次は一〇月三日月曜日です。
ピラミッド。ファラオ象。太陽神を讃える建築物に、スフィンクス像。
サソリやラクダ、それにワニという動物たち。
およそエジプトを頭に思い浮かべると、誰もが安易に想像する光景。
整合性があまりないエジプトの光景。それに、ロンドンは侵されていた。
ノーザンアフリカ=ロンドンとも呼べる光景。
その様子を見て、アレイスターはふむっと頷いた。
「エジプト神話、か」
近代西洋魔術では、アレイスター=クロウリーを倒せない。
それならどうすればアレイスター=クロウリーに対抗できるか。
その問いの答えは簡単だ。
近代西洋魔術を使わずに、アレイスターと戦えばいいのだ。
その結果が、ロンドンに突如広がった異様な光景。
意味の分からないエジプト系の神話による侵食だ。
しかもロンドンを侵す光景は、純粋なエジプト神話ではない。
ギリシャ人の、ギリシャ神話系のエジプトで侵されているのだ。
「西欧人が勝手気ままに思い描くエジプトの情景から見るに、ロゼッタストーン辺りがソースかな。まあなんにせよ、近代西洋魔術のフィルターを通して理解に努めるのであれば、意味がないと説明したはずだがな」
「だから、理解などしておりません」
アレイスターの独り言ちたような言葉に、神裂火織は答えた。
「あるものを、ただそのままに、放り出す。それだけです」
その言葉はつまりロンドンに突然広がったエジプトの光景を、神裂火織も
神裂火織らしくない、出たとこ勝負の無鉄砲なやり方を許容する言葉。
神裂の言い分を聞いて、アレイスターは思わず呆れてしまう。
「理解せずに放り出す、か。それで戦況を管理しているつもりか。そいつは一般的に暴走と呼ばれる現象だよ」
神裂火織は自身が捻じ曲げられている。
その胸に掲げている魔法名すらも穢すほどに、コロンゾンによって蝕まれている。
思考を汚染されていることに全く気が付かない神裂と騎士団長を見つめて、アレイスターは落胆した様子を見せる。
するとそんなアレイスターの憐憫を、騎士団長が一蹴した。
「構わん。戦場での戦いにおいて、嵐の存在が騎士たちの戦いの行方を左右する事もある」
騎士団長が高らかに宣言した瞬間、アレイスターの右の頬にピッと傷が走った。
空から落ちてくるピラミッドの石材がわずかに欠けて、アレイスターの右頬を掠めたのだ。
それはつまり、アレイスターが魔術由来による石材によって傷がついた事に他ならない。
アレイスター=クロウリーに近代西洋魔術は効かない。だがアレイスターの構築したフィルターを介さない神秘ならば、アレイスターを殺せるのだ。
騎士団長や神裂火織は、勝利の兆しを見て笑う。
その笑みは本当に歪なもので。朝槻真守は切なさを感じた。
「魔術師アレイスター=クロウリーは流血を恐れない」
アレイスターは好機だと笑っているイギリスの者たちを前に、高らかに宣言する。
「失敗ばかりを繰り返しつつも、『友』との約束のために前へと進み続けた私は、傷の一つも受けずにあっさり事を終わらせられるなどと考えない」
アレイスターは正義の軸をズラされすぎて、哀れだと言えるほどの二人を睥睨する。
「私は大いなる偉業を成し遂げるには惑星全土を血で染める必要があると定義し、自身の魔術研究のために第一次世界大戦の発生を予見しておきながら食い止めるための奔走をしなかったクソ野郎だぞ?」
アレイスターは自虐して笑いながら、自分の頬の血の珠を拭う。
「ではこれより知らしめよう。世界最大の魔術結社『黄金』を残らず殺し尽くした、血の供儀の真髄を。あるいはこう言い換えておこうか、ブラッドサインと」
アレイスターが前に出ると、騎士団長と神裂火織が張り付く。
真守は彼らが戦闘を始める姿を前にして、辺りを見回す。
話が通じない神裂たちを説得するなど不可能だ。
だから、何が起こっているか現状を把握するべきなのだ。
サソリやら、ラクダやら。
エジプトと言われて手当たり次第に思いつくものを思いつくだけ集めたという、意味も歴史もクソッタレもないモノに侵食されたロンドン。
真守はきょろきょろと辺りを見回して、考える。
「近代西洋魔術が効かないアレイスターに対抗するための魔術、か。……これはアレイスターを確実に殺すための霊装だ。ロンドンを守るための霊装じゃない」
真守が情報を収集する中、同じく辺りの様子を伺っていた
「オマエの言う通り、クソッタレの大悪魔がこの街の人間に配慮するとは思えねェからな」
「そうだよな。……このエジプトの光景は敵味方関係なく人々を平等に傷つける。アレイスターにだって危害が及ぶし、どうにかしないと」
真守の呟きに、垣根は鋭く目を細める。
「コロンゾンが対アレイスター用に用意してたっつっても、誰かが起動しなくちゃこの風景はありえねえ。つまりイギリス側の誰かがコロンゾンの隠し持っていた霊装を回収して起動したってことだな」
真守は垣根の推測に耳を傾けながら、自分が抱きしめているカブトムシに目を落とす。
「『王室派』はバッキンガム宮殿に集められていて、厳戒態勢で守られている。そうなると霊装を回収して地脈に接続したのは必然的に『騎士派』か『清教派』になるけど……なんにせよ、ちょっと聞いてみる」
真守はカブトムシをギュッと抱きしめると、お願いをする。
「帝兵さん、伯母さまに繋げてくれ」
『了解しました』
カブトムシはそのヘーゼルグリーンの瞳を輝かせる。
『真守ちゃん、こちらも外の景色については確認しているわ』
カブトムシが瞳を輝かせると、アシュリン=マクレーンの声が聞こえた。
垣根はアシュリンのもとに連絡役としてカブトムシを置いて行った。
そのためすぐに連絡が取れる状態なのだ。
『錯綜している情報を統合したところ、いまのロンドンの異様な光景を造り上げているのはローラが用意していた首都決戦兵器、
「ふむ。詳しくお願い」
真守は全くの専門外なので、アシュリンに教えを乞う。
『首都決戦兵装、神威混淆。三重四色の最結界がロンドンの防衛のためなら、神威混淆は状況を打破するために襲撃者を迎撃するための霊装なの。……とはいっても、ローラのことだからそれは建前ね』
アシュリンは大きくため息を吐く。
真守はふんふんっと頷くと、辺りを見回す。
「クロウリーズ・ハザードが撃破されているところを見るに、対アレイター用……というか、対近代西洋魔術用にコロンゾンが用意したものだな。十字教の術式が効かないならエジプトの神話使えばいい、とはな。……ちょっと安直だけど、まあ良い手だよな」
『そうね。一目見たところ、使われているのはただのエジプト神話ではないようね』
「? どういうこと、伯母さま」
真守はこてっと首を傾げる。そんな真守に、アシュリンは続ける。
『真守ちゃんならば魔導書図書館がそばにいるから聞いているかもしれないけど……エジプト神話というのは西欧人が勝手に作ったところがあるの』
「ああ、そういえば前にインデックスに聞いたことがある。スフィンクスっていうインデックスの飼い猫の名前にもなっている獣。アレってエジプト神話には登場しないんだろ?」
『ええ。スフィンクスは謎かけを出して間違えたら旅人を食い殺すなんて話があるけど、アレは西欧人の作り話なの。いまこの世に広まっているエジプト神話の資料は、ギリシャ人が作成している。つまりギリシャ人の考えが色濃く影響されているの』
ロゼッタストーンというものがある。
それはエジプト神話を読み解くための重要な資料だが、ヒエログリフと一般文字と、ギリシャ文字によって形作られている。
エジプト神話のはずなのに、全く違う文化であるギリシャ文字が使われている。
それはつまり、ロゼッタストーンを記したのはエジプト神話の話を聞いたギリシャ人なのだ。
ギリシャ神話を掲げるギリシャ人が、ギリシャ人なりに考えたエジプト神話。それがロゼッタストーンをソースとしたエジプト神話。その光景が、ロンドンに広がっているのだ。
垣根はアシュリンの説明を聞いて、眉をひそめる。
「魔術ってのはこの世界とは違う位相の世界の法則だ。この風景が魔術として機能してるなら、きちんとした逸話に基づいた法則があるんだろ?」
『魔術というのは適当に逸話を掛け合わせて当てはめてみただけなのに、何故か上手く機能しまうことがあるのよ』
垣根は苦笑気味のアシュリンの説明を聞いて、顔をしかめる。
「……分からねえ。詳しく説明してくれ」
『専門から見たら本っ当に笑ってしまうのだけど、十字教の術式にもケルトっぽい術式があるのよ。なんか微妙に違うのだけど、それでも伝承的にきちんと作用してしまうものがね』
真守はアシュリンのため息を聞いて、きょとっと目を見開く。
「? そういえばなんで十字教式のケルトの術式なんてあるんだ? 『騎士派』とか上里勢力の去鳴もケルトっぽいの使ってたけど……そうか。曖昧ながらもうまくかみ合ってしまって、術式として作用してしまうのはそういうことか」
『その通りよ。真守ちゃんもケルト神話についての資料は幾つか読んだでしょう?』
「あれはケルトの文化を外部の人間が勝手に解釈してまとめ上げたものだから、本当のケルトじゃない。本当のケルトは伯母さまたちしか知らないからな。……そういう風に、プロセスなんて全く違うのに、何故か同じ効果を発揮して代替できてしまうんだな」
『魔術というのは意外と抜け穴が多い。そういう側面も持っているの』
「それを言うなら科学もそうだぞ、伯母さま。ジャガイモ電池も、何故か電池として働くようになってるし。……事象だけを求めるなら、垣根や
真守が科学の話を引き合いに出すと、アシュリンは真守が理解しているので続ける。
『つまりギリシャ人から見たエジプト神話っぽい曖昧ながらも魔術として通用してしまう術を使うことで、近代西洋魔術が効かないアレイスターを攻撃できるの』
「ふむ。まさしく近代西洋魔術に対する、ローラなりのカウンターだな」
『今のところ、三つが地脈に接続して使われているようだけど……ローラが用意した
「もう二つはどこにあるか分かる? 大悪魔コロンゾンが用意した霊装だ、何が起こるか分からないから把握しておきたい」
『それが、情報が錯綜しているのよ。どうやら神威混淆の回収・起動に関わっているのは「騎士派」の中でも威厳だけがあるお飾り貴族──ミレーツ卿らしいのだけれど、こちらから連絡が取れないの』
アシュリンはイギリスがゆるゆるの体制になっていることに一人毒吐く。
『あのだらしない体付きの男、状況に対して臨機応変に対応できるように移動拠点になる馬車で市内のどこかに展開しているらしいけど……おそらく本当にダメだと思ったら自分だけ逃げられるように足を確保してる外道よ、外道。まったく』
アシュリンは大変ご立腹の様子で憤慨する。すると、そこから間があった。
「伯母さま?」
真守は首を傾げて、アシュリンの前にいるカブトムシの視界を借りる。
すると、目の前の委縮する騎士に凍てつく瞳で睨むアシュリンが見えた。
『マクレーン嬢。ミレーツ卿は決して逃げようなどとは……』
『黙らっしゃい。キャーリサ様が筆頭とはいえ、国家反逆罪を犯しながらもなんだかんだ罪を赦されて「騎士派」として今も活躍出来てる大罪人どもめ』
『……、そ、それは……!』
『あなたたちがしっかりしないからクーデターの時に使い物にならないからって、仲間外れにされたミレーツ卿なんてバカなお飾り貴族が指揮をとっても文句が言えなくなるのよ。あんなバカに大きな顔されるなんて、騎士の恥さらしもいいところだわ。大体ね──』
真守はカブトムシの視界に同調するのを止める。
なんだかとても忙しそうだ。そして可哀想になるくらい正論パンチだった。
『でね、真守ちゃん。少し立て込んでいて話が途切れて申し訳ないんだけど』
「う、うん。なあに?」
真守は『騎士派』の騎士を罵倒し終えたアシュリンに声を掛けられて、慌てて反応する。
『現状、あと二つの
「イングランド貴族やウェールズ貴族など、それぞれ四つの国に対応する貴族が派閥として分かれてるんだな」
『そうなのよ。それに加えて、騎士団長が率いる精鋭部隊も存在しているわ。……いま注視するべきは神威混淆よ。あれは大悪魔コロンゾンが残した霊装。もし使うにしても、きちんと確認して安全を確かめるべきなの』
「分かった。いま一番大切なことは、ミレーツさんを見つけて
真守は頷くと、傍らに立っていた垣根を見上げた。
「垣根、帝兵さんで探してくれるか?」
垣根は真守のお願いを聞くと、カブトムシに目を向けた。
「ミレーツ卿とか言うヤツの情報を教えてくれ。こっちで照会して探す」
『分かったわ。目の前の帝兵さんに教えるわね』
アシュリンは垣根の言葉に頷き、その場にいた『騎士派』にミレーツ卿の情報をカブトムシに教えるように指示をする。
『できれば、真守ちゃんにはマクレーン家の使いとしてミレーツ卿のところに行ってほしいの。わたくしは宮殿から離れられないから』
「むっ。マクレーン家の使いとして……分かった、頑張るっ」
『たくさん頼んでごめんなさいね。……ところでロンドンの人々の正義の軸をずらしている存在に、もう目星はついてるの?』
「うん、多分。アレイスターが戦ってるおかげで見えてきた」
真守はアシュリンとカブトムシ越しで連絡をしながら、目を動かした。
その先には、神裂火織と騎士団長と戦っているアレイスターがいる。
だが真守が視線を向けたのはアレイスターではなかった。
先程から、神裂火織は大きく揺らいでいる。
真守には分かる。聖人という穢れなきその奥。
そこに、何かが潜んでいる。
「アレイスター、神裂だ! 奥に何かいる!」
「成程」
アレイスターは真守の言葉に頷きながら、とあるアパートの屋根へと降り立った。
音速を超える猛者二人を相手に、アレイスターは息切れすら起こしていない。
そんなアレイスターを捉えて、電波塔のようにそびえるオベリスク──太陽神を讃える石柱のてっぺんが不規則に瞬いた。
ラー=ゼウスと呼称された
それはまるで巨大な光り輝く樹木のように閃光を迸らせ、ロンドンの闇を切り裂いた。
その神話の一撃は不届き極まる存在だけを確実に穿つ。もちろん攻撃の対象になるのは奇々怪々にロンドンへと迫るクロウリーズ・ハザードだ。
真守は突然攻撃を始めたエジプトの適当な象徴を見て眉をひそめる。
「アレが神威混淆を地脈に接続した結果か……?」
神威混淆の矛先は何も、クロウリーズ・ハザードに向けられるだけの攻撃ではない。
神話の一撃はアレイスターの傍らにいた朝槻真守や垣根帝督、
「真守、来い!」
真守はラー=ゼウスと呼ばれる霊装が放つ力を前に、真守を守ろうとする垣根に呼ばれる。
だが真守は垣根に体を近づけながらも、鋭く目を細める。
(たぶん、イケる。私はあの力を跳ねのけられる)
確信した真守は、垣根に近づくのを止めて前に出た。
垣根帝督は
だが真守が前に出たことで、その目算が狂った。
「真守!」
垣根は真守へと手を伸ばす。真守はそんな垣根を見て、自信たっぷりに微笑んだ。
「大丈夫」
真守が垣根を安心させた瞬間、神話の一撃が放たれる。
その一撃を、真守は源流エネルギーを薄く纏わせた右手で軽々と弾いた。
真守に弾かれると、ラー=ゼウスの一撃は夜天へと高く上がる。
まるで上条当麻が、さばききれない攻撃を
垣根は真守の流れるような動作に思わず目を大きく見開く。
元々、朝槻真守は流れを読む事に長けていた能力者だった。
だからこそ自分の事を間違う事無く正統に進化させ、人々に寄り添って生きるために必要な『流行』を冠するに至った。
今の朝槻真守は数値化するだけではなく、感覚的にも全ての流れを察する事に長けている。だからこそ真守はラー=ゼウスによる一撃の流れをくみ取り、右手一つで逸らすことができたのだ。
それを見て、アレイスターは小さく笑う。
「いやはや。朝槻真守を見ていると努力をしても無駄だとつくづく思わされる。私がK2登山をした事でやっと手に入れたものを察することで叶えてしまうのだから」
アレイスターは笑いながら、歴代のファラオを模した三〇メートルほどの石像の上に飛び乗る。
真守がいま感覚的に成し得たことは、アレイスターが何が何でも欲した力だ。
それは自分に降りかかる災厄──位相の衝突によって生み出される運命を受け流す力だ。
しかもその芸当は何も、アレイスターや朝槻真守の専売特許ではない。
火花という運命を正確にベクトルとして捉える事ができれば、それを操る事ができる。
朝槻真守とは全く違うプロセスで、垣根帝督や
(まあ既に『
アレイスターは笑いながら五指を使って簡単な鉄砲のジェスチャーを作った。
「さて、遊びは終わりだ。蹂躙しようじゃないか」
アレイスターがそう宣告した瞬間、鉄砲となっている人差し指の先端にピッと亀裂が走った。先程と同様、石材の小さな破片で指先が切れたのだ。
「くっくっく。あっはっは! やはり私という生き物はカッコつけると締まらんなあ!!」
アレイスターが笑う中、真守は垣根の猛攻から逃れて叫ぶ。
「愉快になって自虐してる場合じゃないっ。早く神裂を助けろばかっ! 私だって流石にぶっつけ本番で神裂を傷つけずに追い出すなんてできないぞっ!」
真守の怒号が響く中、アレイスターは敵を捉えた。
「あなたに怒られるのはやっぱり魅力的だな」
アレイスターは半分本気の冗談を口にして笑う。
そしてアレイスター=クロウリーは恵まれて生まれ落ちた『聖人』──神裂火織を見据えた。