大詠師の記憶   作:TATAL

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船上での一幕と私

 人ごみに紛れ、バチカルへの連絡船に乗り込んだ私と導師イオン、ナタリアの三人は、宛がわれた船室でようやく一息つくことが出来ていた。

 

「ふぅ、船に乗ってさえしまえば後はバチカルに向かうだけですね。お二人には突然のことで申し訳なく思います」

 

「いえ、私は特に、それよりもあなたの方が……」

 

「そうです! モース、どこか怪我はしていませんか?」

 

 部屋に入り、さて一息と思ったところで導師イオンが常ならぬ焦った表情で私の身体を触って怪我が無いか確かめてきた。ローブの上から触っただけでは分からないと思うのだが、実際怪我をしているわけでもない。

 

「ご安心ください、多少疲れはしましたが怪我などはしていませんよ。それよりも、あなたやナタリア殿下は特に体調に問題は無いですか? そんなことは無いと思いますが、閉じ込められているときに暴行を受けたりはしていませんか」

 

「僕たちは大丈夫です。部屋から出してもらえなかっただけで、特に危害を加えられることもありませんでした」

 

 導師イオンの言葉を聞いて私はホッと胸を撫で下ろした。どうやらあの男もそこまで短絡的ではなかったようだ。導師イオンに手を出すことは無いとは思っているが、ナタリアに対しては彼女の秘密を知っていれば危害を加えてもおかしくないとは考えていただけに、余計である。

 私は未だに心配そうに身体をさすってくる導師イオンを宥めて椅子に座らせると、思い詰めたような表情で黙り込んでいるナタリアの方へと向き直った。

 

「さて、バチカルに着くまではいくらか時間があります。この機会に私に聞いておきたいこと、言っておきたいことがあるのではないかと思っているのですがどうでしょうか、ナタリア殿下」

 

 聞かれたことには出来る限り誠実に答えましょう、と続ければ、不安げに震える翠の瞳と視線が合った。

 

「……そう、ですわね。あなたには聞きたいことばかりですわ。何から聞くべきなのか最早分からないくらいに」

 

 アクゼリュスでは崩落に巻き込まれ、ユリアシティではルークとアッシュの関係を知り、そうして戦争を止めるために導師イオンと訪れたダアトでは何も聞かされぬ間に拘束されてしまう。彼女の頭の中には処理できていない情報が溢れてしまっていることだろう。むしろ取り乱すことも無く、私について来てくれただけでも驚きだ。

 

「その、あなたは一体どこまで知っておりましたの……?」

 

 暫しの沈黙を置いて発された彼女の疑問は、多くの意味を含んでいた。

 

「どこまで、ですか。正直に言いましょう。私はアクゼリュスが崩落することも、ルークがレプリカであることも知っておりました」

 

「モース、良いのですか?」

 

 あっさりと情報を漏らす私に、導師イオンが気遣わしげに問いかけるが、それに対して頷きを返して安心させる。彼女も知るべき情報だろう。こうして記憶から外れ始めてしまった以上、話せるところは話してしまうべきだ。

 

「……だとしたら、どうしてアッシュのことを私に黙っていたのですか! 私が悩んでいるのを知っていながら、何故!」

 

 彼女の怒りは当然のものだろう。彼女からすれば、私は彼女が大事にしているルークとの約束の記憶について悩んでいるのを知っていながら、その悩みの核心について口を閉ざし続けていたのだから。

 

「私が悩んでいる姿はさぞかし滑稽だったでしょう! 約束を交わしたのはルークではなく、アッシュだったのですから。あるはずもないものを求めてルークに付き纏っていた愚かな女と、笑っていたのでしょう!」

 

「何故、どうして、全てを奪われたアッシュを助けなかったのですか!」

 

 彼女の悲痛な叫びの全てが私に鋭利な刃となって突き刺さるような心地だった。

 

「ナタリア、モースにも事情が」

 

「導師イオン、良いのです。彼女の怒りは当然のもの。事実として私は事情を知りながらアッシュを助けることなく、ナタリア殿下が悩んでいることを知りながらも何も明かさなかったのですから」

 

 我慢できないとばかりに反論する導師イオンを途中で遮る。今は彼女の言葉を止めるべきではない。彼女にしてみれば私の事情などは何の意味も無いのだ。それに、ナタリアの怒りを受け止め、それに対して弁明するのは私がやるべきことであり、導師イオンが泥を被ってはならない。

 

「ナタリア殿下、確かに私はアッシュの境遇を知りながら、彼を助けることはしませんでした。ルークがレプリカであることを知りながら、あなたの悩みを解決する答えを持っていたのにそれを抱え込んだままでいたことは責められて然るべきでしょう」

 

「……何故、アクゼリュスが崩落すると知りながらルークを行かせたのですか。それのせいで、彼は心に深い傷を負いましたのよ」

 

「何を言っても言い訳にしかならないでしょうが……私にはそれを止める術が無かった。預言(スコア)に詠まれたアクゼリュスの崩落を、大詠師の私が止めることは出来ませんでした。出来たのはカンタビレを送り、せめて犠牲者を出さないようにすることだけでした」

 

「でしたら! 今こうして私達を助けたのも預言(スコア)に詠まれていたからだと言うのですか!」

 

「……信じて欲しいとは言いません。ですが、あなた達に信じて頂けなくとも、私はあなた達を助けると決めているのです。それが、私に課せられた役目ですから」

 

「役目……?」

 

 ナタリアは何を言っているのか分からないと言わんばかりに目を白黒させている。彼女からしてみれば訳が分からないだろう。だが、それで良いのだ。誰かに理解されるために私はこうして動いているわけではない。私はただこの頭の中に巣食う記憶を現実にしないために動くだけなのだから。

 

「そう、役目ですよ。ナタリア殿下の悩みを解決することもせず、ルーク様に何も知らせずにアクゼリュスに行かせた。私は既に大人失格の人間ですが、それでも子ども達が少しでも平和に過ごせるように心を砕くのが大人の役目というものです。今更に過ぎますが、その役目を果たさなければならないと思ったのです」

 

「その役目の中に、アッシュを救うことは入っているんですの?」

 

「勿論。彼が望まないとしても、遅すぎると罵られようと」

 

 例えその過程でこの身を犠牲にすることになったとしても。その言葉は心の中に留めることに成功した。

 

「そう、ですか。では大詠師モース、外殻大地の崩落も、戦争も、全てはヴァンの謀なのですか?」

 

「私が戦争を望んでいたとすれば、あなた方を助けることはありませんでした。ヴァンが関わっていることは間違いないでしょうが、戦争を望んでいるのはローレライ教団の上層部のほぼ全てと言っていいでしょう。それがユリアの預言(スコア)に詠まれていること故に」

 

「…………でしたら、私があなたを責め続けることは出来ませんわ。今はキムラスカとマルクトの戦争を止めるために動かなければいけませんもの」

 

 沈黙の後、彼女の口から出てきたのは私を責める言葉では無かった。それは些か私にとって甘すぎるのではないかと思えるくらいの言葉だった。

 

「良いのですか? 私はあなたに罵られる程度では済まないことをしていました」

 

 思わず心の中の疑問が口を衝いて出てしまった。むしろ、私は彼女に責めて欲しかったのだろう。私の抱える罪悪感が、それによって少しでも薄まるのだと期待して。

 

「言いたいことは山のように有れど、それを全て口に出してしまうほど子どものつもりはありませんわ。それに、後程きちんと謝って頂きますわ、ルークと、アッシュの二人に。確かに私と約束を交わしたのはアッシュですわ。ですが、ルークも七年間ずっと、傍で見続けていましたの。ルークに対する仕打ちを許したつもりはありませんわ」

 

 その言葉に、私はそんな場では無いと分かっているにも拘わらず、顔が綻んでしまいそうになった。彼女の言葉は、ルークとアッシュをレプリカ、オリジナルという括りで見るのではなく、一人の人間として、それぞれを受け入れていることを示していたからだ。私には知る由も無いが、ユリアシティで真実を知ってから、彼女の中で折り合いをつけることが出来たのだろう。そのことが堪らなく嬉しく感じる。「本物のルーク」という残酷な言葉がこの少女の口から出なかったことが嬉しい。

 

「そう、ですね。二人には必ず謝罪をすると約束しましょう。事情を知りながら動かなかったことを。例え彼らが許してくれなくとも」

 

「アッシュとルークならば許しますわ。私の二人の幼馴染を見くびらないでくださいな」

 

 そう言ってツンとそっぽを向いてしまうナタリアに、私は口元をついつい緩めてしまったのだった。それと同時に、彼女にも近い内に辛い真実を突き付ける必要があることに、じくりと心が痛むのを感じた。

 

 それから暫くは、穏やかな船旅の時間を過ごすことが出来た。船室の中で、教団本部にあったものよりはやや質の劣る茶葉を使って束の間のティータイムに興じる余裕すらあったほどだ。ナタリアはバチカルのことやルーク達のことが気がかりなのか、最初は渋っていたものの、今の状況では気を急いても仕方がないと説いたこと、そして導師イオンの説得もあって後半からは席に着いてお茶を楽しみ始めた。

 そんな平和が崩れたのは、ダアトを脱してから一日が経ってからのこと、俄かに船室の外が騒がしくなったのをナタリアが聞き咎めたのが始まりだった。

 

「何やら外が騒がしくありませんか?」

 

「何かあったのでしょうか?」

 

「私が見てきましょう。お二人はくれぐれも船室から出ないように」

 

 外を気にする二人に対して、外に出ないようにと言い含めた私は、船室を出てから人の流れに逆らうようにして甲板へと向かった。

 行き交う人々は皆自身の船室に争うように逃げ込んでおり、耳を澄ませてみれば魔物、少女といった単語が耳に飛び込んできた。ここに導師イオンがいること、そして今耳にした言葉から、私はこの船に訪れた客人が誰なのかを理解すると共に、私の狙い通りになってくれたことに対して始祖ユリアに感謝したい気持ちだった。

 

「我々は海の上、タルタロスも手元には無いとなれば頼るのは彼女ともう一人のどちらかになるでしょう。彼女を送り込んだのがあなただとすれば、感謝しなければなりませんね、リグレット」

 


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