次は二月一日木曜日です。
ロンドンで事態の収拾に走っていた朝槻真守たちと別れたインデックスは烏丸府蘭と共に、大英図書館でローラ=スチュアートのことを調べていた。
まずは謎に包まれたローラ=スチュアートという人物を紐解くべきだと、それが大悪魔を撃退する事に繋がるはずだとインデックスは考えたのだ。
ローラ=スチュアートとはイギリス清教の歴史において、一九〇九年に唐突に現れた女性だ。
そして一瞬で
アレイスターの娘であるローラ=ザザは、一九○七年に生まれた女児だ。
本当に大悪魔コロンゾンがアレイスターの娘を
コロンゾンは
身体を急激に成長させるのは、大悪魔でも無理だろう。
ならば、コロンゾンの正体とは一体何なのか。
その疑問の答えはエディンバラ城で真守たちがコロンゾンと対峙した時、コロンゾンの口から明かされた。
アレイスターの娘の肉体を乗っ取ったのではなく、コロンゾンは肉の器を自分で用意したのだ。
だが大悪魔の告げる事は当てにならない。何故なら一度、コロンゾンはアレイスターの娘のローラの体を乗っ取ったと嘘を吐いた。
それでも、インデックスが調べたイギリス清教に残された情報が裏付けとなる。
最初から成人した姿で
その情報によって、コロンゾンが肉の器を自分で用意したという裏付けができた。
本当にコロンゾンが使っているのはアレイスターの娘の体ではない。
コロンゾンが自前で用意した、肉の器だと。
インデックスは大英図書館で情報を得ると、烏丸府蘭と共にエディンバラ城へとヘリコプターでやってきた。エディンバラ城にイギリスの戦力が集められているからだ。
それでも何故か地上から放たれた迎撃魔術によってヘリは撃ち落とされてしまったが、インデックスの頭は上条当麻への心配でいっぱいだった。
カブトムシに大丈夫だと言われても、上条当麻が
インデックスは上条当麻が本当に心配だった。
それなのに上条当麻は、女子中学生に優しくしてもらってほくほくしている。
インデックスが大激怒したのも、当然の結果だった。
インデックスにかみ殺されそうになった上条当麻は、死ぬ気で逃げた。
そんな上条に余裕で追いつくのは、もちろん朝槻真守だ。
「上条、大丈夫か?」
エディンバラ城内の中庭の隅っこに逃げた上条に、真守は近付く。
もちろん真守の隣には、垣根帝督がいた。
上条は全速力で走ったため、肩でぜーぜーと息をしていた。
「た、たぶん大丈夫だ、朝槻。問題ない…………帰るの怖いけど……」
とんでもなく怒っていたインデックス。
そりゃ大悪魔と対峙して命が危ぶまれた大切な男の子が、女の子にちやほやされてデレデレしてたら怒るに決まってる。
垣根は走ったのと別の意味で顔を青くしている上条を見てため息を吐く。
「だらしねえ。女の手綱握れるタマじゃないのに女侍らすから逃げ出すことになるんだよ」
「くそぅ……イケメンだからって……イケメンだからって……っ!」
上条が悔しそうに声を上げる中、真守はゆっくりと目を細める。
肘から先がない右手。その右手越しに、真守は上条当麻の奥にある力を感じた。
その力とは神浄の討魔と呼べる力。『
いまはカブトムシが上条に右手がきちんとあると誤認させているから問題ない。
だが既に制御が利かない状態で神浄の討魔が暴れれば、上条当麻はその形を失うだろう。
(私も上条の奥にあるものには手を出せない。私に力があるからこそ、神浄の討魔は変質してしまう。……まったく、アレイスターはなんてものを自分の『
真守はそう考えながら、未だに上条当麻の欠損した右手に宿っている幻想殺しのことを考える。それを持っている、食蜂操祈のことを。
「……あの子は何を考えてるんだか」
「? 朝槻?」
真守がぼそっと呟いたのを聞いた上条は首を傾げる。
真守はくすっと笑うと、腰に手を当てて上条を見た。
「なんでもない。元気が有り余っているようで何よりだ、上条」
真守は腰に手を当てて、膝に左手を当てる上条当麻を見下ろす。
上条は真守の言葉に、肩をがっくりと落とす。
「……これでも、本当に右手が失くなっちまったことを実感してるんだ」
上条の肩で足を組んでいたオティヌスはイライラした状態で告げる。
「やっと骨身にしみてきたか。
上条当麻は何も答えられない。
オティヌスは黙ってしまった『理解者』の様子をじっと伺う。
オティヌスは先程から不機嫌全開だった。
何故ならコロンゾンの一撃で粉砕された上条に、一目散に庇われたからだ。
自分を庇って放り投げる時間があるなら、もっとやる事があったはずだ。
だからぷんぷんと怒りながらも、オティヌスは哀しそうに上条に声を掛けた。
「怖いか、人間?」
「……、」
「これで貴様は正真正銘、ただの高校生だ。対するは朝槻真守と同等で、アレイスター=クロウリーをも手玉に取る大悪魔コロンゾン。天秤に乗っているのは英国どころか全世界の命運、一つ手を誤ればここで人類が絶滅するときた。何も思わないとしたら、そちらの方がむしろ奇怪だよ」
「だとしたら、どうすれば良いってんだ」
上条当麻は自身から進んで口を開いた。
「こっちの覚悟が決まるまで、向こうが待ってくれるとでも?」
「ふん」
オティヌスは右腕を失くしても変わらない上条当麻の特異性を鼻で笑った。
「……ならそれで良いさ」
オティヌスは柔らかく微笑む。そして戦争の神としての顔を出した。
「方向を見誤るな。お前は右手の力があるから誰かを救ってきたわけじゃない。切り札である
それが自分にできるだろうか。
そう不安を感じた上条を見て、真守は微笑んだ。
「上条」
上条当麻は顔を上げる。
そこでは、真守が笑っていた。
いつもと変わらずに、頼りになる微笑みを浮かべて、立っていた。
「今のお前が始まった時を思い出せ。私はなんて言った?」
今の上条当麻はインデックスを救うために記憶を失った時から始まった。
真っ白で透明な少年として目覚めた時。あの時、上条当麻はただただインデックスのことを泣かせたくないと思い、嘘を吐いた。
その後、上条当麻は自分が記憶を失ったという真実を知っている真守と会った。
真守は上条当麻に救いの手を差し伸べた。その時に告げた言葉を、真守は口にする。
「私が信じている上条当麻は、記憶がない程度では揺るがない。……それと同じだ。だから私はお前が
上条当麻は泣きそうになりながら、真守を見つめる。
この少女はずっと寄り添ってくれる。
それこそ永遠に。自分が終わるその時まで。
とても頼りになる女の子で、そして本当の意味で救いの女神へと昇りつめた少女だ。
それが、朝槻真守なのだ。
「ありがとう、朝槻」
真守は上条に手を差し伸べる。
上条はその手を取って、柔らかく微笑んだ。
小さい手だ。そして温かくて、柔らかい。
こんな女の子らしい手を持つ少女が神さまであり、完全な人間として『流行』の名を冠するまでに至ったとは簡単に信じられない。
上条は真守の手を握ったまま、柔らかく微笑む。
すると垣根帝督が嫌そうに顔を歪めた。
「オイ、上条当麻。いつまで真守の手を握ってやがる」
垣根は上条の左手首を手刀で叩いて、真守の手から離させる。
「アイタっ!」
上条は思い切り叩かれた左手の痺れを感じながら叫ぶ。
「左手しか残ってないんだから優しくしてくれよぅ!」
「うるせえそれとこれとは話が別だ、俺の真守に気安く触れるんじゃねえ」
垣根はじとーッと白い目で見上げてくる真守の手を優しく撫でながら、上条を睨む。
「朝槻さんから手を差し伸べてくれたのに、それもダメなの!?」
「ダメに決まってんだろうが、これは俺のだ」
垣根は真守の事を後ろからむぎゅっと抱きしめて、その小さな頭に顎を乗せる。
猫耳ヘアの丁度真ん中から顔を出している垣根。
そんな垣根から視線を外して、上条は涙目になりながら真守を見た。
「垣根って心狭くない?」
「そうだぞ。垣根はとても器が小さい。でもな、これでも少しはでっかくなったんだぞ」
「これで!?」
「オイ上条当麻。テメエさっきから随分な物言いじゃねえか」
垣根は真守の事を後ろから抱きしめながら上条を睨む。
ひぃィィィ! と上条が声を上げてオティヌスが呆れる中、真守はちょんちょんと垣根が学生服の上から着ているコートを引っ張った。
「垣根、垣根の器が小さいって上条も分かったし、私たちも動こう」
「一言余計なんだよ一言」
垣根は真守の頭に乗せた自分の顎で、真守の頭をぐりぐりとイジる。
「やぁーヤメテ!!」
真守は悲鳴を上げながらも、自分の事を後ろから抱きしめる垣根を連れて歩く。
「……朝槻って大変なんだなあ」
「本当にな」
その様子を見ていた上条とオティヌスはそう同意する。
真守はインデックスに謝ろうと去っていく上条から離れると、物影へと顔を向けた。
「さて。話をしようか、食蜂」
真守が声をかけた方向には、食蜂操祈が隠れていた。
肩にはいつものリモコンが入れられたバッグが掛けられている。
その中に、
そう。なくなってしまった上条の右手、
それは食蜂操祈が隠し持っているのだ。
「…………あなたたちは何を考えてるのよぉ」
食蜂は物陰から出てきて、バッグを大事そうに抱えたまま真守を見る。
真守と垣根には、食蜂操祈の能力が効かない。
そのため、言葉で問いかけるしかないのだ。
真守はにこっと微笑むと、自分より背が高い食蜂を見上げる。
「お前は上条が心配なんだな。アイツがコロンゾンに粉砕されたところをみて、怖くなってしまったのだろう」
上条当麻はコロンゾンの手によって、死の淵に追いやられた。
これまでも、上条当麻は死に瀕してきた。
だが蘇生魔術を使わなければ間に合わない状況に陥ったのは初めてだった。
その初めてを、食蜂操祈は目撃してしまった。
大切なひとが、本当の意味で死にそうになる。
よく分からない異能である魔術が無ければ上条当麻がもうこの世にいなかったという事実が、食蜂操祈は恐ろしく感じた。
だがいつか、上条当麻は幻想殺しを食蜂操祈が保持していると気づくだろう。
それでも、食蜂操祈は幻想殺しを上条当麻に返したくなった。
もう、死にそうになって欲しくない。自分の大切なひとが、消えてしまうのは嫌だ。
大切なひとの喪失には耐えられない。
食蜂操祈は恐れている。上条当麻のことを想って、彼が傷つくのが嫌だと思っている。
「私はお前と上条に何があったのか知らない。高校に入学する前の上条を、私は知らないからな」
真守は一年前、食蜂操祈と上条当麻の間にあったことを知らない。
だから食蜂操祈が上条当麻の何を信じているか知らない。
二人の過去は二人の大切な思い出だ。
片方が忘れていても、その大切な過去を真守は無理に聞き出そうなんて思わない。
だから、食蜂操祈が上条のことを想ってとる行動に口を出すことはしない。
「お前の行動をお前自身が上条のためになると思うならば、そうしていればいい。でも一つ問わせてくれ」
真守は食蜂操祈をまっすぐと見つめて、エメラルドグリーンの瞳を輝かせる。
「お前は上条当麻の何を信じてるんだ?」
食蜂操祈は、真守の問いかけに応えられない。
「
食蜂操祈は幻想殺しを取り上げれば、上条当麻は死地へと赴かないと考えている。
だがそうではないのだ。上条当麻の主人公性は幻想殺しがあるから成り立っているのではない。
上条当麻は人々を守りたい。そう思うからこそ、上条当麻は行動するのだ。
「もう一度、よく考えろ。そしてどうするべきか、どうしたいか。ちゃんと考えるんだ」
真守はそう告げると、垣根の手を取ってその場を後にした。
食蜂操祈だって、上条当麻の何たるかを分かっている。
上条当麻が右手がなくても、記憶がなくても変わらないのだ。
分かっているけれど、死地に赴くのを止められるならば停めたいのだ。
食蜂は上条の右手が入っているカバンをぎゅっと握る。
そして少しの間、そこに立ち尽くしていた。
立ち尽くして。真守の言葉を考えていた。