大詠師の記憶   作:TATAL

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もう一人の焔と私

 話がある。

 

 ピオニー陛下に用意された宿、私が滞在する部屋にそう言って訪れたのは神妙な顔つきをしたアッシュだった。時刻はすっかり夜も更け、人々が寝静まっている頃。頭は疲れ切っているのに、どうにも目が冴えて眠れなかった私の下に彼はやってきた。

 

「アッシュ、改めてお礼を言わせてください。ダアトではありがとうございました」

 

「よせ。お前に礼を言われるためにやったんじゃない」

 

 頭を下げようとする私を手で制し、アッシュは部屋に備え付けられたソファにどかりと腰を下ろした。私もお茶の用意を済ませると対面に座る。わざわざこんな時間に訪ねてきたのだ。簡単に終わる話をすることは無いだろう。

 

「どうぞ、夜風で身体が冷えたでしょう」

 

「……大詠師なのに茶を淹れるのが上手いとはな」

 

「人を持て成すのは好きですから」

 

 カップを傾けたアッシュは、彼にしては珍しく穏やかな表情で言うとフッと笑った。私がそれを見てポカンと呆けてしまったのは言うまでもない。少しの間固まってしまったものだからアッシュが私の顔を見て怪訝な表情をした。

 

「……なんだよ」

 

「いえ、何でもありません」

 

 眉間に皺を寄せていないあなたの顔なんて初めて見たものですから。などとは言えるわけが無い。言えば彼はすかさず私の見慣れたぶすっとした顔に逆戻りするだろうから。私は曖昧に笑って誤魔化すと、アッシュに話を促した。

 

「プラネットストームが停止して、明日にはエルドラントに乗り込むことになるだろう」

 

 アッシュはポツリポツリと、言葉を口から落とすように話し始めた。

 

「お前は忘れちまってるかもしれねえが、俺は近い内に音素乖離を起こし、あのレプリカと一体化しちまうだろう。俺の身体は確かに劣化し始めている」

 

 常の彼からは考えられない程に弱々しい口調だった。彼が語った内容は、私が既に失ってしまった記憶にあったことなのだろう。固く組んだ両手は僅かに震え、机に置いたカップをじっと見つめていた。

 

「最初は我慢ならなかった。俺の居場所を奪っておいて弱っちいあの坊やが。タルタロスで初めて顔を合わせたときは殺してやろうとまで思っていた。アクゼリュスを崩落させたときはあの考えなしの甘ったれをやはり殺しておくべきだったと後悔した。それでも奴は俺と一蓮托生だから殺すわけにはいかなかった。だからコーラル城で同調させたアイツとのフォンスロットを通じて意識を繋げ、現実を見せた。そこからだ」

 

 少しずつアイツが変わっていったのは。

 

「自分のしでかした事を受け止め、前を向いた。俺のレプリカとしてじゃなく、()()()として自分の居場所を作り上げていった」

 

 そこでアッシュは目線を上げ、私と目を合わせた。彼の目は震えていた。キムラスカ王族に連なる者の証でもある翠の目は、僅かに濡れているように見えたのは私の見間違いだろうか。

 

「アイツはもう、俺の居場所を奪っただけのレプリカじゃない」

 

「俺は、それが怖い」

 

「アイツを認めちまったら俺には何が残る? 居場所を奪われ、ただの燃え滓(アッシュ)になった俺に残されたものなんか無い。お前が作ろうとしてくれる居場所に間借りさせてもらっているだけの俺の方が、よっぽどレプリカじゃないかとすら思っちまう。劣化していく俺と反対に、奴は強くなっていった。そのくせ卑屈なのは癪に障るがな」

 

 私は自然と彼の隣に腰かけていた。彼が何故私にここまで内心を吐露しようと思ったのかは分からない。弱みを見せることを嫌い、強くあることを己に課し続けている彼が、私をその例外とした理由は何なのだろうか。ただ理由が何であれ寄りかかられたのならばそれに寄り添い、支えるのが大人のあるべき姿だ。

 

「……笑えるだろう?」

 

「笑えるものですか。その恐怖も、葛藤も、人が笑って良いものではありません。その恐怖に向き合い続けているあなたを笑える人間はこの世に居ません」

 

 問われれば、目を見て答える。問われたことだけに、ハッキリと。

 

「エルドラントでヴァンを止めるのに本当に相応しいのは俺か、アイツか。ローレライの鍵を託すに相応しいのはどっちなのか。前までは俺だと思っていた。だが今はもう分かりゃしねえ。なあモース、お前は何故かローレライと繋がりがあるんだろう。俺とアイツ、どっちがローレライに選ばれた人間なんだ。どっちが、聖なる焔の光(ルーク)に相応しい?」

 

「それは……」

 

 その問いは私には答えることが出来ないものだ。私がローレライと繋がっているとしても、能動的に彼と交信することは出来ないし、何よりアッシュとルーク、どちらがより相応しいかを決めるのは私であってはならない。

 

「……聞くまでも無いな、アイツだろうさ。モース、お前がディストやジェイドと一緒になって俺とルークの身体をどうにかしようとしてくれていたのは知っている。だが怖いんだよ。自分の存在が希薄になって、最期にはアイツと同化するだなんて。俺が俺である証を失って、その存在すらも消えちまうってのが」

 

 私は固く組まれたアッシュの両手に自身の右手を添えた。その手は温かいお茶を飲んだ後だというのに冷え切っていて、その冷たさに耐えかねた私は両手で彼の手を包み込んだ。

 

「アッシュ、申し訳ないですが私はあなたの問いに答える術を持っていません。ですがヴァンを止めるのは、ローレライに選ばれたのはあなた達のうちどちらかなどではなく、あなた達どちらもでは無いのですか? 私はそう信じています。あなたも、ルークもどちらも欠けてはいけない存在だ」

 

 月並みな言葉だ。ここまで薄っぺらい言葉がよくも吐けたものだと自己嫌悪が止まない。私の言葉はただの綺麗ごとで、何の解決にもならない。それでも私は綺麗ごとを貫き続けなければ。

 

「……ハッ、なんで俺よりもお前の方が先に泣いてやがる」

 

「そ、そんなことは……」

 

 彼に指摘されて初めて私は自身の頬に伝う涙に気が付いた。居た堪れなくなり、視線を落として頬を拭う。

 

「見苦しいものをお見せしてしまいました。情けないことです。私などよりよっぽどあなたの方が辛いというのに」

 

「モース、この話はアイツらにはしてくれるなよ。こんな話で同情を買うなんてみっともない真似はごめんだ」

 

「……ええ、あなたの望むままに」

 

 私の情けない顔を見たことで少し元気が出たのか、アッシュの顔に先ほどまでの悲壮感は無かった。代わりに弱々しいながら、呆れたような笑みを浮かべて私を見つめていた。

 

「アッシュ、あなたはもうルークを一人の存在として認めているのですね」

 

「ああ、もうアイツは、俺のレプリカなんかじゃねえ。アイツが、アイツこそがルークだ」

 

「アッシュ……」

 

 レプリカを、自身の居場所を奪った存在を認めること。それはどれだけ勇気のいることだろう。けれどもアッシュは口に出して言ってみせた。

 

「私は、燃え滓(アッシュ)としてだけではないあなたの居場所を作ります。もう少しすればあなたはアッシュ・フォン・ファブレとして、この世界に唯一の存在として居場所ができる。それにその居場所は私一人の力で作ったものではなく、あなたがたった一人でヴァンの計画に立ち向かった功績があるからこそ作ることが出来たものです。どうか、ご自分を卑下することが無いようにと言わせてください」

 

「……皮肉なもんだな。今は俺の方がアイツよりもよっぽど弱い」

 

 自嘲するように笑うアッシュの肩を抱く。彼がこうやってある意味年齢相応の弱さを見せたことが何度あっただろう。今まで彼にはそれが許されてこなかった。幼い頃にヴァンに誘拐され、レプリカに存在を置き換えられ、自身を誘拐した張本人であるヴァンに依存せねばこの世界に存在することすら難しかった。今までの旅にしてもそうだ。ティアやガイ、アニス、ジェイド、ナタリアといった頼もしい仲間がいたルークに対し、アッシュは一人で戦い続けていた。

 

「弱さを見せることはその人が弱いことにはなりませんよ」

 

 ならば今のアッシュを誰が責められようか。誰かと泣くことも、笑うことも奪われた彼が見せた弱さを誰が笑えようか。

 

「私では不満でしょうが、彼らの前で強くありたいと思うのならば、こうやってどこかで弱さを吐き出さねば」

 

 結局、私では本当の意味でアッシュを救うことなど出来ない。けれども彼の肩を抱き、その心に少しでも寄り添うことは出来る。一時の慰めになることも。そしてそのことをアッシュが必ずしも不快に思っていないだろうことは、彼が私の手を振り解かないことで十分に理解出来ていた。しばらく言葉も無く、アッシュは視線を自身の両手、そしてそこに添えられた私の手に落としていた。

 

「……俺は今ここで弱さを吐き出した。すまないな、お前に俺の感情を吐き捨てるようなことをした」

 

「少しでもお役に立てたなら幸いです。あなたより長く生きているのですから、支えるのは当たり前のことですよ。あなたにこうして頼って頂けるほど信頼されていたというのは私にとっては嬉しい誤算でしたがね」

 

「お前がヴァンの企みを知り、この世界の行く末を知り、一人で戦っていたことをお前自身の口から聞かされた。お前は覚えちゃいないだろうが。俺だってそれを認めていないわけじゃない。俺の為に動いてくれようとしたこともな」

 

 アッシュはそう言ってソファの背もたれに身体を預けた。私は彼の肩に回していた手を解き、窮屈にならないように少し離れて座り直す。彼の顔が先ほどよりも晴れやかになっているのを見るに、部屋に来たときよりも精神状態は良化したと見て良いだろう。ただ話を聞くことしか出来なかったが、元より強い彼にはそれだけで十分だったのかもしれない。

 

「モース、俺は明日の朝に改めてお前達を訪ねる。そこで俺は決着を付ける」

 

「……そうですか」

 

「止めないんだな」

 

「あなたがそうすべきと思ったのなら、そうすべきなのです。それがけじめになるのなら。例えどちらが勝ったとしても……」

 

「ああ、俺は(アッシュ)だ。アイツ(ルーク)とは違う」

 

 そう言って彼は席を立つ。弱々しさは消え、いつもの彼の力強い気配が戻ってきた。私はそれを認めると彼の前に立つ。

 

「アッシュ、あなたの選択は他ならぬルークを救うでしょう。私は、あなたにこの上ない敬意を表します」

 

「俺はアイツを救うつもりでやるわけじゃない。俺が俺として生きるために、過去(ルーク)を乗り越え、(アッシュ)を生きるためにやることだ」

 

 私の言葉にそう返してアッシュは部屋を後にした。テーブルの上に残されたカップは空になっており、私はそれを見つめながら、どうにも寝付けないまま朝を迎えることになる。

 

 そして翌朝、グランコクマの街の入り口で私達を待ち受けていたアッシュはルークと対峙し、こう宣言した。

 

「俺とお前、どちらがローレライの鍵を手にヴァンと対峙するのか。どちらがルークとして、あの男の弟子として奴の前に立つのか。今ここで決める」

 

 

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