タルタロスは泥の海を無事に超え、目的地であるユリアシティへと到着した。
未だ現実を呑み込めておらず、どこか気の抜けた表情なアクゼリュスの住民達は、同じく自身の想像を超えた世界に戸惑いながらも、訓練を受けた人間としての矜持でそれを表に出すことを我慢しているマルクト兵に連れられ、ユリアシティに足を踏み入れる。
カンタビレと、彼女が率いる神託の盾騎士団員達も後に続き、住人への説明に奔走していた。
自失状態のルークは、万が一にもアクゼリュスの住民達と顔を合わせてショックを受けてしまわないようにというジェイド達の気遣いから、彼ら以外が無事にユリアシティに保護されたことを確認してから艦を降りる運びとなった。
「ほぇ~、まさかこんな泥ばっかりの
ルークの脇を固めながらも、物珍しそうに辺りを見渡してアニスは間の抜けた声を上げた。少しわざとらしい色が混じったそれは、重苦しく漂う一行の空気を払拭せんとしたためだろうか。
「生活に必要な物資の大半は外殻大地からの支給に頼っているから、あまり見て楽しいものは無いけれど」
「そーなんだ。時間があるときに探検したかったんだけどなぁ、残念」
ルークを挟んで交わされるアニスとティアの会話。後に続くイオン、ナタリア、ガイの顔は一様に沈んでおり、彼らの前を行くジェイドも、自分の後ろを歩くルークを気にかけてはいるものの、かけるべき言葉が見つからず、声を掛けあぐねていた。
「ようやく来やがったか、散々待たせてくれたな」
同じ空間にいるはずなのに、噛み合わない一行が行き着いた先、街の入り口にも見える少し開けた空間。そこに佇む一人の男に、一行は驚きの表情を露わにした。
「アッシュ!?」
彼を見てティアが驚きの声を上げる。彼らを待ち受けていたのは深紅の髪を靡かせ、碧色の目を持つ、神託の盾騎士団六神将の一角でありながら、ルークと同じ顔を持った男であった。
「ヴァンに強引にアクゼリュスから連れ出されたはずでは?」
「あんな鳥程度片手で十分だ。抜け出すのに時間が掛かっちまったがな」
ジェイドの問い掛けに素っ気なく返すアッシュ。その視線は最初からジェイドにはではなく、ルークただ一人へと向けられていた。
「……おい」
「っ! な、何だよ……」
つかつかと歩み寄るアッシュに肩をびくつかせ、怯えるように後ずさるルーク。そんな彼を庇うようにティアとアニスが前に出た。
「フン、相変わらずいいご身分だな、お坊ちゃん。女に守られて情けなくねえのか、テメエは」
「な、なんだと!」
嘲るように鼻で笑ったアッシュに対して、怯えていたルークが初めて積極的な反応を見せた。
「女の後ろでビクビクしてるような奴が情けなくないワケがねえだろう。何が違うんだ? 悔しかったらこんなことを言う俺を殴るくらいはしてみせろよ、泣き虫お坊ちゃんがよ!」
「お前ぇっ!」
その言葉に遂にルークがアニスとティアの手を振り切り、アッシュへと掴みかかった。アッシュは馬鹿にしたような表情を崩すことなく、かといってこれといった抵抗を見せることもなくルークに胸倉を掴ませた。
それを見て慌てて止めようとするティア達の行動は、他ならぬアッシュが手で制したことによって不発に終わる。
「どうした? 俺に馬鹿にされて悔しいんだろう? ヴァンに利用されちまった自分が惨めなんだろう? ほら、殴ってみろよ、操られるだけじゃなく、自分の意思で自分の行動をコントロールしてみせろ」
「俺はっ! おれ、は……!」
胸倉を掴まれたにも拘わらず、尚もルークを挑発し続けるアッシュと、それに返す言葉も無くただ手を震わせるルーク。
「そうやって泣いてたらお前のしでかしたことは無くなるのか?」
「アッシュ、もうその辺りで……」
「黙ってろ死霊使い。今のコイツには立ち止まって甘やかされてる時間は無い」
ジェイドが止めようとするも、アッシュはそれを視線と言葉で押し留めると、再びルークへと目を向ける。
「よく聞けお坊ちゃん。お前がそうやって沈み込んでてもアクゼリュスは元に戻らない。それにここでお前が立ち止まってなんかいたらヴァンの手によって第二第三のアクゼリュスが生まれてもおかしくないんだ。考えろ、お前が今すべきことを! それが俺の居場所を奪ったお前が果たすべき責務だろうが!」
もはやルークの手はアッシュの胸倉から離れていた。それどころか、反対にアッシュがルークの胸倉を掴みあげ、同じ色の瞳を覗き込んでいた。ルークはその視線から逃れようと藻掻いていたが、アッシュの言葉の中に引っ掛かるものを感じた。
「奪った……?」
言葉を呑み込み切れず、思わず口に出してしまうルークに、アッシュは一瞬目を瞠ると、すぐに嘲るような笑みを顔に浮かべた。
「鈍さもここまでくるとお笑いぐさだ。まだ気付いてなかったのか。考えてもみろよ、何で俺とお前が同じ顔を、声をしてるのか。使う剣術が同じ流派なのは何故だ? 赤毛と緑の瞳はキムラスカ王家に連なる人間の特徴だったか? ならどうして神託の盾騎士団の六神将である俺がその特徴を持っていると思う?」
「っ!? う、嘘だ……」
「いけません! アッシュ!」
「嘘じゃない! よく聞きやがれ。俺は昔バチカルの貴族の家に生まれた。キムラスカの忠臣である公爵家の一人息子だったんだよ。ヴァンっていう悪党に攫われるまではな」
「まさか……そんな……」
「イヤだ! 聞きたくない!」
アッシュの語りに目を見開くナタリアと、逃れようとするかのように耳を塞ぐルーク。アッシュはそれを許さないと言わんばかりにルークの手を掴み、言葉を続けた。
「かつての俺の名はルーク・フォン・ファブレ。お前はヴァンが計画の為に俺の情報を基に作り出した俺のレプリカなんだよ」
「そんな」
「なっ……!?」
「嘘だぁぁぁっ!」
ティアとガイが驚きのあまり険しい表情を崩す。そしてルークは叫びと共にアッシュの手を振り払い、しかしそれ以上は身体が動かずその場に倒れてしまう。それを見て尚も言葉を紡ごうとするアッシュをジェイドが後ろから羽交い絞めにした。
「アッシュ! 今はこれ以上は話すべきではないでしょう。ルークにも受け入れる時間が必要です!」
「お優しいな死霊使い! いつから人の機微に聡くなったんだ冷血の天才サマは! 罪滅ぼしのつもりか?」
「ぐっ、報いを受けるべきなのは分かっています。ですが……」
「今は言い争ってる場合じゃないでしょー! ほら、ティアもガイも、ルークを連れて行ってあげなきゃ!」
アッシュとルークの間に割り込んだアニスが場の空気を変えようと声を張り上げた。彼女の言葉に、固まっていたティアとガイがルークに駆け寄り、二人で脇からルークを持ち上げた。アクゼリュスの崩落、そしてアッシュの放った言葉、莫大な情報に押し流されたためか、彼は意識を失っていた。
「ティア、どこか休める場所は?」
「とりあえず私の部屋に連れて行きましょう。ガイと先に行ってるわね、アニス」
そう言うと、ティアはガイと共にルークを担いでユリアシティの奥へと向かった。その後には心配そうな顔をしたイオンが続く。
この場に残ったのは肩で息をしているアッシュと、それを羽交い絞めにしているジェイド、アッシュを下から睨みつけるアニス、そして事態を呑み込み切れていないナタリアのみとなった。
「チッ、離せ、死霊使い。暴れる気は無い」
「それを聞けて安心しましたよ」
「その、ルーク……今の話は……」
ナタリアがおずおずとアッシュに歩み寄るが、彼はそれを拒絶するかのように背を向けた。
「……今の俺はアッシュだ。ルークじゃない」
「ですが……!」
「その名前は今はアイツのものだ」
「その割にはルークに当たりキツかったんじゃない?」
ナタリアと目を合わさないようにするアッシュに対し、アニスは敵愾心を隠そうともせず対峙する。それは痛々しいルークに対するアッシュの態度を見たが故か。
「なんだ、あのお坊ちゃんをえらく庇うんだな、導師守護役が」
「レプリカとかなんとかよく分からないけど、ルークはルークなりにこれまで頑張ってきたんだもん。イオン様がアンタに攫われたときだって、何だかんだ言いながら助けてくれたのはルークだもん。ヴァン謡将に早く会いたかったのに、それを我慢してくれたの!」
その姿は小柄ながらも、腰に手を当て、精一杯身体を大きく見せるアニス。それは威圧的なアッシュに対してせめて気持ちの上では負けないようにしようとするから。今この場で全面的にルークの味方をしてあげられるのは自分しかいないから。かつて、自分を無条件に守ってくれた彼のように、今度は自分が守ってあげたいと考えるからだった。
「……フン、事情も知らないくせにそこまで言うとはな」
「アッシュ、まずは他の皆さんも集めて事情説明をすることにしましょう。少し時間を置いて、冷静に」
冷たい目で見下ろすアッシュの肩に手を置き、そう諭すジェイド。私が言えた事じゃない、と自身の冷静な部分は今の自分を見て嘲笑している。今更になって理解ある大人のフリをしようとしている自分を、他ならぬ自分が最も侮蔑しているのだ。
自らの才能に胡坐をかき、禁断の技術を生み出してしまった自分。後悔し、それを禁忌としたくせに、研究記録を抹消することは出来なかった。認めたくないが、自らに並び立つあの天才ならば、そして自分の罪の象徴に並みならぬ執着を持つ彼ならば資料さえあれば再現することは容易いはずだ。それを分かっていながら、放置した。どこか期待していたのかもしれない、彼が真に自らの研究を完成させることを。そのツケが今目の前に立つアッシュ、そして心に傷を負ったルーク。
(そして、恐らくは導師イオンも……)
脳裏に過るのは穏やかな顔をした緑髪の少年。そしてザオ遺跡で対峙した六神将の一人。
(烈風のシンク……)
顔を仮面で隠していたものの、その声も、体躯も、かなり近しい。アッシュとルークがそうであるならば、同じくローレライ教団に関係する彼らも同じような関係なのではないかと想像することは、ジェイドにとっては容易いことだった。
「おい、何してんだ死霊使い」
少し離れたところから聞こえたアッシュの声に、彼の意識は現実に引き戻された。
「大佐?」
小さな導師守護役が彼の顔を下から覗き込んでいた。
「……いえ、少しボーっとしてしまいましたね。いけませんねぇ、歳を取ると」
「まだ若いですよぅ、大佐は」
取り繕うようにいつもの軽口を交え、笑みを浮かべる。アッシュは先を行き、その少し後ろを躊躇いがちにナタリアが続く。ジェイドの言葉を聞き、アニスもその後を追った。
「……こうなることも、あなたの予想通りですか?」
彼の中に響くのはかの大詠師の言葉。まるで今のこの状況を見越したかのように、彼はカンタビレを派遣してアクゼリュスの民を救い、それによってルークの心に更なる傷を負わせることを防いだ。そしてジェイドがかけるべき言葉を考える余地を与えた。
彼の言葉、動きの全てがこの状況になることを知ったうえで行われたもののように感じられる。何を知って、何が見えているのか、ジェイドの頭脳を以てしても推し量ることが出来ない。
(大詠師モース。話を聞かねばならないことばかりになりますね……)
だがしかし、今だけは。この瞬間だけは、自分がアッシュを止め、ルークを慮るだけの分別を与えてくれた彼の言葉に感謝しても良いのかもしれない。
そう思いながら彼も歩を進めるのだった。