次は九月一〇日金曜日です。
真守は『
「情報は集まった。お前の質問に答える前に一つ聞きたいことがある」
「……なんだ?」
「最近美琴に会ったか?」
真守の問いかけに上条は少しの間だけ沈黙してぽそぽそっと答えた。
「……昨日会った。でも御坂妹を見たら顔色変えてどっかに連れて行っちまったよ」
「美琴が自分にそっくりな人間が目の前に現れても取り乱さなかったという事は計画を知っている、という事実に繋がるのは理解できるか?」
「そりゃそうだよな。うん、分かるよ」
「では最近、研究所の不審火が続いているのは知っているか?」
「不審火?」
真守は上条の疑問に答えるために『
『樋口製薬・第七薬学研究センター』
『品雨大学付属DNAマップ解析ラボ』
『金崎大学付属・筋ジストロフィー研究センター』
『みずほ機構・病理解析研究所』
「この四つ以外にも多くの研究所で不審火が相次いでる。これらは全てDNAに関する研究を行っている研究所で、恐らく
「なんでそうやって推測できるんだ? 根拠は?」
「……これは、私の経験則から言わせてもらうが、
「管理?」
上条が真守の言葉を繰り返すので真守は頷き、過去において自分が徹底的に管理されていた事を思い出しながら呟く。
「全てのデータが利用できるからだ。だから
「どうしてわかるんだ?」
「そんな気配がしないほどに美琴は清らかで、真っ当な正義感を持っているからだ。そんな表の世界に生きる少女がこんな計画のためにDNAマップを無償で提供するなんてありえない。あの子と接していれば分かる。これは確実だ」
「……てことは、目的を知らされずに騙されて提供させられた……?」
「それしかありえない」
「なっ、なんであいつは誰にも頼らないで実験を止めようって一人で行動してんだ!?
真守が断言すると上条は声を荒らげて真っ当な言い分を吐いた。
「お前も証拠隠滅されていたところを見ただろう。学園都市にはそこら中に監視カメラが設置されている。あの路地裏にももちろんあった。それでも騒ぎにならないということはこの実験を上層部が主導しているということだ。……上層部の言いなりである
真守が冷静に上条に
「そんな……そんな非道が許されていいのかよ!? クローンだって人間だろ!? 御坂妹はどうしたって人間だった! 俺と一緒にジュースを運んでくれた! インデックスが拾ってきた猫のノミを取ってくれた! 黒猫に餌を上げて戸惑いながらも嬉しそうだった! エリート様一人を育て上げるために勝手に造られて殺されるなんて事、許せるはずねえだろ!?」
「ああそうだよ! こんな実験、許されないコトだ!!」
真守はPDAから顔を上げてそこで初めて上条の目を見て叫んだ。
「許されていいハズがない実験が行われていて! 美琴はそれを知ってしまって、自分が騙されても自分が
珍しく叫んだ真守のその表情は悲痛で酷く歪んでいた。
等しく大切である命が使い潰されるのが真守は絶対に許せない。
深城と接している事で深城の命の価値を知った真守は、その深城に全ての命が大切だと教えてもらったからだ。
深城からそうやって教えてもらったからこそ、真守は深城の命も他の命も分け
深城の命の価値を守ろうとして他の命を切り捨てた時に、自分が人でなしになってしまっていたと、真守は後から感じていた。
命をもう一度粗末に扱えば、その時に戻ってしまい、自分の人間としての大事な部分が失われてしまう気がする。
人でなしには、あの時の自分の冷たさには戻りたくない。
そんな想いもあって真守はより一層、命を大事に想っているのだ。
真守が泣き叫ぶように声を上げたので、上条は一瞬閉口してから呟く。
「じゃあ、一体どうすれば……」
真守は上条に怒りをぶつけても仕方がないとして冷静になるために息を整えると、
「……この二万通りのシナリオは『
「乱入するってことか? でも『
上条の問いかけに、真守は上条が記憶を失くしてしまったから伝えていなかった事実を告げる。
「『
「破壊された? ……じゃあ最近天気予報が外れるのってそのせいだったのか……!」
上条が『
真守はそんな上条をまっすぐと見て、上条に言い聞かせるようにゆっくりと告げる。
「お前の力が必要だ、上条」
「俺も実験を止めるためには何かしたいって思うけど……わざわざ
真守は上条の問いかけに頷いてから話し始める。
「
真守はそこでPDAを操作して先程ハッキングで手に入れた『
「このシナリオには勝利が絶対条件で、
「計画が、
上条が目を見開いて真守の作戦を理解したところで、真守は時間を確認した。
一九時三三分。次の実験開始時刻まで後一時間弱。
「とりあえず美琴がどうなってるか心配だから答え合わせも
「分かった。無理するなよ!」
「……ありがとう」
上条は黒猫を抱いたまま、真守にそう注意して公衆電話から出ていって走っていく。
真守はその後ろ姿を見た後、PDAを持っていた両手をだらりと脱力させた。
(研究者は人の事を実験材料だとしか考えてない)
上条と話をするために何度も息を整えて話をしていたが、限界だった。
必死に抑えていたから上条に気づかれなかったが、上条がいなくなった事によって、抑えていた体の震えが表に現れてしまった。
(だからこそ考えない)
ふるふると震える体を真守はPDAから離した手で必死に押さえて
(
それらの頭脳と身体を手に入れた時。
真守は肩で息をしながら顔に手を当てて、その指の隙間から目を出して呆然と床を見つめながらそのエメラルドグリーンの瞳を揺れさせる。
自分を
それで
彼女は、確かに言っていた。
『何だかどんどん冷たい機械になっていくみたいで、恐いんだよ』
自分が明確に違うものへと造り替えられていくのが恐ろしい。
インデックスがその悩みを告白してくれた事で、真守は人間ならば誰しもが直面したら感じる恐怖だと知ることができた。
真守は五年前、研究所から逃げ出した後に怒りのままに力を振るい続けた。
その最中。
偶然、
本当はそのまま変わり果てても良かった。
深城が使い潰された世界なんてどうでも良かった。
変わり果てて神のような力を得て、全てを壊せば良いと本気で考えていた。
そんな真守を止めたのは──やっぱり
自分が手にかけてはいけないものに手をかけたと気づいた時に真守は突然恐ろしくなった。
『神さまの頭脳』と『神さまの身体』を手に入れて、自分の精神が全く違ったものに造り替えられて。
──この世界で一番大切にしている深城のことを、大事に想えなくなったらどうしよう。
その恐怖が、真守を支配した。
真守はそれからずっと、その恐怖に悩まされている。
真守の恐怖やその悩みを、学園都市は理解しないだろう。
世界の真理を知ることができる切符を手に入れれば、これ以上に幸せな事はないからだ。
人の悩みなんて千差万別だ。
持って生まれた力も、精神も考えも。そして置かれた環境さえも違うから、人の悩みなんて他人からしてみれば理解不能の塊だ。
だからこそ真守はそれを受け止め、その人の立場に立って、その悩みを理解する。
朝槻真守としての立場で見ただけでは他人の悩みなんて理解できないからだ。
そしてそれは。
朝槻真守の悩みや何に怯えているのかを、朝槻真守の立場から見なければ誰一人として理解できない事にも繋がっていた。
誰にも理解されない悩みに、真守はずっと苦しめられてきた。
そしてこれからも。
学園都市が『神さまの答え』を求める限り、苦しめられ続けるだろう。
────……。
真守は公衆電話を箱のように囲うガラスに寄り掛かって呆然と夜空を見上げた。
学園都市は自分をいつでも衛星と監視カメラで
きっと自分が
だが真守をコントロールすることができないから上層部はあえて静観している。
もし何らかの方法で自分をコントロールする術を見出したら。
この『七年間の特別な
そこに、自分の気持ちを考える人間なんて存在しない。
そもそも
その先にある精神状態が人と同じ可能性は限りなく低い。
少し考えれば頭の良い研究者にだって分かる事だ。
人間だって祖が同じなはずの猿とは
その理屈に
それが深城の事を真守が大切に想えなくなる可能性に通じるのだ。
だからこそ真守は
研究所から脱走したって。
表の世界に逃げたって。
学園都市の『闇』は、真守を捕らえようと表の世界にまで侵食してきていた。
他の誰かが
「………………う、」
真守は思わず口に手を当てて
この世界に逃げ場はない。
だったら、戦うしかない。
学園都市が相手だろうと、何があっても。
徹底的に抗戦するしか、自分の人としての尊厳を守り抜くことはできない。
「
真守は決意の言葉を絞り出すようにして呟く。
「
────……。
源白深城は
自分には何があったのか詳しい事は分からない。
それでも一つだけ分かる事がある。
真守が恐怖を覚えながらも、自分と一緒に生きていこうと前に進み続けようとしている。
この世で一番尊い生き方を、真守がしていることだけは源白深城も理解していた。
(できることないけど、いつまでもずっと一緒にいるからね。真守ちゃん)
深城は意識の中でそう想いを
飽くなき探求心に呑み込まれる。