次は九月七日火曜日です。
──絶対能力者進化篇、開幕。
第二九話:〈理想世界〉がすぐそばに
真守は夜、病室で携帯電話を弄ってネットを見ていた。
「ふ、フロート。夏季限定、新商品……?」
ネットを見ていたらよくある広告が出てきたのだが、その広告が魅力的で真守は目を輝かせていた。
真守は最近、垣根に食事に連れ出されるようになって食に関心を示してきており、特に甘味を好みとしていた。
甘味は、苦味や辛味なんかと全く違って幸せな気持ちになれるのだ。
真守が目を輝かせている広告とは、とある有名チェーン店のコンビニでの新発売、夏季限定の『マンゴー尽くしフロート』だった。
「……お、おいしそう」
『実験』の弊害で食に関心がまったくない真守。
広告だけを見てそんな感想を抱くのは、はっきり言って奇跡に近かった。
この感情を大事にしなければならない。
真守は即決すると、ベッドから起き上がって病院を脱走する手筈を整え始めた。
──────…………。
白髪の髪に、紅い瞳を持つ線の細い子供が夜道を歩いていた。
彼は
「後、九九七〇体かァ。……だりィ」
彼が好む缶コーヒーを買うためだ。
明るく照らされたコンビニに入ると、『いらっしゃいませー』という、店員のやる気のない間延びした声が響く。
一方通行はその店員のやる気のなさを特に気にすることなく買い物かごを取ってドリンクコーナーへと向かった。
ハマっている銘柄の缶コーヒーが並んでいる場所は分かっているので気怠げに歩く。
すると、突然それは起こった。
一方通行の能力はベクトル操作。
運動量、熱量、電気量など、あらゆる種類のベクトルを自由に操作、変換する能力だ。
普段、全てのベクトルを『反射』するようにベクトル操作を体に『設定』してあるが、その『反射の定義』
「あうっ」
「なン……っ──、」
少女は猫っ毛が特徴的な黒髪ロングをハーフアップにして猫耳ヘアにキレイに結い上げており、猫のように吊り上がったエメラルドグリーンの大きな瞳に小さい口、とあからさまに人受けが良さそうなアイドル顔だった。
タンクトップの上に白と黒で構成されたオーバーサイズのパーカーを着ており、下半身はショートパンツに生足で、ストラップを編み上げるタイプの白いレースアップサンダルを履いていた。
全体的に高貴な黒猫を連想させる少女であり、『夜のコンビニにちょっと出かけてきた』と一目で判断できるような格好をしていた。
どこから見ても普通の少女。
普通の少女とぶつかってこれまで感じたことがない衝撃を受けるなんて、どうもちぐはぐすぎて
小さい両手で携帯電話を握っていたので手を突く事ができずに肩から冷蔵庫の扉にぶつかった少女は、呆然とした表情のままとりあえず冷蔵庫に寄り掛かるのをやめて自分の足で立つ。
二人は目を見合わせて、自分たちの接触が意図的な理由なんて微塵もない不意の衝突であった事を即座に察した。
その不意の衝突が起こりえない状況を作り出したので、二人共固まっていた。
沈黙が続く中、先に口を開いたのは少女だった。
「ご、ごめん。お前……大丈夫だった?」
ダウナー声ながらも心配の感情を乗せた少女の問いかけに、
数多くの人間に勝負を挑まれて、その全てを蹴散らしてきた。
彼らは最後に命だけは助けてほしいと、襲って悪かったと命乞いのために謝ってくる。
それが普通だった。
それなのに、今この目の前の少女は心の底から自分を心配しながら謝ったのだ。
いくら学園都市最高峰の頭脳を持っていようと、こんな異常事態は
一方通行が黙ったままなので、少女は場を繋ぐように慌てて言葉を紡いだ。
「いや、大丈夫なのは分かってる。私の纏うエネルギーとお前が膜? ……のように纏うソレは、どちらも干渉を跳ね除ける性質を持ち合わせていた。その二つが
自分の能力なので何が起こったかのか理解する事は確実にできる。
それでも不可思議な事態に遭遇した少女──朝槻真守は、
(今の衝撃は感覚的なものだから、この子にも私にも物理的なダメージは実際には入ってない。でも競合したから私と同じ
真守は内心で冷静に考察してはいたが、実は精神的に追い詰められていた。
人生で初めて入ったコンビニ内を大冒険中だったからだ。
コンビニとは『気軽に食事が買える場所』と、真守は認識している。
食事に関心がない真守にとってコンビニはこの世で一番必要性を感じない場所なのだ。
初めてのコンビニで初めての商品を探す。
心細さと場違い感が半端なくて真守は絶賛追い詰められ中なのだ。
「気分悪くなっていないか? 大丈夫か?」
焦って不注意になり、人にぶつかってしまった事に気恥ずかしさを覚えながら真守が恐る恐る訊ねると、
真守は先程から困惑しっぱなしの一方通行の様子を察しながら観察を続ける。
目の前に立っている
それによって性別不詳の体つきになってしまっており、だから真守も
恐らく彼の膜が有害なものをなんでも跳ね返すせいで、外部刺激が少なくなって体内のエネルギー循環がおかしくなっているのだろう。
髪の毛と瞳の色素が抜け落ちているのも、彼の膜のせいだと真守は同時に察した。
強力な能力を持っている能力者は、その能力に合わせて体が『最適化』される傾向がある。
真守自身も消化器官が能力である
真守は体に纏っている源流エネルギーが自動的に干渉を跳ね除けているが、この『設定』を弄れば、目の前の彼と同じように
その『設定』にしていれば、恐らく真守も彼と同じような体付きに『最適化』されて、性別不詳になっていた事だろう。
(……まるで。まるで私のもう一つの可能性を突きつけられているような感じがする)
「あの。……お前、本当に大丈夫か? さっきから呆然としているが。そんなに衝撃的だったか?」
真守は心の中でそう感じながら動かない
第一位の自分を、恐怖を振りまく自分を。この目の前の少女は純粋に心配していた。
その異常事態に、
「────ッ俺のことを心配すンじゃねェ。気色悪ぃンだよ」
真守は
この子は自分の生き写しだ。
自分が深城に出会っていなかったらという
真守は深城がいてくれたから、人に心を開く事ができた。
深城からの好意を受け入れるようになれたし、誰かに好意を伝える事もできるようになった。
この子には自分にとっての深城がいなかったから、人の好意に慣れていない。
だから人の心配が気色悪い。
真守は自分と目の前の彼をぴったりと重ねてしまった。
「心配、され慣れてないのか……」
真守は思わず独り言を呟いて、自分の分身のような存在である
「お前、そんな状態で生きるのが苦しくないか? 大丈夫か?」
「ッうるせェ!! 知ったよォな口を利くンじゃねェ!!」
真守の純粋な心配が自身の触れてほしくない部分へと辿り着いたと感じた
その怒鳴り声を聞いて、品出しをしていた店員が真守と
真守はその視線を感じて、どうにかこの場を収めなければと思ってとっさに動く。
「余計な心配して悪かった。私はもう離れるから。本当にごめんな」
真守は自分がいたら彼の機嫌を損ねると即座に判断すると、そのまま後ずさってその場から離脱する。
その去り際には迷惑をかけたと言わんばかりに、真守はペコッと小さくお辞儀をした。
自分は今、ずっと欲しいと思っていた真心を拒絶したのだ。
これまでの人生で一度も向けられてこなかった優しさを、心配を。
自らで跳ね除けてしまった。
あの少女は普通だ。
普通だから人の痛みが分かって。
普通だから心配して、手を差し伸べてきた。
その普通が自分は欲しかったのではなかったのか。
それを手に入れるために、
すぐ目の前。
それも手が届くところに、自分が心の底から欲しかったものが存在している。
その事実に呆然としてしまって、
(……なっ、ない…………)
もちろん、コンビニにやってきた目的の品である夏季限定のマンゴー尽くしフロートがどこに置いてあるか分からないからだ。
(こ、この狭い店内で目的の商品が見つからないって一体どういう事だ。コンビニが魔境なワケがないだろ? で、でも実際に見つからないし。……これって店員に聞くべきか? この狭い店内で商品がどこにあるか分からなくて聞くのか? コンビニで商品どこにあるか聞くのか!? ……や、ヤバい……)
人生初体験によって思考が滅裂になっており、どうすればいいか真守は本当に判断がつかなかった。
生存本能が強く働く自己中心的な
真守はその異常事態に直面して焦る中、とある記憶が脳裏をよぎった。
先日。
忙しくて会う事ができないらしい垣根と真守が電話をしていた時の事だ。
コンビニの新商品がどうたらこうたらと垣根に言われたので、『コンビニに入った事がない』と真守は正直に話した。
すると垣根は鼻で嗤って、
『お嬢様って人種じゃねえのにそんな事になってんのは人として終わってんな。……お前、
心底馬鹿にした様子で半笑いしながら真守に告げたのだ。
(まずい……。こんなところでもたもたしてたらまた垣根にバカにされる……!)
真守は頭の中で鼻で嗤う垣根の顔が浮かび上がって、ふるふると体を怒りで震わせる。
(別に頭のネジ飛んでないが!? ただ必要な知識と不必要な知識を選別しているだけであって、ちゃんと常識は持ち合わせているんだが!? ……というか、よくよく考えてみれば暗部組織に所属してる癖に、誰にも教えてもらってないのに学校生活を順風満帆に送れてる垣根の方がおかしいんだ! アイツの器用さの方が
真守は追い詰められてついに垣根の事を心の中で非難し始めるが、すぐに正気に戻る。
(か、垣根の事は今どうでもいい……この場を切り抜けなければ。て、店員に聞くしかない……のか? でも、その後の事を考えるのが怖い……絶対に店員にコイツ非常識だろって思われ、)
「オイ」
「うぇっ!? は、はいっ!!」
焦りすぎて思考が散逸していた真守は、突然後ろから声をかけられた事により、その場で飛び上がるように返事をした。
若干涙目になりながら真守が振り返ると、先程真守がうっかり一線を越えて怒らせてしまった
一方通行は一方通行で謎に追い詰められた表情をしている真守に困惑する。
『心細くて死ぬしかない』とでも言いたげな真守の目を見つめて、
「…………何、探してンだ?」
真守は問いかけられた瞬間、固まった。
自分が先程不快にさせてしまったのに、真守の様子を心配して彼は話しかけてくれた。
真守はその親切心にぱあっと顔を輝かせる。
対して
真守は
「あ、あのなっ。こ、このフロート。このフロートがどこにあるのか分からなくてっ!」
携帯電話には『夏季限定、新発売! マンゴー尽くしフロート』と表示されていた。
「そりゃァ店頭で買うンだ」
「店……頭?」
真守が初めて聞きましたみたいな声を出して一方通行が指さした方を見る。
レジの真後ろ。
そこには真守が携帯電話で見せた広告が引き延ばされて、これでもかと主張されて張り付けられていた。
ヒッと真守が唸り声をあげたので
「ふ、ふふふ……そうだよ、私は世間知らずだよ……コンビニに入った事なんてなかったから心細くて視野狭窄起こしてたよ……。だってアレだろ? コンビニってちょっと食料買える便利ってだけのトコで、病院の中の売店と何も変わらないだろ? わざわざコンビニに入る理由がないという事情も知らずに嗤うなんて、アイツやっぱりひどい……。意地悪だ…………」
……と、誰かに対してぶつぶつと泣き言を呟いており、それを聞いて全てを察した
「本当にありがとう。お前も何か買いに来たんだろ? 奢らせてくれ。それで私の気が済む」
真守はひとしきり愚痴を零して正気に戻ると、
真守にとっては至極当然の行動だが、一方通行は好意に慣れていないので思わず一歩後ずさってしまう。
顔を背けるも、真守が柔らかい笑みを浮かべて見つめてくるので真守を見ずに一方通行は、
「………………缶コーヒー」
と、ぽそっと告げた。
「分かった。好きなヤツを選んでくれ。ちょっとお高いヤツでも問題ないぞ」
真守が柔らかく微笑む前で
その笑顔が眩しくて、自分はそれをどう受け止めていいのか分からなくて。
ただただ困惑するしかできなかった。
──────…………。
「本当にありがとう」
コンビニの灯りに照らされた路上で、
「…………気に、すンな」
そんな言葉が自分から出る事に違和感満載ながらも
自分の生き写しのような存在である一方通行の様子に、真守は切なくなって思わず目を細めた。
「そういえばまだ名前を聞いてなかったな。私は朝槻真守、お前は?」
「
真守はその名前に聞き覚えがあった。
正確には名前ではなく能力名だ。
真守は順位付けされた
だが一方通行という能力者は有名だから知っていた。
「もしかしなくとも学園都市第一位の
真守が純粋に問いかけてくるので一方通行はしまったと思った。
学園都市第一位とは最強であり、恐怖の象徴だ。
それをこの普通の少女が知ったら恐れおののくに違いない。
それだけ第一位とは人々に怖れを抱かせる順位なのだ。
「へえ。お前、すごいんだな。……そうか、ベクトル操作か。なるほど、合点がいった」
そもそも学園都市にとって利益があるからという理由で順位付けされているのだ。利用する気満々の学園都市の順位付け制度からして、真守は気にくわない。
最近になって真守はその制度に特に嫌気がさしていた。
その理由は実際に
垣根と美琴がファミレスで初めて顔を合わせた時に
垣根は上手く頭を使ってそれらの機関をあしらっているらしいが、美琴は超お嬢様であり根が真面目なので日々、それに振り回されているらしいのだ。
そんな一つの話題からして分かるように、
真守もそれは理解している。学生にとって喉から手が出るほど欲しい地位。
だがその実態は、認めたくはないが学生の中で壊すのが惜しいほどに価値がある研究材料集団だ。
真守はAIM拡散力場で相手が本来出せる出力を感知する事ができるのだが、
その
利用できるか利用できないか、それだけの違いである。
重責も利用されるのも何もかも嫌だと駄々をこねている自分とはけた違いなほどに偉いと、真守は感じていた。
真守が素直に感嘆していると、一方通行はありえないとでも言いたげに真守を見つめていた。
自分の力の強大さに恐れることなく、それどころか
あり得ない事が立て続けに起こっていて
真守は一方通行の困惑を理解しながらも優しく問いかけた。
「でも
「……………………もォ、忘れた」
上が二文字で下が三文字。
どこにでもありふれた名前だった事は確かである。
だがしばらく使っていないその名前を
「そうか。じゃあ今度会うまでに思い出しておいてくれ」
真守はその事情を悲しく思って、柔らかく微笑みながら優しくお願いをした。
真守も五年前まで研究所にいたから自分の名前を忘れてしまうという事情が理解できる。
研究所では名前なんて意味のないもので、能力名で呼ばれる事が普通だった。
真守も深城に名前を呼んでもらうまで、長らく名前で呼ばれていなかった。
『
真守の呼び名はたくさんあったが、そのどれもに名前は使われなかった。
「……今度、だとォ?」
「そうだぞ。同じ場所で暮らしているんだ。また会える」
怪訝な声を上げる
本当は連絡先を聞きたかったが、そこまで距離を詰めては一方通行が困惑してしまうだろうと思って、真守はぐっとこらえた。
「だからその時になったら教えてくれ。本当にありがとう。またな、
真守は一方通行に手を振って微笑んで後ろを向いて歩いていく。
一方通行はその手にどう反応していいか分からなかったが、震える手をそっと挙げた。
どうすればいいか分からなかった。
自分に好意を向けてくれた人間の引き留め方なんて、
そもそも引き留めてどうしようと言うのだろうか。
彼女にとって誰かに優しくする事は普通の事で、日常茶飯事で。
取り留めて特別でもないその優しい手を、何よりも欲しかったその手を、少女は
あの少女はきっと世界の中心にいるだろう。
そうでなければおかしいほどに、眩しい存在だった。
自分の望む世界の中心に少女は存在している。
その世界が欲しかった。その居場所が欲しかった。
それを叶えるためには。現状を打破するためには。
絶対的な力を手にするしかない。
あんな少女が世界に
だが自分に優しく笑いかけて心配してくれる人間はあの少女だけだ。
世界が自分を受け入れないのが普通で、あの少女の存在こそが異常なのだ。
(力を。……絶対的な力を必ず手に入れる。どンな手を使っても)
自分の手に入れたい世界の片鱗を垣間見てしまったがために、
──八月二〇日。
それは闇深まる夜の出来事だった。
一方通行と会合。
真守ちゃんは『闇』からみた『希望の光』なのでどうしても一部の人を焚きつける結果を生んでしまいます。
真守ちゃんもそれを理解していて気を付けるようにはしていますが、在り方によってそうなってしまうので、全てを防ぐ事は難しいです。
というか真守ちゃんは全然普通じゃないですよ、一方通行。