次は八月三一日です。
学園都市の機能を停止してから数日後。朝槻真守たちはエジプト、地中海沿岸にいた。
雲一つない澄んだ青空。日本とは違い、からっとした湿度を感じさせない空気。
見渡す限りの砂漠風景。
その砂漠の中で唯一の癒しであるオアシスのほとりで、真守は立っていた。
「真守。体調は大丈夫か?」
真守はあまり見ない光景である砂漠を見つめていたが、垣根に声を掛けられて振り返った。
「問題ない、大丈夫」
真守は柔らかく微笑んで、自分の腰に手を当てて支えてくれる垣根を見上げる。
朝槻真守はコロンゾンによって、その存在に『拡散』を穿たれた。
真守が『流行』という頂に辿り着いていたからこそ無事だったが、それでも霊格や霊媒にダメージが残り、体調を崩してしまった。
高い熱に苦しんだ真守は無事に回復したが、本来ならばまだ静養するべきなのだ。
だが、状況がそうさせてくれない。
大悪魔コロンゾンはアレイスターが学園都市の地に封印した。
だがそれは一時しのぎに過ぎない。すぐにコロンゾンは封印を破って這い出てくるだろう。
大悪魔コロンゾンは連合王国に深く根を張り、多くの力を蓄えている。
その力を根こそぎ奪い取らなければ、コロンゾンを倒すのは不可能だ。
「真守ちゃん、直射日光は体に悪いわよ。日傘の中に入ってちょうだい」
真守が垣根と共にいると、真守の伯母であるアシュリン=マクレーンがやってきた。
真守はアシュリンの差す日傘の中に入れてもらいながら、苦笑する。
「垣根が私の周りに
真守は自分のために能力を振るっている垣根を見上げて、困った笑みを浮かべる。
アシュリンは首を横に振ると、苦笑する真守にめっと人差し指を立てた。
「それとこれとは別なのよ、真守ちゃん。……そうよね、帝督くん?」
「そうだな。真守、大人しく日傘の中に入っとけ」
真守は自分のことを責めるように見つめる二人を見て、口を尖らせる。
「むぅ。垣根が味方を得て増えたぞ……」
要約すると『過保護が増えた』ということだ。
ぼやく真守を見て、アシュリンは大変不満そうにむっとする。
「真守ちゃん、あなたのことをわたくしが大事にするのは当然でしょう。……ずっと、ずぅっと、あの子が産んだあなたをわたくしは探していたのよ」
「う」
アシュリンは自分の双子の妹であるアメリアが産んだ真守のことを、ずっと探していた。
だが学園都市に拾われた真守が強い力を秘めていたため、会うことは叶わなかった。
アシュリンにとって、大事な半身が産んだ真守。今までずっと見守っていたが、一緒に行動するなら心配の口出しくらいはさせてほしいのだ。
「痛いところ突かないで、伯母さま」
真守はちょっと気まずくなって、眉をひそめる。
その時、真守は視界の端で景色が変わった事に気が付いた。
「あ」
砂漠の遠くから、一台のトレーラーがやってくる。
真守はそれを見て、くいくいっとアシュリンの裾を引っ張った。
「ほら伯母さま、垣根。土御門が来てくれたぞ」
「真守ちゃん話を逸らしちゃだめよ」
「この人の言う通りだ。いいか、真守。お前は体調を崩してたんだぞ。動けるようになったって言っても体を労わることは大事に──」
(ああ……本当に過保護が増えた……)
真守は遠い目をして、自分のことを本当に心配している二人の話を聞く。
朝槻真守は
神に等しい者は、人々に縋られる。人々は心の拠りどころとする。
その時、誰も神さまの幸せなんて考えない。神さまは自分たちを幸せにする事こそ、神の幸せだと人々は思っているからだ。
人々に縋られる真守は本来ならば、気遣われるなんてありえない立場だ。
それなのに自分のことを心配してくれるひとがいるのは、本当に幸せなことだ。
「分かった、二人共。ちゃんと気を付ける」
真守は垣根とアシュリンを見て、柔らかく微笑む。
垣根とアシュリンはその笑みを見て、ようやく分かったかと頷く。
そして真守たちはトレーラーに乗ってきてやってきた土御門を出迎えた。
すると、真守たちのもとにインデックスと肩にオティヌスを乗せた上条当麻がやってきた。
もちろん
土御門元春が運転してきたトレーラーには、トレーラーハウスというものが乗っかっていた。
トレーラーハウスとは、車で移動させる事ができる家だ。
土御門元春はトレーラーハウスを移動できる『隠れ家』として、元雇い主であるアレイスターのために用意した。
これを手切れ金として、土御門はアレイスターとの契約を終えるのだ。
土御門元春は車から降りてきて、美少女転生を経たアレイスター=クロウリーを見る。
「これで最後の借りは返したぞ、アレイスター。今のところは安全な隠れ家だが、状況は秒単位で変わる。それを忘れるなよ」
アレイスターは土御門から視線を外し、ちらっとアシュリン=マクレーン──新しい土御門元春の雇い主を見た。
「大丈夫ですわ。わたくしがバックについているのですから、彼が裏切る事はありません」
恨まれる理由が多すぎるアレイスターは土御門にさえ裏切られる可能性がある。
そのため念には念をということなのだが、土御門を新しく雇ったアシュリンが言うのであれば問題ないのだろう。
マクレーン家は古い家柄でイギリスという国に影響を及ぼせるほど強大だ。
土御門元春が何を大事にしているかよく分かっているアシュリンを前にして、土御門元春が下手な動きをできないのは明白である。
だが一応土御門のことを警戒している烏丸府蘭。府蘭は土御門が用意したトレーラーハウスを自慢のアンテナ──ウサギの耳のようなものと尻尾のようなものを動かして捜索する。
やがて安全だと知ると、府蘭はアレイスターを見た。
「説明している内容にも矛盾はないのです。電波や赤外線などの発信なし。電子回路の微弱な磁気も以下略。完璧に安全な隠れ家です」
府蘭は一応の報告をすると、首を傾げる。
「けど、ほんとにイギリス側と正面からぶつかる必要はあるです? 全員が全員、コロンゾンの手勢とは思えないのですが……」
「汝の欲するところを為せ。それが汝の
「?」
突然『法の書』の一節を説き始めたアレイスター。
府蘭が怪訝な表情をすると、アレイスターは笑う。
「私は優しくない。だから私はキミたちのために時間を割かない。レールの上を走り続ける子供の時代はもう終わった。己の目的があるのなら、途中下車も考えた方が良い。どこで飛び降りるのが一番効率的か、自分の責任は自分で見極めろ」
唐突に突き放すような、それでも真っ当なことを口にするアレイスター。
そんなアレイスターを見て、アシュリンは柔らかく微笑む。
「元々わたくしはマクレーン家の使いとして英国女王に用がありますから、もちろん別行動ですわ。コロンゾンについての危険性をきちんと話し合わなければなりませんし。……ヤツが自分を守るために作り上げた霊装が、善良な人間に牙を剥かないとは限りませんもの」
上条はアシュリンの冷酷な言葉にハッと息を呑む。
コロンゾンは自分の目的を果たすためならなんでもする。
その過程でイギリス清教やイギリスの人間が傷ついても、『必要経費として使われたことを誇りに思うがいい』とまで言うだろう。
イギリスに残したコロンゾンの霊装。
それを手に取った人間がどのように悪用されるか、想像に難くない。
もしかしたら、命を落とす事にだってなりうるのだ。
人が犠牲になる霊装。その真実を、イギリス清教の者たちは当然として知らない。
「私は伯母さまと一緒に行く」
声を上げたのは真守だった。真守はアレイスターににこっと笑いかける。
「アレイスターは自分のやりたいように思う存分暴れていいぞ。イギリスの優しい人たちの事は私が考えるから。元々、私は誰かの事をフォローするのが好きなんだ。お前が暴れた分を、私がフォローしてやる」
真守は微笑みながら、そして垣根を見上げた。
「垣根もそれでいい?」
「お前がそれでいいなら俺は構わねえ」
「ありがとう」
真守は微笑むと、府蘭を視界に入れた。
「府蘭も自分のしたいようにやっていいんだぞ。私たちにA・O・フランキスカの事で迷惑を掛けたなんて思わなくていい。お前だって頑張って抗ってたんだ。私はそれを知っている」
「大丈夫です。私は私が行きたいから行くのです。問題ありません」
府蘭は真守の言葉に、逡巡する間もなく頷く。
真守は決意の固い府蘭を見て微笑んだ。
「分かった。──それと、土御門。ありがとう、とても助かった」
真守がお礼を告げると、土御門はサングラスを動かしてニッと笑った。
そして何もない、誰もいない砂漠に紛れて、土御門は静かに消えていった。
真守たちは土御門を見送ると、トレーラーハウスの中を確認した。
トレーラーハウスは特注だ。タンクローリーで引かなければならない程の大きさがあるため小回りは利かないが、そもそも小回りが利かなければならない場所が砂漠にはない。
「さて」
アレイスターは一つ呟くと、トレーラーハウス内を物色し始める。
トレーラーハウスには住居として使えるほどにあらゆるものが完備されている。
そのため住み心地は大変良さそうだ。
上条はお宅訪問をしている気分でモノトーン調に整えられた室内を見ていたが、気になったことがあったのでアレイスターを見た。
「ついてきちゃったけど、なんでエジプトなの?」
「暗黒大陸アフリカと言えば、ユーロ圏の魔術師にとってはチベットと同じく身近な聖域なんだ。私がエイワスやコロンゾンの召喚実験をした場所でもあるしな。……まあ実際には、コロンゾンの方は私が召喚する前にメイザースに召喚されていたのだがな」
アレイスターは自嘲気味に笑いながら、真守を見た。
「人から『魔神』へと昇華した存在と、エイワスやコロンゾンは根本的な軸から異なる。そんなヤツらに力技では敵わんと思うが……こちらには朝槻真守がいるしな」
ふかふかのソファの座り心地を確認していた真守はアレイスターに呼ばれて顔を上げる。
あどけない様子の姫御子を見て、アレイスターは目を細めた。
「朝槻真守は特異点のような存在だ。神が設立した生命の樹と、邪悪の樹という系統樹からある意味外れている。そのためカウンターともなるのだが、はたしてどう使えばいいものか」
アレイスターが真守の扱いをどうしようか考えていると、一同にゾッと怖気が走った。
空間を軋ませる圧を発したのは、垣根帝督だった。
真守を利用するなら許さない。しかも真守は病み上がりで、本当は安静にできるように閉じ込めておきたいくらいなのだ。
アレイスターは垣根の怖気も立つほどの殺気を感じて、肩を竦める。
「とはいっても無理はさせんよ。優秀な番犬を怒らせると面倒だ」
垣根はアレイスターの事を睨んだまま、真守の事をぎゅっと抱き寄せる。
いくら改心したとしても、アレイスター=クロウリーは所詮悲劇を生み出し続けた王だ。
絶対に信用ならない。
真守は最大限に警戒している垣根を見て、困った笑みを浮かべながらも頷く。
「私もエジプトに来たのは正解だと感じる。ここはコロンゾンの気配がしないからな」
「その通りだ。エジプトはこの地球で一番大悪魔へのジャミングが効きやすい場所だ。ここならばリリスを置いて行っても問題ないだろう」
アレイスターは解説すると、エルダー=マクレーンを見た。
エルダーはリリスを抱き上げたままぴょこぴょこと尻尾を動かしており、その尻尾を追ってインデックスの三毛猫が楽しそうにじゃれついていた。
「エルダー」
「うむ。リリスの事は任せよ。これでもワタシは三姉弟をきちんと育て上げ、ランドンやジュリアの世話もしておった女だぞ。赤子の扱い方など心得ておる」
自らの子供だけではなく、孫の世話までしていたとエルダーは胸を張る。
そんなエルダーを見て、アレイスターは頷いた。
「頼む。歴史の中でもリリスは腸チフスにかかっている。ミルクでもオモチャでも、口にする可能性のあるものは用心してくれたまえ。本来の運命を捻じ曲げて再誕した赤子が、同じ死因にまとわりつかれないように頼んだぞ」
「分かっておる。ワタシに任せておけ」
赤子のあやしかたを心得ているエルダーが心強いと感じるアレイスターは一つ頷く。
そして決意をその眼に秘める。
「もう一人の娘も、助けに行く」
アレイスターは一同を見つめて、そう宣言する。
「ローラ=スチュアートはイギリスを内側から操り、自分の望む破壊を内外へともたらす。その悪趣味は魔導書図書館や烏丸府蘭に仕掛けられた小細工を見ればわかるだろう。放置しておいても、誰の得にもなりはしない」
「ったく、悪と悪しかねェのかこの天秤は」
「完全なる善性や、そもそも善性や悪性などが端から存在しないモノの方が危なっかしいがな」
アレイスターは笑いながら、ちらっと真守を見る。
思えば朝槻真守という少女にはほとほと扱いに困った。
何せ無垢を苛烈に極めて生まれてきたこの少女には、善悪がなかった。
自分が存在するためには何が必要か、自分が進み続けるならば何が必要か。
それらを昔の朝槻真守は、ただひたすらに突き詰めていくのだ。
フロイライン=クライトゥーネのように、ただ自分が生きるために最適な選択を取っていく。
源白深城が人間性を教えなかったら、真守は人間に寄り添う事を考えなかった。
その先に進めば、おそらく真守はいまの在り方である『流行』には至らなかった。
むしろ世界に寄り添う事を決めたならば、世界をよりよくするために人間を滅ぼしていただろう。
真守はアレイスターに半ば呆れられていると感じて顔をしかめる。
「む。なんだ、アレイスターその目は。確かに昔は危なっかしかったけど、いまの私はきちんとした心を持って、きちんと人に寄り添える。それでいいだろ」
「それは物事が良い方向に進んだ時にのみ言える結果論だぞ、朝槻真守」
アレイスターは真守を見てくすっと笑ってから話を元に戻す。
「コロンゾンはイギリス連邦に加盟する五三の国や地域に自身を縫い付ける『仕掛け』を施している。それをどうにかしない限り、
アレイスターはそう前置きするとテーブルに世界地図を広げた。
その地図には赤い油性ペンでこれまでの軌跡と、これから向かうべきポイントに印がつけてある。
日本の東京から東南アジア。そしてエジプト。
そこから先は地中海を渡りギリシャからフランス入りして、同国カレーの港からドーバー海峡を渡ってイギリス島南部へと向かう予定だ。
「カレーはすでに落とした」
上条当麻はアレイスターの言葉にぎょっとする。そんな上条を捨て置いて、アレイスターは淡々と言葉を紡ぐ。
「学園都市が機能停止した事により、科学的な最先端兵器の方は軒並み混乱状態にある。だから今は魔術勢力だけ注視すればよい。これから行うのはノルマンディー上陸作戦の逆回しだ。どれだけの防御陣地が待ち構えていようが、強引にでも海を渡ってイギリスへ呼び込む」
アレイスターは地図の英国の近く、海の部分をなぞりながら笑う。
「先程も言ったが、私は優しくない。私は自分の目的を叶えるまで途中下車はしない。だから君たちが自分の目的駅を見つけた場合は自分の判断で途中下車して目的を果たせ。乗り過ごしても、着地にミスして足を折っても、私の知った話ではない」
一見突き放すような事だろうが、実際には違う。
全員には全員、守るべきものや立場というものがある。
だからこそ、アレイスター=クロウリーが果たしたい目的に添い遂げる事はしなくて良い。
自分の守りたい大切なものを守れ。そのように立ち回れ。
アレイスターはそう言っているのだ。
「ヤバいと思った場合は、私を見限ってそこで降りろ。学園都市はもうどこにもない、大人はキミたちを守ってくれない。自分の判断に、自分の責任を伴え。かつて統括理事長だった『人間』が最後に教えられるのは、それだけだ」
アレイスターは優しく少年少女たちを突き離すと、真守を見る。
「それは大事に取っておくがいい、朝槻真守。私はキミに学園都市を任せなければならない時がやってくると知っていた。だから、託す。今のキミならば、目的を果たした私を軽んじる事はないだろうからな」
真守はセーラー服の下で、首に掛けられているネックレスを服の上から握る。
ネックレスは垣根に能力で造ってもらった特別なものだ。
ネックレスの先には、垣根に造ってもらった頑丈な保護ケースに入っている、とある物品が収まっている。
学園都市を機能停止に追い込んだウィルス。それを除去するためのワクチンプログラムが、ネックレスの保護ケースに入っているのだ。
朝槻真守や垣根帝督、そして
だがワクチンプログラムを直接真守に渡す事に意味があると、アレイスターは考えていた。
「お前の気持ちを大事にするよ、アレイスター」
真守が柔らかく微笑むのを見てアレイスターは大きく頷く。
「では、始めるか」
アレイスターは一同を見つめた後、宣言する。
「魔術と科学。私が区切った世界の全てをぶっ壊す」