次は九月一一日月曜日です。
一台の馬車が、ドーバー海峡に面した沿岸からロンドンへと向かっていた。
馬車に乗っているのはアシュリン=マクレーン、朝槻真守。そして垣根帝督だ。
アシュリンは目の前に座っている真守に笑いかける。
「真守ちゃん。英国の馬車はどう? 揺れないでしょう」
「うん。魔術が掛けられてるんだな」
真守は高級感溢れる馬車の中を興味深そうに見回す。
馬車の中は絢爛豪華な装いだ。
魔術によって快適な温度と湿度が保たれ、座席のクッションもふかふか。
イギリスではまだまだ馬車が現役だ。だが現役と言っても、馬車は大体身分の高いものが使う。
そのため馬車内は重鎮を守るための魔術が、ふんだんに使われていた。
真守はふかふかの座席を優しく撫でながら、感心した様子を見せる。
「さすが魔術の国だな。馬車のすみずみにも魔術が使われてる。……まさか、こんなに早く英国に来るコトができて、馬車に乗れる日が来るなんて思わなかった」
学園都市はアレイスターの意向で、科学の結晶である能力者を徹底的に管理していた。
学生たちはよっぽどのことがない限り、学園都市から出ることはない。
学園都市の外に出ることを許可されても、実際に外に出る際は必ずGPS機能が付いたナノマシンを注入することになっている。
とはいっても結構な頻度で学園都市から脱走しているツンツン頭の少年もいるし、
だがそれは本当に特例なのだ。普通ならば、ありえないことである。
真守は少しバツが悪そうにしながらも、馬車の中で少しわくわくした表情を見せる。
「いまは世界も英国も大変な時だから、あまりはしゃいではダメだけど。……本当に英国に来ることができて嬉しい」
学園都市によくいる、
真守はまさか自分にマクレーン家という魔術大家の親族がいるなんて、夢にも思わなかった。
イギリスに縁があると言っても学園都市の中枢に収まっている限り、真守はそう簡単にイギリスに来ることはできないと思っていた。
だが人生、何があるか分からない。そういうことなのだ。
「初めて母国に来たのだから少しくらいはしゃいでも良いのよ、真守ちゃん」
母国。その言葉の響きに、真守はとても嬉しくなってしまう。
アシュリンは控えめながらも喜んでいる真守を見て、にこっと微笑む。
「真守ちゃんと母国に帰ってくることができて良かったわ。……本当に」
真守と同じように、アシュリンも真守がイギリスに来る事はそう簡単に叶わないと思っていた。
それなのにイギリスに真守と来られたのは、本当に喜ばしい。
アシュリンは少し遠くを見るように、真守に思いを馳せる。
真守は身を乗り出して、向かいに座っているアシュリンの手をそっと握った。
「私も伯母さまとイギリスに来られて嬉しい。イギリスと世界が大変だから色々とちょっと申し訳ないところもあるけど……貴重な体験だから、馬車を堪能しようと思う。学園都市じゃ絶対に経験できないからな」
垣根は微笑を浮かべる真守の隣で、馬車の中を興味深そうに見つめる。
「確かに学園都市じゃ馬車なんて絶対に考えられねえよな。俺も初めて乗った」
「垣根も初めてなのかっ! 伯母さまがいてくれたからこそ馬車に乗れたんだ。……ふふ。バッキンガム宮殿まで移動手段を伯母さまが確保してくれてとても助かった」
アシュリン=マクレーンは英国女王に、
アレイスター=クロウリーは途中下車も何もかも自由だと言っていた。
銀の少女は銀の少女で動く。足並みをそろえる必要はない。
だから真守はアレイスターに宣言していた通り、イギリスの人々を守るためにバッキンガム宮殿へと向かおうとしているアシュリンに同行している。
アシュリンは紛れもなく英国の人間だ。
一度英国から追放されたアレイスターとは違い、マクレーン家として『騎士派』に所属している。
そのため騎士に声を掛ければ、ロンドンまでの馬車を借りられるのだ。
垣根は少し気になったことがあってアシュリンを見た。
「確か先に異界を通って帰ったマクレーン家は領地を守りながら、コロンゾンについて探ってんだよな。ロンドンに向かってくるクロウリーズ・ハザードを食い止める役はしなくていいんだな」
「イギリスは四つの国から成り立っている連合国でしょう? 細かく言うと、貴族はそれぞれの国に所属しているの。だから役割がそれぞれ違うのよ」
真守は連合王国の貴族について説明されて、ふんふんと頷く。
「イングランド貴族とか、スコットランド貴族とかだな。確か『黄金』の魔術師・メイザースがスコットランド貴族を自称してたな」
「ええ。マクレーン家はウェールズの一大貴族。ロンドンを守護するイングランド貴族とは役割が違うのよ。それにわたくしたちは『騎士派』の一角を担っていても特例だから。……私の婚約者は姉弟を連れて、大英図書館で
「そうなのか。……私、イギリスのことあんまり知らないんだな……」
真守はちょっと寂しそうにして、顔をしかめる。
そして、そうっとアシュリンを見上げた。
「あのな、伯母さま」
「何かしら、真守ちゃん」
真守はアシュリンに優しく問いかけられ、もじもじしながらもアシュリンを見上げる。
「その……イギリスのことも、マクレーン家のことも、私……あんまり知らないから……話せるところを話してくれるとうれしい……」
真守はぽそぽそと呟きながら、アシュリンを見上げる。
「アレイスターが科学と魔術の境界をぶっ壊すって言ってただろ。これから、科学と魔術の関係性は変わる。だから、色々と知っておきたいんだ。……そして、できれば」
真守は少し言葉を濁しながらも、アシュリンを見上げる。
「家族として、もっとたくさん話したい……」
真守は寂しそうに顔を歪めて、アシュリンを見上げる。
アシュリンは微笑むと、真守の頭をぽんっと優しく撫でた。
「たくさん話をしましょう。コロンゾンを倒して、新しい未来を切り拓くの」
「……うんっ!」
真守はアシュリンの快諾を聞いて、ぱあっと表情を輝かせる。
垣根は真守がすごく嬉しそうにしているため、そっと手を握る。
「良かったな、真守」
「うんっ。とてもうれしいっ!」
真守は穏やかな空気の中、にこにこと笑う。
そして一息つくと、真守はカブトムシと共に肩に留まっているトンボへと手を伸ばした。
「アレイスターたちの気球は大丈夫そうだ。変わらずにぷかぷか浮いてる。今のところ、迎撃術式にも撃ち落とされずに優雅に空中散歩してる」
真守たちと別行動をしているアレイスターは、上条当麻たちを連れて気球に乗ってロンドンに向かっていた。
そんなアレイスターたちを見守っているトンボのネットワークに、垣根は接続する。
「あの万年バカ、
「笑わないであげて。垣根」
真守はがっくりと項垂れる上条をトンボ越しに見つめて苦笑する。
上条当麻は気球ではなく馬車で揺られることを望んでいたのだが、馬車に掛けられた魔術を何かの拍子で
そもそも馬車には人数制限がある。オティヌスは大丈夫だが、上条が来るという事はインデックスも一緒に来るということで明らかに定員オーバーである。
ちなみに真守は
どォせ戦場で会えるに決まってるだろォうが、と一方通行は真守に言った。
真守もそれに同意した。
残るもう一人である府蘭だが彼女はコロンゾン直属であるため説明が面倒くさいし、単純に英国女王のもとに行って話す必要がない。
そんな訳で真守はアシュリンと垣根と共に、トンボで逐一アレイスターたちを気にしながら、魔術的な補強で振動が極限まで抑えられた馬車に乗っていた。
ちなみにクロウリーズ・ハザードの中には翼を持つ者がたくさんいるが、銀髪美少女アレイスたんの命令を聞くようなアレイスターはいない。
あれが全てアレイスターだからだ。そう説明されると納得してしまう程、アレイスター=クロウリーは自由奔放である。
「さて。浜面たちはどうしてるかな。……む?」
真守はドーバー海峡で別れた浜面仕上たちを確認しようと、トンボのネットワークをで確認する。
だが浜面仕上の動向が分からないのだ。
トンボで確認できる記録がふっつりと途切れている。
「魔神娘々とネフテュス? なんで浜面と一緒にいるんだ?」
トンボの記録を探ってみれば、浜面仕上は滝壺理后と共に、何故か魔神ネフテュスと娘々と共に行動をしていた。
魔神ネフテュスは真守が再構成して個を与えたネフテュスとは明確に異なる。
娘々とネフテュスは、アレイスターによって新天地に叩き落とされたコロンゾンがこちらの世界へ舞い戻ってきた時に共にこちらへ来てしまった。
魔神たちにとって、世界の動乱なんて児戯に等しい。
垣根は面倒な輩が出張ってきたことに舌打ちする。
「やっぱり連中、高みの見物でイギリスに来やがったのか」
魔神たちはどうやら浜面仕上が気になるらしい。
だからこそ真守にちょっかいを出されたくなくて、娘々は浜面仕上を見守っていたカブトムシとトンボを粉砕した。
真守は簡単にトンボを粉砕した魔神たちに、顔をしかめる。
「魔神は騒乱が好きだからしょうがないけど、浜面と滝壺をターゲットにするとは。……二人共、大丈夫かなあ」
「問題ねえだろ。ヤツらだってロシアで生き残ったんだから」
浜面仕上と滝壺理后は学園都市から逃げ、ロシアの地に辿り着いた。
そして第三次世界大戦の最中、それなりの戦いを繰り広げていた。
その上で麦野沈利と和解し、学園都市へと帰ってきたのだ。
だから問題ない。どうせ擦り切れながらも根性で生き残るだろう。
色々懸念事項はあるが、真守たちは優雅に馬車に揺られてロンドンに向かうだけだ。
真守は快適に移動する馬車の中で、そういえばと思い出す。
「伯母さま、そういえばさっき簡単なケルトの魔術を使ってマクレーン家の人間だって証明してたケド。やっぱり魔術界隈にもなりすましとかあるのか?」
「あるわよ。だからイギリス清教では毛髪サンプルを使って呪的確認作業で身分証明してるの。科学で言うところのDNA鑑定みたいなものね」
垣根はアシュリンの説明を聞いて、感心した様子を見せる。
「ふーん。DNA鑑定並みに正確なのか。そういやオリアナ=トムソンがステイル=マグヌスの魔力にだけ反応する迎撃術式組んでやがったし。そりゃ魔術にも科学技術に相当する正確性があってもおかしくねえか」
真守は垣根の呟きを聞きながら、苦い顔をする。
「そういえばエルダーさまが確かな血統を持っていないと、触れただけで人間の大事な部分が爆散する術があるとか言ってたなあ。……私が触れてもいまは魔導書の『原典』だから問題ないとか言ってたけど、結構魔術ってきちんと作用するよな」
真守は銀色の鏡の中のような世界で言われたことを思い出して、寂しそうにする。
真守の血には東洋の血が混じっている。それは事実だ。
だがそれをはっきり明言されると、と何やら悲しく感じてしまうものもある。
真守がしみじみしているとアシュリンは苦笑する。
「確かにエルダーさまは言い寄ってくる輩が多くてそのような魔術を使っていたらしいけれど、真守ちゃんが触ったくらいで真守ちゃんが爆散するわけないわ」
「なにっ、じゃあ私はエルダーさまにからかわれたってコトかっ?」
「エルダーさまは割とおちゃめなところがあるらしいから。そうだと思うわ」
真守はご先祖様にからかわれたのを知って、むぅっと口を歪める。
確かにアシュリンが伝え聞いていた通り、エルダー=マクレーンはすごくお茶目で自信たっぷりで、愛嬌抜群だ。
真守は自分たちのご先祖様に思いを馳せる。そして、思い出したことがあって顔を上げた。
「エルダーさまといえば……伯母さま、ちょっと確認しておきたいことがあったんだ」
「何かしら?」
真守は注意深くアシュリンを見つめながら、一つ息を吐く。
「伯母さまたちは科学と魔術が実は統一の理論で証明されてしまうことを、知っていたのか?」
垣根は真守の質問を聞いて、アシュリンを見る。
アシュリンは真守に問いかけられても、特に何ら変わりはなかった。
何も変わる事なく、小さく微笑んで目を伏せた。
アレイスター=クロウリーの原型制御。
それによってこの世界の住人は科学と魔術が全く違う技術だと思わされていた。
科学と魔術が実は同じ理論で証明されてしまうこと。それに気が付けば、原型制御によって前後の記憶が曖昧になり、真実を認識できなくなる。
マクレーン家は、魔術と科学の関係性を知っているか。
原型制御が作用している以上、その質問を真守はアシュリンにすることができなかった。真実に触れれば、一瞬でも気が触れてしまうからだ。
だが現在、原型制御は一部の人間の間では弱まりつつある。
アレイスターが科学の長でありながら稀代の魔術師であると知った人々は、科学と魔術に境がいないと気付き始めているのだ。
真守も垣根もついこの間まで、アレイスターの原型制御の支配下にあった。
だが真守はA.A.Aに触れて世界の真実を知り、垣根帝督は朝槻真守の手によってアレイスターの支配下から逃れた。
土御門元春は、原型制御の存在を知っていた。それでも無事だった。
それは彼が、科学にも魔術にも足を突っ込んでいたからだ。
「アレイスターの原型制御は人の深いところに根付いている。でも伯母さまたちは科学と魔術の関係性になんとなく気が付いていたんだろう。……私という存在がいたから」
朝槻真守は科学にも魔術にも対応できる、あらゆる素質を持って生まれた。
そしてマクレーン家はいつか、真守という姫御子が生まれると分かっていた。
つまり真守の事を知っていれば、科学と魔術に関係性があると気づけるのだ。
そして何より、マクレーン家はアレイスターが稀代の魔術師だと気が付いていた。
魔術と科学。それと運命。
それらを知っていれば、世界の真実に気が付かないはずがないのだ。
「……真守ちゃんの考えている通りよ」
アシュリンはゆっくりと言葉を紡ぎ、真守を見た。
「わたくしたちは、真守ちゃんという存在によって科学と魔術の関係性に気が付いていた。そもそも統括理事長が稀代の魔術師だと予測していたから、魔術を基盤に科学を積み上げた可能性も考慮していたわ」
アシュリンはそっと目を伏せると、寂しそうに笑う。
「色々と隠し事をしていてごめんなさいね。……あなたには本当に隠し事をしてばかり。ケルトのことも、あなたには伝えることができないから」
真守はふるふると首を横に振ると、申し訳なさそうにしているアシュリンを見た。
「伯母さまたちは私のことをすごく考えてくれてる」
朝槻真守はケルトの民が求めた永遠だった。
永遠にケルトの民の教えを守り、後世にまで滅びることなくケルトの教えを守り抜く存在を、滅亡が定められているケルトの民は望んでいた。
だが真守は、運命によってその在り方を曲げられた。
だからこそマクレーン家は、悲しい出自になってしまった真守のことを本当に心配していて、大切にしようとしている。
「全部を話さなかったのは私のためだ。……それに、伯母さまたちは一度だって私に嘘を吐いたことはないもの」
真守はアシュリンを見て、柔らかく微笑む。
「嘘を吐いたとしても、それは私のことを守るための嘘だ。だから大丈夫」
朝槻真守は父親によって学園都市に捨てられた。
だから何も知らなかった。
実は自分には科学と双璧を持つ魔術の大家が身内にいることも、自分がその一族の望んだ子供だったという事も。運命に翻弄される定めを受けていた事も、全て真守は知らなかった。
真守に課せられた運命、真実。それを突然親族だと現れたマクレーン家が全てを包み隠さず話すのは無理だ。絶対に真守は、受け止めきれない。
何より真守は科学サイドに流れ着いた事で別の運命にも絡め取られていた。
だから簡単に全てを話せる事ではなかったのだ。
「私はバカじゃない。だから伯母さまが私のことを本当に大切に想ってくれているのは分かってる。私のことで気に病むことなんて何一つない」
真守は伯母であるアシュリンの気遣いを一心に感じて、ふにゃっと笑う。
そして目の前に座っているアシュリンの手を緩く握って、身を大きく乗り出して自分の頬に持ってきた。
「伯母さま、私のコトを大切に想ってくれてありがとう。私はそれだけで幸せだ」
アシュリンは微笑むと、真守のことを愛おしげに優しく抱きしめる。
「愛してるわ、真守ちゃん」
「私も伯母さまのこと、大切に想ってるぞ」
真守はふにゃっと笑って、自分よりも少しだけ小さいアシュリンのことを抱きしめる。
色んな事がありすぎて、ゆっくりと話ができなかった。
それに真守とマクレーン家は科学と魔術という対極に所属している。
そのため必要以上の接触は推奨されていなかった。
「今もゆっくり話すことはできないけど。コロンゾンを打倒したら、いっぱい喋ろう。伯母さま」
「そうね、あなたに伝えたいことはたくさんあるのよ」
真守はにこにこと笑って、アシュリンを見つめる。
遺伝子的には母娘に相当する真守とアシュリン。
よく似た二人。その二人を、垣根はそっと見守っていた。
そして馬車は真守たちに全く揺れを感じさせずに進み続けた。