琥珀色のスープに浮かぶのは彩り豊かな野菜とベーコン。よく煮込まれた野菜を口に運べば咀嚼するまでもなくホロホロと崩れ、その滋味を存分に味わうことが出来る。
目覚めた私に用意された食事は、胃に負担をかけないようにという気遣いが感じられるものだった。
「とても美味しいですよ、本当にありがとう、フィオ」
「それほどでもない、と謙遜しておく。料理キャラは兄弟でも唯一なり」
「ええ、いつも私や他の者が来れない時はあなたが食事を作ってくれていますものね。それは素晴らしいあなたの個性ですよ」
「もっと褒めてくれても良い」
フィオもツヴァイと同じく表情の変化が多いとは言えないが、言葉数の多さで自分の思ったことをよく表現してくれる。こうしてこの子達を見るたびに、例え見た目が同じであっても彼らが導師イオンの代用品などではないということを思い出させてくれる。彼らはれっきとしたこの世界に生きる一人の人間なのだ。
「フィオばっかりズルい! 僕もずっと看病してたよ」
「看病、というか横で寝てた、だけ?」
「フローリアンに看病は重荷だったのだ。知ってた」
私の両隣でフローリアンが頬を膨らませ、それを見て首を傾げながらツッコミを入れるツヴァイ。彼らとの食卓はいつも賑やかで優しく、身体だけでなく心まで満たされる。
とはいえ、ここでのんびりと休んでいる暇は無いだろう。私が三日間も眠ってしまっていたということは、ヴァンや詠師オーレルが自由に動く時間がそれだけあったということだ。アッシュ達がベルケンドを訪れてスピノザから情報を聞き出し、ルークが目覚めてアラミス湧水洞に来るまでどれだけの日数がかかっていたかは定かではない。だが、アクゼリュスに送り込んだカンタビレが避難民達を連れてくる可能性もあるため、のんびりとしていられる時間は無いはずだ。
私は残ったスープを勿体ないと思いながらも急いで胃に流し込むと席を立った。
「さて、皆さんのお陰ですっかり元気になりました。私は仕事があるので急ぎ戻ろうと思います」
「えぇ~、もっと休んでようよ~。三日も起きなかったんだよ?」
「倒れるまで、働くのは、やりすぎ」
「右に同じ。休めるときに休むべき。過労死はいけない」
私の言葉に、彼らは三者三様に私を引き留めようとする。彼らの心遣いは嬉しいことこの上ないが、それでも休むわけにはいかない。それに、こうして安穏としている間にもルーク達は動いているのだと考えると、そうした意味でも私が休むわけにはいかないと感じてしまうのだ。
「大丈夫ですよ。今回は不覚にも倒れてしまいましたが、この程度でどうにかなるほど、私は柔ではないと自負しています」
そう言っても尚私にしがみつく三人を宥めすかし、次に来るときは彼らに一日付き合うことを約束してようやく解放されたのだった。
執務室に戻った私を出迎えたのは私の心境的には久しぶりと言える顔であり、そして待ち望んでいた味方でもあった。
「お久しぶりです、カンタビレ」
「まったく、えらく過酷な現場に送り込んでくれたもんだね。部下もそうだが私も珍しく疲れたよ」
執務室に備え付けられた来客用のソファに我が物顔で座り、部屋の主を余所に寛いでいる様は、本来ならば怒るべきなのだろうが今の私にそうする権利は無い。むしろ彼女がより寛げるようにお茶を淹れるくらいするべきなのだ。
「それに関しては申し開きもありません。ですが、よく生きて帰ってきてくれました。あなたならば必ずとは思っていましたが、それでも万が一がありますから」
「タルタロスが無かったらダメだったね。あそこにタルタロスがあったこともお前の予想通りかい?」
私が淹れたお茶に口を付けながら、カンタビレは横目で問う。探るような口調ではあるが、警戒心を感じさせるものではない。彼女も私があまり話さないことを察した上で、確認のために口にしただけなのだろう。対面に座る私は、その問いに頷きを返す。
「そうですね。ほぼ確実にあるとは思っていました。だからこそそこに残されたアクゼリュスの住民を助ける可能性を見出したのですから」
「なるほどね……、どうやって知ったのか、とかは気にしないことにするよ。アクゼリュスからの避難民はハイマンとトリトハイムがお前の残した草案で上手く受け入れ案を固めたみたいだよ」
私の答えにそれ以上追及することも無く、彼女は興味を失くしたように机上の菓子を摘まんで口に運ぶ。彼女のその割り切ったところに、私はまた救われた。また、私が眠っていた間の懸念の一つについても情報を与えてくれた。
「それを聞いて安心しました。ありがとうございます」
「でも気がかりなのはそれだけじゃないんだろう?」
「……やはり分かりますか?」
「心配事が一つしか無かったら倒れることもなかっただろうに。難儀な男だね。何でもかんでも自分で抱え込むなって前にも言わなかったかい?」
そう言ってジト目で睨まれると私は申し訳なさそうに肩を竦めることしか出来ない。とはいえ、私が抱えていることを今全て明かしたとしてそれが信じられるか、という問題もある。何より、ヴァンにそれが漏れてしまったときのことが最も恐ろしい。カリスマでも、武力でも計略でも劣る私に残された唯一のアドバンテージがこの忌まわしい記憶だ。これを共有する人間は出来る限り絞りたい。
「……すみません」
「ま、いいさ。私はお前に賭けるって決めた。それを違えるつもりは無い」
頭を下げた私に対し、彼女はあっさりとそう言ってのけた。どうしてここまで彼女が私を信じてくれるのかは未だに分からないが、今はありがたい。彼女には申し訳ないが、まだまだ頼りたいことがたくさんあるのだ。
「さて、それで私が倒れている間に何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったことねぇ。少しマズいことになってるかもしれないよ」
「マズいことですか?」
私の問いに彼女は眉根を寄せ、不機嫌な表情を隠そうともせずに答えた。
「ああ、お前が眠っている間に導師イオンがキムラスカの王女を連れてダアトに戻ってきた」
「導師イオンが戻られたのですか。ですが、問題とは?」
「あのガマガエルがやらかしたのさ」
「詠師オーレルが? まさか……」
私の脳裏に嫌な想像が過る。彼の振る舞いは記憶の中の私と被るところが少なくない。そしてダアトに戻った導師イオンとナタリア殿下。記憶の私は何をした?
「導師イオンとナタリア殿下が教団施設内のどこかに軟禁されたみたいだ。あの野郎、よっぽどキムラスカとマルクトに戦争して欲しいらしいね。ま、
「馬鹿げた話です。未曽有の繁栄という言葉に踊らされ、その過程で出る犠牲を許容するなど。アクゼリュスもあなたがいなければ夥しい犠牲が出ていました。戦争になればそれ以上の犠牲が出る。その先に得られる繁栄とは一体どれほどの価値があるのか」
カンタビレ以外に聞かれてしまえば大問題となってしまうような言葉だった。だが、口を衝いて出てしまった。私は記憶の私を得てしまってから今まで常識と感じていたものに初めて疑問を抱くようになった。その一つがローレライ教団の在り方だ。ユリア・ジュエの遺した
「
「だとしてもです。詠師オーレルのしたことはキムラスカを敵に回しかねないことなのですよ。一国の王女を監禁する? いくら自治区とはいえ所詮は一都市でしかない。キムラスカ軍を相手に生き残れはしないのに、徒に大国を刺激するようなことをするなど……」
そこまで言って私はまた、ある可能性に思い至る。まさか、彼はナタリア殿下のあの秘密について知っているのではないだろうか。彼の振る舞いが記憶の私と重なる点、そして彼が教団内で着実に力を付けており、彼の手が及ぶ範囲が広がっていること、彼はキムラスカが敵に回らないという確信を持っていたからこそこのような凶行に及んだのではないか。記憶の私がそうしたように。
「モース? 急に考え込んじまってどうしたんだい?」
「……カンタビレ、今はとにかく導師イオンとナタリア殿下を救出しましょう。導師イオンがこのままダアトに留まって六神将の手に渡ることも避けねばなりませんし、何よりナタリア殿下をこのまま閉じ込めておくのはダアト全体にとって良からぬことを招きかねません」
「まったく、余計なことしかしでかさないね、あの男は。とはいえどうするんだい? 私も導師イオンとナタリア殿下がどこに閉じ込められているのかまでは分からないよ。奴の子飼いにしか情報は降りてないだろうし、今から何人か捕まえて吐かせるかい?」
「手分けしましょう。カンタビレは今言った通りオーレルの部下から情報を聞き出して下さい。私は少し心当たりがありますので、先にそちらを当たります。もしそれで見つけられなければ合流します」
「よし、なら早速動かないとね」
言い終わると同時にカンタビレは勢いよく立ち上がり、執務室を飛び出していった。それを見届け、私も部屋を出る準備を始める。
備え付けのクローゼットから取り出すのは訓練でも使用している宝玉付きの杖。実戦にも耐えるそれをゆったりとしたローブの内側に隠し、外から見えないようにする。
もしも詠師オーレルが記憶の私のように行動するとすれば、導師イオンとナタリア殿下が捕らわれた部屋も心当たりがある。まずはそこを当たってみるつもりだ。待っていても恐らくはルーク達が救出に来るのだろう。しかし、私だけではなく、詠師オーレルが動いているこのダアトに彼らを近づけることは何となくだが避けたい。出来る事なら私の手でダアトから逃がせないものか。
私が今までのように細やかな抵抗をし続けたところで世界は悲劇に向かうことは避けられないかもしれない。私の記憶の通りに世界が進むかどうかも分からなくなってきてしまった。記憶の中では、セントビナー崩落の後、ルグニカ平野でキムラスカとマルクトの両軍が衝突する。しかし、それが早まる可能性もあり得るのだ。そうだとすれば、ナタリア殿下には早くバチカルに戻り、少しでも進軍を遅らせてもらわなければならない。あの男が本当に秘密を握っていると考え、それがインゴベルト陛下の耳に入らないうちに。
「……私も、腹を括るときが来たのかもしれません」
ローブの中にしまい込んだ杖の冷たい感触が、今の私には心地よく感じる程だった。