BARイエローフラッグを発った張維新一行とフライ商会のリーダーである男が向かったのは、三合会の所有するとあるビルだ。
イエローフラッグの前に用意されていた数台の黒塗りの外国車に乗り込んだ彼らは、深夜3時を過ぎたばかりのロアナプラの街を移動する。
張とは別の車に乗せられた男は、隣の席に座る三合会の一人に何故自分を連れて来たのかを尋ねた。
「…泣く子も黙る三合会が何の用だ? 俺達は恨まれるような事をした覚えは無いし、お宅と利益を奪い合っているという訳でもない」
ギロリ、という擬音が聴こえそうな視線を彼に向け、自分を連れ出した目的を教えろと言う。
そこには先程までイエローフラッグで店主と酒を飲んでいた陽気な東洋人の姿は無く、既に酔いが完全に醒めた、殺気を放ちながら三合会を敵かどうかで見定める裏の世界の住人の姿があった。
目をじっと見つめられながら話しかけられた男は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥り、冷や汗が止まらない。
「…それについてはボスから聞いてくれ。 俺は本当に知らないんだ」
「…確かに嘘はついていないな」
「あぁ、だから殺気を放つのは止めてくれ」
言われた通り殺気を押さえた男は車窓からふとロアナプラの夜の姿を見る。
この街は多くの酒場にカジノ、悪党の所有するビルが存在し夜でさえ明るく、更に毎日のように銃声が響き静寂に包まれる日など無い。
そんな日本や欧米の整然とした都市とは違い、現代的な建物と人間の本性を剥き出しにした住人達の共存するこの都市の姿は20世紀の終盤に差し掛かった現代では正に異常であり、他の都市ではまずあり得無い状況だ。
繁華街のネオンはきらびやかに輝き、それに対抗するかの如く、ここからそれなりに離れた場所にあったビルの1つが勢い良く爆発する。
日夜マフィア同士の抗争が繰り広げられているここロアナプラでは珍しいことでは無いものの、突然の爆発を見た三合会の彼らは車の中で慌ただしく、彼らの部下に現場を確認するよう連絡を入れる。
そんな様子を横目で見ながら男は目的地に着くまで目を閉じることにした。
────悪党達の足音が空に響きながら、ロアナプラの都の夜は更けていく
三合会の所有するビルに到着した張一行はその中に入っていく。
男はビルに入る前に武器を渡してくれと言われた為、辺りに自分に対する殺意を持っている者がいないことを確認して両腕のアサシンブレードと懐に忍ばせておいた護身用の拳銃、折り畳み式ナイフ、そして煙幕を渡す。
特にアサシンブレードは丁重に扱えと係の者に伝え、遂に周囲を三合会の人間で固められながらビルに足を踏み入れた。
案内されたのは、来客用の応接間であった。
部屋の中央には木製の高級そうなテーブルを挟んで2つの黒いソファーが設置されている。
その片方には既に張維新が座っており、彼の背後には部下であるスーツの男達が佇んでいた。
部屋の中央に歩いていき、空いている方のソファーに座る男。
張は部下に葉巻を取らせ、それに火を付ける。
「どうだ、お前さんも一本」
「…ではお言葉に甘えて」
互いを探り合うような視線を交わしながら部屋に煙をふかす2人。
部屋は静寂が支配し、2人とも顔には出していないものの部屋は息が詰まるほどに空気が張り付いている。
先に声を出したのは、張だった。
「今日呼び足したのは他でもない、三合会からあんたへの依頼だ」
「それは最近この街に入ってきたチャイニーズマフィアの連中か?」
「…察しが良くて助かる」
張の後ろに立っている1人の部下が数枚の紙を男に手渡す。
それは契約書であり、そこにはかなりの金額が記されており、またこの件を秘密にするという条件が書かれている。
「報酬と縛りはそこにある通りだ、ミスター・フライ」
「しかし何故わざわざ俺に依頼を持ってきた? 三合会の力を以てすれば別に問題は無いだろう」
これは当然の疑問だ。
三合会の勢力はフライ商会より比べ物にならない程大きい。
この男を三合会のビルに招き入れた理由を、張の部下でさえ聞かされている者は少ない。
この部屋にいる、訳を聞かされていない者達は自分達の上司が何と答えるのか耳をすませていた。
その疑問に対して、張は葉巻をふかしながら答える。
「今回のターゲットは三合会支部を追って本国から飛んできた組織だ。 これがロアナプラ全体を敵に回すなら問題は無かったが、奴らの目的は明確に俺達のみ。 それを他の勢力が勘づき始めている。 既にこちらも五人殺られた」
「この街はマフィアの抗争の最中、対抗組織に隙を見せている暇は無いということか」
「その通り。 現在出来る限りの部下を動員して奴らの行方を探させているが、なかなか尻尾をつかませない。 時間がかかればかかる程、我々は首を絞められるという訳だ」
「それで、どこの組織の息もかかっていない、自由に動ける人間の方が都合が良いと」
「あぁ」
一見スムーズに話し合いが進んでいる様に見えるが、その時男がとある事を口にした為その場の空気は更に張り詰める。
「…もし、俺がこの依頼を断った場合あんたらはどうする?」
それに対して張はくつくつと笑いながら答えた。
「まぁ、その時はその時だ」
そしてその時。
言葉を言い終えたのとほぼ同時に張は懐から拳銃を取り出し男に発砲した。
当然これには三合会の者も驚愕する。
だが彼らを更に驚かせたのは招かれた男だった。
何故なら直前で殺気に気づいた彼は咄嗟にその場から飛び退き回避したからだ。
それを確認した張は心底愉快そうに嗤い口を開く。
「…街中で一目見て分かった、お前はクリーンな会社を経営しているものの、その中身はこちら側の人間だ。 過去に何があったかは詮索しないが、相当デキるだろう?」
「…五割だ。 我々の会社では専門外の分野なのでその辺を考慮して頂こうか。 報酬を五割増しで手を打とう」
「全く、良く回る舌だ。 だがまぁ良いそれで交渉成立だ。 こんな時間に呼び出してすまなかったが、出来るだけ早く仕事を送らせてくれるとありがたい」
「善処しよう。 それと、今回はマフィアが標的だったのと、とてもあんたらに楯突く気が起きないから請け負ったが次は無い。 金で雇われての殺人は好きじゃあないんだ」
会合は終わり、男は建物から退出して帰っていった。
張は三合会の車を用意しようかと提案したが、男は徒歩で帰るからと言って断った。
窓から空が明るくなり始めたロアナプラを見下ろす張に、彪如苑は尋ねる。
「奴は何者なんです?」
「世の中にはマフィアよりも深い場所の住人てのがいるんだよ。 奴は闇に紛れた獣だ。 いずれ何処かで接触はしておきたかった。 それにしても、我々があの男の天敵ではなくて良かったよ。 かの組織の一員というだけで殺意を持たれるんじゃあ敵わない」
「天敵? かの組織? 一体何のことです?」
「この世界で生きていればいずれ分かるさ」
そう笑みを浮かべながら答えた張のサングラスで隠れた眼も、やはり闇の世界の住人のものであった。
「恐らく仕事はすぐに果たされる。 この件の後処理の準備をやらせておけ」
彪が退出した後1人窓際に立つ張。
彼は懐から葉巻を出してそれに火を付ける。
そして口から煙を吐き出しながら、時間は過ぎていく。
香港に本拠地を置くチャイニーズマフィア【龍頭会】は、三合会と長年対立していた組織である。
そして、テンプル騎士団───現在はアブスターゴと称する企業の息のかかったマフィアというのが本当の姿だ。
その構成員達は本部からの命令によりタイ南部の港湾都市にして世界最悪の悪党達の街ロアナプラの地を踏んでいた。
龍頭会の本部は憎き三合会の力をどう削るか思案していたところ、この街で近年激化している覇権争いに目をつけた。
このロアナプラを本拠地の次に注目している組織が世界中に数多くいることから分かる通り、三合会にとってもこのタイ支部は重要な場所である。
当然龍頭会もこの街に勢力を持とうと考え部下を派遣したこともあったが既に敗退していた。
三合会が力をつけているのにも関わらず自分達はそれが出来なかったことも、彼らのプライドを傷付けた。
そして、龍頭会は三合会タイ支部を崩壊させるため刺客を送り込んだ。
それは全員が元軍人や裏社会で名が売れている殺し屋であり、彼らは人目に付くところで三合会の構成員を殺害している。
更に彼らは個人、または多くても2人という少人数で特定の拠点を持たずに活動しており、一人一人の能力も高い為に三合会の追手は見つけることが困難であった。
『ロアナプラの各勢力は三合会がゴタゴタしてきていることに気付き、あわよくば組織の壊滅を狙っている』という現地からの本部への連絡は、大幹部をはじめとした本拠地の人間を喜ばせている。
悪徳の都に潜伏する龍頭会の刺客達は、ミッションの成功を疑ってなどいない。
この街に来てから今までの全てが狙い通りなのだから。
その日は、新月の日だった。
ロアナプラでも特に治安の悪い地域の、更に奥深くの路地裏。
そこを、2人の人間が歩いていた。
1人は、かつて中国軍人として活動していたが突如として上官と同僚を十数人殺害、逃亡した後龍頭会に参加した者。
もう1人は農村の住人に対する誘拐殺人を繰り返した快楽殺人犯。
表の社会では生きていけなくなったものの、その腕を買われてマフィアに雇われた彼らはある種の余裕を感じていた。
他勢力の1つが好機と考え三合会に攻撃すれば、対立が激化しているこのロアナプラでの戦争はもう誰にも止められない。
そんな状況なのに三合会の連中はまだ自分達を捕捉できていないのだ。
彼らにとってこんなに愉快なことはない。
だからだろうか。
彼らは段々と自分達に近付いて来る存在に気付くことが出来なかった。
────上から殺意もなく降ってきたのは、フードで顔を隠した男
元軍人は何が起こったのかを理解する前に首を刃物で掻き切られ、更に頸椎を捻られて絶命。
即死だった。
快楽殺人犯の男は銃を構えるも、フードの向こう側から覗く男の眼を見て戦慄する。
この世の悪を混ぜ合わせたような昏い眼。
彼もこれまで多くの人々を手にかけてきたが、そんな彼が動けなくなる程の殺意。
怖じ気づき引き金に伸ばされた指の力が抜けた時点で勝敗は決した。
接近され、首に手首から出した刃物を突き刺される。
動かなくなった2人の死体を見下ろした男は開いたままの瞼を閉ざさせ一言呟く。
「安らかに眠れ」
その日、ロアナプラに潜伏した龍頭会の手の者は一人残らず殺害された。
本部は突如として現地組と連絡の通じなくなった為何があったのかを知ることは出来ず、三合会はこの一連の騒動を迅速に対応、ほとぼりを冷まさせた。
張から依頼を受けた男は、三合会と別れた直後から行動を開始した。
渡された情報を頼りに標的を炙り出し、それを特定する為に一週間ほどかかったが何とか達成。
そして依頼を受ける前、つまり香港のマフィアが入ってきたことに気付いた際に調べた頃から予想はしていたが、やはり彼らはテンプル騎士団の息のかかった組織であった。
ならば、手加減をする必要はない。
調べれば調べるほど彼らは優秀な刺客を放ったと感心すら覚えたが、その日の夜に襲撃を決行。
結果下手人達は全滅した。
依頼を達成した後の三合会の働きは素晴らしかった。
徹底的に火消しを行ったためさほど時間はかからずこの街の人間の興味は薄くなり、現在もロアナプラにおける最有力者の位置を保ったままである。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで、この一週間あんたは何をコソコソしてたのさ」
三合会との一件の後、フライ商会の事務所で朝食を摂ろうとしたその時、レヴィに何があったのかを聞かれた。
勿論、他人に言ってはならない契約で仕事を受けたので教える事はない。
「秘密の任務だ。 俺には守秘義務がある」
「ケッ、どうせあたし達のいない所でクソ共とドンパチやったんだろ?」
あたしも呼べよ、と愚痴るレヴィを見ながら考える。
もう彼女を拾って一年近く経つが、随分と好戦的に育ったものだ。
最近訓練をつけるようになってからは彼女の持つ身体能力や射撃のセンスに気付いたりと、何かと驚かされることが多い。
「あんた達も言うことあるんじゃないの?」
そう言いながら彼女が振り返った先には、最初に部下になった元ソ連軍の兵士の2人組。
その片割れ、ゲーニチェカが口を開く。
「最近この街は更にキナ臭くなってきている。 ボスのやる事はいちいち詮索しないしそこらの連中に負けるとも思えないが、充分注意してくれ。 俺からはそれのみだ」
そしてレヴィは分かったか、といった具合の表情でこちらを見ている。
とりあえずを心配してくれていたという事が伝わった。
「…忠告ありがとう」
「おう、分かりゃあ良いんだよ」
そんなこんなで俺は一足先に朝食を終える。
その後仕事用のスーツに着替え、護身用の拳銃を懐に忍ばせた。
この間の仕事でかなりの金額を手に入れたし、これで暫くは働かなくても生きていけるので、危険なロアナプラを離れて何処かの国で過ごそうかと割と本気で考えているのだが、まだ計画は進んでいない。
その時、電話のベルが鳴る。
近くにいたミーリクが受話器を取ると、何やら気の毒そうな顔をしてこちらを見ている。
「どうした?」
「バオです、ボス。 何でもイエローフラッグが全焼したとか…」
「…とりあえず代われ」
電話を代わり、バオと話す。
今朝カルテルの抗争に巻き込まれてイエローフラッグが壊滅的な被害を受けたこと、修理費に回す金がほぼ無いこと等を淡々と語るバオの話を聴いていたら、なんだか心が痛くなってきた。
「あー、最近依頼を成功して纏まった金額が手に入ったから幾らかはお前に回せるぞ」
バオにそう伝えるが、そうしたら一体幾らか手元に残るのだろうか。
俺を雇ってくれた恩もあるし別に嫌では無いのだが、やはり大きな金額が手元から離れていくのは勿体無く感じてしまう。
というか今まで自腹で修理代を賄っていたのは素直に凄いと思う。
「イエローフラッグって呪われてんのか?」
電話を切った後、片手にパンを持ったレヴィがそう聞いてくる。
これだけ店が壊れてもまだ彼が生きていることを考えれば彼は逆に運が強いのかもしれない。
そんな、バオが聞いたら怒りそうなことを考えながら平和な時間は過ぎていった。
読んで下さりありがとうございます。
誤字脱字等あれば教えてくださると幸いです。