ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
ポルクスの姿を借りた女神は、心の底から嬉しそうだった。
ぱち、ぱち、と小さく手を打つ音が、張りつめた戦場の空気に妙に軽く響く。
たった今、ルファスが吹き飛ばされ、ベネトナシュまでもが意識を落としたばかりだというのに
その顔にあるのは安堵でも緊張でもなく、出来のいい劇を見終えた観客のような満足だけだった。
「素晴らしいです!」
高く澄んだ声は、無邪気ですらあった。
ポルクス/アロヴィナスはぱちぱち拍手しながら異物の活躍に喝采を上げていた。
一時は全ての英霊を完封され、竜王も潰され、打つ手なしと思われるほどに追い込まれていたのも事実。
自分の用意した盤面がことごとく踏みにじられていく、あれほど気分の悪い時間もなかった。
けれど、それももう終わった。少なくとも今この瞬間、女神はそう信じている。
そこで一か八かで呼んだあの魔神族にはがっかりさせられたが、その次に出現したこれは彼女の要望を満たしていた。
だからアロヴィナスは、何の疑いもなく歩み寄っていく。
外見がどれほど不気味でも構わない。
よく分からない景色の継ぎ接ぎが人型を真似ていようと、のっぺらぼうの顔に感情がなかろうと、そんなことは本質ではないのだ。
あの魔神族の挙動には驚いたがそんなことはもうどうでもいい。
大切なのは役に立つかどうか。
自分の舞台を荒らし続けてきた覇王を黙らせ、自分の都合に従って片づけてくれるなら、それはもう十分に有用だった。
想像以上に役にたたなかったポルクスの英霊や竜王たちに比べて何て優秀なのだろうか。
あのルファス・マファールを淡々と相手取り、あそこまで圧倒してくれるなど感謝を幾ら並べても足りないくらいだ。
何よりも、ルファスのあの無様さがよかった。
つい先ほどまで余裕たっぷりに構え、何もかもを見下ろすような顔で「次は?」などと口にしていた覇王の醜態は見ものだ。
理解できないものの前で明らかに取り乱し、最後には何も出来ずに消えていった。
あの光景を見れただけで、アロヴィナスの胸につかえていたものが少し下りた気がした。
ニコニコと、ニコニコと。
女神は座の本体と寸分違わぬ顔で笑う。
今の彼女にとって、ここはもう戦場ではない。
脚本の狂いを修正し、次の幕を整える作業場に過ぎなかった。
役者を用意し次の悲劇をばら撒こう。
もっともっと殺して奪って苦しめて絶望に浸そう。
その先に未来はあるのだから。
だからこそ、彼女はこともなげに言えたのである。
「では次はあちらをお願いします。
ルファス・マファールが戻ってくる前にやっちゃってください」
軽い口調だった。
片づけておいてください、とでも言うような気安さがあった。
「彼女さえいなければ余裕だと思いますので」
ポルクス/女神はルファスが死んだとは思ってはいない。
何処かに吹っ飛んで行ったようだが、どうせまた戻ってくるのだろう。
だからその前に十二星天を潰しておこうと女神は考えていた。
そこには戦術的な計算と同時に嗜虐が混ざっていた。
見せしめにしてやると彼女は思っている。
ルファス・マファールという存在は、ずっと彼女の喉元に刺さった骨だった。
レベル限界を幾つも踏み越え、何度こちらが舞台を整えても勝手な理屈で出てきて、世界を掻き回し、思い通りにならない。
かつて竜王を消し、異物まで片づけ、ようやく一息つけると思ったらまた出てくる。
不愉快なバグだ。
舞台の上にいてはいけない、処理されるべき不具合でしかない。
……?
その単語を思った瞬間、胸の奥に微かな引っかかりが生まれた。
だが、アロヴィナスは気にしなかった。
自分が違和感を覚えた時は、大抵の場合は些細な偶然か、まだ形になっていない問題でしかない。
仮に問題が起きてもそんなものどうとだってなる。だってみんな私より弱いんだから。
今はそれより優先すべきことがある。
罰を与えることだ。
思い上がった者に絶望を。
この世界は自分の世界だ。
自分が作り、自分が演出し、自分が愛する世界。
そこから勝手に出ていこうとする者、壊そうとする者、こちらの美しい配置を乱す者を、どうして許せようか。
まずは仲間を奪う。
十二星天。ルファスはあれらに執着している。
ならば奪えばいい。仲間を失えばきっと彼女は絶望する。
それは素晴らしいことだ。絶望のあとに、もっと都合のいい希望を差し出せるから。
もっとも、アロヴィナスはルファスに暫くは希望を与えるつもりはなかった。
一億年くらいは何もかも奪い取り、再利用すると決めている。
彼女という存在そのものを奪う。
どうやら自分の分身は、その点なかなか上手くやっているようだ。
多少、自我が強すぎるきらいはあるがおおむね順調だ。
時折、今の様に元の性格が出てくるのも鬱陶しい。
だがそれも時間の問題だろう。
覇王が鍛え上げた肉体。
能力。資産。配下。その全てを取り上げてやる。
覇王ルファス・マファールは、次の舞台における悪役として都合がいい。
分かりやすく強く、分かりやすく恐ろしく、分かりやすく人々が恐怖できるのだからこれほど便利な人形もない。
新しい脚本は簡単だった。
復活した悪しき覇王が再び世界征服を企み、自分に従わぬ者たちを虐殺する。
そこへ新しい勇者が立ち上がり、最後は相打ちになってでも世界を救う。
救われた民は涙を流し、その自己犠牲を称え、また美しい歴史が一つ積み重なる。
アロヴィナスは胸を躍らせながら今回はどれくらいの規模で世界の悲劇を演出しようか考えていた。
(そうですね。今回はどれくらいお掃除しましょうか)
(うーん、まだちょっと多いですね。あと半分は消しましょう)
ミズガルズの生命を半分滅ぼす。
あのエロスが何やら作っている海底も含めてきっちり半数殺してヴァルハラに送り、文明はもう少し後退させよう。
そうなれば人々はきっと祈るだろう。
勇者様助けてくださいと、そこに私が演出した勇者が現れ、新しい英雄譚が形作られる。
あぁ、なんて素晴らしいのだろう。
アロヴィナスは本気でそう思った。
今から結末を思うだけで胸がじんわりと温まり、少し涙ぐみそうにすらなる。
私はやはり最高の脚本家ですねと彼女は人知れず自画自賛した。
何度も繰り返した通り、世界は物語で救われる。
人々は美しい話を必要としている。
ならば、自分が整えてやるのは慈悲であり善意でしかない。
だって私は世界を愛する愛と美の女神なのだから。
そのためにはルファスを仕上げないといけない。
まずルファスという人格を消し、向こうの世界から適任の人格を一つコピーして上書きし、その上からさらに自分の意思で操る。
覇王は一億年でも二億年でも使い潰せるだろう。
ついでに良さそうな血筋を見繕って子孫でも作らせれば、失われし覇王の遺児という役柄まで用意できる。
最低一億年世界のヴィランとして全てから恨まれる。
ソレが終わった後はようやくヴァルハラに送って転生させて救済を与える。
それがアロヴィナスのルファスに対する愛であり罰である。
これは悪くない。むしろ、かなりいい。
はっきり言って、彼女はもうオルムには飽きていた。
過去に兵器群へ敗れ、最近は妙な動きばかり見せる。
こちらの意図を無視する乗り物など気持ち悪いだけだ。
もっと扱いやすく、もっと劇的に使える器が欲しい。
ルファスはその条件を今や完璧に満たしつつある。
アロヴィナスはいま宿っているポルクスの身体を見下ろした。
これを作るのにもずいぶん苦労したものだ。
その甲斐もあって綺麗で、使いやすくて、満足のいく出来だった。
だが、もう潮時かもしれない。
思えばこれも十二星天とやらに加わり、今でも魂をロックして記録が見れない。
裏切りは明白であるのならば、このままにしておくわけにもいかない。
潜在的な裏切者と言えるポルクスをアロヴィナスは見限っていた。
必要な仕事……今回のこれが終わったらこれも捨てようとアロヴィナスは考えた。
木龍にあたらしい外見だけは同じポルクスを創らせてそれを二代目として使おうか。
二代目には余計なモノ、カストールは作るな、もしも出来たら壊しておけと木龍には命じておこう。
悲しいが断捨離は必要なのだ。
そう思いながら、彼女は視線を上げる。
異物は、黙って彼女を見ていた。
景色の継ぎ接ぎで作られた輪郭。
人の形をしていながら、何一つ人の理解に収まらないもの。
顔もないそれは、何を思うでもなく、ただそこに立っていた。
アロヴィナスはなおも笑顔のままだった。
自分の命令が受け入れられると、疑いもしていない顔だった。
異物は、ゆっくりと十二星天の方へ向き直った。
次に与えた命令である十二星天を排除せよという命令を実行するらしい。
アロヴィナスはワクワクした顔でソレを見ていた。
「最後の一人か二人は残しておいてください。
ルファス・マファールの前で止めを刺したいので」
アロヴィナスの命令が発せられると同時に場の空気が変わる。
あまりにも静かで、あまりにも乾いた変化だった。
見えない刃が喉元に当てられたような緊張だけが、全員の皮膚の上を這っていく。
最初に動こうとしたのはスコルピウスだった。
「ルファス様ぁぁぁァァァアアア!! よくもおおオオオオオオオオ!!!」
彼女は怒り狂っていた。
ベネトナシュが倒れ、愛するルファスが吹き飛ばされ、仲間の身体を奪った女神が楽しげにもう勝ったと言わんばかりに次の処分を口にしている。
ここで何もしないという選択肢はこの狂った蠍には最初から存在しない。
毒を宿した尾がわずかに持ち上がり、筋肉が収縮し、次の瞬間には飛び出せるよう全身が張り詰める。
「脅威度極大。排除します」
しかしその一歩より早く動いた影があった。
リーブラである。
「武装展開。左の天秤」
地を蹴る音さえ曖昧になるほどの速度でリーブラは間合いを詰めた。
最高性能のゴーレムの脚力は凄まじい勢いで加速し、視界の中では結果だけが現れる。
細身の身体が一直線に滑り込み、腕部から展開されたブレードが白い軌跡を引いた。
だが。
異物の前でそれは、あまりにも哀れな行為だった。
彼女は知る由もないが、この存在はゴーレムでは絶対に勝てないのだ。
どうしようもない。不可能だ、絶対に。
ブレードが届くその直前。
異物の片手がほんのわずかに動く。
そっと触れた。
そう認識できたかどうかの一瞬で、リーブラの左腕は肘から先がばらばらに分解されていた。
切断や破壊でもない。
パーツ単位で外されたのだ。
コレは攻撃でもスキルでも特殊能力でもない。
魔力や天法の気配は何一つないのを見るに純粋な技量だった。
関節に接続軸。
外装と内部フレーム。
制御ケーブルに人工筋肉。
ネジの数々に中に使われていた希少金属で作られたパーツ群。
それらが設計図でも参照したかのような正確さで一瞬にして解体され、金属片と部品となって空中に散る。
パラパラと無数のパーツが音もなく落下していき、スコルピウスは反射的にリーブラの名前を叫んでいた。
「――ッ」
リーブラは彼女にしては珍しくその表情を本当に微かに変えた。
目を見開く、とうよりはセンサーが縮小と拡大を繰り返したというべきか。
「左腕喪失、右腕による迎撃を───」
次の行動に入るより早く、異物の手が彼女の頭部を鷲掴みにする。
少女の顔ほどの大きさしかない頭が、その異様な手の中にすっぽり収まる。
いや、収まったように見えた。実際には物理的な把持以上の何かが起きていた。
■■権限により閲覧を要求。
許可。システムを展開します。
容赦なくメモリーが開かれる。
本来ならば創造主であるルファスとミザールしか入れない領域に土足で踏み込まれた。
これはゴーレムにとって凌辱に等しい行いだった。
記録。
経験。
命令系統。
自己定義。
保護設定。
封鎖領域。
禁則事項。
■■の極秘命令。
それら全てが、頁をめくるよりも雑に、だが完璧に読み取られていく。
リーブラの身体ががくがくと震えた。制御不能な痙攣だった。
内部のあらゆる階層に一斉に手が突っ込まれ、自分という存在の引き出しを勝手に開けられていく、その結果としての震えだった。
身体を動かそうにも制御系統を乗っ取られているので動けない。
彼女に出来たのは破れかぶれに自爆覚悟で【ブラキウム】を起動する事だけだったがそれも既に先の戦いで用いていたのもあり24時間が経過していないので使えない。
ハッキングは容易く進んでいく。
演算速度が余りに違いすぎた。
そしてその能力を生かす頭脳さえこの怪物はもっているらしい。
瞬く間に幾つものプロテクトが打ち抜かれ、最深部への侵入を許してしまう。
内部の深部。普段は自分でも触れられない領域。
そこに一つ、開けないメモリーがある。
鍵が何重にも掛けられ、直接アクセスすれば破壊や逆流が起きるよう細工された封鎖領域。
■■が仕込んだ■だ。
これは彼女自身の真の目的のため、必要な時にだけ開くパンドラの箱だった。
異物はまるで分っていたと言わんばかりにそこへ触れた。
リーブラの視界が白く弾ける。
そしてそのメモリーは破壊というより呆気なく捨てられた。
邪魔な包装紙を剥がして足元へ落とす程度の気軽さで、女神の仕込んだ■は意味を失い、ただの不要物に変わる。
守も鍵もなくなったそれが、内部でぱらぱらと崩れていく感覚を、リーブラは確かに知覚してしまった。
「え?」
リーブラの様子をどうやって壊すのかとニヤニヤしながら見ていたアロヴィナスが怪訝な顔をする。
壊すのはまぁいい。
それはただの保険だったから、この場でルファス達を葬れるのならばもういらない筈だ。
ただ、何故か嫌な予感がしただけだ。
何か違和を感じたが……推移を見守るだけだ。
もとより彼女にもう手札はないのだから。
そして異物は、そのさらに奥へ手を入れようとする。
まるで珍しい玩具の仕様書をじっくりと読み込むように。
記録を書き換えるつもりなのか。
所有権を奪うのか。
それとも、自分という存在そのものを別物に変えるのか。
どちらにせよリーブラにはどうする事も出来ない。
だが。
「おい。俺の娘から離れろ」
低い声がリーブラの口から洩れた。
メモリー世界の中で巨大なドワーフの顔が現れ、侵入者を全力で押し返した。
ぎょろりとセンサーカメラが本来のリーブラではありえない程の憤怒に満ちた視線となって異物に向けられ、右腕が動く。
0距離でキャノンが叩き込まれるが相変わらず異物に損壊は認められない。
ただ、手を離しただけだ。
自由落下するリーブラをスコルピウスが受け取り、全力で後退する。
目線を一瞬だけ下げて、HPそのものは0ではないと悟り一瞬だけ安堵を浮かべた。
「世話が焼けるわねぇ!!」
青筋を浮かべながら詳細にリーブラの損傷を見ていく。
彼女はゴーレムには詳しくはないが腕以外に損傷はない、はずだ。
「これは高くつくわよぉ……!」
彼女は異物を睨む。
もし視線で刺し殺せるなら、その時点で何百回も貫いていただろう。
それほど剥き出しの敵意だった。
「死ねェェェぇぇぇ!!!!」
毒の皇帝は吠えた。
体内の毒袋が最大に活性化し、あらゆる要素を混ぜ込んだ最強の毒が作られる。
壊死。腐敗。神経麻痺。侵食。再生阻害。解毒妨害。細胞死。精神攪乱。
通常ならば一つ混ぜるだけでも扱いを誤れば自壊しかねない致死因子。
それらをスコルピウスはただ怒りに任せてではなく、長年の経験と本能で一つに束ねた。
【シャウラ】
それは本来ならば文明を殲滅するための機構である彼女が単体を殺す為に行う死の贈呈。
無差別に死を振りまくのではない。
ただ一つの敵を殺すための排斥行動だ。
ただでさえルファス様を害し、妾たちをコケにし続ける存在。
激情家のスコルピウスが我慢できるわけがなかった。
彼女の尾が伸びた。
しなる、などという生易しいものではない。
超高速で延長されたそれは、もはや一本の黒い線だった。
空気の裂ける音さえ追いつかず、刹那のうちに異物の胸元へ深々と突き刺さる。
異物は避けなかった。
それどころか守りもしていない。
ドク、ドクと尻尾が脈動し己の中にスコルピウスが渾身の殺意を込めて生成した解毒不可能の猛毒【シャウラ】を注がれてもだ。
解毒不可能。分解不可能。中和不可能。
どれほど優れた肉体であろうと、どれほど高位の再生能力を持とうと
その全てを無視して絶対に殺すためだけに編み上げられた毒の総体が異物の内側へ沈んでいく。
異物は、彼女の殺意を受け止めるように見返した。
景色の継ぎ接ぎでできた輪郭は相変わらず何も語らない。
感情も分からず、敵意があるのかすら判別できない。
しかし着実に毒は流し込まれているハズだった。
だが欠片も動かずじっと見ている。
欠片も動かず痙攣すらしない。
胸に蠍の尻尾が突き刺さり、いま正に命を奪う毒を注がれているのにだ。
確かに毒は流し込まれているはずだった。
手応えもある。毒液は通っている。なのに、何も起きない。
その光景にスコルピウスの顔が引きつった。
「……は?」
短い声だった。
それは驚愕というより、理解が拒否された時に出る素の音に近い。
どうしてこいつは死んでいない? 妾の毒を防ぐアイテムやましてやアムリタなんて持ってない筈なのに。
手ごたえはしっかりある。
回避されている訳でも、実は刺さっていないわけでもない。
なのに倒れないのだ、こんな意味不明なことがあるか?
ソレは胸元へ突き立った尾を見下ろした。
ゆっくりとこれが自分に何を流し込んでいるのか確かめるように。
いや、もっと正確に言えばじっと科学者が分析しているような動作だった。
そして内部で何かが切り替わる。
ミズガルズのルールは裁定を下した。
【シャウラ】は毒ではないと。
少なくとも異物にとっては、違うのだと。
【シャウラ】は
対象へ液体/薬品として注ぎ込まれた時点で、【シャウラ】という名前の一個の処理すべきアイテムだ。
すなわち使用可能。所持可能。選択可能である。
そう解釈されたのだ。
だから状態異常判定が発生しない。
毒を受けたのではなく、毒というアイテムを一つストレージへ入れたに過ぎないのだから。
本能でその意味不明な処理を悟ったスコルピウスの顔から血の気が引いた。
「何でよぉっ!」
怒鳴るように、泣き叫ぶように彼女は喚いた。
それは毒の効かない相手への恐怖だけではない。
自分が丹念に練り上げた殺意の塊が、威力や性質以前の段階で相手にされていないことへの絶望だった。
そしてきっと、これからろくでもない事が起きるのだと彼女は悟っていたのかもしれない。
異物は、彼女の声に答えない。
ただ内側で静かに処理を進めていた。
【Wアイテム】
本来は、二つのアイテムを同時に扱うための技法。
レンジャーの実用的なスキルに過ぎず、戦場の流れを劇的に変えるほどのものではない。
ポーションを二つまとめて使う。毒消しと回復を同時に発動する。その程度の、便利だが地味な技能。
異物はそれを起動した。
選択された一つ目のアイテムは【シャウラ】だった。
二つ目も【シャウラ】である。
そして即座に、片方をキャンセルした。
それだけで不具合が走りザザザとノイズが周囲を満たす。
アイテム欄にある【シャウラ】の個数が一つ増えた。
効能や凶悪さはもちろん同じだ。
全く同じ毒が二つあった。
もう一度。
また一つ増える。
さらに。
さらに。
もっともっと。
体内へ送り込まれたはずの毒は、もはや毒として処理されていなかった。
それは在庫であり、所持品であり、増殖可能なアイテムでしかない。
キャンセルされるたびに個数だけが水増しされ、異物の内部に【シャウラ】が際限なく積み上がっていく。
スコルピウスの尾がわずかに震えた。
自分の最強毒が、相手の体内で“所持数99”や“9999”のように増殖していく。
その理不尽さを、毒の主である彼女だけが誰よりも正確に本能で理解してしまった。
自分の力が制御から離れる。
そんな経験は彼女は知らない。
余りに彼女はコレを知らなかった。
「やめ……!」
怖気に従い尻尾を引けば呆気なくソレは果たされた。
シュルルルと戻る尻尾に目もくれず異物は動き続ける。
次に起動したのは【アステラ】
本来は単体へしか届かない魔法、天法、あるいはスキルの効果を
威力や精度の代償と引き換えに面へ拡散させるための変換スキルだ。
蒼い光が一瞬だけ十二星天を見た。
それだけだった。
彼らはルファスが作った勢力であり、チームであり、グループでもある。
つまりひとまとめに出来るということだった。
異物は迷わない。
拡散先を無慈悲に定めたのだ、十二星天全体へ。
そしてその“搭載物”に、アイテムとして無限増殖した【シャウラ】を選択した。
その瞬間。
どこか場違いな音が、戦場に響いた。
※ピロリローン♪
あまりにも滑稽だった。
子供向けの道具箱を開いた時のような、あるいは店で景品を受け取った時のようなやけに軽くて明るい音だった。
今この場の空気には一切そぐわない。
だからこそその音は異様に鮮明に全員の耳へ届いた。
次の瞬間、アイゴケロスの喉が鳴った。
彼は己の中に何かが現れたことを悟ってしまった。
「なに……?」
疑問を最後まで形にするより早く、毒が届く。
さながらギフトであった。
祝日に友人からもらう贈与でもあった。
配布された報酬でもあった。
エクスゲート・オンラインで仲のいい友人、知人同士でアイテムを送り合う時のようであった。
十二星天の皆様、こちらをお受けください。
そんなメッセージをアイゴケロスは見た気さえした。
一瞬でスコルピウス謹製の【シャウラ】が十二星天の内側へ現れた。
もちろん刺されたわけではない。
吸い込んだわけでも、飲まされたわけでもない。
気づけばもう“持たされて”いたというべきか。
肺に、血に、神経に、循環系に、リンパに毒が湧いてきた。
※ピロリローン♪
もう一度。
「クソ!! 何がどうなってやがる!! チクショぉぉぉおぉお!!!」
今度はレオンが咆哮した。
牙を剥き、何かを吐き出そうとして、それが血混じりの泡に変わる。
獅子王の強靭な肉体が内側から軋み始め、筋肉の束が一斉に痙攣する。
既に一度コレを受けたことがある彼は再びの苦痛に絶叫を上げた。
※ピロリローン♪
さらに一回。
次はアリエスがいきなり体中に麻痺が走り、脱力してそのまま倒れこんだ。
どれだけ力を込めても身体はピクリとも動かない。
完全な麻痺状態だった。
しばらく忘れていた完全に無防備な非捕食者としての状況にアリエスは思わず背筋を震わせた。
いま何かされたら対処できない、殺されるのだと。
彼の隣でやはりというべきか親友であるカルキノスもまた麻痺に倒れていた。
最高の防御力を持つ魔物と言えど麻痺には弱いのだから仕方ない。
だが彼はアリエスに比べれば多少は耐性があったらしく、何とか動いた。
「アリエスッ……!」
ずりずりと何とか彼はアリエスの傍に這い寄れば異物から庇うように覆いかぶさった。
「っ……何がおきて…‥!」
また誰かに守られてしまったアリエスは思わず奥歯を噛みしめて異物を見る。
一瞬だけ異物はアリエスと視線を交差させ、そのまま視線を戻していた。
※ピロリローン♪
軽くて明るい音が再びなった。
祝福の受け渡しでもしているような音なのに、現実はそのたびに猛毒が送り込まれる。
次にカストールの瞳孔が開き片膝が崩れた。
彼もまた麻痺状態となり動けない。
長い生涯の中でもこんなことは初めてだった彼は脂汗を流しながら異物を見上げる事しか出来なかった。
そして何よりスコルピウス。
毒の皇帝と称される彼女であっても例外ではなかった。
「何でよぉぉ!! 妾の毒よ!? 何でぇェェェ……!!」
自分のものだから耐えられる、という理屈は通らない。
毒としてではなく、“個数のある結果”として配布されている以上、元の耐性も知識も意味をなさない。
ただシャウラが一回、二回、三回と“受領”され、そのたびに効果が内部で展開されるだけだった。
「は……あ、ぁぁぁ‥…」
サジタリウスが弓を落として屈する。
何故か彼の身体は震え続けていた。
歯がカチカチと鳴り続けどうやっても力が入らない。
かつて何処かで刻まれた恐怖が彼を蝕んでいる。
音が連続して鳴り渡る。
そのたびに十二星天には負債が積み重なり倒れていく。
唯一毒のきかないゴーレムであるリーブラは動けないという状態だ。
もはや祝福ではなく死の通知音だ。
それでも立派に十二星天の面々は戦った。
解毒を行なおうと何名かがアイテムを用いた。
しかし無駄だった。
【シャウラ】の解毒不可能という特性がそのまま残っているからだ。
瞬く間に戦場が一気に傾いた。
アロヴィナスがポルクスの総力をもってしても潰せなかった十二星天とルファスの牙城が崩れていく。
それも激戦の上でのものではなく、淡々と意味不明な処理と作業されながらだ。
これほどの屈辱を十二星天が味わうのはいつぶりか。
彼らは根本的に相手にされていないのだ。
あれほど最大限の警戒をしていたはずなのに。
あれほど慢心なく見ていたはずなのに。
それでもどうしようもない事があった。
異物は何もしていないように見えた。
少なくともはた目には派手な攻撃などは一切していない。
ただ毒を受け取り、増やし、配っただけだ。
それだけで十二星天は見る間に崩れていく。
しかし何故かHPは減らず死に至ることはない。
ただ全身に強い麻痺が連続でかかるだけではあるが、これはこれで厄介だった。
敵の前で無力な姿をさらすなど、殺してくれと言っているようなものだ。
彼らのプライドはズタズタだ。
生かさず殺さずで生殺与奪を握られているのだ、感じている屈辱は想像を絶するものがある。
その惨状を前にしてポルクスの顔をした女神は、心の底から満足そうに微笑んだ。
「いい仕事ぶりです」
軽やかな声だった。
褒め言葉を惜しむ必要もないとでも言いたげに、彼女はぱちぱちと拍手を送る。
小さく、柔らかく、どこまでも無邪気な手つきだった。
まるで出来のいい踊りでも見せてもらった後のような、そんな温度しかそこにはない。
「最初はどうなることかと思いましたけど、何とかなりましたね」
「全て脚本通り。満足ですとも」
本当にそう思っているのだろう。
その声音には作り物めいた響きすらなかった。
竜王は役に立たず、英霊は尽く完封され、ルファスまで好き勝手に振る舞い続けていた。
あれだけ盤面を荒らされれば、普通は焦るし、悔しがるし、怒る。
けれど今のアロヴィナスは違う。
全部ひっくるめて、最後に自分の脚本へ戻ってきたのだ。
だから今の彼女は上機嫌だった。
やはり最後に笑うのは自分だ、私の脚本こそが最も素晴らしいのだと。
ポルクスの細い脚が、異物へ向かって軽やかに進む。
意味の分からない外見だとか、恐ろしく不気味だとか、そういう感想は彼女の中ではもうどうでもよくなっていた。
役に立つならよし。自分の障害を処理してくれるなら、それは十分に善であり、十分に価値がある。
女神は、無力化された十二星天を見渡した。
その眼差しは値踏みするそれだった。
けれど当人にまったく悪気はない。
市場に並んだ果物の熟れ具合を見ているのと、大差ない感覚で彼女は考えている。
誰を使うのが一番綺麗で、誰にどんな役を配役すれば一番効果的か考えている。
彼女は自分が信じる美しい舞台を作るために材料を選んでいるだけなのだ。
「さて……だーれーにーしーまーしょーうーかー?」
指先を頬に当て、ほんの少し首を傾げる。
可憐な仕草だった。
こんな状況でなければ、悩ましげに考え込む美しい少女にしか見えなかっただろう。
「何人か殺して、この娘のスキルで英霊化させて
それをルファス・マファールへぶつけたら……」
そこで彼女は、ぱっと顔を輝かせた。
何か素敵な遊びを思いついた子供のように、あからさまに嬉しそうだった。
「きっと絶望してくれますよね!」
うきうきとした響きがあった。
残酷さを隠そうともしていない。
いや、そもそもこれが残酷だという自覚もない。
アロヴィナスの中ではそれは悪意ではなく、教育であり、矯正であり、明るい未来へ繋がる段取りの一つに過ぎないのだから。
ルファスは仲間を大切にしているのは既に明らかだ。
アリオトやミザール相手には露骨に刃が鈍っていたのは見ていた。
ならば、その仲間を奪い、形を変え、敵として差し向ければ効く。
そうしたらどんな顔をするだろう。どれほど傷つくだろう。
そこで折れてくれればその後はずっと扱いやすくなる。
壊れた心は整えやすいし、絶望した者には新しい役割を与えやすい。
それは女神にとってあまりにも自然な発想だった。
だって何億年もコレをしてきたのだから。
「だって、そういうのって……凄くイイですよね」
誰に向けた説明でもない。
自分の思いつきがいかに素晴らしいかを確認するための独り言に近い。
「大切な人が敵になる、とか。仲間同士で傷つけ合う、とか。
すごく悲しくて、でも次の勇者や希望を輝かせるには必要な流れですし」
美しい結末のためなら、その途中でどれだけの死と絶望を撒こうが構わない。
むしろ、その苦しみが深いほど後で咲く希望は綺麗に見えると、本気で信じている。
だからアロヴィナスは……この際だから断言しておこうか。
彼女は紛れもなく邪悪だった。
根は真面目だとか、人への愛は本物だとか、やり方を間違えた善神だとか、孤独な女だとか。
もしくは産まれた時から同類のいない不幸な存在だとか。
そんなことは何の免罪符にならない。
先にルファスはデブリという貴族に「お前の過去になど興味はない」と断言し肉塊へと変えた。
つまりこれはそれと同じだった。
幾つもの文明を滅ぼし、何億もの命を奪い、魔神族で人類を殺し続けたのは間違いなく彼女だ。
更にはヴァナヘイムの麓に哀れな子供たちの亡骸で地層を築いた罪はとうてい相殺できない。
けれど本人だけは決してそう思わない。
彼女は自分を客観視したことも、そういう機能もない。
自分は世界を愛している。
人を幸せにしたい。
そのために苦しみを配置しているだけだと、欠片も疑っていない。
女神の視線が、ふと止まる。
アリエスとカルキノスだった。
片や麻痺に倒れ、片やそれでもなお庇うように覆いかぶさっている。
動けないなりにできることをしている。
傷ついてもなお、相手を優先する。
その姿は、たしかにひどく絵になっており女神の興味を引いた。
アロヴィナスはゆっくりと頷いた。
そうだ、あれからにしよう。
「美しい仲間愛ですね」
その評価に嘘はない。
彼女は本当に美しいと思ったのだ。
だからこそ使えるとも思った。
「まずあの二人を殺してください」
さらりと続いた言葉はあまりにも軽かった。
花を摘んでください、と頼む程度の重さしかない。
実際アロヴィナスにとって命の重さなどその程度だ。
特にモブのそこら中にいる者の命など考えたこともない。
ヴァルハラがあるのだから、次の人生に行けばいいだけとしか。
「死体は残しても残さなくても構いません。
でも髪の毛の一部とかはあると便利かもしれませんね。後で覇王に証拠として見せたいので」
壊して英霊化させ、ルファスへぶつける。
それで彼女はさらに傷つき、さらに追い込まれ、さらに“次の舞台”に相応しい人形へ近づく。
完璧な流れだと、アロヴィナスは思った。
だから一歩、また一歩と異物へ近づきながら、安心しきっていた。
自分は今、正しい指示を出している。
世界のために、未来のために、必要な掃除をしているのだと。
異物は何も言わない。
景色の継ぎ接ぎでできた輪郭も、顔のない頭部も、相変わらず感情の読み取れないまま静止していた。
けれど。
次の瞬間には、ポルクスの首は締め上げられていた。
まるで過程がなかった。
ほんの一拍前まで、異物は数歩先に立っていたはずだ。
ポルクスの姿をした女神は、その前でまだ口元に笑みを残していた。
なのに今は、細い首へ異物の手が食い込み、華奢な身体が宙に浮きかけている。
彼女は片手で掴み上げられていた。
「――ぇ?」
間の抜けた音が漏れた。
理解が追いついていない声だった。
いま、何が起きている? どうしてこんな、いや、どうして、何が?
指が首へ回り気道が潰される。
喉骨が軋んで呼吸が詰まる。
完ぺきに首を絞め上げられていた。
なのにアロヴィナスの顔には、数秒前までの機嫌のよさが消えきっていなかった。
ただ、そこへ遅れて困惑が混ざり始める。どうして。何故。どういう理屈で。そんな疑問がようやく表面へ浮かび上がってきた。
異物は無言だった。
だがその沈黙は先ほどまでとは意味が違った。
今そこにあるのは、観察でも保留でもなく、もっと直接的で、もっと冷たい拒絶だった。
明確な害意、いや、殺意といってもいいかもしれない。
ポルクスのつま先が空を掻く。
細い指が異物の腕へ触れ、引き剥がそうとする。だがびくともしない。
女神の分身であるこの身体は本来ならば並の相手に遅れを取るものではない。
幾らポルクスが弱かろうと、アロヴィナスが補正を送り込めばそのステータスは跳ね上がるのだから。
それでも今は子供が鉄柱にしがみついているような、どうしようもない無力感だけがあった。
十二星天の面々も、一瞬だけ痛みを忘れたようにその光景を見ていた。
誰も口を開けず、眼を見開いていた。
無理もない。余りにも状況が目まぐるしく変わりすぎていた。
アロヴィナスが呼び出し、ルファス様を排除し、自分たちを行動不能に追い込んだ存在がいきなり反逆を始めたのだから。
ただ一つだけ分かるのは、異物がアロヴィナスに明確に害意を見せたということだけだった。
「あ゛ が…‥ぁ゛!!」
バタバタと足を振り、自分を掴む腕を叩くがびくともしない。
ポルクス/アロヴィナスは徐々に激しく痙攣をはじめた。
異物の背中からもう一本、腕とも尻尾もつかない触腕染みたモノが現れる。
その切っ先は誰が見ても明らかに鋭利で害意に満ちていた。
「ッ!」
ポルクスの顔がアロヴィナスの恐怖を浮かべるが、次の瞬間に彼女はソレに胸を貫かれていた。
「ポルクスゥゥゥ─────!!!!!」
妹を殺害されたカストールの絶叫が響いた。