アッシュのお陰でダアトに戻る必要がなくなったため、ヴァンがベルケンドを離れたというアッシュの言とジェイドが技術書の解読を行うのを待つこともあり、私達は再び研究所を訪れていた。街中もそうだが研究所の前にもいた神託の盾兵の姿はなく、ヴァンが街を離れたことを示していた。
「俺達が街にいることは知っているはずなのにこうもあっさりと離れるとはな。嘗められてるってことか」
「どうでしょう。案外こちらに構っていられる余裕が無いのかもしれませんね。外殻大地を崩落させるなど一人の人間が企てるには大きすぎる野望です」
ガイの言葉にそう返す。私の記憶とは異なり、今はアリエッタがヴァンに積極的に協力しているわけではない。場合によってはシンクもヴァンとの協力関係を見直しているかもしれない。そしてそもそもディストはヴァンの思想に共感しているわけではなく、あくまでビジネスライクな関係に終始している。そう考えると、ヴァンが十全に使える戦力というのはおよそリグレットとラルゴくらいのものだ。特に魔物を使役できるアリエッタが消極的であることはヴァンの機動力を削ぐという意味で大きな意味を持っている。彼があまりこちらに干渉せず、オーレルにある意味任せた状態になっているのもそういった背景があると考えれば頷ける。とはいえ、油断することは出来ないが。
ティアの診察結果を待つ間、診察室の外でこうしてガイと他愛もない話に興じる。ジェイドはビリジアン知事の屋敷で技術書の解読。アニスとイオン、ナタリアは街で物資の買い出し、ルークはティアに付き添って診察室の中にいる。こうして二人きりでいるのは初めてだが、あまり気まずい空気もなく会話が行えているのは彼の気遣いのお陰だろうか。
「それにしても、話を蒸し返すわけじゃないが一体あんたはどこまでお見通しなんだい、モース様?」
「どこまで、ですか……。どこまででしょうね」
「おいおい、随分と曖昧だな」
「私自身、分からないのですよ。それに、今話したとて信じられないようなお話です」
「……それを話すにはまだ俺たちが信用ならないか?」
「いいえ、逆ですよ」
逆? と片眉を上げたガイに向かって、私は力ない笑みを浮かべて答える。
「私が私自身を信用していないのですよ」
この記憶がただの妄想と切って捨てられるものではないということは今までの経験で既に分かっている。それ故に、私は自分自身を最も信用できないのだ。つまり私は常に自分を戒めていなければ、記憶の中の私のように独善的な正義を振りかざし、それを大義名分として数多の人々を踏み躙ってしまうような人間だと言うことだ。
そんな私が、この記憶を彼らに話せばどうなるか。彼らに全てを任せ、自分は累が及ばないところに逃げてしまうのではないだろうか。自分が傷つくことを恐れ、子ども達が犠牲になることを良しとするような、私が許容できない生き方を選んでしまわないかという恐れが私にはあった。それ故に、万が一のことがあったときの為にイオンには話をしたが、ルーク達に私の記憶について話をすることは気が引けた。
「私は弱い人間です。自分が背負っているのだと、そうやって自らを縛り付けておかないと辛いことから逃げ出してしまうような人間です。私が抱えたものは、私がそうやって逃げ出さないようにする重しでもあるのですよ」
「……何とも、難儀な性格をしてるんだな、あんたも」
「意志薄弱な人間というだけですよ」
呆れたように肩を竦めたガイに、私はそう言って同じように肩を竦めて見せた。
「ま、そういうことなら無理に聞き出すのはやめとく。あんたが話しても良いと思えるようになったら話してくれればいいさ」
「ありがとうございます。虫の良いことを言っていることは自覚しているのですがね」
「良いさ。あんたがルークや、俺達のことをちゃんと考えてくれてるってのは分かる。大詠師なんて地位が似合わないお人好しなんだってこともな」
そう笑うガイの顔に、私に対する疑いの色は見られない。こうして人から信頼を向けられるということに慣れていない私には、それは少々背中がむず痒くなるものの、決して不快な感覚では無かった。
そうやって話している間に診察が終わったのか、診察室からルークを伴ってティアが姿を現した。事前にディストの腕輪を使って彼女の身体に蓄積した汚染
そういった事情もあり、ヴァンが居ようが居まいがこのタイミングでベルケンドでティアの容態を診てもらうことは必須だったのだ。
「お疲れ様です、お二人とも。診察の結果はどうでしたか?」
「何も問題ありませんでした、モース様」
「ああ、ちょっと血中音素が減ってるって話だったけど、障気障害は何も無かったってさ」
安心したような笑みを浮かべてそう返してくれる二人からは、何か隠し事をしているような気配は感じない。ということはディストの発明品は確かにティアの身体の汚染音素を取り除き、彼女を障気障害から救う手段となっていると言って良いだろう。
「そうですか。それを聞けて安心しました。ということは腕輪を使って汚染された
「はい、モース様のお陰です」
「私が何かしたわけではありませんよ。ディストのお陰でしょう。さて、ではこれで憂いもなくなったことですし、後はジェイドの解読を待つだけですね」
「とはいえいくら旦那と言っても一日はかかるだろ。俺達も買い出しに出るか?」
「そうですね。このまま帰ったとてやることも無いでしょうし、気晴らしも兼ねて買い物に行くのも良いでしょう」
特に反対する理由も無いため、ガイの提案に頷く。腕輪がその役割を果たすという確証が得られた今、急いですべきこともあまりない。懸念していたスピノザの盗み聞きも、ディストが彼を扱き使っているせいか、研究所の廊下を慌ただしく駆けるその姿で無いと感じた。何せルークとすれ違ったのに何ら反応を示すことも無く、両手に溢れんばかりの紙束を抱えて走る彼に、ヴァンに告げ口をしている余裕があるようには見えなかった。とはいえ、地核振動を止めるためにタルタロスをシェリダン港で加工し始めればヴァンもこちらの動きに気付くことだろう。
「じゃ、じゃあ皆で一緒に……」
「私がいても楽しめないでしょうし、皆さんで楽しんできてください。私は一足先にジェイドの所に戻って少しでも解読の手伝いをしてきますので。……っと、すいません。被ってしまいましたね、ティア」
「いえ……」
ティアと被ってしまったため、謝罪するも、彼女は何故か落ち込んだ様子だった。一体何を言おうとしていたのだろうか。そしてそんなティアの姿を見てガイとルークが苦笑をしているのも気になる。
「やれやれ、さっき話してたときも思ってたが、自分を卑下し過ぎるってのも考え物だな。ルークもここまでなっちゃだめだぞ?」
「いや、流石に俺もここまでじゃないだろ。……ないよな?」
ガイとルークは二人で顔を寄せ合って何やら話しているが、一体どうしたのか。そもそも若者の中に一人私のような年増が混ざるというのも気まずいものなのだ。何せ仕事しかしてきていないわけで、こういったときに若い子たちがどうするのかなど分かるわけがない。
「はぁ、モース様よ。こういうときは荷物持ちが一人でも多い方が良いんだよ。ティアもそう思うだろ?」
「……ハッ、ええ、そうね、そう思うわ!」
「よし、じゃあモースも買い出しに付き合うってことで! それにジェイドは一人で集中したいって言ってたしな!」
「え、あの、皆さん? あ、ちょっと引っ張らないで」
私が何かを言う前にルークを先頭にガイとティアの二人が私の手を引いていく。それを振り払うわけにもいかず、されるがままについて行くしかなく。そのままルーク達三人の買い物に付き合って日暮れまで街を練り歩くことになったのだった。
ルーク達に引っ張られて身体的にはともかく精神的に中々の疲労を感じた次の日、私達は技術書の解読を済ませたジェイドと、護衛としてアッシュをシェリダンに送り届け、他の面々はセレニアの白い花が咲くタタル渓谷へとやってきていた。
「前に来たときは夜だったし、初めてだったから余裕も無かったけど。こうして来てみるとここの景色って結構良いんだな」
気持ちいい風に吹かれながら、ルークは目を細めてはるか先の海原に視線を向ける。この場所は超振動でルークとティアがバチカルのファブレ邸から飛ばされた先だ。時折吹く海風は、セレニアの花弁を少し散らして私達の間を抜けていく。
「初めてここであなたが目覚めたときはとんだお坊ちゃんだと思ったわ」
「ちょ、やめてくれよティア」
「フフッ、冗談よ。あのときは本当に申し訳なかったわ。私が先走ったせいで何も知らないあなたを巻き込んでしまって……」
「でもそのお陰で俺は外の世界を知ることが出来た。もちろん辛いこともあったし、取り返しのつかないことをしちまって悔やんでも悔やみきれないこともあった。でも、ティアと会ってこうやって旅を出来ることに感謝してるよ」
「ルーク……」
そう言って屈託なく笑いかけるルークに柔らかい笑みを返すティア。今この場にいるのは二人だけとでも言わんばかりの雰囲気が漂い始め、特にこの場にいる人間の中で些か年齢が離れている私などは少々居心地の悪さを感じ始めるほどだった。
「おんやぁ~、何だか二人ともイイフンイキ~?」
「ほうほう、ルークも隅におけねえなぁ」
「あら、そういうことでしたらルークはまずモースに話を通すべきなのでは無くて?」
そんな私の胸中を察したのか、あるいは年頃のイタズラ心故か、アニスがニヤニヤと笑みを浮かべながら二人をからかい、そんなアニスにガイとナタリアも乗っかった。
「ちょ、お、俺はそんなつもりじゃ……!」
「そ、そうよ! それにどうしてモース様の許可なんて話に」
三人の口撃に、ルークもティアも慌てて否定の言葉を口にするが、耳まで真っ赤に染まった二人の顔色が何よりも内心を雄弁に物語っていた。
「そうですよ、ナタリア殿下。いくら上司といえど、私は部下の交友関係にあれこれと口出しするような浅ましい人間ではありませんよ」
「お、良かったなルーク。これで堂々と声を掛けても許されるぞ」
「もう勘弁してくれよガイ」
ニシシと笑うガイに、手で顔を扇ぎながらルークがぶつぶつと返す。ティアもティアでアニスに何やら詰め寄っている様子だ。
「アニスもいきなり何を言い出すのよ」
「えぇ~? でもでもぉ、ティアも満更じゃなさそうだって感じだったしぃ~」
腰に手を当てて怒りを表現するティアだが、未だに赤みの抜けないその顔では迫力など全くない。アニスがにやけた表情を戻すこともない。ティアも本気で怒っているわけではないし、アニスもそれを分かっているからだ。ここ数日は特に気が抜けない日々だったのだから、こうやって少しくらいガス抜きをする時間も必要だ。誰しも常に気を張っていられるわけではないのだから。特にこうした他愛ない会話こそ、子ども達がらしくあれる瞬間だと言えるだろう。
「ま、交友関係に口出しするような人間ではないと言いましたが、もしめでたいことがあったならば是非私からもお祝いさせて頂きたいですね。良い報告が聞けることを楽しみにしていますよ」
「「モース(様)!?」」
だから私がこうして彼らをからかってしまうのも仕方のないことなのだ。そう言い訳しておくことにしよう。