大詠師の記憶   作:TATAL

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親娘と私

 王城からの呼び出しを受けたのは翌日のこと。通い慣れたとも言える謁見の間では無く、インゴベルト王の執務室に通されたルーク達と私は、そこで待っていた王とナタリアの表情から今から話されることがあまり愉快な話ではないであろうことが容易に予想出来た。

 

「ナタリアの本当の父親のことについて皆に聞いておきたい」

 

 インゴベルト王の言葉に、ルークはどこか合点がいったような表情で懐に手を差し入れると、ロケットペンダントを取り出した。

 

「以前、ロニール雪山でラルゴとリグレットの二人と戦ったときに、戦場に落ちていたものです」

 

 ルークの手の中にあるそれには、色褪せてしまっているがナタリアによく似た、いや成長したナタリアと言っても良い人物が写された写真が納められていた。

 それを見たナタリアが声を上げることこそ無かったものの、零れ落ちんばかりにその目を大きく見開く。そして私も、彼らのその反応で理解できた。ラルゴこそ、ナタリアの真の父親であったのだと。

 

「ラルゴは各地を放浪していたのをヴァンが連れてきて神託の盾騎士団入りした経緯があります。それ以前の経歴はラルゴとヴァン以外に知る者は殆どいません」

 

「かつて、ナタリアが生まれてすぐのことだ。キムラスカ軍の若い兵士が突如として王城に乗り込み、私と妻を襲わんとしたことがあった。その凶行は近衛兵と白光騎士団によって防がれたが、下手人はイニスタ湿原に逃れ、行方をくらましたという。その兵士の名はバダック」

 

 そうか、そういうことだったのかと、うわ言のように呟くインゴベルト王と、何も言えず、両手で口を覆うナタリア。ティアとアニスがそんな彼女に寄り添って肩を抱いている。ルークやガイも沈痛な表情で黙り込む中、ジェイドだけが眼鏡を白く反射させ、表情を伺わせないままに口を開いた。

 

「ラルゴとナタリアの関係はこれで分かりました。しかし、ナタリアの本当の母親については何も語られていません。とはいえ、結末は容易に想像が出来てしまいますがね」

 

「ラルゴがどうして単身で神託の盾騎士団に身を置いているのか。どうしてこの世界を滅ぼしてまで預言(スコア)を、ローレライを消し去ろうとしているのか。つまりはそういうことだよな……」

 

 ジェイドの言葉を引き継ぐように、ガイが躊躇いがちに呟く。この場にいる全員が理解しているだろう。ナタリアの本当の母親は、ラルゴの妻は、既にこの世にいない。それが預言(スコア)に詠まれていたかどうかは定かではない。だが、ヴァンの思想に共鳴している以上、預言(スコア)はこの一件に深く関わっていることだろう。

 

「ナタリア、お主はこれ以上戦いに赴くべきではない」

 

「お父様!? 何を仰いますの!」

 

 暫しの沈黙の後、インゴベルト王が発した言葉にナタリアが血相を変える。

 

「ルーク達が、キムラスカとマルクトの民が力を合わせているのに王族たる私がのうのうと尻尾を巻いて逃げろと!?」

 

「そうではない!」

 

 ナタリアの悲鳴のような声を掻き消すほどの大声でインゴベルト王が一喝する。その声には、直接それが向けられたわけでは無い私達さえも姿勢を正してしまうほどの迫力が籠められていた。

 

「そうではない……。前線で戦うことだけが王族の務めでは無いのだ、ナタリア。それに血の繋がった親子が互いに憎み合い、刃を向け合うのはやめてくれ。儂はそなたがこれ以上傷つくのを見たくないのだ……」

 

 だが、続く言葉に先ほどまでの覇気は全くない。憔悴しきった表情でぶつぶつと口の中で呟くだけだった。

 

「かつての、預言(スコア)を盲信していた儂ら大人の過ちだ。その報いを何故お前が受けねばならんのだ……」

 

 そこに居たのは王では無かった。ただ心から娘を案じ、娘が自ら厳しすぎる現実に身を投じようとするのを何とか止めたいと願う一人の父親だった。その姿に、ナタリアも言葉に窮する。彼の言い分は、ただ心情的に拒否しづらいだけではない。現実、キムラスカ王家の一人娘が戦場、それも最前線に立とうとするなどおかしな話なのだ。公爵家嫡男であるルークもそういう意味では同じだが、彼には彼にしか出来ない役割がある。それに対し、ナタリアに関しては彼女でなければいけない理由は言ってしまえば無いのだ。王妃が既にこの世におらず、王の年齢的にナタリアの弟妹が望めないとなれば、むしろ彼女が危険に曝される可能性は何としてでも排除すべきだ。たとえそれがバチカルの奥深くに軟禁する結果になったとしても。

 それを理解出来ていないナタリアでは無い。それでも自分にも出来ることがあるはずと、仲間の力になりたい一心でルークの旅に付き合ってきた。だが、今のインゴベルト王の姿を見て、そして現実的な理由から、ナタリアは返す言葉を失った。彼女の目は、縋るような光を帯びて私達に向けられる。

 

「……正直に言えば、私も陛下の言葉に賛成です」

 

「モース!? あなたまで……」

 

 そして私が発した言葉は、ナタリアの望むものでは無かった。

 

「ナタリア殿下。私には陛下の気持ちが痛いほど分かるのですよ。シンクがアッシュと行動を共にしていることに、私は常に心を痛めています。あの子が傷ついてやいないか、あまつさえ、死んでしまってはどうしようかと。シンクだけではありません。ツヴァイ、フローリアン、フィオ、フェム、導師イオンもそうです。叶うならば皆安全なところで心穏やかに過ごしていて欲しい。ですがそれが出来る程私に力が無いばかりに、シンクを危険に曝している。それで何かあったとき、私は恐らくこの世のあらゆるものに絶望してしまうでしょう。陛下も同じ気持ちなのです。ましてやあなたは今後キムラスカを背負って立つ存在。その身には多くの人の期待と希望がかかっている。それら全てを振り切って、戦場に赴く覚悟があなたにはありますか?」

 

「それは……」

 

「何も同行することを絶対に拒否するということではありません。ですが、陛下のお気持ちも今一度考えてみて頂けませんか? 親というのは、例え子に嫌われようとも子を守ろうとするものなのですから。……すみません、話し過ぎましたね。一旦席を外します」

 

 それだけ言うと、私はルーク達を残して部屋を後にした。これ以上私が残ったとしてもナタリアが話しにくいだろう。どこまで行っても私は彼らと真に同じ方向を向くことは出来ない。良くも悪くも、ルーク達と私では見ているものが違うのだから。親の心子知らず、というわけではないだろうが、どうしてもルーク達にインゴベルト王や私が抱える気持ちを真に理解してもらうことは出来ないと思ってしまう。彼らも親になったときに初めてこの気持ちを知るだろうから。

 

「例え世界を引き換えにしても、子を守る。子を、そして恐らく妻を亡くしたラルゴの気持ちも、私は分かってしまうのですよ」

 

 それは多分、ヴァンによって導師イオンやフローリアン達を害されるかもしれないと考えたときに、私の腹の奥底から湧いて出てきた怒りと同じものだろうから。勝てるかどうか、可能かどうかという理屈ではない。そこに残るのはただただ全てを燃やし尽くす炎。苛烈なそれは、自分だけでなくその周囲も焼き尽くし、燃やせるもの全てを燃やし尽くすまでは決して止まらないだろう。

 

「……だからこそ私はあなたを止めたいのですよ、ラルゴ。あなたはまだ、真にナタリアを失ったわけでは無いじゃないですか」

 

 会って話すことが出来る。たとえ当たり前の家族の形で無かったとしても、絆を結び直すことは出来ないだろうか。それは私の楽観的に過ぎる希望でしかないのか。それでも尚、手を伸ばしてしまう。私達とラルゴの対立が避けようがないものだとしても、取り返しのつかない離別は避けられると信じて。

 

「少し気分転換に歩きましょうか……」

 

 そう独り言ちると、私の足は自然と王城の中庭へと向かっていた。

 

 


 

 

 ファブレ公爵邸の中庭には、常に綺麗な水が流れ、そして庭師のペールが丹精込めて育てた花が美しく咲き誇っている。そんな中庭を見るのは私がファブレ公爵邸を訪れたときの楽しみの一つであったが、それと同じくらい、いや凌駕するのが王城にある中庭だ。まず規模からして異なる。かつてキムラスカ領内に落下した譜石を加工して装飾とした噴水を中心に、同心円状に広がる生垣と、そこに咲いている種々の花々。生垣の間を歩けば、香りがきつくならないように計算して植えられた花の香りが甘く漂い、噴水に流れる水は手で掬って飲むことが出来そうなほどに透き通っている。夏には、青々とした芝生が綺麗に刈り揃えられており、かつて幼かったナタリアにせがまれて裸足で歩いた時はふかふかとしてとても気持ちがよかった。

 バチカルを訪れたときは必ずと言って良いほど私はこの中庭に足を運び、ほんの少しの時間だけでも、頭を悩ませる問題を忘れて心を自然に委ねていたものだ。

 そんな美しい庭園には、今は私以外にも先客が足を運んでいた。

 

「あ、モースだ!」

 

 弾むような声が聞こえたかと思えば、バタバタとこちらに駆け寄ってくる足音が四つ。私は、強張らせていた表情を緩め、地面に片膝をついて腕を開き、彼らを迎え入れる。四人のうち一人はやや躊躇いがちだったが、私が手招きをするとおずおずと残りの三人と同じように私の腕の中に収まった。

 

「皆さんもこの庭に来ていたのですね、ツヴァイ、フローリアン、フィオ、フェム」

 

「凄いね、ここ!」

 

「図鑑でしか見たこと無い花、いっぱい」

 

「食べられそうな草は無い、しょぼーん」

 

「何おっかないこと言ってるんだよフィオ……」

 

 腕の中でそれぞれに話す彼ら一人一人と目を合わせ、頭を撫でていく。一頻りそれを繰り返すと満足したのか、四人が離れたので私は立ち上がる。ふと視線を上げると、彼らを連れてきてくれたであろう人物がこちらに向かってのんびりと歩いて来ているのが視界に入った。彼女がゆるゆると右手を上げたので、私もそれに手を振り返す。

 

「引率ありがとうございます、カンタビレ」

 

「ずっと寝てるだけじゃあっという間に鈍っちまうからね。リハビリにゃもってこいだよ。それにしてもこの二人は特に元気が有り余り過ぎてるがね!」

 

 そう言ってカンタビレはフローリアンとフィオの頭をわしゃわしゃとかき回す。きゃーと嬉しそうな悲鳴を上げるフローリアンと、うぼぁーとよく分からない声を上げるフィオ。私がここに来るまでに何をしていたのだろうか。

 

「ほれ、その体力を走り回ってさっさと使い果たしてきな」

 

「よーし! 綺麗な花を見つけてモースにプレゼントだ!」

 

「誰が一番、気に入られるか、勝負」

 

「なんで勝負になるんだ……」

 

「フェムは自信無い? なら仕方ない、そこで指を咥えて見ていると良い。ふんす」

 

「……その安い挑発に乗ってあげるよ」

 

 カンタビレに促されたフローリアン達は、そうやってやいのやいのと騒ぎながら慌ただしく走り去っていってしまう。

 

「花を摘むときは摘んでも良いか庭師に尋ねるんですよ!」

 

 遠ざかっていく背中に声を張り上げると、はーいと元気の良い言葉が返ってくる。それを聞き届けてから、私は噴水の縁に腰を下ろした。少し間を空けて、カンタビレも同じように腰かける。

 

「それで、またぞろ何か難しいことを考えてるんだろう?」

 

「……そんなに分かりやすい顔をしていたでしょうか」

 

 カンタビレの言葉に、私は思わず苦笑する。彼女と言い、ディストやジェイドと言い、どうも近しい人には私如きの表情はお見通しらしい。

 

「なに、お前が難しいことを考えてないときの方が珍しいんだ。こうやって突いてやればすぐにそうやって自白する」

 

 前言撤回。表情は取り繕えているのかもしれないが、どうやらそれ以上に私が隙だらけ過ぎるらしい。ジト目で横を見やると、カンタビレがニヤニヤと笑っているのが目に映る。だが、彼女のその表情の奥には私を気遣う気持ちがあることは分かっている。こうやって軽い調子で言ってくれるからこそ、私も胸の内を吐き出しやすい。

 

「……子どもを案じない親はいません。世界と引き換えにしてでも守りたいと思うでしょう。でも、そんな親心とは反対に、子は親の庇護下をあっさりと抜け出してしまう。それは自発的にかも、あるいは他者に強制された結果かもしれませんが」

 

 そしてその先で時には命を落とし、残された者が深い絶望と悲しみに暮れることになる。

 

「子のためならどんな茨を踏み抜こうと構わない。もしも子を亡くせば、それこそ世界全てを敵に回してしまうくらいに」

 

 ままならないものです。もはや何の説明にもなっていない独白。事情を知らないカンタビレからすれば、何を言われているのかさっぱりだろう。だが、彼女は最後まで耳を傾けてくれた。そして手を降ろし、噴水の透き通った水の中に指先を差し入れる。

 

「詳しいことはさっぱりだけど。またぞろ変なことに気を回しているんだろうね」

 

 指先をくるくると回して小さな渦を作りながら、カンタビレは言葉を続けた。

 

「一つ言えるのは、お前もお前で視点が偏ってるってことだね」

 

「偏っている、ですか?」

 

「親心を子は分からない。当たり前じゃないか。例え血の繋がった親子だろうと違う人間なんだから、内心が分かるわけが無い。同じように子の心も親が分かるわけがないだろう。だから話し合う、お前がよく言っていることじゃないか」

 

 カンタビレの真似をするように、私も噴水に指先を沈めてみる。ひんやりとした感覚が伝わり、それによって頭の奥がすぅっと醒めていくような心地がした。どうやら、私は気付かず熱くなり過ぎていたらしい。親子のことになると、どうにも私は冷静になれないのかもしれない。フローリアン達という子どもがいるからだろうか。

 

「余計な気を回し過ぎでしょうか」

 

「さあね、所詮は私の持論さ。そんなことより、フローリアン達はどんな花を持って帰ってくると思う?」

 

「どうでしょう。大輪で派手な色の花なんかは目を惹くでしょうし、それかもしれませんよ」

 

「案外落ち着いた色の花を持ってくるかもしれないよ?」

 

 私とカンタビレはそう言って離れたところで走り回るフローリアン達を見つめる。互いに何やら話しながら、庭師を引き連れてあっちこっちを歩き回っている姿に思わず頬が緩む。ラルゴともこうして穏やかな時間を過ごすことが出来ればと思う。この世界に復讐せんとする彼をどうすれば止められるのか、私には分からない。対話で解決できる段階はとうに過ぎてしまっているのだろう。それでも、取れる選択肢を狭めないようにしよう。ルーク達がラルゴを止めたとき、力だけでなく、言葉でもってラルゴを止める選択肢を提示出来るように。

 

 フローリアン達が持って帰ってきた花は、私の予想を裏切るものだった。


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