次は八月七日月曜日です。
第七学区に位置する、とあるマンモス病院。
垣根帝督は真守の病室の前で、
「僕が想定しているよりも早く彼女が立ち直ったのは、彼女が
『窓のないビル』にて、朝槻真守は大悪魔コロンゾンに『拡散』を打ち込まれた。
真守が『拡散』によって命を落とす事はなかったが、真守は『流行』へと至った直後に攻撃を受けた。そのため霊格や霊媒に揺らぎが生じ、真守は体調を崩してしまった。
霊格や霊媒のゆらぎによる体の不調。
現代科学では、霊格や霊媒に干渉することはできない。
だが不調が現れている
熱が出ているのであれば、熱を下げる薬を。体内の電気信号が乱れているのであれば、その調整を。脳の分泌物の異常生成が行われているのであれば、投薬で抑える。
そうやって一つ一つ、
そして体調に繋がっている霊格や霊媒の揺らぎを感知し、自分で立て直すまでに至ったのだ。
とりあえずのところ、真守は持ち直した。
それは垣根帝督にとって、とても喜ばしくて安堵できることだ。
「真守が自分を治療できるように、お前は糸口を作った。それはすげえ助かった。……ただなんで投薬した薬が未認可のオンパレードなんだよ。後で重大な副作用が出るとかねえよな?」
垣根はじろっと
「僕が患者の体を悪くする薬を使うわけないよ? それに彼女に使った未認可の薬品は権利関連で認可が遅れているものだね? 問題ないよ?」
「確かにお前は患者に必要なモンは何でも用意するからっつって、優秀な薬品作りすぎて毛嫌いされてるらしいな」
優秀過ぎて、業界人から厄介者だと思われている
その厄介者を見つめて、垣根は少し警戒した様子で呟く。
「アレイスターを治したのも、お前だったんだな」
垣根の断定に近い問いかけに、
「そういえば真守くんはキミと一緒に彼のところに行ったんだったね?」
「ああ。真守はお前にも救えなかったアレイスターの心を救った」
垣根が真守の偉業を端的に説明すると、
「僕は彼が自分の望みを果たす事こそ、彼が救われると思っていたからね?」
「………………お前は所詮、医者だ」
垣根は忌々しそうにしながらも、淡々とその事実を口にする。
「医者は患者に寄り添う事が仕事だ。……だからアレイスターのために、アレイスターと真っ向から敵対するなんて選択肢、お前には取れないだろ」
朝槻真守はアレイスター=クロウリーと対峙して、その心を解き明かした。
垣根の言う通り、医者は患者とぶつかることはない。あくまで寄り添い、患者の意思に従って自分ができることをするだけだ。
「……お前はあの野郎が悲劇の温床を生み出すきっかけでもあった。……でもお前がいなけりゃ、学園都市ができなかったのは事実だ」
冥土帰しがアレイスター=クロウリーを助けなければ、学園都市は存在しなかった。
学園都市が造られないと、能力を持った垣根帝督が朝槻真守と出会うことはありえなかった。
その事に関して垣根が考えていると、
「僕の患者に手を出そうとしていた頃に比べて、キミは随分と変わったね?」
垣根はその言葉に押し黙る。
僕の患者、というのは真守と深城の事だ。どうやら垣根が
垣根帝督は真守と出会う前のことを考えて、そっと笑う。
「そうだな。俺は変わったんだろう」
垣根は自嘲気味に笑いながら、真守が安静にしている病室に目を向ける。
「でもその変化が、俺にとってはすごく良いモンだった」
自分ができないと思っていた事。人を守り抜く事。
それができると、朝槻真守は信じてくれた。
そして『無限の創造性』を教えてくれた。ここまで導いてくれた。
大切な少女ができて、いつでもそばにいて守れる力がある。
きっとこれ以上の幸せは、この世のどこにもないだろう。垣根帝督は、そう思っている。
「そういや、お前。エルダー=マクレーンって知ってるだろ」
その反応は、どうやったって知っていると言わんばかりの反応だ。
(……この医者、一体いつから生きてんだ?)
垣根は怪訝に思うが、患者を絶対に見捨てないこの医者ならば、患者のために寿命を延ばすなんて、平気でやりかねない。
「……真守がマクレーンの人間だって知ってたんだな?」
垣根が問いかけると、冥土帰しは寂しそうに微笑んだ。
「それを聞いて、もし僕が知っていたと言ったら……キミはどうするんだい?」
「別に」
垣根は
責める相手は、別にいるからだ。
「どうせアレイスターのクソ野郎が黙ってろなんて言ったんだろ。だからお前は出来る限りアイツを守ろうと思った。それで真守に必要なモンを全部与えたんだろ」
冥土帰しは垣根の言葉に静かに頷く。
「……そうだね。本当に彼女のためになっているならいいけれどね?」
「なってるに決まってんだろ」
垣根は吐き捨てるように告げて、真守の事を想って幸せそうに呟く。
「真守は一度だって自分の人生を悲観した事はない。本当に心の底から幸せだって、そう言ってる。お前がいたから、真守は幸せになれたんだよ」
その純然たる事実を口にすると、冥土帰しは頷いた。
「それなら良かったね?」
「先生。緊急外来にカブトムシさんが連れてきた赤ちゃんの事ですけど……」
垣根は看護師の言葉に目を鋭く細めた。
カブトムシが連れてきた赤ん坊とは『LILITH』の事だ。
スペアであるプロセッサスーツを身に纏わされた浜面仕上が、新品同然の廃車の鍵のかかったトランクから見つけ出した赤ん坊。
垣根はリリスについて、カブトムシから報告を受けている。
リリスは普通の赤ん坊ではない。
何故なら、リリスは生命を定義づける肉体や細胞を持たないのだ。
つまり、剥き出しの生命エネルギーの塊である。
だがその塊を実体があるかのように、リリスはこの世に固着させているのだ。
アレイスター=クロウリーの第一子もリリスという名前だった。
そして今ここに、剥き出しの魂を形としている生命体であるリリスがいる。
それが意味するところを、垣根帝督は断定できない。
何故なら何がどうなっているか判断材料が欠けるからだ。
もし真守が万全なら、答えを出していただろう。
垣根が一人で思考を巡らせていると、
「彼女の容態は? どんな感じかな?」
「それが……高熱が出ていたのですが、それが収まっているんです。先生の言う通り、寒すぎず暑すぎず、湿度にも異常がない人間が最適に活動できる個室に安静にさせていただけなのに……」
そしてリリスを連れてきた、カブトムシを操っている垣根帝督を見上げた。
「キミは既に、彼女が肉体も細胞も持たないという事を知っているね?」
「ああ。
真守が無理をするのは認められないが、リリスという剥き出しの魂を持つ存在であれば真守だって気になるだろう。
そのため垣根が真守の事を想って病室の扉を見ると、都合よく病室の扉が開いた。
「垣根」
病室から出てきた真守は髪の毛を結んでいないが、セーラー服姿だ。
つい先程よりも、声がしっかりしている。だがそれでも万全ではない。
命の危険に瀕するほどの尋常じゃない高熱が出ていたのだ。当たり前である。
「真守、どうした。まだ安静にしてろ」
垣根は歩いてきた真守を抱き留めながら、真守の後ろにいる二人に説明を求めた。
源白深城。アシュリン=マクレーン。
彼女たちは付き添いで真守の病室で真守を見守っていたのだ。
垣根が責めるような目を向けると、アシュリンが本当に困った表情で告げた。
「声が聞こえるんですって」
アシュリンはそう言いながら、まだ本調子ではない真守の両肩に手を置いて優しく支える。
「……声だと?」
普通ならば体調を崩した直後に幻聴が聞こえているとなると、かなりマズいことだ。
だが真守に限ってはそうではない。幻聴ではなく、誰かが本当に語り掛けてきているのだ。
「ニュイ=マ=アサヌール=ヘカテ=サッポー=イザベル=リリス」
垣根は真守がサラサラと告げる言語が、最初名前だと分からなかった。
じゅげむじゅげむ並みに長い名前。それはアレイスター=クロウリーの娘の名前だ。
垣根は真守に剥き出しの魂が実体化しているリリスという赤ん坊について、何一つ話していない。それでも真守はその名前を口にした。
「帝兵さんが連れてきた赤ちゃんは、本当にアレイスターの娘なんだ」
真守は真剣な表情をして、垣根を見上げる。
「エイワスは死ぬ前のあの子の魂を待避させたんだ。肉体が死んだとしても終わりじゃない。魂は、その生命力は続いていく。魂と宇宙は永遠だ。だからたった一度の命の終わり、破滅如きでどうにかなってしまうものじゃない。だからあのリリスは、アレイスターの娘なんだ」
アシュリンはその言葉に目を見開く。
魂と宇宙、その永遠。死ぬことが終わりではないという信仰。
それはいつか自分たちが滅ぶと分かっているケルトの民が掲げているものだ。
ケルトが求め続けたその『永遠』を体現している、真守が言うのだ。
アシュリンは感極まってしまいながらも、真守の事をしっかり支える。
「エイワスによって退避させられたリリスの霊格はすさまじいんだ。だから赤ちゃんでも私にはっきり話しかけるコトができるんだ」
朝槻真守はエイワスやコロンゾンに同族たりえる者だと認められた、『流行』を冠する人の手で生み出された
『流行』へと至った直後に攻撃を受けた事で、真守は霊格や霊体に揺らぎが生じて体調を崩していた。だが安定すれば、真守は霊格が高いリリスと話ができるのだ。
真守は
「お願い、先生。リリスに会わせて。直接会って話がしたい」
冥土帰しはそんな真守を見て、柔らかく目を細めた。
「分かったよ?」
「あ、先生っ」
歩き始めた真守だったが、気が付いた事があって声を上げた。
そしてまだ見ていて不安になる足取りで、
真守は、冥土帰しの事をぎゅっと抱きしめる。
「!」
冥土帰しが目を見開く中、真守は幸せそうに告げる。
「先生、いつもありがとう」
柔らかく自分の気持ちを告げる真守の言葉に、
「僕は僕のやるべき事をやっているだけだよ?」
「ふふっ」
真守は冥土帰しから少し体を離して、にへらっと微笑んだ。
「知ってるっ。でもとても感謝してる。ありがとうっ」
その笑顔に、
遠き日に、自分の全てを一目で見抜いた女性。
いつでも自信たっぷりだったその女性に、真守は本当によく似ている。
それは真守があの貴族の淑女の子孫であるからだ。
幼い真守が自分のもとに来た日のことを、
どこかの研究施設の子供だと分かる、病院服のように簡素な服。
それを着ていた真守は一度も来たことがない病院内を堂々と歩き、冥土帰しのもとまでまっすぐと歩いてきた。
『深城のこと、助けて。じゃないとお前の望みを絶つ』
真守は自分よりも一回りも二回りも大きい少女をおんぶしていた。
そんな少女のことを、真守は全力で助けろと命令した。
『あの女性』は全てを見通し、愛するような目をしていた。
けれど目の前の幼い女の子は全てを見通し、憎んでいるような目をしていた。
そして全てを見通しているが故に、自分の望みを言い当てた。
『お前はどんな患者でも救おうとする。患者に寄り添って生きたいとおもう。だったら深城にも寄り添って。それで深城を救えなかったらお前の傷だ。そんなお前を私は殺す』
あの時の真守の『殺す』という言葉には躊躇いがなかった。
真守は物騒な言葉をさも当然に使っていた。
その言動だけで真守が今まで命の危機にさらされるギリギリを生きていたのだと、冥土帰しは理解できた。
傷ついた大切な女の子を助けてほしい。
朝槻真守の願いを、冥土帰しは拒絶しなかった。
何故なら幼い少女の言う通り、自分の望みは命を救う事なのだ。
キミはどうするんだい? と訊ねると、少女は殺気を込めて自分を睨み上げてきた。
『お前がやる事はただ一つ。深城を救うコトだけだ。それ以上は必要ない』
真守は鋭く言いつけると、深城を預けてそのままどこかへと行ってしまった。
殺しをしに行くのだろう。そんな憎悪が瞳から見て取れた。
止められなかった。止めても、彼女は絶対に止まらないと思ったからだ。
だが、彼女は十日も経たない内に帰ってきた。
帰ってきたときは酷くやつれていた。そして遠い日を共に過ごした女性と同じエメラルドグリーンの大きな瞳から、大粒の涙を零していた。
朝槻真守はすごく後悔していた。だから自分も止めるべきだったと後悔した。
止められないと分かっていたけれど。止めるべきだったとその時思ったのだ。
小さな体を抱きしめると、ひっぐと大きくしゃくりあげた。
本当に小さな体だった。
一〇歳なのに六、七歳にも満たない体付きをしているのは、全て実験のせいだったと後で知った。
そして彼女がアレイスターにとって重要な女の子である事も、
だから自分のできる事をしようと思ったのだ。やるべき事をしようと考えた。
「……行くんだね?」
「うん。大丈夫、絶対に無茶しないから」
冥土帰しは真守の力強い言葉にゆっくりと頷いた。
「気を付けてね?」
「うんっ。ありがとうっ先生っ!」
真守はアシュリンに心配されながらも歩き出す。
そんな真守たちを見送っていたら、アシュリンが振り返った。
そして感謝を込めて頭を下げる彼女は、そのまま去っていく。
冥土帰しは彼女たちを、見えなくなるまでずっと見つめていた。
本当に満ち足りた瞳で、見つめていた。