大詠師の記憶   作:TATAL

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導師守護役と私

 私がアニス・タトリンと初めて顔を合わせたのは、記憶の通りに彼女の両親が拵えたバカげた額の借金を私が肩代わりしたときだった。

 

「おお、モース様。この度は本当にありがとうございます。これでまた奉仕活動を続けることが出来ます」

 

 家すらも引き払うことになってしまったタトリン家に、教団施設内の宿舎を格安で貸し出したことを、私は少し後悔し始めていたところだった。

 私の前でニコニコと温和な笑みを浮かべているタトリン家の大黒柱、オリバー・タトリンは、悲しいことに私の記憶の中のままの性格であった。

 

「タトリンさん。あなた、この状態で奉仕活動に参加するなど、本気で言っているのですか」

 

「? ローレライ教団の者として奉仕活動は欠かせないでしょう。パメラも同じ意見です」

 

 私の隣に立つアニスが俯き、両手で裾をぎゅっと握りしめているのがタトリン夫妻には見えないのだろうか。借金は消えたわけではなく、私が肩代わりをして債権が移っただけなのだ。タトリン家には給金が発生しない奉仕活動などにかかずらっている余裕などあるはずが無いのに。

 

「いやはや、本当に困っておりました。何分相手が返済を待ってくれなかったもので、どうしたものやら途方に暮れておりましたので」

 

 タハハ、と笑うオリバーを私は白い目で見ることしか出来ない。まさかこの男、私が借金の返済を催促せず、ずっと待ち続ける聖人君子だとでも思っているのだろうか。いや、思っているんだろう。この人を疑うことを知らないタトリン夫妻は、人の善性を信じて疑わない、ある種傲慢な考えを持った二人は、まさかローレライ教団の大詠師である私が借金の催促などするはずが無いのだと、頭からその可能性を排除しているのだ。だからこうして呑気に笑っていられるのだ。

 

「タトリン夫妻。お子さんのアニスがいる前でこのようなことは言いたくないのですが、あなた方はどうやってこの借金を私に返すおつもりなのか、お聞きしても良いですかな?」

 

「えぇ、それは私たち夫婦の給金から少しずつ返済いたしますが…?」

 

「それはあなた方の借金額をきちんと認識した上で言っておられますか? 私が肩代わりしたお二人の借金は一千万ガルド。一般職員であるあなた方が日々の生活費と別に捻出したお金で細々と返して返しきれる額とお思いですか」

 

「モース様! 私のお給料も返済に充てますから!」

 

 アニスが私を見上げてそう訴えるが。それではダメなのだ。それを許せば(モース)とアニスの間には確執が生まれるだけではなく、タトリン夫妻は自らを省みることなくこれからも他者への善意のツケをアニスへと、自分たちの娘へと背負わせ続けるのだ。それではアニスが幸せになれない。彼女にとっては家族がいるだけで幸せなのかもしれないが、それは歪んでいる。

 

「アニス。あなたの給料を返済に充ててもそう変わりません。私が言いたいのはただお金を返せということではない。タトリン夫妻、あなた方に自らの過ちを見直し、その傲慢な考えを修正して頂きたいのです」

 

「傲慢な考え、ですか?」

 

 呆けた表情をするタトリン夫妻に、私は我慢ならず、胸に抱いていたモヤモヤを全てぶちまけてしまった。

 

 

 何故他者を善意で助けるタトリン夫妻が、最も善意を向けるべきである娘を蔑ろにするのか。

 

 二人は確かに家族に愛情を向けているかもしれないが、情だけで何故守ろうとしないのか。

 

 娘が両親に言ってもどうにもならないと私に頭を下げに来た時、彼女がどれほど情けなく、辛い思いをしていたのか。

 

 私が思いの丈をぶちまけ終わったころには、オリバー・タトリンは項垂れてすっかり消沈してしまい、パメラ・タトリンははらはらと涙を溢していた。

 言いたいことを言いきって冷静になった私は、言い過ぎてしまったことに今更ながらに焦りを覚えていた。

 

 取り敢えず二人がきちんと生活基盤を整え、アニスに頼ることなく借金を返せる体制が出来上がるまでは返済は待つので、しっかりと家族で話し合うようにとだけ言い残して私はその場を後にしたのだった。

 

 それから、アニスが神託の盾騎士団でやっていけるように目をかけたり、ディストと会わせて彼女のメイン武器であるトクナガを手に入れられるようにしたり、譜術や戦闘の訓練をつけたりなど、導師守護役として不足ないように、記憶の中の彼女と同じ、あるいは超えられる程の力を身に付けられるようにフォローを欠かさないようにした。これで少しでもアニスの中の私の評価を上げると共に、彼女が家族のことを一身に背負って潰れてしまわないように取り計らった。

 

 

 


 

 

 

「その結果が、今のこれですか」

 

 私は自分の手に頭をグリグリと押し付けてご満悦な表情をしているアニスを見やり、小さな声で呟いた。

 どうやら彼女の中で私は親戚のおじさんに近いような立ち位置となったらしい。公の場ではキチンと立場を弁えた振る舞いをするものの、こうして人目が少ないところでは年相応の幼さを見せるようになった。それ自体は喜ばしいことだ。彼女が心を許せる相手は一人でも多くいて欲しい。記憶の中では、彼女は借金という枷を嵌められ、誰にも相談できないままにスパイをさせられ、心を擦り減らしてしまっていたのだから。

 

「さ、アニス。そろそろ良いですか?」

 

「んへへ~、はい、満足しました!」

 

 あまり長くこうしているわけにもいかない。アニスに声をかけると、アニスはアリエッタと言い争っていた時の剣幕は何処へやら、緩み切った顔でドアノブに手をかけた。

 

「イオン様~、モース様がいらっしゃいました~」

 

 部屋に入ると、書き物机で何かを読んでいた少年が顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべて私を出迎えてくれた。

 

「やぁ、モース。来てくれたんですね」

 

「ええ。導師様のお呼びとあらば、万難を排して参上いたしますとも」

 

 アニスには再び扉の番をしてもらい、誰が来ても部屋に通さないようにと命じて導師と二人きりにしてもらった。控えめながら、意匠をこらした机を挟んでソファーに腰掛ける。

 

「お茶でも入れましょう。導師様、茶器をお借りします」

 

「そんな、それは部屋の主である僕の仕事ですから」

 

「導師様にお茶くみをさせたなどと噂になっては、大詠師ではいられませんからな。どうぞ、座っていてください」

 

 慌てる導師を押しとどめ、私は手早くお茶の準備を済ませると、私と彼の前に湯気が立つティーカップと茶菓子を広げた。私も導師も、茶菓子を一つ摘み、お茶で口を湿らせる。これは彼と話をするときのルーティンだった。いつもしている動作は、私の心を少しばかり落ち着けてくれる。この準備は、他の誰でもない、私の為に必要な準備なのだ。

 

「さて、今日もお話しさせて頂きたいのですが」

 

「ええ。導師イオン(オリジナル)と、あなたの記憶についてですね?」

 

 私の言葉に、導師は表情を引き締める。

 

 そう、私は彼が()()()()()()()()()()()()()()、こうやってオリジナルである導師イオンのこと、私の記憶のことを彼に教えてきた。彼こそ、この世界最後の導師であり、その温かな人柄、素直な性格と、私の記憶を託すのに必要な資質を全て兼ね備えている。

 

「導師イオンについては、あなたも彼の日記を読んで殆ど把握してくれていることでしょう」

 

「そうですね。……彼が自分の導師守護役であるアリエッタを本当に大切に想っていたのだということが、伝わってきました。どうして彼がアリエッタを導師守護役から解任して僕に付けないようにしたのか、分かります」

 

 彼はそう言って膝の上に乗せた本の表紙を撫でた。それは、私が導師イオンに言ってつけてもらっていた日記である。死の預言(スコア)を知ってから、導師イオンはこの世界に絶望してしまった。そんな彼が唯一心を許していたのが守護役であったアリエッタだ。彼が死ぬまで綴られた日記の大半は、アリエッタとの日々が記録されている。私はこれをイオン(オリジナル)から託され、イオン(レプリカ)へと繋いだ。アリエッタを悲しませることのないように。少しでも、今の導師にイオンを知ってもらえるように。

 

「近いうちに、アリエッタとあなたが話せる場を持ちます。人払いをアニスに任せますので、話したいことを話してください。今のあなたがアリエッタの知る導師イオンではないことを伝えても構いません」

 

「……良いんですか?」

 

 私の言葉に導師は意外だと言わんばかりの表情を浮かべる。

 

「良いのです。私は導師イオンからアリエッタのことを任されました。しかし、あなたもまた私が守るべき存在なのですから。あなたが導師イオンとしてでなく、一人の自立したイオンとして彼女と向き合うこともまた尊重されるべきでしょう。優しい嘘の世界で生きるとしても、辛い現実に向き合うことになるのだとしても、私はそれを支えるだけです」

 

 そう。アリエッタのことを思うのならば、彼には彼女の知る導師イオンであり続けてもらった方が良い。だが、それではいつまでも彼が導師イオンのレプリカという影に捕らわれたままになってしまう。記憶の中では、彼は旅の途中で自己を確立させたが、その直後に私の愚挙によってその命を散らせてしまう。彼が導師イオンのレプリカとしてでなく、一人の人間として立つことが出来るようにすることもまた、私にとっては譲ることの出来ない使命であるのだ。

 

「……あなたこそが導師と呼ばれるような人なのだと、僕は思いますよ。モース」

 

「やめて頂きたい。私のような愚か者には大詠師の地位さえ重すぎるのです」

 

 導師は優しい目で私を見つめるが、私にはその目にすら自身を責め立てる光を幻視してしまう。どこまでも罪深い私に許されるのは、この身をすり潰してでも、少しでも優しい方向へ世界を導くことだけなのだ。

 

「さて、では私の記憶の話をしましょうか。前回はどこまで話しましたかな?」

 

「アブソーブゲートでヴァン謡将を討ち取ったところまでですね」

 

「ではその続きから話しましょうか」

 

 その言葉を合図に導師は姿勢を正し、私の言葉に耳を傾ける。私から与えられる情報を一言一句聞き漏らさないように。

 

 

 


 

 

 

 気がつけば日が傾き、窓から西日が差しこんでいた。

 

「今日はここまでにしておきましょうか」

 

 随分と集中していたのか、私も彼も時間の流れどころか話すこと以外のことを意識していなかった。この言葉で初めてカップの茶がすっかり冷めてしまっていることに二人して気づいたくらいなのだから。

 

「そうですね。モースは、この後はまだ仕事は残っていますか?」

 

「仕事ですか? いえ、今日は珍しく仕事が少なかったものですから」

 

「でしたら、夕食を一緒に食べませんか?」

 

 彼はそう言って無邪気に笑う。しかし、この方は自分の立場というものをちゃんと理解しているのだろうか。いや、分かっていて言っているのかもしれない。彼はまだ生まれて間もないがとても聡明だ。導師イオンもそうだったが、その性質は彼にも受け継がれているようだった。

 

「導師様。あなたは改革派筆頭、私は保守派のリーダーなのですよ? 対立する派閥のトップが仲良く食事とはいきませんでしょう。こうして二人で会うこともあまり公にしたくないことなのですから」

 

「そうは言いますが、むしろ両派閥の溝を少しでも埋めるために必要なことではないですか?」

 

「むぅ、確かにそうかもしれませんが」

 

 派閥という意味ではそうかもしれないが、問題はヴァンである。あまりにも私と導師との距離が近いと彼が私を与しやすい傀儡と思ってくれるかどうか。今はまだ私とヴァンの間には協力関係があるが、あまりレプリカに入れ込んでいる姿を見られるとどのような変化が起こるか分かったものではない。

 

「フフ、そんなに悩むことはないと思いますよ」

 

 私の悩みを見透かしたかのように、彼は言葉を投げかけてくる。確かに考え過ぎなのかもしれない。だが、

 

「もう、そこまで煮え切らないのならば強硬手段しかありませんね」

 

「はい?」

 

 私がずっとうんうんと唸っているのに痺れを切らしたのか、彼はソファから立ち上がり、扉へと向かった。はて、強硬手段とは何だろうか。

 

「アニス。今日はモースと僕とアニスとで夕食にしませんか?」

 

「導師様!?」

 

 彼は扉を開けると、その前に立つアニスに向かってそんなことを言い放ったのである。

 

「ホントですか! 行きます行きますぅ~!」

 

「さ、モース。行きましょうか」

 

 そしてアニスは無邪気に飛び跳ねて喜んでいる。こちらに振り返ってニコリと微笑む導師に、私は何故か黒いものを感じたのだった。


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