次は一二月一八日月曜日です。
バッキンガム宮殿から、『王室派』を乗せた複数の馬車が走り出した。
馬車列の目的地はスコットランドにあるエディンバラ城だ。
いまだロンドンは危険に包まれている。
そんな危険な地に、イギリスの要である『王室派』の面々を留まらせているのは良くない。
そのため、馬車列は『王室派』の面々を乗せてスコットランドへと出発した。
朝槻真守は、一台の馬車の上で片膝をついて体勢を低くしていた。
真守は遠くなっていくロンドンを見つめて、目を細める。
そして一つ頷くと、真守は馬車の上で立ち上がった。
馬車はすでに、時速数百キロは出ている。
だが真守は特に危なげもなく、視線を馬車に向ける。
すると、馬車の昇降口が独りでに開いた。
真守は軽やかに動くと、屋根から降りて馬車の中に入る。
後ろで手を触れずに扉を閉めると、真守は垣根の隣にとんっと座った。
「私と垣根を追ってきた『黄金』は完璧に撒いたからな。まだ『黄金』は『王室派』の馬車列に気が付いてないみたいだケド、気づかれるのも時間の問題だ」
真守が淡々と報告する中、カブトムシのネットワークに接続して胡乱げな瞳をしていた垣根はアシュリンを見た。
「馬車列が移動するためとはいえ、大々的に交通規制とか行ってるからな。
「大丈夫よ、帝督くん。すべてをあなたたちがこなそうとしなくていいの」
アシュリンは柔らかく微笑んで、座席の下に入れておいたカゴを手に取る。
「わたくしたちもいるから。あなたたちだけが頑張らなくていいのよ」
真守はアシュリンの優しい言葉に嬉しそうに目を細めて頷く。
アシュリンは愛らしい真守を見て、にっこりと微笑む。
すると、扉に掛けてある連絡用の壁掛け電話が鳴った。
アシュリンは軽やかな手つきで、レトロな電話の受話器を手に取る。
「どうしたの?」
《女王陛下が暴れておりまして……っ拘束具を破壊しようとしています》
「英国女王への不敬は考えなくていいわ。予備に持ってきた拘束具も出してちょうだい。……本当なら簀巻きのまま外に放り出したいところだけど、こんな緊急事態に戴冠式なんてやってられないから」
アシュリンの言い分を要約すると、『別にバカな英国女王は最悪痛い目を見ればいい。ただこんな非常時に三人の王女から新しい王を選んで戴冠式をするなんてしたくない』という事だ。
真守たちの乗っている馬車は時速数百キロは出ている。その状態で馬車から叩き落とされれば無事では済まない。つまり仮に簀巻きのまま英国女王が放り出されたなら、待っているのは死だ。
(本来ならば不敬にも程がある物言いだけど……英国女王が英国女王だからなーどうしようもない)
真守は血の気が多い英国女王の事を想って、眉をひそめる。
本当にトップが前線に出て戦うなんて、ありえなさすぎる。
アシュリンは『騎士派』の騎士に指示を出すと、古風なデザインをした壁掛け電話を元に戻した。
「まったく、あの方にも困ったものだわ。王女さま方がお生まれになって、それぞれの分野で特化され始めた時くらいから大人しくなったのだけど。相変わらず、後ろで守られているのが我慢ならない方ね」
アシュリンはため息を吐くと、真守にカゴを差し出す。
「たくさん飛び回って疲れたでしょう、真守ちゃん。宮殿のシェフに軽食を作らせておいたの。ローストビーフサンドイッチ。ちょっと変わり種だけど、おいしそうでしょ?」
「ろ、ローストビーフ……っ!」
真守は顔を輝かせて、アシュリンが差し出してくれたカゴの中身を見る。
ロゼ色のお肉の薄切りが、特製のソースとフリルレタスと一緒にたっぷり挟まれたサンドイッチ。
しかもカゴの中にはステンレスボトルに入ったミルクティーまで完備されていた。
真守はうきうきとご機嫌でお手拭きで手を拭くと、サンドイッチに手を伸ばす。
「上条にはとても悪い事をしてる気がするけど、いいよなっ」
真守はにこにこと笑って、サンドイッチをちょこんっと両手で持つ。
たぶん上条当麻はイギリスに来てから何も食べていない。それなのに真守は二回目の軽食なのだ。
真守と同じように垣根もサンドイッチに手を伸ばしつつ、優しさを見せる真守に笑いかける。
「あの万年バカに心を砕く必要ねえって。この場にいないのが悪ぃんだろ」
「む。それはそうだけど……ちょっと余らせて、あとで分けてあげようっ」
真守はふふっと笑うと、ぱくっと小さな口でサンドイッチを頬張る。
「むふー……っ! おいしいっ」
真守は顔を輝かせると、幸せそうに表情をとろけさせてサンドイッチを食べる。
「へへーしあわせ……っ」
ふにゃふにゃ笑う真守の隣で、垣根もサンドイッチを食べる。
「イギリスの飯はマズいって話だが、さすが宮廷料理人だな。ちゃんと美味い」
「ふふ。二人に気に入ってもらえて何よりだわ」
アシュリンは軽やかに笑う。そして馬車から外を見つめながら、少しため息を吐いた。
「クロウリーズ・ハザードに
大悪魔コロンゾン。それに対抗する、アレイスター=クロウリー。
いちばんの被害を受けているのは、コロンゾンが根城にしていたイギリスだ。確かに他の国々も大変だが、ロンドンほど騒乱にはなっていないはずだ。
もふもふとサンドイッチを食べていた真守は、一息ついてアシュリンを見る。
「イギリスは確かに多大な被害を受けている。でもコロンゾンはどう足掻いたって契約に縛られてるからな。メイザースの遺体を手に入れられれば、問題ないだろう」
「そのメイザースの遺体を、ローラはエディンバラ城に隠しているのよね?」
「アレイスターはそう推測してる。……コロンゾン自身には、この世界に何のゆかりもない。だからコロンゾンがすること全てには自分を召喚した者の意志が介在する。だからメイザースの遺体は、確実にスコットランドにあるだろう」
「『王室派』がスコットランド方面に向かえば、あらゆる魔術が解除されるわ。おそらくメイザースの遺体に掛けられているであろう隠匿魔術もね」
「伯母さまの考える通りだ、アレイスターもそう言ってた。……決して暴かれてはならないものが暴かれる。だからこそ、防衛装置として起動した『黄金』が『王室派』の馬車列を止めようと襲ってくるだろう」
真守はサンドイッチを持ったまま、そっと外を見る。
もうすでに真っ暗やみの中。真守は微かな明かりが照らすロンドンの街並みを見つめる。
「『王室派』がスコットランド方面に向かえば『黄金』に狙われる。でも『王室派』がスコットランド方面に行くための儀礼的な事は全て終わってしまってたから。今更スコットランド方面に行かないなんてできない」
国のトップであり、魔術的記号の象徴である『王室派』。
その大移動には儀式的にも通達的にも準備的にも相当手が掛かっている。
移動すれば狙われると分かっていても、スコットランド方面は安全だと確約されている。
今更後戻りできない。だからこそ真守と垣根は来たのだ。
真守は腹ごしらえのために、もぐもぐとサンドイッチを食べる。
すぐに戦闘が始まる。そのため今のうちにエネルギー補給をするべきなのだ。
一般人はお腹がいっぱいになったら動けなくなるが、真守も垣根もそうではない。
そのため垣根はミルクティーを一口飲むと、真守にコップを差し出す。
「真守。この紅茶美味い。飲んでみろ」
「む。ありがとう、垣根」
真守はコップを受け取って、十分に冷ましてから飲む。
「おいしいっ」
真守はふにゃっと顔を緩めて、ミルクティーを味わう。
すると、真守の横に座っていたカブトムシが真守を見た。
『真守。「黄金」と対峙していたアレイスターが「黄金」の仕組みを暴きました』
「お。本当か?」
真守はコップを垣根に返して、そっとカブトムシに触れる。
真守と垣根がピカデリーサーカスのショッピングセンターでアレイスターと別れた後。
アレイスターは上条と
いまの『黄金』を知るにはまず始まりの地から。原点に返るためにも、アレイスターはイシス=ウラニア別館と呼ばれる懐かしき場所に向かったのだ。
『真守が推測した通り、「黄金」は魔導書の「原典」。それも、タロットカードを主軸としたものでした』
イシス=ウラニア別館のアパートで、アレイスターは『黄金』と相対した。
アレイスターの成果物である
「コロンゾンが意趣返しとしたエルダーさまも元々、タロットカードに関係するひとだったからな。コロンゾンが意趣返しとして『黄金』を用意するならそこら辺かと思ってたけど……」
真守はふむっと頷くと、カブトムシに指示を出す。
「帝兵さん、タロットカードに戻った『黄金』を拾ってくれるか?」
『了解しました』
真守の指示で、イシス=ウラニア別館に残っていたカブトムシが動き出す。
垣根は真守に指示で動くカブトムシを把握しながら、真守を見た。
「強い力を与えられたら肉体を保てなくなってカードに戻る。……だが、確か魔導書の『原典』は破壊が不可能だったよな?」
「うん。魔導書とは記載されている文章に意味があり、文章自体に魔力を精製する力がある。そして自らの知恵を求めて広める者に力を貸し、自らを破壊する者には防衛装置を起動させる。……でもな、やりようはあるんだ」
真守はもぐっとサンドイッチを食べてから、人差し指を立てる。
「魔導書は魔力を精製できる。でも無から有を生み出せるわけじゃないんだ。魔導書は大地や大気に満ちているエネルギーを基にして、魔力を精製する。つまり純粋な力を当てて、一時的に機能を麻痺させて隙を作れば、機能不全に陥らせることは可能なんだ」
真守はむぐっとサンドイッチを食べると、アシュリンに顔を向けた。
「そうだよな、伯母さま。私の理解はあってる?」
「ええ。全く問題ないわ、真守ちゃん。よく勉強してるわね」
アシュリンは真守の頭を優しく撫でる。
真守はアシュリンにイイコイイコをしてもらえて、幸せそうに目を細めた。
垣根はとろけるような笑みを浮かべる真守を見つめて、ふっと笑う。
「純粋な力を当てる……ねえ。そりゃお前の専売特許じゃねえか」
朝槻真守は源流エネルギーや、あらゆるエネルギーを生成・操れる能力者だった。
「純粋なエネルギーを使って魔導書の『原典』を機能不全に陥らせる。それは私にとって簡単なことだけど、色々と弊害も起きる」
「あ? 弊害だと?」
「うん。魔導書の『原典』を機能不全に陥らせるためには、純粋なエネルギーで空間を満たす必要がある。でもな、そうするとあらゆる魔術や異能が機能不全に陥るんだ。私の力で満たされるならば、他の力の法則は吹き飛んでしまう」
アシュリンは真守が何を危惧しているか把握して、口を開く。
「つまり馬車列に掛けられた魔術が吹き飛んでしまって、『王室派』の方々の安全性が保てなくなってしまうのね?」
「うん。ちゃんと考えて力を使わなくちゃ、みんなに危険が及んでしまう」
真守が頷く中、カブトムシのヘーゼルグリーンの瞳が光る。
『真守、タロットカード一組をすべて回収しました』
「ありがとう、帝兵さん。……む」
真守はカブトムシのネットワークに接続して、小さく唸る。
「……タロットカードに小さな折り目や傷がたくさんある。……そうか、これが『黄金』そのものを表しているのか。折り目や傷を規則的に付けることで、『黄金』の人格を再現してる」
真守はカブトムシ越しにタロットカードに触れながら、情報を整理する。
「ということは、『黄金』をそれぞれ成り立たせているタロットカードたちは全て同じ規格で造られているんだ。……ふむふむ、なるほど。それならやりようはあるぞ」
真守は『黄金』の仕組みを丸裸にして、にやっと笑う。
「うん、これなら人格を形成している傷に対してピンポイントにエネルギーを当てれば、相手の感覚を麻痺させるコトができるな」
真守は対抗策を頭の中で完成させて、得意気に笑う。
そんな真守の頬を、垣根はむにっと摘まんだ。
「一人でしたり顔してるんじゃねえ。全部自分でやろうとするな」
「分かってるよ、ちゃんと垣根にも教えてあげる」
真守はくすっと笑うと、カブトムシのネットワークに接続して自分の整理した情報を流す。
情報を共有する二人。そんな二人を、アシュリンは穏やかな目で見つめていた。
「真守ちゃん、『黄金』を仕留めるのは任せていいのかしら?」
「うん、大丈夫だぞ。『清教派』の人たちにも情報を回しておこう」
真守は頷くと、カブトムシに指示を出して『清教派』のもとへ向かってもらう。
『王室派』の面々をスコットランド方面に退避させる馬車列には、『清教派』の魔術師たちも乗っている。コロンゾンに手玉に取られた彼らも、挽回の余地があるべきだ。
「アレイスターも魔導書の『原典』との戦いは心得ているだろう。でもアイツ、周りへの影響を気にしないからな……もしアレイスターがやろうとしたら、私がみんなを守らないと」
アレイスター=クロウリーは、なんだかんだ言ってもやっぱり割と適当である。
そして自分の目的のためならば、多少の犠牲は厭わない。
いまは上条当麻によって改心させられて、真守に怒られるから気を付けているが──その根っこには、成功には犠牲も必要という考えがある。
「私がなんでもやりたい放題のひとたちのフォローをする。いつもと一緒だなっ」
朝槻真守は強力な力を持っているが、根本的にフォローをするのが好きだ。
誰かが頑張っているのを支える。
それが好きな真守は、アレイスターのことを手助けしようと固く決意する。
「お前はどこでも変わらねえな、真守」
垣根はぽんっと真守の頭に手を乗せる。
「どんなになっても、お前は変わってねえよ」
真守はエメラルドグリーンの目を、大きく見開く。
その在り方がどんなに変わってしまっても、朝槻真守は朝槻真守のまま。
人間としての感性を持ったまま。何も変わらずに、人間としていくべきところまで行く。
垣根帝督の言葉には、その意味が込められていた。
「……っふふ。そうだぞ」
真守はふにゃっと笑うと、垣根にすり寄った。
「いつでも垣根の隣が、私の居場所だ。みんながいる学園都市。それが私のいるべき場所だ」
真守は笑うと、アシュリンに目を向けた。
「そして、イギリスの地は私の故郷だ。いつでも帰るべき場所だっ」
アシュリンは真守の笑みを見て頷くと、真守の頭を優しく撫でる。
真守は幸せそうに目を細める。
「さて、もうしばらくすれば『黄金』の追手が来る。科学の申し子が目に物見せてやる」
真守は得意気に笑う。
そして、幸せそうな顔で。真守はアシュリンが用意してくれたローストビーフサンドイッチをぱくんっと食べた。