大詠師の記憶   作:TATAL

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本来は前話でここまで書きたかったものの長くなるため分割


妖獣と私 2

 導師イオンとアリエッタが居る部屋から大きな物音がしたのは、私とナタリアの会話が一段落した頃だった。何かが床に倒れるような音、そして誰かの泣き声。誰か、と濁したものの、その声の主はすぐに分かった。ナタリアと顔を見合わせ、私はドアノブに手をかけて扉を開いた。

 

「……どうやら話は終わったみたいですね」

 

「モース……」

 

 床にへたり込んで泣いているアリエッタと、椅子に座ったまま沈んだ表情で俯く導師イオン。それだけでこの部屋で何が話されたのかは理解できてしまう。ナタリアはアリエッタの隣にしゃがみ込み、彼女の肩を抱いて慰めてくれていた。ナタリアとアリエッタは自身の想い人がレプリカとなっていたという共通点がある。私から導師イオンがレプリカであることを聞き、そしてアリエッタの今の表情から、彼女も大体の事情を察したのかもしれない。

 

「ナタリア殿下、アリエッタを少し外に連れ出してやってくれませんか。今は冷静になれる時間が必要でしょう」

 

「ええ、分かりましたわ。さあ、行きましょうアリエッタ」

 

 ナタリアに支えられ、アリエッタは覚束ない足取りながらも部屋を後にした。今は導師イオンの傍にいる方が辛いだろう。本当は私がついていてやるべきなのだろうが、アリエッタと同じくらいに今放っておけない人が目の前にいる。

 

「導師イオン、話したのですね」

 

「はい……。彼女に嘘をつき続けることは出来ないでしょうから」

 

 膝に置いた自身の手に視線を落としたまま、導師イオンは私の言葉に答えた。アリエッタの辛さは私には計り知ることが出来ない。慕っていた人が本人のレプリカであり、そして本人は既にこの世を去っていた。幼い少女の心に、その事実はどれだけの衝撃を与えてしまったことだろう。

 自らその事実を打ち明け、アリエッタの心を傷つけてしまった彼もまた辛いはずだ。そして彼はそんな自分の心を押し込めることが出来てしまう人間なのだ。それでどれだけ自分が傷ついてしまおうとも。

 

「モース、今更になって話さなければ良かった、だなんて言ったら笑いますか?」

 

「笑いませんよ。笑うことなどできません」

 

 今この場で嘘をつき続けたとしても、いずれ彼女は気付いてしまっただろう。例え姿形がまったく同じでも、オリジナルとレプリカは別人なのだから。近くにいれば違和感を覚える。早いか遅いかの違いでしかないと私には思えてしまうのだ。だとすれば、彼自身の口から真実を告げることは、精一杯の誠実さの表れではないだろうか。

 そのことを告げると、導師イオンは力なく笑みを浮かべながら、傍らに立つ私を見上げた。

 

「やっぱり優しいですね、モースは」

 

「そんなことは無いでしょう。本当に優しいのならば、あなた自身の口からこんなことを言わせることも無かった。結局、私は私の口からアリエッタに真実を話すことを恐れ、その責任をあなたに被せたのです。恨んでいただいても構いません」

 

「感謝すれど、恨むことなんて一つもありませんよ。それに、これは僕のワガママなんです。アリエッタの望む導師イオン(オリジナル)でいることが出来ないから、僕は僕と言う一人の人間でいたいというワガママです」

 

「それがワガママなものですか。誰かの代わりなど誰にも出来ないのです。例えレプリカでもです。私にとって導師イオン(オリジナル)あなた(導師イオン)は最初から別の人間です。彼の日記をあなたに渡したのは、彼の想いを知って欲しかったからであり、あなたに彼の代わりになることを望んでいたからでは無いのです」

 

 私はそう言って彼の傍らに膝をつき、彼の頭に手を乗せる。兄弟の中では最も落ち着きがあり、大人である彼だが、今は年相応の不安げな表情を覗かせていた。本当ならば、私がこのようなことを言う資格が無いことは分かっている。だが、今彼にそれを言えるのは私しかいないのだ。

 

「ですからあなたが自分を責める必要など何一つ無いのです。不甲斐ない大人を、私を責めれば良いのです。子どもはそうやって大人を使うことが許されるのですから」

 

「……仮にも僕はローレライ教団の導師ですよ?」

 

「そうだとしても、子どもであることが許されないわけではないでしょう」

 

「そう、なのでしょうか」

 

 私が知る限り、忌々しい記憶の中でも、導師イオンは生まれてから死ぬまで涙を見せたことは無かった。彼自身の情緒がそこまで育っていなかったということもあるだろうが、それとは別に彼の立場、生まれが彼にそれを許さなかった側面があることを否定できない。フローリアン達が個性的で、多かれ少なかれ自分の感情を出すことに躊躇いを覚えないのは、導師イオンという外から与えられた枠が無いからなのかもしれない。彼らは最初から導師イオン(オリジナル)の代用という役割が無かったから、アイデンティティを確立出来た。

 だが、導師イオンには最初から代用品という役割が押し付けられてしまった。それが彼の自我の確立に良い影響を与えているわけが無いことは明らかだ。それを押し付けた者の一人でありながら、私にはそれが堪らなく悲しいことのように思えるのだ。

 

「導師イオン、私はあなたに導師の役割を、イオンの役割を押し付けてしまった罪人です。だから本当はこのようなことを言うことなど出来ないし、言うべきではない。ですが、敢えて言わせて頂くなら、あなたはあなたで良いのです。同じ名前を背負ったからと言って、()()()()()にならなくとも良いのです」

 

「……ならば、少しの間だけ、胸をお借りしても構いませんか?」

 

「私のような偽善者でよろしければ、いくらでも」

 

 そう言うと彼は私の胸に顔を埋めた。私には、彼の表情を見ることは出来なかったが、彼の肩が小刻みに震えているのを見るだけで、今の彼がどんな顔をしているのかが想像できた。それを指摘するほど私は無粋なつもりはない。今の私が出来ることは、押し殺した声で泣く彼が落ち着くまで彼の震える背中をさすってやることだけだ。

 

 人は皆、生まれたときに泣く。自分がここにいることを世界に知らしめんばかりに、総身を以て自らの存在を声高に主張するのだ。

 

 だが、レプリカは生まれたときから既に成長した姿であり、泣くことも無い。導師イオンのレプリカとして生まれた彼もそうだった。無機質に生み出され、無感動に生まれた。

 

 赤ん坊が産声を上げることによって()として生まれるのだとするのならば。

 

 今、彼は一人の()()()として生まれたのかもしれない。

 

 


 

 

 

「恥ずかしいところを見せてしまいました」

 

 暫く経って落ち着いたのか、イオンは顔を離すと、頬を赤らめながらそう言った。その目元はまだ多少赤くなっているが、涙が溢れてきそうな気配はない。

 

「恥ずかしいものですか。辛いときは誰だって泣くものです」

 

「僕はあなたが泣いているところを見たことがありませんよ?」

 

「私が泣いているところなど人に見せられたものじゃありませんからね」

 

「モースが泣くときは、今度は僕が胸を貸しましょう」

 

 そう言って微笑むイオン。どうやら冗談を言える程度にまでは落ち着いたようだ。服の裾を掴んで見上げるイオンに曖昧な笑みを返していると、扉がノックされる音が響いた。それに答えると、アリエッタの手を引いたナタリアが部屋へと入ってきた。アリエッタも目元は赤くなっており、今も目は潤んでいるものの、先ほどまでのように声を上げて泣く気配は見られない。

 

「ナタリア殿下、ありがとうございます。本来ならば私が向かうべきでしたのに」

 

「気になさらなくても構いませんわ。そちらも色々とあったということは分かりますもの。それに、アリエッタと仲良くなれましたし」

 

 私の言葉にそう答えて、彼女はアリエッタに微笑みかけた。それを見たアリエッタも、頬を少し赤らめながら小さく頷く。彼女が面倒見が良い気質であることは以前から知っていたが、その気質がアリエッタにも存分に発揮されたようだ。傍から見ても彼女らの距離が縮まったことが分かる。そんな彼女達に向かってイオンが歩み寄り、懐から小さな冊子を取り出してアリエッタへと差し出した。

 

「アリエッタ、あなたにとって辛い事実を突きつけることになってしまってごめんなさい。ですが、このことを告げないとあなたにはこれを渡すことすら出来なかった」

 

「これは……?」

 

「導師イオン、よろしいのですか?」

 

「良いんですよモース。これは本来なら彼女の手に渡るべきだったものです。それを僕が今まで一時的に預かっていたに過ぎませんから」

 

 イオンがアリエッタに差し出した冊子。それはオリジナルのイオンが生前に日々の出来事を書き綴った日記だった。彼の死後、私が預かり受け、今のイオンへと渡していたものだ。

 

「アリエッタ、これはあなたのイオンがつけていた日記です。これを読むだけでどれほどあなたと導師イオンが互いを想い合っていたかがよく伝わってきました。そんなお二人の間に僕が割り込むことなんて出来ないと思うくらいに。僕はあなたのイオンになることは出来ません。彼はもう死んでしまって、ここに居る僕は彼と同じ姿形、名前をしているだけの別人です。だけど、この日記の中にあるのは、間違いなくあなたのイオンです」

 

「イオン、様……」

 

 日記を震える手で受け取ったアリエッタは、それを胸に掻き抱くと、静かに涙を流す。先ほどまでのように自身の感情を曝け出すのではなく、自身の気持ちと折り合いをつけるために一時だけ泣く姿は、ほんの少しの時間で彼女が子どもから大人へと成長したことを感じさせた。

 

「……ありがとう、ございます。大切にします、ね。イオン様」

 

 そして再び顔を上げた彼女は、未だに涙が止まらないにも拘わらず、その顔に笑みを浮かべていた。

 

「モース様も、ありがとう、ございます。イオン様と話す機会をくれて。私のイオン様は死んじゃったのかもしれないけど、でも、今のイオン様をモース様が助けたいなら、私もお手伝い、します」

 

「……ありがとうございます、アリエッタ」

 

 アリエッタの言葉に対して礼を言う私の内心は荒れ狂っていた。私がアリエッタを気遣い、面倒を見て、彼女に慕われていることは私自身理解していた。だからこそ教団から追手として彼女がやってきたことに対して不安を感じることはなかったし、彼女ならば私に協力してくれるだろうという考えがあった。タルタロス襲撃のとき、彼女にマルクト兵を殺さないように言ったことも、今彼女が発した言葉も、今までの彼女との信頼関係を踏まえれば、そうしてくれる、そう言ってくれるだろうという期待があった。だがこの考えは、幼い少女の純粋な気持ちを利用するものだ。このためだけにアリエッタと信頼関係を築いたわけではないのに、結果として彼女からの信頼を利用し、便利に使おうとしている。今の私の行いはヴァンがルークを利用した所業とどこが違うと言うのか。結局のところ、私はいくら悔いてもその心根は悪党でしかないということだ。

 

 ならば、私はとことんまでそうならなければならない。利用するならば、せめてそれが無駄にならないように。

 

「アリエッタ、では一つお願いをしても良いですか」

 

「お願い、ですか? 分かりました。何でも、言ってください」

 

 私は膝をついて彼女と視線を合わせる。彼女はその瞳に強い意志を秘めて私に視線を返してくる。そこには、私への信頼と、使命感が宿っているのだろうか、私にはそんな価値は無いというのに。

 

「教団本部に、導師イオンのレプリカ達がまだ残されています。今までは私が匿っていましたが、こうして教団を離れた今、彼らを助けることが出来る人間が必要です。あなたには、彼らの、導師イオンの兄弟とも呼べる存在を助けて頂きたいのです。ディストかシンクならば教団本部の隠し部屋に繋がる道を知っています。あなたの力を使って、彼らを秘密裏にダアトから連れ出して頂けませんか」

 

 特にフローリアン、ツヴァイ、フィオの三人は、身体能力に特筆すべきものがあるわけでもなく、導師としての素質があるわけでもない。だが、その存在がヴァンや詠師オーレルに知られてしまえば、彼らがフローリアン達を利用するだろうことは想像に難くない。だからそうなる前に、ダアトからフローリアン達を連れ出し、安全な場所に匿わなければいけない。

 

「イオン様の兄弟……。分かりました。アリエッタ、頑張ります」

 

「ありがとうございます、アリエッタ。どうか、あなた自身が怪我をしないように気をつけてくださいね」

 

 人形と日記を抱く手に力を籠めたアリエッタの頭に手を添え、心からの謝意を口にする。この少女を、記憶のように悲しみの中で死なせることはあってはならない。自分のツケを払わせるように彼女を利用することに対する負い目と、彼女からの信頼の重みで軋む心を努めて無視しながら、私は顔に笑みを浮かべてみせる。どこまでも薄っぺらな笑みだが、長年貼り付けてきたその薄皮は、多少の痛みや苦しみを容易く覆い隠し、周囲に悟らせることは無い。

 

 いずれ全てが終われば、私には然るべき報いが下されることだろう。そのときには、犠牲になるのが私のような悪人一人であることを願う。

 

 


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