公爵家で賑やかな夜を過ごした明くる日。私達はインゴベルト王から託された親書と共にアルビオールを駆り、一路グランコクマを目指していた。
「それにしても今朝は大変だったな……」
そう言ってげっそりとした顔を隠そうともしないルーク。彼の赤毛も常の輝きが少し失せているようにも見える。
「まさかあそこまで大騒ぎになるとはな……」
「イオン様と同じ顔してるのに中身は全然違うんだねぇ……」
ガイとアニスもルークに同調するように疲れた表情を見せる。私はというと、それに対してどう声を掛けたものかも分からず苦笑いする他ない。
「一体なにがありましたの……?」
「ナタリアは昨日城に居たものね。実は……」
そんなルーク達を見て頭に疑問符を浮かべているナタリアに、ティアが今朝の様子を掻い摘んで説明し始めた。その会話を聞きながら、私も今朝の騒動に思いを馳せる。
事の発端は朝食の席だった。和平会談と降下作戦開始のタイミングをどうすべきか話し合う私達に、クリムゾンが白光騎士団をシェリダンに送り込んだことを告げ、取り敢えずは和平会談を優先することに決めたところまでは順調だった。
問題はそこからだ。私がルーク達と共にグランコクマに発つことをフローリアン達に話すと、三人は口を揃えてこう言ったのだ。
「「「やだ!」」」
理屈も何も無い一言である。そして私の身体にしがみついて徹底抗戦の構えを見せたのである。しかも私が行くなら自分達もついて行くと言う。導師イオンがグランコクマに行くのだし、彼の護衛はどれだけいても多すぎることはない。フローリアン達に関して言えばバチカルの、それもファブレ公爵家に保護されている時点でこの世界で一番と言って良いくらいに安全が確保されている。フローリアン達を連れ出すのは彼らが傷つけられたり、攫われるといった直接的なリスクもさることながら導師イオンと同じ顔が複数あることによる混乱なども考えられ、どう考えても認めるわけにはいかない。
そう言い聞かせても彼らは私の身体にへばりついたまま動く素振りを見せなかった。彼らの気持ちも分からないではない。突然ダアトを連れ出されたかと思えば、安全だからと見知らぬ場所に放り出された。もちろんクリムゾンが無体な真似をしていないことは彼らを一目見れば分かることだが、それで彼らの心細さが埋まるわけではないのだ。私が訪れたことで、迎えに来てくれたのだと思ったのだろう。
そう考えてどうにも声を掛けあぐねていた私に助け舟を出してくれたのがルーク達だった。
「モースだって離れるのは辛いけどどうしてもやらなくちゃいけないんだ」
「これが片付いたら今度こそ迎えに来るからさ」
「離れるのは辛いけど、皆を連れて行って怪我をさせてしまう方がモース様には辛いことだと思うの」
「モース様も頑張って早く帰ってくるから、皆もモース様を送り出してあげてくれないかなぁ?」
ルーク、ガイ、ティア、アニスの四人がこうして宥めすかし、言い聞かせ、最後には力づくで私からフローリアン達三人をべりべりと引き剥がしてようやく公爵家を出ることが出来たのだ。ちなみにジェイドは最後までニヤニヤと楽しそうに私を眺めていただけだった。
「まあ、それは……大変でしたのね、モース」
「いやぁ、大人気なお父さんですねぇ」
「説得してくれたルーク達には感謝してもし切れませんよ。そしてジェイド、あなたは最後まで手伝う素振りすら見せませんでしたね……?」
「ああいった手合いは私にはどうにも出来ませんからね。慕われていて何よりでは?」
ジト目で睨みつけるもジェイドは悪びれる素振りも無くカラカラと笑う。言い返す気力もなく、私は席に身体を埋めた。
「これから更にタフな相手と話をしなければならないというのに、何故朝からこんなに疲れてしまっているのでしょうね、私は」
「ホントにな……」
心の中に留めておくつもりが思わず声に出ていたようで、隣に座ったルークが力無く同意してきた。私とルークは顔を見合わせると、互いにため息交じりの笑いを交わしたのだった。
マルクトの首都グランコクマ。水の壁に囲まれたその都市は見る者の目を奪う美しさがあるが、戦時には敵の侵攻を阻む強固な要塞となる。大規模譜術によって海面からせり上がった水の壁が都市をぐるりと囲むことであらゆる譜術や攻城兵器を通さない流体の壁となるのだ。譜業に秀でるキムラスカと対照的な、譜術を極めんとするマルクトらしい都市防衛機構だ。今はその防衛機構は発動していないため、私達はこうして皇帝へのお目通りが叶っている。
「ようやくキムラスカも重い腰を上げて和平に臨む気になったか」
玉座に腰かけた金髪褐色の美丈夫は、インゴベルト王のしたためた親書に目を通すとやれやれと言わんばかりに首を振った。彼にしてみれば、前々から打診していた和平交渉を散々無視され、今になってようやくキムラスカから和平の打診があったのだ。言いたいことの一つや二つはあるだろう。ただそれを仮にもキムラスカからの使者の前で口に出して良いものかという懸念はあるが。
「ピオニー陛下。これまで貴国からの打診を無視し続けておきながら今になって、と言われても何も言い返せませんわ。申し訳ございません」
「よせよせ、あなたはキムラスカの王女で正当な和平の使者だ。そんな方にこんな愚痴一つで頭を下げさせたとあっちゃ俺の方が悪者になっちまう。というかジェイドも止めろよな」
頭を下げようとしたナタリアをピオニー陛下はそう言って押し留めた。そして恨めしそうにジェイドを見やるが、彼は相変わらずの薄ら笑いで何のことですか? と嘯くばかりだった。
「いやぁ、陛下がうら若い王女を泣かせていた、と妹に良い報告が出来そうなものでしたから」
「おい馬鹿やめろ。ネフリーにだけは言ってくれるな。里帰りがしにくくなるだろうが。天下のマルクト皇帝を吹雪の通りに締め出す知事なんてアイツくらいのもんだぞ」
そう言って頬杖をついて半眼になるピオニー陛下。そんな彼と私の目がバッチリと合ってしまった。もちろん彼のことだから私がついて来ていることなどは最初から分かっていたのだろうが、彼はわざとらしく驚いた表情を作って見せる。
「おっと、大詠師モースじゃないか。まさかルーク達と一緒に来ているとは思いもしなかったな」
「はぁ、何を仰いますか。ジェイドから報告を受けていたでしょうに。それに今の私は大詠師ではありませんよ。陛下にも教団から使いが来たのではありませんか?」
「んん? そういえば来ていたかもしれんな」
陛下はそう言って顎に手をやって視線を宙に彷徨わせる。つくづく芝居がかっている所作だが、彼の優れた容貌と纏う雰囲気で様になっている。頭の良い皇帝陛下は自身のそうした性質も最大限利用しているのだ。
「何やら大詠師が交代したなど訳の分からんことを言っていたが、ダアトのローレライ教団員の中でマルクトと交渉出来るのはお前くらいしかいないだろう? ま、お前が大詠師職を辞したままなら我が国にとって喜ばしい限りだがな」
関税交渉が楽になって助かる助かる。
そんなことを言ってさも楽しそうに笑うものだから、ついつい私も釣られて笑みを浮かべてしまった。
「過分な評価をして頂いているようで恐縮ですね。今の私はローレライ教団とは無関係なダアト市民ですので、交渉などは良く分かりませんが、どうかお手柔らかにして頂きますよう」
「「ハッハッハッ」」
「何かピオニー陛下が怖いんだけど」
「腹黒い大人たちの腹黒いやり取りだ。ルーク、耳塞いどけ」
ついには陛下と私とで声を上げて笑ってしまった。横に立つルークとガイが何やらぶつぶつと言い合っているが一体どうしたというのか。
「それにしても、ジェイドが何だか自信喪失したと思ったらモースに鼻をへし折られてたってわけか」
「陛下、御戯れはよしてください」
「照れるなよジェイド。ったく丸くなっちまいやがって。モースに言い包められちまったんだろ?」
珍しく狼狽えた様子を見せるジェイドを、陛下は容赦なく追い詰める。気心の知れた幼馴染だからこそのやり取りだろう。当のジェイドにとってはたまったものではないかもしれないが。
「言い包めたつもりはありませんがねぇ。少しばかり小言をぶつけてしまいましたが」
「ハッハッハ、モースの小言か。それは耳が痛かったことだろうな、ジェイド」
「そうですね、こんな人と日々やり合っていたのかと、我が国の外交官を労わる気持ちが湧きましたよ」
「おお! あのジェイドが人を気遣うことを覚えたとは。こりゃモースには何か褒美を取らせないとな」
「遠慮しておきますよ。陛下からの贈り物には喜びよりも先に警戒心がくるので」
「この不敬者め」
そう言って陛下と私は笑う。ローレライ教団の大詠師として訪れていた頃は緊張感しかない会談だったが、それがこうやって気楽な会話に興じることが出来るようになったという意味では、大詠師職を追われて良かったのかもしれない。
「と、雑談はこのくらいにしておいてだな。会談場所は?」
「切り替え早ッ!? ……ユリアシティにしようと思ってます」
そしてさぱっと話を切り替えた陛下がルークに目をやる。やや展開について行けていなかったルークだが、気を取り直すように一度咳ばらいを挟むと、会談場所を陛下に告げる。
「ユリアシティか。聞いたことはないが、まあこの宮殿から出られるならどこだって楽しいもんだ。良いだろう」
流石にマルクト皇帝といえど、
「早速行くのか?」
「陛下の準備ができればすぐにでも。今は時間が惜しいですから」
陛下の言葉にジェイドが間髪を入れずに返す。ジェイドの発言を受けて陛下はすぐさま立ち上がった。
「なら早速行くとするか。護衛にはフリングス少将をつける。ゼーゼマン、俺の留守を任せたぞ」
「畏まりました、陛下」
傍らに控える部下に指示を飛ばし、玉座を降りてルークの前に立つと、陛下はルークと目を合わせて微笑んだ。
「よくやったな、ルーク。お前のお陰で、これ以上無駄な血が流れるのを防ぐことが出来そうだ」
「ッ、はい、ありがとうございます!」
その言葉にルークは一度身体を震わせると、勢いよく頭を下げた。床を見下ろす彼の表情はよく見えなかったが、青い絨毯に一滴の雫が落ちたことが彼の内心をこの上なく物語っていた。