「ふむ、その方が言うことは真か、モースよ」
玉座に腰かけたままのインゴベルト陛下の視線が私を射抜く。その視線にも、私は動揺を見せることはない。この程度、慌てるまでも無い。教団の中での権力争いもこれに近いことは今まであった。そのことや、各国の重鎮との交渉に比べれば言いがかりに過ぎない彼の主張を退ける程度訳はない。
「……一詠師の世迷言ですな。論ずるにも値しない」
「ではこやつの言うことは出鱈目であるというのだな。だが、この者の言う通りヴァンが刺客に後れを取ったとは考えづらい」
「ヴァンが何を企んでいるのかは分かりかねますが、何らかの意図があったのかもしれませんな。確かに私は大詠師であります故、主席総長であるヴァンとは話をする機会が人より多くなるでしょう。だがそれはあくまで職務の上でのこと、詠師オーレルの言う秘密の会合など覚えがありませぬ。何より私はこれまでキムラスカの発展のために教団を通して尽力してまいりました。そんな私が陛下に弓引くことがありましょうか」
「口では何とでも言えますな」
詠師オーレルが食い下がろうと私の発言を遮る。まだ諦めていないのか。
「確かに口では何とでも言えますな。ですから陛下には私のこれまでの行動で判断して頂きたい。私がこれまでキムラスカに尽力したことと、突然現れてこのようなことを言いだす男のどちらを信用するのか」
私はこれまで大詠師として大過なく仕事をこなしてきた。それはもちろんキムラスカとの外交も含めてである。自治独立を許されているダアトはしかし単独では立ちいかない。ダアトは都市でありながら国としてキムラスカ、マルクトと対等に交渉をしなければならないわけだ。キムラスカにとって私は慣れ親しんだ外交官であり、互いの急所を抑え合っている仲である。
キムラスカ王家が公爵家の嫡男を
そんな私を不用意にインゴベルト陛下が罰することはないと断言できる。事実、私を見る陛下の目に懐疑の色は薄いのだから。
だが、それくらいこの小賢しい男ならば理解しているはずだ。なのに、今この場で彼は私を陥れようとしている。それはこの男の権力欲が暴走した故か、あるいは動くに値するだけの何かをこの男は掴んでいるのか。
前者ならば問題はない。これまでもあった権力闘争と同じく、彼を沈めてしまえばいい。だが後者ならば? 私にとって致命的な何かを、この男が握っているとすれば。
私は思考を目まぐるしく働かせながら陛下の言葉を待っていたが、次に言葉を発したのは陛下ではなかった。
「確かに大詠師モースのこれまでの働きは我が国にとって利となったことだろう。だがそれはこの詠師オーレルも理解しているはず。であるならば、口にするだけの何かをこの男は握っているのではないか」
その言葉を発したのは、インゴベルト陛下の右手側に佇み、今まで頑なに沈黙を保っていた男。側頭部に残る髪と髭は白くなってしまったが、未だにその総身から溢れる覇気は衰えを感じさせない将。キムラスカが誇る王国軍の第一師団長、ゴールドバーグ将軍であった。
予想外の方向から飛んできた刃に、私は無意識に驚きの表情を浮かべていたようだ。詠師オーレルの顔が愉悦に歪むのを見て、初めてそれを認識した。
「ゴールドバーグ将軍、この者から何か聞いているのか」
陛下の信任厚いこの男が言うことは、先ほどまで陛下の中にあった私への信頼が微かにでも揺らがせてしまう。彼が言うのだから、本当に何かあるのかもしれない、と。つまりこれが詠師オーレルが隠し持っていた武器の一つというわけだ。一体いつの間にこのような根回しを済ませていた? 少なくともバチカル行きに同行を願い出たときにはこの算段は付けていたはずだ。だが、その動きが全く私に入ってこないということがあり得るだろうか。
「私も詳しくは聞いておりませぬ、教団の行く末に関わる大問題に大詠師モースが関与しているとだけ」
「ふむ、ならば詳しく聞かねばなるまい。オーレルよ、続けよ」
そして最悪の想定通りに話は進もうとしている。インゴベルト陛下が詠師オーレルの話を聞く姿勢を見せた。腹心からの忠言によってオーレルの言葉は先ほどまでよりも受け入れられ易くなった状態で。
「我らローレライ教団の導師イオンはお体が弱く、ここ最近も体調が思わしくないとのことで療養されております。そのことは教団のみならず、陛下のお耳にも入っていることでしょう」
陛下の言葉を受け、水を得た魚のように再び彼の口は言葉を紡ぎだす。何と見事な台本を用意したものだと、部外者ならば感心してしまいそうになるが、今の私にそこまでの余裕はなかった。この話を切り出したということは、彼が握っている情報は正しく今の私にとって致命傷を与えうるものだ。
「ですが不思議なことにですな。導師様は教団内の私室でお休みになられているにも拘わらず、部屋から出ている姿を見た者は誰もおりません。食事にすら出てきていないのです」
「それは導師様の私室で生活が完結するように整えられているからであって……」
「モース。今はこの者の話を聞いている」
口を挟んだ私をゴールドバーグ将軍が諫める。陛下もそれを見て視線で詠師オーレルに先を促した。形勢は悪化していくばかりだ。
「更におかしなことに、導師様の部屋の前には常に神託の盾騎士団の者がついており、見舞客であろうと誰も部屋に入ることが叶いません。詠師である私すらもです」
先ほどよりもヒートアップしてきた彼の右足が、陛下の玉座に続く階段にかかった。
「極めつけに導師守護役ですら、その姿が見えないのです。これは流石におかしいと考え、私はそんなはずがないと思いながらも大詠師モースと導師イオンについて独自に調べを進めていたのです」
私はかつてこの男を見たときに、まるで記憶の中の私のようだと感じた。それはこの男の異常なまでの
ならば、私はその時にこの男を最大限に警戒すべきだったのだ。記憶の中の私が、如何なる手段を用いてでも
「騎士団の目を盗み、導師様の部屋の様子を伺った私は驚きました」
彼の演説はクライマックスに向けて更に白熱していく。更に一段、彼は昇った。
「導師様の部屋はもぬけの殻でございました。では騎士団は何を守っていたのでしょう?」
更に一段。遂に彼はインゴベルト陛下の目の前に到達した。だが、それを咎めるものは今この場にはいない。この場の空気を支配しているのは詠師オーレルだからだ。彼の許可なく、口を開くことが出来るものはいない。教団のただの詠師とは思えない雰囲気が、彼を実際以上に権威的な存在へと見せていた。
「騎士団が守っていたのは導師様ではないのです。守っていたのは大詠師モースの黒い秘密」
陛下の左耳に顔を寄せ、まるで耳から毒を吹き込むかのように、彼は囁く。そして私へと振り返り、今度こそ勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「導師イオンは、休養などではなく、他ならぬ大詠師モースによって教団を追われたのです」
私にとって致命傷となりうる矢が放たれてしまった。
謁見の間に漂う空気が重く感じる。それはゴールドバーグ将軍を始めとしたキムラスカ重鎮達の猜疑の目に晒されていることに加え、陛下すらも疑いの色を濃くした瞳で私を射貫いているからだ。
「大詠師モース。そなたは導師イオンが体調を崩しているゆえに療養していると言っていたな。だがこの者は導師イオンはダアトにいないという。どういうことだ」
ここでの答え如何では、私は投獄されるだけではなく、大詠師の地位も剥奪されてしまうことだろう。
私一人が責を負うならば構わない。だが、今ここで私がダアトに戻れなくなってしまえば、フローリアン達はどうなる。ディストが資金提供もなく善意でレプリカの諸問題について研究を進めてくれる保証はどこにある。そうなれば、ルークは、導師イオンは、記憶の通りに消えてしまうのか。戦争が起こり、障気が大地を覆う悲惨な記憶を現実のものにして良いはずが無い。何より、私を信頼して今も動いてくれているカンタビレにまで累が及んでしまえば、神託の盾騎士団はその全てがヴァンの掌に収まってしまう。
ならば私がすることはただ一つ。
ひたすら足掻くのだ。今この場は私を裁く場になっているが、それを言葉によって多少なりとも覆して見せよう。
「恐れながら申し上げます。まずインゴベルト陛下に謝罪を。確かに導師イオンは、現在ダアトを留守にしております。ですが、それは私にとっても予想外のこと。何しろ、体調を崩されて療養されていた導師イオンがその守護役共々失踪してしまったのですから」
「失踪、だと?」
首を傾げる陛下に、私はしめたものだと心の中で呟く。まずは陛下の興味を惹くことが出来た。ただ話すよりもこうして相手からのリアクションを引き出さねば、言葉は相手の心に届きづらい。
「そう、失踪です。導師イオンは何者かの手によって誘拐されてしまったのです。ですが、それを公表してしまっては教団内外に要らぬ混乱を招きかねません。それ故、外に向けては療養中ということにしておき、教団と騎士団の極一部の者たちで秘密裏に捜索をしておりました。ヴァンもその任を帯びており、騎士団の取りまとめのため、私と話す機会が必然多くなります。それを詠師オーレルに見咎められたのでしょう。このことは教団の最重要機密ゆえ、容易くは漏らせませんので」
「では導師イオンは一体誰に誘拐されたというのだ?」
「そこまでは何とも。下手人はかなりの手練れのようでして。その日警護に当たっていた者は皆姿を見ることも出来ずに打ち倒されてしまったようですからな。そのためヴァンにはマルクト方面の探索を命じ、キムラスカには私の手の者を捜索に送り込んだ次第でございます」
「それを我らに伝えなかった理由は」
「キムラスカ王国軍が動けばマルクトを刺激しましょう。そして軍が動けばその目的を隠してはおけないのは自明。不要な混乱を招くことを嫌ったばかりに詠師オーレルや陛下に要らぬ疑いを生じさせてしまったことに関しては私の不徳の致すところですな」
陛下からの追及の言葉に私は淀みなく答える。導師イオンが失踪したことも、ヴァンに捜索を命じたことも、間違いなく事実である。その中に嘘とまでは言えないほんの少しのまやかしを混ぜ込んでいる。もちろんこんなものは口から出まかせだと一蹴されてしまうこともあるだろう。だが、条件は詠師オーレルも同じだ。互いに自らが調べたと述べた範囲で証言しているに過ぎない。私と彼が述べる仮説は、もう一つの別の視点からの補強が無ければ、どちらも容易く崩れ去る砂上の楼閣だ。しかしそれ故に、どちらの主張も崩すことは出来ない。詠師オーレルが苦虫を嚙み潰したような表情をしていることから、彼には私の主張を覆すだけの決定的な証拠は無いらしい。ということはやはり彼の権力欲の暴走がこの事態を引き起こしたと見てよいか。
「……そうか、大詠師モースの言い分にも、理はある」
「陛下!」
目を閉じ、そう呟いたインゴベルト陛下に、ゴールドバーグ将軍が詰め寄る。
「この者の言うことがただの言い訳に過ぎん可能性もあるのですぞ」
「それは詠師オーレルとて同じこと。どちらも互いの目で見たことでしか話しておらん」
「しかし……」
尚も言い募ろうとするゴールドバーグ将軍を、私は右手を挙げることで制した。もちろん、詠師オーレルとこれを共謀しただろう彼は私が今すぐにでも牢屋に入れられ、大詠師として不適格だという烙印を捺されることを期待していたのだろう。事実、導師の失踪と、それを隠蔽していたことは私にとって致命的だ。膠着状態になったとはいえ、疑いが完全に晴れることは無いだろうし、疑いが晴れても私とキムラスカの間には不信感が残る。
だが、それでも今この場で性急な断罪を受けることを避けられれば、多少なりとも私の言葉が受け入れられる土壌を作れたのならば、何とかなる。これから私がしたかったことが出来なくなってしまい、詠師オーレルに時間を与えてしまいかねないが、最悪の事態を避けるためならば致し方ない。
「ゴールドバーグ将軍の言う通り、確かに私の言い訳に過ぎない可能性もあるでしょう。ですので、この件に関わるもう一人が現れるまで、私はこの城に留まることを進言いたします」
「もう一人だと……?」
ゴールドバーグ将軍が訝しげに私を睨みつけるが、そんなものに怯む私ではない。私が城に留まると
「ええ、導師捜索の特命を帯びたヴァンです。ルーク様を見つければ、一度はここに戻ってくるでしょう。その時に彼が導師イオンの失踪に関わっているかを問い質してみましょう。私が導師イオンをダアトから追い出そうとするならば、ヴァンの助けは必要不可欠です。ヴァンが失踪の手引きをしていないかを確かめれば、私の疑いもはっきりとするはず」
「……ではそれまではバチカルに留まる、と?」
「軟禁していただいて結構。ただ、
「……良いだろう。ヴァンが戻るまでの間、大詠師モースを城に滞在させることとする。客間にて過ごすことを許すが、外出は許さん、手紙は明日、一通のみ送ることを許可しよう」
「陛下のご恩情に感謝を」
私の言葉と、自ら城で軟禁を受け入れる提案をしたことによって陛下の心情も疑いから半信半疑程度にまでは戻せたようだ。これによって詠師オーレルが私の目の届かないところで動く時間を与えることになるが、それでも私はまだローレライ教団の大詠師である。詠師トリトハイムならば上手く舵取りを行ってくれるだろう。ヴァンがこちらに戻ってくるということは、導師イオンも連れられてくるということだ。例えヴァンが私を切り捨てたとしても、導師イオン本人の声があればそれを覆すことも可能だ。
結局、私がバチカルに来た目的は何一つ果たせなかったということか。人生はままならないことばかりである。だが、この時間も有効に使わねばならない。詠師オーレルが一体どこまでその手を伸ばしているのか、調べなければなるまい。