次は一〇月一四日木曜日です。
夜。
垣根は真守の病室にあるデスクの椅子に座り、長い脚を組んで本を読んでいた。
その本は真守の病室の本棚にあるオカルト本の一つだ。
真守が言うには能力開発とは全く別の法則で成り立っている『魔術』という技術が学園都市の『外』にあるらしい。
学園都市が『科学』を信仰するならば、魔術世界は『神秘』を信仰する。
そうやって住み分けをしていたはずだが、イギリス清教と学園都市が協力体制を敷いた事でその住み分けが曖昧になりつつあった。
以前、イギリス清教の一部と学園都市の一部が秘密裏に新たな能力者を生み出そうとした時に悲劇に
現状、とても危うい状態でバランスを保っている科学と魔術。
そんな科学と魔術は全く別の技術でありながらも、どうやら目指している場所は同じらしい。
それは思想や文化が違えど、あらゆる神話が同じ末路を辿ってしまうのと同じだと真守は言っていた。
人類が人類であるが故に行き着こうとする先は同じなのだとも。
そのため
垣根が手に取っているのは天使の本だった。
真守はシェリー=クロムウェルが
熾天使とは、天使の階級の一つで九段階の最上とされている。
本来ならば熾天使に『最上級』なんてつけない。
熾天使という地位が階級としての最上位だからだ。
その熾天使には四人の天使が分類されることがある。
だが話を聞くに、熾天使は
その『最上級の熾天使』とは──
神と対等であるとされ、神の右側に座る事を許された唯一の天使。
神と等しい力を持つ証として六対一二枚の翼を持ち、神に最も愛された神の遣い。
だが
真守の翼は
白と黒の歪な翼は、まるで天界から
これだけ当てはまれば、
そしてもし
朝槻真守の結末は
科学の徒が
そもそも
誰もが与太話と笑い、まさかそんな事が真守に限って起こるわけないと考えるだろう。
だが納得せざるを得ない周囲が知らない証拠が多々あるし、魔術には『偶像の理論』という法則がある。
『偶像の理論』とは、かたちや
オリジナルがレプリカへと力を分け与える事ができる理論であり、オリジナルに対してレプリカに類似性があればあるほどその力が強力となる。
聖人も『偶像の理論』に基づいており、神の子と聖人は身体的特徴が似ているからこそ、神の子の力の一端をその身に宿す事ができるのだ。
『偶像の理論』は様々な場所に存在している。その『偶像の理論』を使って、あらゆる神話に類似性を見出してそれを利用する魔術師だっている。
科学技術であろうと、『偶像の理論』を
それに真守は自分が
真守はシェリーから告げられた自分の
このまま自分が何もしないまま
だから学園都市は何らかの手法で自分を制御しようと考えており、自分に
『…………私、このままだと垣根や深城の敵になるらしい』
真守の呆然とした表情を思い出して、垣根はオカルト本を持っていた手に力が入った。
真守がその言葉を吐きながら何を考えていたか、真守とこの夏の間一緒に過ごした垣根には分かっている。
『七年間の特別な
真守は研究所を壊滅させて脱走した身なので、自分が本来あるべき場所へ戻ると真守が言えば、学園都市は
それだけ真守には利用価値があるからだ。
だがあの
だがいつか
学園都市に反抗している場合ではなく、彼らの支配下へと戻るべきかもしれない。
だが学園都市はいつだって学生を食い物にしている。
真守が学園都市の支配下に戻れば、真守は学園都市の非道を許すことになる。
垣根はそこで真守の悩みを一旦
『
その『
その『補助』という役目はもしかしたら『
そんな考えが
真守がアレイスターに『
真守が示してくれた『無限の創造性』を彼女のために使おうと決めた時から、真守の笑顔を絶やさないように、守るためにずっと動いてきたのだからそれは当然だった。
だから『
だが『
『
「垣根さん」
自分の背中に冷や汗が流れ落ちているのを垣根が感じていると、病室に深城が入ってきており、パーテーションの中にいる垣根を覗き込むようにして声を掛けてきた。
「真守は?」
真守が深城のそばにいないので訊ねると、深城は簡潔に説明する。
「
「脳に損傷を受けて周りが上手く認識できねえんじゃないのか?」
手術後に目覚めたとしても話ができるはずがない。
垣根がそう思って深城に訊ねると、深城は目を柔らかく細めて少し寂しそうに答えた。
「真守ちゃん、言葉を使わなくても
「……それは
「んー、真守ちゃんは色んなやり方できるから、正確には分からないなあ。ただ、疑似的なパスを繋げることは確実にすると思う」
垣根は新たなエネルギーを生成してこの世界の定義を造り変える事ができる真守の能力、
「……まあ、あいつの能力の応用性は高いからな」
垣根がそう呟いていると深城は垣根へとまるで大事な話をするかのように向き直った。
「垣根さん。真守ちゃんがいない今、あなたに言いたいことがあるの」
「……なんだ?」
深城がかしこまって告げるので、垣根は片眉を跳ね上げさせて深城の言葉の続きを待った。
「あたしね、統括理事長さんと話をする機会があったの」
「──は?」
垣根は深城の告白に時が停まった気がした。
だが深城ならばできない事はない。学園都市のAIM拡散力場を体と認識している深城なら、アレイスターが『窓のないビル』に
垣根が瞬時に把握したのを感じ取った深城は、口を開いた。
「真守ちゃんは放っておけば悪い神様になるって言われたの。そんな真守ちゃんを学園都市も世界も滅ぼす悪い神様にしない、制御方法があるって言われたの」
垣根はその『制御方法』を聞いて嫌な予感がした。
この世で最も危険で最も利用価値のある真守を、アレイスターならどんな手段を用いても制御しようと画策するだろう。
「その制御方法は?」
垣根が深城越しにアレイスターを睨みつけて殺意を
「人との繋がり」
「……繋がり?」
その言葉にピンと来ない垣根は、深城にそう問いかけ、深城はそれにコクッと頷いた。
「人と繋がる事で、真守ちゃんは
だが神は人ではない精神を持っていようと自分を
「……確かに筋が通ってるな。だったら真守は俺やお前がいれば問題ないって事か?」
垣根の問いかけに深城はふるふると首を横に振った。
「それだけじゃダメなんだよ。あたしや垣根さんや、周りにいる人間だけじゃダメなんだ。真守ちゃんは、一人の人間が繋ぎとめられるほどちっぽけな存在じゃないんだよ。もうそういう次元を超えているの。たくさんの人が真守ちゃんを繋ぎとめなくちゃいけないの」
(繋ぎとめる人間は多い方がいい。それは真守の事を多くの人間が知って神として認めなければならない。多くの人間が知る……って事はまさか、)
垣根はそこで心当たりがあって目を見開き、即座に深城に訊ねる。
「上層部があれだけ大々的に真守の事を公表して
「そう。今日、色んな人が真守ちゃんを知ったよね」
深城はスッと窓の外に浮かんでいる飛行船を指さした。
飛行船の大型モニターには統括理事会からのお知らせがまだ映し出されており、真守の写真も一緒に映っていた。
「真守ちゃんの存在を学生全員が認識して、
上層部は真守を繋ぎとめるために
それでも
だからこそ
学園都市は真守に与えた
「お願い、垣根さん。あたしと一緒に真守ちゃんのそばにいてほしいの」
深城は垣根に近づき、祈るように両手を組んで垣根に心の底からのお願いをした。
「神さまになったら人から崇められて真守ちゃんの幸せを誰も考えないの。自分の幸せを求めて神さまに願うんだから当然だよね。だから真守ちゃんの幸せを願う人がそばにいるべきなの」
深城は自分が真守の幸せを一心に願っている事を垣根に伝えて、それから寂しそうに、でも心の底から幸せそうに微笑んだ。
「あたしには真守ちゃんがあなたと何を話しているか、分からなかったよ。でも真守ちゃんはあなたと話していると、とっても幸せそうで楽しそうで。あたしもとっても嬉しかった。真守ちゃんが幸せなら、あたしはそれでいいの。だからお願い。真守ちゃんのそばにいてあげて」
必死に真守の幸せを願う深城を、垣根は眩しいものを見るかのように目を細めて見つめる。
「俺の覚悟は決まってる」
垣根はそこでギュッと太もものスラックスの生地を掴んで、はっきりと宣言した。
「お前に頼まれなくたって、俺はアイツのそばにいる。アイツのそばにいるためならなんだってする。利用できるものは全部利用する。アイツを傷つけるヤツはお前だって許さない」
真守が絶対に守ろうとしている深城が真守の幸せを奪うのならば、自分は深城にも容赦しない。
その覚悟を伝えるべく、垣根は深城に挑発的な事を言った。
「それでいいよ」
深城は垣根のその言葉に怒ることなく微笑んだ。
「でもあたしも真守ちゃんの幸せを一番に願っているって、忘れないでね」
垣根のその決意に、深城は自分も同じ気持ちで、垣根がもし真守の幸せを損なうのならば容赦しないと宣言した。
「……お互い、面倒な人間に惚れたな」
垣根が真守の事を想ってフッと笑うと、深城はにっこりとおどけて告げた。
「そうかな? ちょっと一目惚れしちゃった女の子が、少しだけすごい子だっただけだよ」
「ハッ。……違いねえな」
深城は垣根の同意を得られてくすくすと微笑む。
「垣根さんに伝えたいこと伝えられたし、あたしは林檎ちゃんのところに行くね。垣根さんはどうする?」
「ここの本を読んでおきたい」
垣根は棚に並べられているオカルト本に目を向ける。どうやらここにあるだけではなく、部屋の中のちょっとしたクローゼットに入っている段ボールの中にもたくさんあるらしい。
普通の人間は読むのに一苦労しそうだが、学園都市最高峰の頭脳と称される
「分かった。……林檎ちゃん、垣根さんに懐いているからちゃーんと相手してあげてね」
「……あれで懐いてんのか?」
垣根はぼーっとしてイマイチ反応が悪い林檎を思い出しながら首を傾げる。
「そうだよぉ。なんだか垣根さんは前から特別で、真守ちゃんは助けてくれたから特別で、あたしには別の意味で懐いているけどね」
「前から? ……なんでお前には分かんだよ?」
「そのうち垣根さんにも分かるよぉになるんじゃないかな?」
垣根が怪訝そうな顔をして問いかけてくるが、深城はくすくすと笑ってそんな垣根を置いて林檎の下へと向かう。
〈取り引きをしようか、源白深城〉
廊下を歩きながら深城は垣根に話さなかったAIM拡散力場に直接プログラムを書き込んで対話を勝手に始めた統括理事長との話の内容を思い出す。
〈朝槻真守は「神」に
いつか朝槻真守は源白深城を必要としなくなる。
それでも深城はそばにいられればそれでよかった。
だが『人間』は『神』が必要とする『天使』の役目を深城に与えると言ってきた。
『そこまでしてこの世界を引き裂きたいの?』
深城は自分がAIM拡散力場を体と認識しているので、自身の体であるAIM拡散力場にこの世界を引き裂く力があると知っている。
だからこそ、アレイスターは自分に『天使』の役目を与え、その代わりにAIM拡散力場によって世界を引き裂こうと考えていると推察する事ができたのだ。
〈キミはそれを拒まないはずだ。世界なんてどうでもいい。朝槻真守の隣に自分がいられればなんだっていいと考えているキミならば、ね〉
深城が訊ねると、アレイスターはそう返してきた。
『……確かに、あたしは真守ちゃんのそばにいられればどうでもいい。世界が滅びようがあなたが何をしようとどうでもいい。……あたしはね』
〈朝槻真守は許さないと?〉
深城が強調すると、即座にアレイスターは訊ねてきたので、深城はその時はまだなかった胸を張って答えた。
『そういう子だもの』
〈アレは随分と非情な存在だぞ?〉
『真守ちゃんをそんな風にしたのはあなたたちでしょ』
〈……で、取引はどうする?〉
深城が語気を強めて責めると、アレイスターはそれを軽くいなして訊ねてきた。
『……取引なんて、するつもりないくせに』
深城は怒りでAIM拡散力場を軋ませながら呟く。
『どうせあなたはあたしのことも真守ちゃんのこともいいように扱うんだから。飴を与えておけばどうとでもなるって思ってるんでしょ?』
〈それを知ってもキミには何もできまい?〉
深城がびりびりと『陽炎の街』を震わせながらアレイスターを責めると、アレイスターは脅しなんて物ともせずにそう問いかけてきた。
『そうだね。あたしには別に何もできない。でもね、真守ちゃんはなんだってできる。それをあなたも知っている。だからあなたは真守ちゃんの事を欲している。でも真守ちゃんはあなたが簡単に制御できる子じゃないんだから』
〈気に留めておくよ〉
その言葉を残してアレイスターは何も言わなくなった。
その直後、深城の体であるAIM拡散力場に核が生まれて、源白深城はAIM思考体としての体を得た。
(あたしにできることはないよ。だってあたしはずっと真守ちゃんに守ってもらっているから)
朝槻真守が最終的に人ではなくなってしまう事を深城は知っている。
結末は変えられない。それはその通りだ。
(でも真守ちゃんのそばにいるって決めた。何があっても、真守ちゃんのそばから離れないって決めた。……それは垣根さんも同じだ。あたしたちは何があっても真守ちゃんを一人にしない)
深城はそこで真守に初めて会った時の事を思い出した。
(初めて見た時、神さまみたいな子だって思った)
(でも、だからこそそばにいなくちゃいけないって思ったの)
自分の事を無感動に見つめる透き通ったエメラルドグリーンの瞳を。
(あの子の幸せを、考えられる人間になりたいって思ったの──)
それらを思い出しながら、源白深城は朝槻真守を想って寂しそうに目を細めた。
神の幸せを誰も願わない。
神に幸せを願うのだから当然だ。
だからこそ。
朝槻真守が神さまではない時から神さまと感じていた源白深城は、どうしても朝槻真守の個人の幸せを願わずにはいられなかった。
あの子に幸せになってもらうために、自分は無償の愛を捧げる。
自分と同じように真守の事を想っている垣根帝督と共に、源白深城はいつまでも朝槻真守のそばにいる。
(ずっと一緒だからね、真守ちゃん)
深城は心の中で絶対に破らないと誓った約束を呟くと、林檎の病室へと笑顔を浮かべて入っていった。
真守ちゃんの『役割』が明らかとなりました。
そして垣根くんも『計画』について察し始めます。でも真守ちゃんを真守ちゃんとしていさせるためには許容するしかない。ジレンマ。
そして深城、愛が純粋過ぎてある意味ヤバい。