次は三月一八日月曜日です。
上条当麻の裡に存在する神浄の討魔という力。
元々神浄の討魔はアレイスターの『
だがその『計画』はとん挫した。そして真守の制御すら受け付けない状態へと陥った。
誰も手が出せない。そんな存在は自我を持って動き出した。
上条当麻の願いによって自我を獲得し、一つの存在として動き出していた。
「……あいつは、俺の過去だ」
「過去?」
真守と垣根は上条が記憶を失っていることは知っている。
だが一方通行は知らないのだ。
「なくした過去っていうのはやっぱり重たいよな、俺の知らない動きをするから」
上条当麻は小さく笑って、途方に暮れる。
「一回会っただけで分かった。アイツは俺の過去なんだ。俺が喪ったものを全部持ってる。……俺はアイツに糾弾されてるんだ。記憶という土台を持っていないお前なんかぐらついた、幻想みたいなものなんだってな」
神浄の討魔は上条当麻の裡に秘められていた。いつでも上条当麻と共にあった。
だからこそ、神浄の討魔は全てを持っている。
上条当麻がなくした記憶。上条当麻が忘れてしまった全てを。
神浄の討魔は完璧に持ち合わせている。
「昔からの知り合いとか、過去の繋がりがあるヤツにとっては、今の俺よりもあいつの方が意味も価値もあるように映る、と思う」
上条は上条はそう笑いながら、自分が失った過去のことを考える。
永遠に戻ることのない、過去を。
「正直に話して、吹っ切れたつもりなんだけどな」
真っ白な状態で目覚めた上条当麻は、目の前にいた少女──インデックスに嘘を吐いた。
彼女の涙が見たくなかったから。だから上条当麻は、記憶があるという嘘を吐いた。
その後会った真守は上条が記憶を失っていると知っていた。
だが真守は上条の意思を尊重して、上条が記憶を失っている事実を隠す手伝いをしていた。
「形だけは許してもらったとは言っても、それが本当の本当に本心なのかなんて誰にもこうだって言えないだろ。……怖いんだよ、俺は。大事な人から失望されるのがさ」
「……で? オマエは結局どォしたいんだよ」
「とっととはっきり言えよ、オマエは一体何がしてェンだ」
一方通行はあからさまにため息をついて、苛立ちを込めて上条を見た。
「自分の失った足跡? そこを突いてくる? だから何だってンだクズが。昔の記憶がねェから何だ? 今ここで会話ができてるオマエに何か不備でもあンのか?」
一方通行は応えない上条当麻を見て、チッと舌打ちをする。
「俺はストーカーじゃねェ。オマエの足取りを一つ一つ年表にして丸暗記してるワケじゃねェ。オマエだって俺の全てを知ってるわけじゃねェ。学校だの役職だの、俺の本名だってオマエは知らねェだろ。真実の価値なンてそンなモンだ」
一方通行の言葉は、記憶がなくても問題ないという一方通行なりの元気づける言葉だった。
だが上条当麻はその言葉を受け入れられない。
押し黙ったまま、上条は考える。そして沈黙が場を支配する中、再び上条が口を開いた。
「……なあ、朝槻。……どうしても。どうしても聞きたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「俺とアイツ、どっちが正しいと思う?」
上条当麻の質問。それに応えたのは垣根帝督だった。
「おい、上条当麻。お前の気持ちも確かに分かるが、その質問は真守にとって最悪の質問だってこと、分かってんだろうな?」
垣根は上条当麻の質問に、苛立ちを見せる。
「真守は前の源白も能力が自我を持っている源白も大事に想ってる。どっちも真守には優劣が付けられねえ大切な存在だ。でも真守はどっちが正しくてどっちが既に要らない存在か分かってる。……それなのに、正しいか正しくないか聞き出すのかよ?」
朝槻真守は全ての物事を公平に見つめることができる。
だから昏睡状態の深城と、能力が自我を持って動き出した深城のどちらが完璧な存在であり、世界に必要とされている存在か分かっている。
だが真守は自分を見つけてくれた源白深城も、今を共にしてくれる源白深城も大事なのだ。
それなのにどちらが正しいかなんて問いかけはひどすぎる。垣根はそう言っているのだ。
「……ごめん、そうだよな」
垣根は落ち込んだ上条を見て、チッと舌打ちする。
「お前が珍しく迷ってる理由は分かってる。──力が自我を持って動き出した完璧な存在。そんな存在の前では失ったものがある自分なんてちっぽけな存在だって感じてるんだろ。俺がお前の立場だったら絶対に認めねえけどな」
垣根帝督は上条当麻の不安がよく理解できる。
何故なら垣根も真守も
だがいま現在、垣根帝督たちはある意味完璧な存在へと至った。
自分の能力に振り回されることはない。
だから問題はないのだが、この場にいる能力者は全員その可能性を孕んでいた。
垣根は苛立ちを見せながらも、上条当麻に同情していた。
「上条」
真守は気落ちしている上条へと声をかける。
「こんなこと、普通なら言いたくない。でも言わなくちゃいけないことだし、私も認めなくちゃいけないことだから。口にする」
垣根は真守の決意を聞いて、顔をしかめる。
そんな垣根と繋いでいる手に力を込めて宥めると、真守は告げる。
「能力が自我を持った存在。それは完璧な存在だ。不完全である人間の枷から解き放たれて、どこまでも可能性を広げることができる存在。……だから、ある意味世界へ改革をもたらす存在は、能力が自我を持った存在なんだと思う」
真守は自分がずっと理解していながらも、大切にしたい女の子が大事で一度も認めなかった事実を口にする。
「能力が自我を持った時点で、その能力を持っていた人間は出涸らしだ。すでに必要のない存在だ。それが事実だ」
真守は少し声が震えながらも、それを前提として大事なことを口にする。
「でも。出涸らしで不完全な存在でも、大切にしていいだろう? 自分が本物だって主張してもいいだろう? 正しいから、正しくない方は切り捨てる。それってやっぱり、間違っていると思う」
真守は源白深城のことを考えて、目を細める。
「私を見つけてくれた深城。道を踏み外しそうになった私を助けてくれた深城。私は深城に二回も助けてもらった。どちらの深城も私にずっと愛をくれていた。だからどっちも大切にしたい。大切にしていいんだ。正しいか正しくないかで切り捨てさせない。──絶対に」
研究所時代を共に過ごしてくれた源白深城。
自分を見つけて、愛を与えてくれて。人間がどういうものか教えてくれた深城。
そんな深城を真守は喪った。
そして真守は自暴自棄になって全てを壊し、自分すらも化け物へと変化させようとしていた。
そんな自分を止めてくれたのは、能力が自我を持った源白深城だった。
あの時、真守は目の前にいる深城と眠り続けている深城が違うのだと分からなかった。
だが二人の深城はいつだって自分に全力で寄り添ってくれていたと真守は知っている。
「上条」
真守は、上条当麻のことをまっすぐと見つめる。
「正しいとか、正しくないとか。そんなこと考えなくて良いんだ。自分はどうしたいのか。どうすれば幸せになれるのか。お前はそれだけを考えればいい」
結局。真守たちの目の前にいる上条当麻がどうしたいかなのだ。
上条当麻は再び押し黙った。
上条当麻と神浄の討魔。
記憶を失っている方と、全てを持っている方。
正しい方はもちろん、全てを持っている方だ。
周りにとって、本当に必要な上条当麻とは神浄の討魔なのだ。
だから自分は消えなければならない。
でも。どうしても諦められない。
自分は正しくない。でも譲りたくない。
上条当麻が悶々と考える中、真守はそっと目を伏せる。
「なあ上条。能力が自我を持った存在と、元の存在のどっちが正しいか正しくないか。それについてお前は聞いたけど、前提としてはっきりさせておくことがある」
「……なんだ?」
上条当麻はゆるゆると頭を上げて、真守を見る。
真守はミルクティーから目を上げて、上条をまっすぐと見つめた。
「さっき。深城といまの上条は同じような状況に陥っていると言ったが……正確には違う」
「違う?」
上条は真守の事を見つめて首を傾げる。真守はそれに頷いた。
「その右腕のことだ」
真守はスカイブルーにレモンイエローの右腕を指差す。
「お前確かに出涸らしに値するんだろう。能力が自我を持った存在こそが完璧で、そしてあっちが正しいということになる。……でもな」
真守はそう前提として、上条当麻の右腕をじっと見据えた。
「
能力が自我を持っている存在である源白深城。
彼女は一二歳の源白深城を真守が生かさなければ、霧散する存在だ。
だから能力が自我を持った存在である源白深城は元の源白深城を切っても切り離せない。
ある意味運命共同体である二人。
「正しいか正しくないか。それで言ったらいまの上条は、どちらも正しくない状態なんだ。どちらも完全に分離できてなくて、半端な状態。だからどちらかがどちらかを優先して、全てを明け渡さなければならない」
つまり。上条当麻と神浄の討魔は争い合う運命にある。
「席は一つだけだ」
真守はそう断言して、上条当麻を見つめる。
「だから戦うか、降伏するか。そうしなければならない。お前も分かってると思うけど、あの上条はお前に席を明け渡す気なんてさらさらないぞ。自分こそが全てを持っているのだから、半端なお前がいていいハズがないと考えている」
神浄の討魔は上条当麻のことを見下している。
半端野郎と。全てを守れなかった不出来な人間だと。
だから神浄の討魔は上条当麻をこの世から消去し、自分こそが上条当麻だとするだろう。
突然降って湧いて出てきた神浄の討魔。
彼は完璧だ。
絶対に泣かせたくない女の子との記憶を持っているのだって神浄の討魔だ。
自分は神浄の討魔の言う通り、出来の悪い幻想で。消え去る必要があるのかもしれない。
一方通行は悩んでいる上条当麻を見て、露骨に顔をしかめる。
「つーかよォ」
「根本的に考えて、オマエはぽっと出のアイツに全部持ってかれて悔しくねェの?」
上条当麻は、一方通行の口から放たれた問いかけに固まった。
それは、終わった世界でミサカ総体から投げかけられた質問だった。
魔神オティヌスは、全てを平等に救った。
あの世界では、全ての人々が幸せそうに生きていた。
そしてあの世界では、上条当麻は必要なかった。
あの世界で、ミサカネットワークの総体は神浄の前に姿を現して告げた。
自分が頑張って、手の届く範囲で全てのひとを救ってきたのに。
突然現れた魔神オティヌスに全て奪われて、自分をなかったことにされて良かったのかと。
上条当麻は追い詰められていた。
幸福な世界を目前にして、自分は存在してはならないと考えた。
あの時、本当に悔しかった。
その想いを、ミサカネットワークの総体は受け入れてくれた。
上条当麻は初めて、自分の本音を言えたのだ。
あの時と、今の状況は同じなのだ。
だがそれでもの時と今は違う。
自分を上条当麻だと信じてくれる人たちがいる。
そして肩には。
あの時敵対していた、『理解者』がいる。
「おい、人間」
『理解者』である上条の肩に乗っていたオティヌスは、呆れたように告げる。
「分からないものに怯えて、今自分が確かにこれと分かるものを否定する行為に何の意味がある。これは貴様の人生だ。貴様が生きたいように生きる以外に、優先すべき事などあるものか」
上条当麻は『理解者』の強い後押しを聞いて、熟考する。
そして顔を上げて、真守を見た。
「朝槻は
「……何をいまさら言ってるんだ」
真守はくすっと笑って、上条当麻を見た。
「私はお前が始まった時からずっと言ってるだろ。記憶のあるなしで上条当麻は揺るがない。私の信じている上条当麻はそうじゃない。……
真守は上条を見つめて、穏やかに笑む。
「私が信じているのは幻想殺しを持っている上条当麻じゃない。お前だから信じてるんだ」
真守は笑うと、それでも申し訳なさそうにした。
「それと同じで、ごめん。私はあの上条を偽物だとは思えない。それだけは譲れない」
「分かってる」
上条は真守を見て、ふっと笑う。
「俺はいま源白と同じ事になってるって理解してるからな。朝槻はどっちの源白もかけがえのない存在だって思ってる。優劣を付けられないって。過去を共有してくれた源白といまを共有してくれる源白。どっちも大事なんだよな」
上条は申し訳なさそうにしながらも笑う真守を見て、一つ頷く。
「良かった。俺は良かったよ、朝槻。お前が俺とアイツ、どっちかに優劣をつけなくて、本当に──良かった」
朝槻真守は、公平な存在だ。そして上条にとっては大切なクラスメイトで、救いの女神でもある。
そんな真守が上条当麻と神浄の討魔に優劣をつける。
そんなことをされたら、上条当麻も神浄の討魔も生きていけないだろう。
それだけに真守という公平な存在の判断は正しくて、何よりも信じられるものだから。
どちらか一方を──偽物だと。真守が断じなくてよかった。
それが何よりの救いだと、上条当麻は思っていた。