次は八月九日金曜日です。
真守は垣根と一緒に、
そして病室の前に辿り着くと、アシュリンと深城には待ってもらって扉をゆっくりと開けた。
部屋の中には、小さなベビーベッドが置かれていた。
真守がそうっと近付くと、ベッドには可愛らしい女の子が横になっていた。
リリス。アレイスターの娘であり、アレイスターが魔術を憎むことになったきっかけ。
そしてかけがえのない、失われてしまったはずのいのち。
「お前がリリスだな」
真守が声を掛けると、赤ん坊はきゃっきゃと嬉しそうに手足を動かした。
真守は優しく手を伸ばすと、赤ん坊をゆっくりと抱き上げた。
最初不安そうに抱き上げていた真守だったが、すぐにコツを掴んでリリスを丁寧に抱く。
「垣根。あのオモチャ取ってくれるか?」
真守はリリスの持ち物であり、浜面仕上がリリスに与えた赤と黄色のトランペットのオモチャに目を向ける。
垣根は真守のお願いを聞いて、オモチャを手に取る。
そしてリリスが求めてきたので、垣根はオモチャをリリスに渡した。
リリスはご機嫌に、プップーとトランペットを鳴らす。
すると、トランペットから声が響いた。
『えーえー。これであなた以外の人にも聞こえますかしら?』
垣根は思わず目を見開く。そんな垣根の横で、真守は体を緩く跳ねさせてリリスをあやす。
「垣根。この子は本当にアレイスターの娘、リリスなんだ。格が上がってるから、普通の赤ちゃんじゃない。だから私に話しかけられたんだ」
『ええそう。私は何の捻りもなく「本物」でしてよ』
リリスは道具一つを隔てて、真守の説明に頷く。
『正式にはニュイ=マ=アサヌール=ヘカテ=サッポー=イザベル=リリスというのですけれど、とにかく長い! そして大仰!! ……いつの世もキラキラネームを付けたがる親はいるものでしてよ、やられた側からすれば困惑してしまいますわ』
真守はリリスの背中を優しくぽんぽん撫でながら、そっと微笑む。
「ふふ。愛情がたっぷり入っている良い名前だけどな」
『それは私も理解していましてよ』
微笑を浮かべる真守と、トランペットを持ったまま不服そうなリリス。
垣根は真守の腰に手を沿えながら、真守に問いかける。
「エイワスが本当にリリスを助けたのか?」
「うん。二〇世紀初頭にアレイスターがエイワスを降ろしたのは、ローズの体だった。あの時、ローズは妊娠していて、お腹の中にはリリスがいた」
「……接点はあったって事か」
垣根の言葉に、真守は頷く。
喪われてることが運命によって決まっているいのち。
そのいのちの魂を、エイワスは守ったのだ。
そして退避させて、今回の光臨に合わせて呼び戻した。
『私は「戻って」きましてよ』
リリスは真守の腕の中で、オモチャのトランペットを通してそう宣言する。
『誰の思惑があったとしても、これは私の人生ですわ。だから世界の決定に反してでも、くそったれの結末を覆して問答無用のハッピーエンドを掴んでやります。……ですから』
リリスは小さな手を動かす。垣根は求められた気がして、指を差し出した。
垣根の指を握ったまま、リリスは真守と垣根を見る。
『私を連れて行ってくださいまし。他ならぬお父さんのところへ。お父さんはすぐ近くまで来ていますでしょう。娘である私には分かりますわ』
「うん、分かった」
真守は頷くと、リリスのことをあやしながら微笑む。
「アレイスター。エルダーさまの言う通り、人間は血反吐を吐いて頑張ればイイコトがあるんだぞ」
真守はアレイスターのことを想って、ふわりと笑う。
人間は努力すれば救いがある。その救いが、アレイスターは自分に配られないと考えていた。
だが救いを配ってくれる存在は、何も十字教の頂だけではないのだ。
神に等しい悪魔や天使たち。彼らの施しもまた、時には救いとなる。
真守はふふっと笑うと、リリスを連れて垣根と共に病室を出た。
──────…………。
今日の学園都市は、朝からどんよりとした雲が広がっていた。
朝からいまにも雨が降り始めそうな天気だったが、ついに雨が降りはじめた。
一二月の冷たい雨が降る中、浜面仕上は病院前にいた。
浜面仕上の隣には、白いカブトムシを抱き上げたエルダー=マクレーンがいる。
二人は、A・O・フランキスカと対峙していた。
A・O・フランキスカは浜面仕上と同じプロセッサスーツを着ている。
だがスーツは
装甲に埋め込まれた電飾は壊れて赤く染まり、チカチカしている。バイザーにはヒビが入り、所々装甲が剥がれて背中なんかはかろうじてスーツの原型を整えている。
A・O・フランキスカはミメティックプレデターなる、細胞質の群れを無数に連れていた。
そんなA・O・フランキスカへ。
凍てつく雨の中。後方上空にて古ぼけたホウキに跨る少女がゆっくりと照準を合わせた。
ホウキに跨る銀髪少女は、アレイスター=クロウリーだ。
自らの可能性の一つに宿ったアレイスターは右手を伸ばして、その五本指で鉄砲のようなジェスチャーをする。
簡単な指でっぽうで、アレイスターはA・O・フランキスカに照準を合わせているのだ。
『それ』は霊的けたぐりと呼ばれる、アレイスター=クロウリーが師匠だと唯一仰いだ人間が使っていた魔術だ。
その魔術は術者のイメージそのものを敵に叩きこむ。そのため物理距離など関係ない。
だからA・O・フランキスカはアレイスターのイメージの銃弾によって吹き飛ばされた。
勝手に飛び跳ねて地面に潰れたA・O・フランキスカ。彼女を見て驚く浜面仕上。
その隣で、エルダー=マクレーンはため息を吐く。
「まったく、遅いぞ。わが友よ。どうせ目的を果たした後に、少年少女にセクハラをかましていたのだろう」
アレイスターが悠々と飛ぶホウキの後ろには、インデックスと肩にオティヌスを載せた上条当麻が乗っていた。
ちなみに上条当麻はホウキに触れないように包帯で右手をぐるぐる巻きにしている。
そうじゃないと飛行魔術が何かの拍子で無効化されてしまう可能性があるからだ。
アレイスターは二人を後ろに乗せたまま、エルダーと浜面仕上に近づく。
そして地面に降り立つと、アレイスターはまっすぐとエルダーを見た。
「……エルダー」
「なんだ、アレイスター。私がここにいるコトがそんなに驚きか?」
自信たっぷりにニヤッと笑うエルダー=マクレーン。
エルダー=マクレーンは『
その成り立ちからして、エルダーは『窓のないビル』と運命を共にするはずだった。
だが聖守護天使エイワスが動けないエルダーのことを魔導書にしたためて動けるようにしたのだ。
だからこそエルダー=マクレーンとアレイスター=クロウリーは、もう一度会うことができた。
アレイスターはエルダーを見つめて、ふっと笑う。
「……キミは変わらないな」
エルダーはアレイスターの様子を見てくすくす笑う。
「それはそうだぞ? ワタシはエルダーから明確に異なった本物へと至ったが、それでもエルダー=マクレーンであることには間違いない」
エルダーが笑っている隣で、浜面仕上は何故エルダー=マクレーンとベクトルが違う銀髪美少女が突然出てきたのかと困惑する。
すると、白い影が舞い降りてきた。
「……ッチ。集まってンじゃねェかよ」
現れた早々嫌そうな顔をしたのは、頭に白いカブトムシを乗せた
エルダー=マクレーンは一方通行を見て、意地悪く目を細める。
「ふふ。オマエは確実に影の立役者だぞ、
「だとしても、ヤツは俺がバッテリー充電してる数十秒の間に囮まき散らしながら逃げやがった。逃がしてンなら役に立たねェのと一緒だろ」
「そんなことないぞ。エライエライ」
毒吐く
満足そうにしているエルダーは、一方通行の頭を撫でながらアレイスターを見た。
「して、アレイスター。思想汚染の方は何とかなったのか?」
大悪魔コロンゾンは学園都市の学生たちに暴動を起こさせるために、自らの髪を使って陣を敷き、思想汚染を起こしていた。
それに対処していたアレイスターにエルダーが滞りなく終わったのかと問いかけると、アレイスターはしっかりと頷いた。
「ああ。少々面倒だったがなんていう事はない。
「そうか」
エルダー=マクレーンは笑って、そして振り返った。
「では感動の再会とゆこうか。アレイスター」
アレイスターはエルダーの言葉に、不思議そうな顔をした。
エルダーが見た方向には、朝槻真守と垣根帝督がいた。
垣根は病み上がりの体である真守が雨に濡れる事を嫌って、真守の事を支えながら
垣根に気遣われている真守の腕の中には、小さな命があった。
エルダーは小さな命を抱き上げている真守を見て、柔らかく目元を弛緩させる。
すると、真守の腕の中にいる小さな命がトランペットのオモチャを振った。
『お父さん』
アレイスター=クロウリーはお父さんと呼ばれて目を見開く。
いくら人でなしと言われようと、アレイスター=クロウリーだって娘を愛する一人の父親だ。
だからこそ、娘か娘の偽物かすぐに分かる。
それに加えて、かの一族が求めた希望である少女が抱き上げているのだ。
だから尚更分からないはずがない。あの小さな命は、娘のリリスなのだ。
真守は決して軽い足取りではないが、小さな命のことを慮ってゆっくりとアレイスターに近づく。
すると。
容赦ない大きめのガラガラによる、娘リリスの本気のフルスイングが『人間』の頬をぶっ叩いた。
スッパァアアアーン!! と、今日日お笑い番組でも見ないリリスの苛烈なツッコミ。
「ほぁあああああっ!?」
真守は思わず驚愕の声を上げてしまう。
何せ自分のすぐ近くに突然木工製の大きなガラガラが出現したことでさえ驚きなのに、それがアレイスターの頬を躊躇なくひっぱ叩いた事による二重の驚きなのだ。
むしろ驚きでリリスを不用意に揺らさなかった自分を褒めてもらいたいといった具合である。
木工製の大きなガラガラを虚空から呼び出し、それで父親の頬をフル☆スイングしたリリスは次々とベビー用品を呼び出す。
椅子上の木馬や子供用のミニチュアピアノ。
それらをリリスは躊躇いなくアレイスターへと突撃させる。
しかもリリスはダメ押しと言わんばかりに、木製のベビーカーとそれを押すドレスを纏った球体関節人形の貴婦人を呼び出した。
天女のような木製の人形はベビーカーで華麗なドリフトをかますと、凄まじい速度でアレイスターに突っ込んだ。
全弾ヒット。もちろんそれにうろたえたのは周りにいた一同だった。
『ああああっ!? なにっ今の、この娘に何をっリリスねえちょっとナニぃ!?』
「アレイスターお前またなんかやらかしたのか!? ていうか変人揃いの『黄金』の中でも通じなかった常識がこの時代の一般社会で通じ得るわけねえだろうが悔い改めよ!!」
思わず同時にツッコミを入れた浜面と上条は顔を見合わせる。
そんな中。リリスは真守の腕の中から、乳幼児グッズに塗れたアレイスターを見た。
『大人気がなさすぎでしてよクソ野郎!!』
真守の腕の中でリリスは小さなおみ足をぶんぶんと振りまわし、ぷっぷーとトランペットを鳴らしながらアレイスターを睨む。
『何ですの、その格好? 人がわざわざ奇跡の大復活を遂げて感動のご対面をしようって時に、どうしてあなたが私以上に女の子女の子しているんですの!?』
「リリス、リリスっあんまり怒るのは体に良くないぞ。よしよしよーし落ち着け、な?」
真守は腕の中で怒るリリスを必死にあやすが、リリスの怒りはそんなもので止まらない。
『黙らっしゃい!! でしたら私は知らぬ間に下手すりゃ自分の娘よりもかわゆく変貌した「父親」をどんな顔で迎え入れたら良いっていうのでして!?』
真守はその問いかけに押し黙ると、垣根と顔を見合わせる。
「お父さんが美少女化するなんて普通ならないから、確かにどうすればいいか分からないな……」
「あの統括理事長サマが父親な時点で、常識なんて通用しないから対策なんて取れねえよ」
真守と垣根が口々に呟く中、トランペットを使ってリリスはがなり立てる。
『普通にしていれば無理なく泣きに繋がるこの場面を、無理やり笑いに変えるんじゃねえよまったくもおー!!』
ぷんぷん怒るリリスを見て、浜面は思わず呟く。
『……いやあの、大人気の問題だったらついさっきまで赤ん坊だったリリスがいきなりモンスターベイビー(本物)になって超常現象引き起こしたり知った風な口を利き始めたのだって十分以上に反則技なんじゃ……』
『黙れベビーシッターこのヤンキーはどっちの味方でしてよ!?』
怒るリリスの気持ちが分からないわけではない。
何せ感動の再会に父親が性転換して美少女になっているのが悪いのだ。
ここでアレイスターが美少女にならず、もっと違う可能性に定着していたら良かったのだ。そこら辺が『なんでもかんでも失敗する』アレイスターらしいところである。
何とも最低で感動が台無しな場面だが、そんな事を言っている場合ではない。
濡れたアスファルトの上で軋む影があるからだ。
ぎちぎちぎちぎちと、軋みを響かせる存在。
A・O・フランキスカ。
ここに、それぞれの大切な存在を守るために立ち上がった者たちは全員集った。
彼らは共通の敵である『彼女』を見据える。
憐れなる悪魔に霊媒として操られている少女を救うために。
彼らは最終決戦を始めた。