次は一〇月五日木曜日です。
エジプトに侵食されたロンドン。
今のロンドンの異様な光景を造り上げているのは、大悪魔コロンゾンが首都決戦兵装という名目で用意した
真守の伯母であるアシュリン=マクレーンが言うには、霊装は全部で五つ。
いま起動されている三つの神威混淆は地脈に接続されたからこそ、建造物として顕現していた。
ラー=ゼウスと呼ばれる神威混淆は、太陽神を讃える石柱としてロンドンにそびえ立っていた。
オシリス=ハデスと呼ばれるものは、テムズ川のほとりに佇む戦艦サイズの巨大なワニ。
テヌフト=アルテミスは巨岩を飛ばす投石器。
そうやって地脈に接続された
ラー=ゼウスによる、神話の一撃。
その一撃は敵だけを正確に貫く。つまり、朝槻真守たちにもラー=ゼウスは牙を剥いた。
ラー=ゼウスの一撃を、真守は右手一つで跳ねのけた。
真守は『流行』を冠するまでに至った。その力を使えば、攻撃の流れを変える事は容易いのだ。
ラー=ゼウスの攻撃を跳ねのけた真守は、最愛の人である垣根帝督へと目を向ける。
垣根はラー=ゼウスの攻撃から、真守を守ろうとしていた。
だが真守はラー=ゼウスの神話の一撃を、跳ねのけられると思った。
だから垣根の手を取らなかった。その右手で、神話の一撃に干渉して逸らした。
「垣根、信じてほしい。本当にもう大丈夫だから」
真守は
朝槻真守は大悪魔コロンゾンに『拡散』を打ち込まれ、体調を崩していた。
そんな真守が、垣根は本当に心配だった。能力を使ってほしくないと思う程に。垣根帝督は朝槻真守が本当に大切だから、無理をしてほしくないと考えるのだ。
「私は、私の力をロンドンのために使いたい。私には力があるから。みんなを守れる力がある」
垣根の心配を真守はよく分かっている。
だが皆が頑張っているのを横から眺めているのはどうにも落ち着かないのだ。
力が自分にあるなら、頑張りたい。みんなを助けたい。そう思うのが、朝槻真守なのだ。
「もし本当に垣根が心配なら、一緒にやろう」
真守は垣根の手にするりと自分の手を重ねて、垣根を見上げる。
「後方のアックアを撃退した時みたいに。垣根の力を、私に合わせてくれ」
あれは第三次世界大戦の前の話だ。
ローマ正教に所属していたウィリアム=オルウェル──後方のアックアは、上条当麻を抹殺するために学園都市の第二二学区に攻めてきた。
あの時、
源流エネルギーという、世界を構成する純粋な力。
それが合わさったことにより、垣根帝督は世界の全てを掴んだと密かに感じていた。
垣根帝督は、自分の手を握った朝槻真守を見つめる。
自分のことをまっすぐと見上げてくる、最愛の少女。
その瞳にはかつての無機質さはなく、人を慈しむ思いが込められていた。
「……昔のお前だったら一人で突っ走ってただろうからな。一緒に戦うってんなら許してやる」
垣根は真守の手を優しく握る。
一人でなんでもこなそうとしてしまう真守が心配だった。周りに力を貸してくれる者がいないから、全てを平気で一人でやってのけてしまうのが本当に心配だった。
そんな真守が力を合わせてほしいと言うのなら、手を貸さないわけにはいかない。
真守は垣根の承諾を聞いて、ふにゃっと笑う。
そして垣根の手を自分の頬に誘導して、すりっと自分の頬を擦り寄せた。
「ありがとう、垣根。いつまでも、ずぅっと一緒だ」
真守は垣根にすり寄ったまま、力を解放する。
だが翼を広げることはしなかった。その必要はないからだ。
蒼閃光でできた猫耳に似た三角形と、それに連なるそれぞれ二つの正三角形。
それとリボンのような三角形が根元に着いた、尻尾に似た四角い帯。
かつて真守が能力を解放した時の姿。
その姿を取った真守は、垣根にすり寄ったまま
すると、真守と垣根に応えるかのようにラー=ゼウスが攻撃態勢に入った。
太陽神を讃えるオベリスクから、全方向へデタラメに閃光を伴ったビームが放たれる。
その光は何度も何度も枝分かれをして、やがて標的へまっすぐと向かっていく。
まるで大樹のように明るく夜空を照らし出す閃光が、標的である真守たちに迫る。
真守は垣根の手に自分の小さな手を沿える。
そして垣根を導くように、垣根の手の平をラー=ゼウスへと向けた。
真守と垣根を穿とうとするラー=ゼウスから放たれた神話の一撃。
垣根は真守に誘導されて、真守と共に神話の一撃を捉えた。
真守の見ている世界に、真守に導かれて垣根は触れる。
そして、干渉する。
迫ってきたラー=ゼウスの一撃を捕らえて、垣根と真守はその一撃を自らの制御下に置く。
真守は垣根と共にラー=ゼウスの一撃を正確に掌握すると、自分が手を沿えた垣根の腕をゆっくりと空に向ける。そして、神話の一撃をぐんっと大きく捻じ曲げた。
真守と垣根が制御を奪った一撃は急に翻ると、そのままありえない挙動でラー=ゼウスと呼称されたオベリスクに向かっていく。
まるでブーメランのように自分へと戻ってきたラー=ゼウスの一撃。
その攻撃は正確にラー=ゼウスを貫いた。
それによって、オベリスクとして地面から生えていたラー=ゼウスの石柱がぼっきりと折れた。
大きな石柱は、凄まじい音を立てて崩れる。
そして崩壊した際に生まれた大きな破片が、ロンドンの街へと落ちようとしていた。
「
真守が声を上げると、一方通行は舌打ちして応える。
一方通行は素早く電極のスイッチを切り換えてその場から跳躍すると、近くにあった手頃なピラミッドの石材を蹴って撃ち出した。
「流石に無秩序にロンドンを壊されては困るし。一応アレイスターを殺させるワケにはいかない。だから起動した
真守は
垣根は真守の干渉を感じながら、真守を抱き寄せたまま
真守は再び垣根の腕に手を這わせる。そして垣根の手を、テムズ川に沈む巨大なワニの形をした神威混淆、オシリス=ハデスへと向ける。
その姿はまるで、二人で弓を構えるようなポーズだった。
真守は鋭く目を細める。すると、真守と垣根の少し上空で
「垣根、私に合わせて」
真守は垣根に声を掛ける。
すると、蒼閃光が瞬く中心に純白の光が生まれた。
それは
垣根と真守の少し上で、
その切っ先は、まっすぐとオシリス=ハデスへと向けられていた。
その槍はさながら、矢のようにも見えた。
純白の光を放つ、多くの蒼閃光でできた帯を纏いながらも形成される槍。
その槍の外見モチーフは、魔神オティヌスが扱う槍だった。
「行くぞ」
真守が声を掛けた瞬間、槍が矢のように撃ち出された。
真守の源流エネルギーを纏う、
それは戦艦レベルの大きさを誇るワニ──オシリス=ハデスの大きな口を貫いた。
真守と垣根の力を合わせた攻撃。
それによって、オシリス=ハデスはそのままテムズ川へと沈んでいった。
「垣根、もう一回だ。もう一回っ」
垣根帝督は少し嬉しそうな真守に声を掛けられて、目を細めながら頷く。
真守と垣根が次に標的にしたのは、テヌフト=アルテミスと呼ばれる投石器だ。
再び、真守と垣根のすぐそばで蒼閃光を纏った純白の槍が矢のように射出される。
先程よりも大きい槍。
それはテフヌト=アルテミスに直撃すると、一瞬で投石器を蒸発させた。
垣根帝督はふっと、肩から力を抜く。
真守に誘導してもらったとはいえ、これまで垣根帝督は
多くの可能性と性質を秘めながらも、敢えて曖昧な状態で安定させる。
矛盾するような在り方に想えるかもしれないが、
「垣根、ありがとう」
真守はふにゃっと笑って、少し疲れた垣根を見上げる。
「垣根が一緒にいてくれて嬉しい。一人で頑張らなくてもいいから。すごく幸せ」
「……ああ。俺も、お前が一人で頑張らなくて良いのが嬉しい」
垣根はご機嫌に笑う真守のことを抱きしめる。
この少女が一人ぼっちになるのが、垣根帝督は嫌だった。
その想いで、あの廃ビルにて垣根帝督は朝槻真守に手を差し出したのだ。
そのことを、真守も良く覚えている。
真守は垣根にすり寄って、ふふっと小さく笑った。
その様子を、
すると神裂火織と騎士団長、それと騎士派の騎士たちと戦っていたアレイスターも詰めに入った。
「そろそろ種明かしをしようか」
アレイスターは『七天七刀』を放り投げて突進してきた神裂火織を見た。
神裂火織はこの世に二〇人ともいない聖人だ。
そのため神裂がアレイスターに直撃すれば、線の細い少女に転生したアレイスターの体など一瞬で木っ端みじんとなってしまう。
それでもアレイスターは神裂の姿を見て、宙に浮かぶブロックの上で笑っただけだった。
「生まれた頃から恵まれた者よ。そこで思考を止めてしまった満たされた愚者よ。何故、十字教各宗派が『聖人』に重きを置いているかまで考えた事はあるか?」
アレイスター=クロウリーは『聖人』である神裂火織の突進を受けても無傷だった。
時間が停まったように空間が静止する中、アレイスターはゆるりと告げる。
「常人よりも『神の子』に近づいたからではない。希少性に価値を見出されたわけでも、軌跡の出力に圧倒されたからでもない。何より第一に、不滅の神や天使と違い、『神の子』やその後に続いた守護聖人たちは明確に処刑・死の法が示されている」
弱点が明確に存在するのに、何故聖人が重宝されるのか。
その答えを、アレイスターは口にする。
「個人の信念が組織の思惑を超えたとみなされた時、迅速にブレーカーを落としてドロップアウトさせる事ができる、都合の良い奇蹟に過ぎなったかのだよ。──キミのような『聖人』は!!」
アレイスターの言う通り、聖人である神裂火織には様々な弱点がある。
弱点を突けば簡単に沈黙する神裂火織に対して、アレイスターはその手を緩く振った。
するとアレイスターの手の内で赤いもやが放たれ、それは一本の鋭く尖った槍のように変形する。
次の瞬間。アレイスターは手元の槍で、神裂火織の脇腹を貫いていた。
銀の少女は神裂を手に持っている槍で突き刺したまま、空中のブロックを蹴った。
そして真守たちのいる建物の屋上へ目掛けて落下する。
アレイスターは神裂火織を刺し貫いている槍を建物に突き刺すことによって、落下の衝撃から逃れる。当然として神裂を貫いたままの槍が建物に突き刺さると、建物に大きく亀裂が入った。
そして、ずるり。──と、何かが神裂火織の体から飛び出した。
まるで憑りついていたものが引きはがされるように。
衝撃によって砕かれた建物の瓦礫に転がった神裂の背中から、ソレが飛び出した。
人ならざる者の体は、半透明だった。
額には大きな丸い穴。人間ではありえない七色の髪は肩口で切りそろえられており、それは触手のように束になってくるんっと髪先が跳ねている。
薄膜の翼と、軟体動物の触腕を連想させる邪悪な尻尾。
その人ならざる者はすらりとした肢体に、ワンピースを纏っていた。だがそのワンピースは異様で、英字新聞を繋ぎ合わせ、割れたガラス片や銀のダクトテープで彩られていた。
個々のパーツは美しく妖艶。
それがかえって全体のバランスを崩してしまっている、裸足の少女。
それこそ、神裂火織に憑りついていた存在。
このロンドンのありとあらゆる人間の正義の軸をズラし、アレイスター=クロウリーを殲滅しようと企むコロンゾンの手先。
愚者の姫とも呼ぶことができる──クリフォトの悪魔。
『ひひ』
悪魔が笑うと、彼女の裸足の足元に何かが大量に転がった。
その霊装は、騎士団長が口にしていた断頭金貨と呼ばれるものたちだ。
痛みと恐怖を数秒間だけ散らすという、追い詰められながらも自らの誇りを失わないために迷わず自決するための霊装だ。
だがそもそもの話。
自決してまで守る誇りやプライドに、守るべき理由や意義があるのだろうか。
「朝槻真守の感じた通りだったな」
アレイスターは神裂火織を叩きつけてヒビが入ったアパートに立つ悪魔を見据える。
「いっそステレオタイプだな、そして解釈を間違えている」
アレイスターはため息を吐くと、新参者である真守たちに先達者として説明する。
「クリフォトは邪悪の樹などと邦訳され、確かに各球体の守護者に悪魔の名を冠している。だが別段その本質が絶対悪というわけでもないのだ。あえて誤用すら利用して『命に似た何か』を造り上げるとは、片腹痛い」
「あァ? クリフォトだと?」
アレイスターの説明に
「言葉の意味は分からずとも、頭の片隅に留めておきたまえ。科学と魔術に分断されることもない、自由な知識だ」
不安や強欲。色欲や醜悪などの残酷性。それでいて無常であり拒絶を秘めた愚物。
そして──無神。
あの悪魔が身にまとっている英字新聞のようなドレスから読み取れるものだ。
一〇〇年前。情報がまだ限定的だった頃。
新聞記事というのは数少ない情報が一度に入手できる代物だった。
そして新聞に書かれていることは、ほとんどがでたらめだった。
だが新聞の事実がでたらめだと確認する術はない。
そんな偏見と先入観で満ちた新聞をにぎわせていたアレイスター=クロウリーは常に英字新聞で糾弾されていた。
その背景もあって、アレイスターにとって英字新聞とは邪悪の樹のようなものだ。
英字新聞を身に纏っている悪魔はつまり、アレイスター特化という事であり。
邪悪の樹を構成する悪徳の世界を示した、邪悪の樹そのものなのだ。
「邪悪の樹とは天使に守られた生命の樹の逆位置にある逆しまの樹だ。正しき者が十分な研鑽を積んだうえで挑めば、世界の裏側に横たわる叡智を獲得する助けとなる。だが半端な覚悟で挑めば迷いの霧にあてられて惑乱し、真実を取り違える」
アレイスターは新参者たちへとそう説明し、にやっと笑う。
「その結果、変態趣味の地下儀式を唯一絶対の知を掴むための手段だと信じるようになる。そのせいで魔術を妄信する者たちは、悪魔と乱れに乱れて魔術を身に着けるなどと噂されたのだ」
真守は明け透けに告げたアレイスターをじとっと睨む。
「そうはいってもお前だって自分の奥さん相手に結構なヘンタイ儀式やってただろ、ヘンタイ」
「私は無知蒙昧な輩のように真実を取り違えることなく、きちんとした理論に基づいてやっていたぞ。ヘンタイだとしても分を弁えなければならない。そういうことだな」
胸を大きく張るアレイスター。そんな彼女に真守は軽蔑の視線を向ける。
アレイスターは儀式場に自分の体液を持ち込んで、実験をやって悦に浸っていた。
だがあの変態行為も、邪悪の樹に取り込まれないように一応注意してやっていたのだ。
ヘンタイなのに節度は守る。それがアレイスター=クロウリーの変態としての誇りだ。
「つまり総括すると、基本の正位置も学ばずにいきなり応用の逆位置から始めてもろくな事にならんという話だ。だがいま重要なのはそこではない」
アレイスターは人差し指を立てて、ご高説する。
「生命の樹は魂の扱い方を示す図面でもある。すなわち、逆しまの樹も正しくなぞっていけば、『命に似た何か』を製造することになるのだ」
「……ということはつまり、エルダーさまとは逆ってことか?」
エルダー=マクレーンはアレイスターの思考を支える問答型思考補助式人工知能であり、魔導書の『原典』でもあり、生命の樹に対応させた各カードで成り立つトート・タロットだった。
そんなエルダー=マクレーンと、歪ながらも対極な位置に存在する目の前の悪魔。
「おそらく憑依専門だな。それだけを期待された部分的な悪魔だ」
目の前の悪魔は確かに大仰な生命体だ。
並べ立てれば歴史の積み重ねを感じるかもしれないが、本質はひどく薄っぺらいものだ。
だからアレイスターはその薄っぺらさにため息を吐いた。
「意趣返し、か。いかにもコロンゾンのやりそうな構成だ。名と数価は? 拒めばニューバーグの手法で引きずり出す。あの大悪魔ご本人でも拒否できなかった事を、造られた貴様に成し遂げられると思うかね」
『ひひいひひ。この辺割とシンプルですう』
悪魔は笑いながら、その十本の指を動かした。
すると七色の細かい毒針のような糸が、近くで気絶していた騎士団長の全身を突き刺した。
その行動は真守が駆け出したところで止められるものではないほどに、早かった。
騎士団長は悪魔によって、マリオネットのように適当に操られる。
そして無造作に放り投げられて、脇へと打ち捨てられた。
まるで見世物かのように、悪魔は騎士団長を適当に扱って笑う。
『クリファパズル545。お見知りおきをですう』
「……さらにもう一つ、と。ああそうか、魔導書図書館に埋め込んであった『
「どォするつもりだ」
「自らの望むままに」
一方通行が問いかけると、アレイスターはふっと笑う。
「汝が欲するところを為せ、それが汝の法とならん」
アレイスターは『法の書』の一節を説くと向き合い、悪魔と敵対した。