「ダアトは今やヴァンの息がかかった連中の巣窟だ」
カンタビレはダアトへの道すがら今のダアトの状況をルーク達に説明する。
カンタビレの率いる第六師団は大詠師となったオーレルによって僻地の警備任務へと充てられ、今のダアトにカンタビレの部下は数える程しかいない。また、モースの退任に応じなかった詠師達は元の任地を奪われ、その勢力を大きく削がれてしまった。
「そうだって言うのに問題はオーレル派閥の連中がまともに仕事をしないってことさね」
カンタビレは呆れたようにため息をつく。モースが大詠師であった時も私腹を肥やす要職者はいた。だが、度が過ぎた者は流石のモースも見逃さずに処理していた上に、見逃されていた連中もモースのそうした監視を理解してローレライ教団としての仕事を滞りなく進めていたためある程度の統制が取れていた。
「重石が無くなって好き放題しているというわけですね」
ジェイドの言葉にカンタビレはその通りと言わんばかりに大きく頷いた。
「オーレルは周りを賛同者で固めて好き放題だよ。実務担当者が何とか回しちゃいるがね。そういった奴らは大体がモース派で冷遇されてる。いつまでも均衡が続くわけじゃない」
現状のダアトは一見すると導師派、中立派、大詠師派の三つ巴の様相を崩してはいないが、その内実は大きく異なっている。大詠師オーレルに反発するモース支持者が大詠師派から離反し、対抗派閥である導師派あるいは火の粉が飛ぶことを恐れて中立派に合流。大詠師派の勢力は数だけ見れば少なくなったが、オーレルが大手を振って権力を行使するようになったため、導師派も中立派もその対処に苦慮していた。その煽りは神託の盾騎士団にも及んでおり、ヴァンと敵対するカンタビレは師団長でありながら行動制限を受け、アリエッタ、シンクは無断行動のため師団長権限を凍結。現在の神託の盾騎士団においてはヴァン、リグレット、ラルゴが実質のトップ層となっていた。
「あれ? ディストはどうしたの?」
カンタビレの説明にアニスが口を挟む。アニスの背に負うトクナガはかつてディストが手を加えたことによって戦闘用譜業人形となっており、そうした縁もあってアニスは師団長の中ではディストを最も気にかけていた故に出た質問だ。
「ディストは上手くやってるね。モースに協力していたのは確かだけど、オーレルにも取り入ってるよ。それにアイツの頭脳はオーレルもヴァンも易々と手放せない。ギブアンドテイクが続く限りは好きにさせるだろうさ」
カンタビレの言葉通り、ディストの動きは見事なものだった。モースが大詠師を追い落とされてすぐにオーレルに取り入り、自らの研究者としての能力をアピール。彼らの計画に必要なフォミクリー技術についてはジェイドを除けばディストが最も深い見識を持っていることは確かであり、モースに協力した事実はあっても表立って反抗もしないディストは邪魔されることなく今なおベルケンドの研究機関を出入りしているらしい。
「あの鼻たれがそこまで強かになっているとは……」
ジェイドは思わず言葉を漏らす。彼の知るディストはいつも自分の後をべそかきながら追いかけてくる情けない姿のまま。それがいつの間にか強かで、この局面において欠かすことの出来ない重要なポジションに落ち着いている。それを思うとジェイドの中には今まで感じたことのないざわつきが生まれた。
(私がディストに嫉妬している……? まさか)
そのざわつきの正体に半ば気付いてはいるものの、頭を振ってそれを再び自身の心の奥底に封じ込めると、カンタビレの説明に意識を戻す。
「あたしも今回シェリダンでドンパチやったからね、今頃権限停止処分でも出されてるだろうさ」
ま、そんなもの今更気にしないけどね。とカンタビレは笑う。
「あたしは何か信念があって神託の盾騎士団に居たわけじゃない。自分の力を試したくて、気付いたら師団長になってたってだけだからね。元より権力になんか興味も無い。だからそんな気にするんじゃないよ、ルーク」
「は、はい。ありがとう、ございます」
権限停止処分と聞いて暗くなったルークを励ますように、カンタビレは殊更明るく言い放った。
「それにね、どうせ師団長って言っても主席総長や大詠師の命令何かで良いように使われるだけの人間さ。あたしを使うのは、あたしが認めた人間じゃないとね」
「それならば、早くモースには大詠師に戻って頂かないといけませんね。カンタビレが神託の盾騎士団から居なくなるのは困りますから」
そう言ってカンタビレと導師イオンは顔を見合わせて笑う。
「ところでカンタビレ、現在のダアトの状況は分かりましたが、だとすればこのままダアトに向かっていて大丈夫なのですか?」
ジェイドはカンタビレの説明がひと段落したところを見計らって疑問をぶつける。彼女が何も考えてないはずがないが、万が一ダアトでヴァン達に包囲されてしまえばモースを救出するどころではなくなってしまう。無策、あるいは策があってもジェイドにとって実現可能性が低い案であったならば、どれだけ反対意見が出ようと一旦退避することを提案する気でいた。
「用心深いね、ネクロマンサー。だけど安心しな。少なくともダアト市民も、街に出てる神託の盾兵もあたしらの敵じゃない」
その証拠に辺りを見てみな、とカンタビレは言う。確かにダアトに続く街道を行くルーク達の周りには、ダアト市民や商人、そして街道警備を行う神託の盾兵が多数いる。目立たないようにしているとはいえ、カンタビレや導師イオンといったダアトの重鎮、ルークやナタリアなどのキムラスカ王族に彼らが全く気付いていないなどあり得ないだろう。現に、こうして辺りを見渡しているジェイドと警備を行う神託の盾兵は先ほどから何度か目があってすらいる。だが、神託の盾兵は何も言わず、自分達を見逃している。
「あたし達にとっちゃ嬉しいことにね、今の大詠師サマは一般市民からも不人気みたいだよ」
それに街道警備なんて雑用に駆り出されているのは現在権限凍結中のアリエッタやシンクの師団に所属する兵達。自身の上司がそんな状態になっている中で士気を保って職務にあたれる人間はそう多くない。
「さすがに教団本部や自分の周囲は子飼いで固めてるけどね、自分がどれだけ敵を作っているかってのはちゃんと理解してるらしい。だからってそんなことしているからあたし達がこうやって近づいていることを知りも出来ないんだがね」
「大詠師の交代がこんなに市民や兵士達に影響を与えるものなのですね」
「モースの場合は事情が違うからね。マルクトやキムラスカの輸出入交渉、教団支部やダアトの整備、戦争を逃れた難民達の受け入れなんかはモースが主導してた事業だ。ダアトの商工会や難民連中、それと関わってた市民らは大詠師が交代してすぐにその影響を受けたからね、怒り心頭さ」
ジェイドの呟きにカンタビレが笑いながら返す。そして何故かカンタビレの言葉に導師イオンやアニスが嬉しそうに胸を張っているが、それにツッコミを入れると面倒な予感があったためジェイドは流すことに決めた。
「それで、ダアトに先行したシンクとフェムには何をお願いしたのですか?」
「簡単な伝言と偵察だよ。あたしらが教団本部に潜入するための仕込みだね」
「仕込み、ですか?」
「ま、それは着いてからのお楽しみだね」
ダアト市街は一見するといつもと変わらぬ賑やかさだった。しかし、人の波を縫って歩くルーク達の耳には、道行くダアト市民が交わす会話が否応なしに耳に入る。
「おいおい、また野菜が値上がりしてるじゃないか」
「仕方ないだろ、エンゲーブからの農作物の関税が上がっちまったんだから」
「難民連中の居住区整備も遅れてるって話だろ?」
「土木組合の頭がカンカンだったぜ。モース様んときにまとまってた話を卓袱台返しされちまったってな」
「教会へのお布施も前より求められるようになったしなぁ」
「モース様みたいに街中に出てくることが殆ど無いからな。何してるか分かんねえよ」
「どこに金使ってるんだろうな、新しい大詠師サマはよ」
「何だか皆ピリピリとしているようですわね」
ナタリアがヒソヒソと周りに聞こえないような声量で漏らす。賑やかなのは変わらなくとも、その中身は大きく異なる。交わされる会話は明るい話題よりも少しの不満を滲ませるものが多く、そうした雰囲気は市街全体に伝播してダアトを覆っていた。
「まだ就任してそんなに日も経ってないだろうに。どれだけ大鉈を振るったんだろうな」
ガイもそう言って顔を顰めた。少なくとも以前ダアトを訪れたときは、このような不満を漏らす会話はもっと少なかったはずだ。内心はどうあれ、不満を隠すことなく表に出している現状があまり良くないものだということは政治に疎いガイにも分かる。
「イオン様が顔を隠していて良かったわね、もし見つかっていたら別の意味で大騒ぎになるところだったわ。もう少し固まって皆でイオン様を隠しましょう」
ティアはそう言ってフードで顔を隠す導師イオンを市民の目に触れないように身体で隠す。ティアの言葉に他の面々も大人しく従い、一行は導師イオンを中心に一塊になって教団本部を目指す。
そうして教団本部に続く階段の下まで辿り着くと、カンタビレが手を上げて一行を制止させた。
「よし、取り敢えずここまでは来れた」
「それで、ここからどうするのです? まさか正面から乗り込むわけではありませんよね?」
「そりゃあそうさ。シンク、フェム、いるんだろう?」
ジェイドの心配を一蹴し、カンタビレはシンクとフェムの名を呼ぶ。それに応えるように、物陰からフードで顔を隠した二人組が足音も立てずルーク達の前に現れた。
「はいはい。ったく、どうしてボクがこいつなんかと」
「そうカッカするなよシンク。末っ子だからってワガママは良くない」
「誰が末っ子だ! それを言うなら末っ子はこっちだろ!」
窘めたフェムにシンクはヒソヒソ声で怒鳴るという器用な芸当を披露しながら、一行の中心に立つ導師イオンを指差す。
「イオンは僕達よりも社会経験豊富だからね、末っ子って感じがしない」
「まるでボクが社会不適合者みたいな言い方するの止めてくれない? 下らないこと言ってないで行くよ」
違うの? と喉まで出掛かった言葉を呑み込むくらいの分別はフェムに備わっていた。ここであまり騒いで時間を浪費するわけにはいかない。シンクとフェムが前を行き、その後をルーク達が続いて教団本部の裏手に続く細い路地を進んでいく。
「カンタビレ、二人はどこに向かっているのですか?」
「さっきジェイドが気になってた潜入の為の仕込みってやつですよ、導師イオン」
二人の案内でルーク達が辿り着いたのは通りから幾分か離れたところに佇む一件の小さな小屋。木窓一つ以外は窓も無く、その辺りの民家と比べても貧相な見た目だ。
シンク達はその小屋に近づくと、扉を拳でドンドンと叩く。
「おい、さっき言ってた連中を連れてきたよ」
「シンク、もう少し優しくノックしないと扉が壊れる。ただでさえボロいんだから」
「教団本部からも離れてるけど、ここからどうやって侵入するんだ?」
シンク達を尻目にルークが首を傾げて小屋を眺める。てっきり教団本部の裏口があるのかと思っていただけに、教団本部からも離れたこの小屋からどうやって内部に潜入するのか想像もつかない。そんなルークを見てカンタビレは面白そうに笑う。
「着いてからのお楽しみって言っただろ? もう少しの辛抱だよ」
カンタビレがそう言うのと同時に小屋の扉が開く。
「お待ちしていました、皆さん」
「えっと、あなたは……?」
中から現れた人物はルーク達の見覚えがない人物。刈り上げられた黒髪と、よく鍛えられた身体からただのダアト市民では無いことは分かる。歳の頃はルーク達よりは上だが、ジェイドまではいかないくらいだろうか。
「準備は出来てるんだろうね?」
「勿論です、カンタビレ師団長。っと、申し遅れました。私はモース様の副官をしていました、ハイマンと申します。今回の皆様の潜入をお手伝いさせて頂きます」
そう言って男、ハイマンはルーク達に頭を下げた。