」
真守は小さく唸って、垣根へくてっと体を擦り寄せて甘える。
「……垣根」
「なんだ?」
「…………たいへんな思いさせて、ごめん」
垣根帝督は朝槻真守にコロンゾンが『拡散』を打ち込んだ時、ひどく焦っていた。
自分には真守を助けることができない。どうすれば真守のことを助けられるか分からない。
その時の垣根帝督の焦りようを真守は覚えている。
だから真守が心配していると、垣根は柔らかく笑った。
「問題ねえよ。ただ、俺がお前のことを大切に想ってるって分かってくれりゃあそれで良い」
垣根はいつだって自分よりも大切な誰かのことを考える真守の頭を優しく撫でる。
「お前はこれまで色んなものを救ってきた。だから辛いときはお前が救ってきた人間に甘えても良いんだ。それくらいしてもらわなきゃ、俺たちだって悲しい」
「…………ん。あのな、かきね」
「なんだ?」
垣根が柔らかく問いかけると、真守は垣根に頭を撫でられながら微笑む。
「そばにいてくれて、ありがとう。とても嬉しい。一人じゃないの。……とても」
「当たり前だろ」
垣根は真守のことを優しく抱きしめる。
「何度も言ってるけど。……俺は、お前を一人にする事だけは嫌だったんだから」
誰も守ってくれない。
学園都市の現実は辛く、非情で。普通の人間は周りに手を差し伸べる余裕がないから。
だから真守は大切な少女をずっと守っていくと誓った。
辛くても、『表』で懸命に生きて行く事を誓った。
『闇』から逃れながら場違いな『表』で、大切な少女を守りながら『光』を求めて進み続ける。
それは本当に辛く険しい道だ。いばらの道だ。
そんな境遇の少女を放っておけないと思うくらいには、垣根帝督は悪になりきれていなかった。
「ずっとそばにいる。いつまでも一緒だ。絶対に離れねえ。お前がいないと俺は生きていけない。だから早く元気になってくれ」
垣根は真守の額にキスを落としながら笑う。
「愛してる、真守」
「………………わたしも、だいすき」
真守は垣根の愛に最大限に応えたいとして、ふにゃっと微笑む。
「用意ができたらすぐに行くから。な?」
垣根は真守の頬に、首筋に手を当てて体調を気にしながら告げる。
真守は小さく頷くと、再び目を閉じた。
垣根は真守の額に載っている、ハッカの匂いに満ちたアシュリンが用意した濡れタオルがまだ使えるか確認する。
すると真守の入院用の荷物を作っていた深城がやってきた。
「垣根さん、真守ちゃんのお荷物の準備できたよぉ」
深城がやってきたので、真守は薄く目を開ける。
「…………みしろ」
真守が小さい声で呼ぶと、深城は真守に近づいた。
そして真守の頬に手を添えて、深城はにっこりと微笑む。
「なぁに、真守ちゃん」
「………………みしろは、元気?」
「あたしは何も問題ないよぉ。あたしを維持してくれる真守ちゃんとのパスは自動になってるしぃ。それに真守ちゃんは自分に何かあった時、あたしが一〇〇年は生きられるように設定してくれてるから。だから気にしなくてだいじょぉぶ」
深城は優しく真守に話しかけて、微笑む。
「あたし以外のみんなもだいじょぉぶだよ」
「…………みことも?」
真守はアレイスターの攻撃によって行動不能になった美琴のことを思い出す。
深城は微笑むと、真守の頬を優しく撫でる。
「美琴ちゃんはもう昨日のうちに学舎の園に戻ってるよ。いまこの『
「……学園都市の、子たちも大丈夫?」
「大熱波が止んでも真守ちゃんが暴動起きないようにしてたでしょ? ただ大悪魔がちょっかい出してきてるけど、それについてはアレイスターさんが上条くんたちと一緒に頑張ってるから。
深城がにこっと微笑むのを見て、真守は安堵する。
自分だけじゃなくて、多くの子供たちが学園都市を守ろうとしてくれる。
それが本当にうれしくて、安心できて。真守は安心できたのだ。
「そう。よかった……」
真守は小さく呟くと、自分の頬に手を添えている深城に手を伸ばす。
「みしろ」
「なぁに?」
「いつも、ありがとう」
深城は真守の胸に布団の上から手を置いて優しく撫でる。
「あたしがやりたいからやってるの。だから真守ちゃんは気にする事なく甘えればいいんだよぉ」
「ありがとう、みしろ。わたしの、大切な女の子……」
真守はそう告げると、熱で潤んだ瞳を動かして垣根を見た。
垣根は本当に辛そうな顔をしている。真守は垣根を見つめて、微笑みかける。
「かきねもそばにいてくれてありがとう……だいすきな、男の子……」
真守はぼそぼそと呟きながら、そっと目を閉じる。
すると浅い呼吸をしながらも、真守の寝息が聞こえてくる。
深城は真守の頬から手を離す。
「寝られるなら寝ておいたほうがいいからねえ」
「後で移動する時に起こしちまうのが忍びないけどな」
垣根は深城と話をしながら、
真守と約束したから。
何があっても、真守が分からなくなったとしても。ずぅっとそばにいると。
だいすきな男の子と、たいせつにしたい女の子。
そんな二人の側が温かくて、眠っている真守の頬が少し緩んだ。