「導師イオン! ツヴァイ達もいますか!」
オリバーに案内された部屋に、私はもはや扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んだ。中で導師イオン達にお茶の用意をしていたであろうパメラが驚いてカップを取り落としてしまう程であったから、それくらい私の剣幕は鬼気迫るものがあったのだろう。
「モース!? どうしてここに……、ルーク達とプラネットストームの停止に向かっていたのでは?」
「そうでしたが、ヴァンがダアトに攻め入って来ました。ディストが足止めを買って出てくれましたがいつまで保つか……。奴めがここに来る前にダアトを脱出せねばなりません」
突然のことで目を白黒させている導師イオンに捲し立てる。私に続いて部屋に入ってきたオリバーがパメラと目を見合わせると、それだけで通じ合うものがあったのか、二人とも真剣な顔で頷く。そしてオリバーがツヴァイとフローリアンを、パメラがフィオとフェムの手を取った。
「モース様、他の皆様は私とパメラが。モース様はイオン様を」
「オリバー!? ここまで案内して頂いただけで十分です。オリバーもパメラも早く避難を」
「何を仰いますか」
オリバーの言葉に驚き、慌てて断ろうとした私を遮ったのはパメラだった。
「いくらモース様とカンタビレ様がいても、五人も守りながらは辛いものがあるでしょう。私共では戦うことは出来ませんが、少しでもお手伝いいたします」
「普段の仕事とは訳が違うのです。下手をすれば死んでしまいますよ!」
「今のダアトで安全な場所などありませんよ、モース様。それにここで言い争っている暇は無いはずです。一刻も早くここを出なくてはならないのでしょう?」
「お前の負けだよモース。お前の判断は間違っちゃいないけどね、今はごちゃごちゃと議論するよりは動いた方が良い。グズグズしてると嫌なことになるだけだからね」
パメラ、オリバーに反論していた私の肩に手を置いてカンタビレが諭す。彼女の言う通り、今は言い争っている時間は無い。分かってはいるのだが……。
私は尚も口を衝いて出ようとする言葉をどうにかして飲み込むと、導師イオンの手を握り、タトリン夫妻と正面から目を合わせた。
「……本当に、覚悟は出来ているのですね?」
二人の黙って頷いた。恐怖はある、だがそれ以上に強い意志の籠められた目に、私はこれ以上何も言えず、導師イオンの手を引いて部屋を出たのだった。
「こちらへ! 詠師職以上が知る秘密の抜け道があります!」
一行を先導して廊下を駆ける。自慢では無いが、教団本部の構造は今の教団員の誰よりも熟知している。ローレライ教団本部が有事の際に砦となることを想定されているということは、重要人物を逃がすための隠し通路も備えているということだ。そのうちの一つが資料室の棚の裏側からザレッホ火山に通じる道。そしてもう一つは、
「一方通行ですが大詠師の執務室からダアト市外の森に通じる譜陣があります。アルビオールに乗り込んでさえしまえば」
「っ! 止まりな、モース!」
前を行く私の襟首を捕まえたカンタビレは、その細腕のどこからそんな力が出ているのかと思うほどの勢いで私の身体を後ろへ引っ張る。急制動がかけられた私の眼前を、鈍色の光が通り過ぎた。
「モース、覚悟ぉ!」
「邪魔すんじゃないよ!」
物陰から奇襲を仕掛けてきた神託の盾兵を、カンタビレが斬り伏せる。ヴァンとの戦いで負傷しているとは思えない鋭い太刀筋によって、鎧の上から切り裂かれた兵士はそのまま床に倒れ伏す。左手に握った導師イオンの手が微かに震えるのを感じるが、今は声を掛けている余裕は無い。荒事に慣れていないタトリン夫妻が顔を青くしているのも気遣っていられない。ヴァンはラジエイトゲートからダアトに直行したはずだ。復活したヴァンの周りに協力者はいなかったはず。ここにヴァンの手の者が入り込んできたということはリグレット達がダアトに来たことを示唆していた。
倒れた神託の盾兵を超えて廊下を駆ける。道すがら、同じ神託の盾兵同士が矛を交えているのがちらほらと目に入り、焦燥も募っていく。
「皆さん、この広間を抜ければ……」
目的の隠し通路は目前。階段が壁に這うように設置された吹き抜けにまで辿り着いた私は、後ろの皆を振り返ってそう言う。
そして前を向き直る時に、視界の隅に金色が閃いた気がして、咄嗟に導師イオンを後ろに庇って譜術を発動させる。氷壁が目の前に生成されると同時、そこに弾痕が刻まれ、分厚い氷に細かな罅が入った。
「ッチ、反応が良いな。大詠師モース」
「……リグレット」
ひらりと私達の前に降り立ったリグレットに、私は苦々しい声を返した。今最も会いたくない人物に鉢合わせてしまった。彼女は譜業銃を構え、私達の行く先を完全に塞いでいた。
「ヴァンが戻ってきたのならばお前を狙う。それが叶わなければダアトを。その予想は正しかった」
「嫌になるくらい有能な副官ですね、あなたは」
譜術と違い、攻撃までのタイムラグがほぼ無い譜業銃。こちらは非戦闘員を大量に抱えている状態では、リグレットの追跡を振り切ることは不可能だ。そして時間は今はヴァン達に味方する。私が歯噛みしていると、カンタビレがリグレットの注意を惹くように前へ一歩踏み出した。
「ったく、何が楽しくてあの破滅主義者に付き従うんだか。つくづく男の趣味が悪いね、リグレット」
「そのような安い挑発に乗るとでも?」
この場の緊張感にそぐわない軽い調子で言い放ったカンタビレに、リグレットはそう言って譜業銃を突きつける。だが、それに対しても何ら気負うこと無く、やれやれとため息までついてみせる。
「そこまで入れ込むほど奴は魅力的かい?」
「ハッ、それを言うなら貴様こそ男の趣味が悪いな、カンタビレ」
ニヤリと口の端を上げて笑って見せたカンタビレに、リグレットも冷たい笑みで返す。私はと言えば、この膠着した状況を覆す術が思いつかず、メイスの感触を確かめるように右手の中で握り直すことしか出来なかった。
「言ってろ」
カンタビレはそう言い捨てると目にも止まらぬ速さで剣を抜き放ち、リグレットの目前へと迫る。その速度は先ほどまでヴァンに痛めつけられていたとは思えない程であったが、リグレットは眉一つ動かさずに譜業銃で迎撃する。それに一拍遅れて、私は後ろに立つ非戦闘員の周りに氷壁を展開する。彼らが保護されたのを確認してから、カンタビレへの援護として練り上げた
「アイシクルレイン!」
私の十八番ともいえる氷の譜術。急いで発動されたために刃というよりも礫の形となったそれがリグレットの頭上から降り注ぐ。だがそれすらも軽い身のこなしで後ろに跳んで躱す。
「手負いのカンタビレとモースでは私を破ることは不可能だ」
淡々と述べるリグレットに、私とカンタビレは共に歯噛みをする。彼女の言う通り、現状はまさしく進退窮まるといった状態だ。カンタビレも先の攻防だけで僅かに息を切らしているところから、ヴァンとの戦いのダメージがまだ残っていることが見て取れる。
「……モース」
「ここであなたを残して行く選択はありませんよ」
私の名を呼びながら目配せしてきたカンタビレにそう返す。私情を抜きにしても、カンタビレを残して行くのは悪手だ。手負いの彼女が最悪リグレットの手に掛かってしまえば、こちら側の戦力が激減してしまう。ヴァンに対抗できる人材を無為に捨ててしまうことだけは避ける必要があった。
こうして退くことも進むことも出来ない膠着状態が出来上がる。この膠着はリグレットに一方的に有利に働くばかりだ。彼女の顔に勝利を確信した笑みが浮かぶ。
「このままヴァンが来るまで私と踊ってもらうぞ」
「面倒な!」
リグレットの言葉を皮切りに再びカンタビレが距離を詰めようとする。その後ろを不意を衝くために無詠唱で発動させた私の譜術が追う。カンタビレの身体で隠された氷の刃は、一歩間違えば味方であるはずの彼女を貫いてしまいかねない。だが、そんなヘマを彼女がやらかすなど私には到底想像がつかなかった。
「踊るってんなら見本を見せてみな!」
「なっ!?」
リグレットの挑発に怒鳴り返しながらカンタビレは一際強く地を蹴ると、中空にその身を躍らせる。それによって、背後に隠していた氷刃が回避が難しい距離までリグレットへと迫る。その不意打ちに驚いたのか、一歩間違えれば同士討ちの可能性がある無謀な策に驚いたのかは定かでは無いが、リグレットは目を見開くと横っ飛びと共に譜業銃で氷刃を迎撃にかかる。リグレットの持つ
「そっちばっかり気にする余裕は無いだろうさ!」
「死に損ないがよく吼える!」
中空に飛び上がっていたカンタビレがリグレットの回避先に重力を利用した剛剣を叩き付ける。その勢いは例え近距離から遠距離まで万能に戦えるリグレットの為に特注で作られた譜業銃の強度を以てしても真っ二つに両断されかねないもの。そのことを瞬時に判断したリグレットはカンタビレを迎え撃つ選択肢をさっさと放棄すると、床をゴロゴロと転がってその刃から逃れた。叩き付ける相手を失ったカンタビレの剣はその秘めたる威力を床に敷き詰められた石畳を広範囲に渡って粉々に砕くことで示す。
「正攻法も、不意打ちもダメですか。やはり厄介ですね、あなたは。ヴァンの部下の中で最も恐ろしい」
「そうでなくては閣下の副官は務まらん」
思わず漏れてしまった呟きにリグレットが返す。成程、ヴァンがかつて自身を殺すことを目的としていたリグレットを副官にしてまで手元に置き、自らの腹心の部下とした理由がよく分かる。遠距離は譜術、中距離は譜業銃、近距離は体術と譜業銃を織り交ぜる。どの距離で戦うことになっても彼女は強い。近距離が得意な相手からは距離を取り、遠距離が得意な相手にはその軽い身のこなしで距離を詰める。ヴァンが副官にしたリグレットという女は、あるいはヴァンが戦闘力として最も危険視した存在なのかもしれない。
この嫌な拮抗状態を打破するためには私とカンタビレだけでは足りない。どうにか後一手必要になる。
そしてその助けは今の混乱したダアトでどれほど期待できるのか。
「モース、やっぱり私が惹き付けるしか無いんじゃないかい?」
「……しかし」
カンタビレが再度私に問いかける。先ほどの攻防で彼女も私も理解していた。今の二人だけではどうにもならないと。ここで最悪の事態を迎えるくらいならば、最悪の中の次善を選ぶべきなのか。
「大丈夫だよ、モース様。今度は間に合ったから」
その救いの声は、物騒な魔獣の鳴き声を伴っていた。