「疲れて寝ちゃった?」
ベッドの傍らに立つアニスがそう言ってシンクの顔を覗き込む。ベッドに突っ伏したシンクは穏やかな表情で寝息を立ていた。険の取れたその寝顔は彼の兄弟そっくりで、それを見ているとどうにも言葉に出来ない感慨が湧いてしまう。私は彼の頭に添えていた手を再び優しく動かした。
「そのようですね」
「寝顔だけ見たら可愛いんですけどねぇ。起きたら憎まれ口ばっかりだけど」
にゅふふ、と怪しげな声を上げながらシンクの頬を突つくアニス。シンクは起きることこそ無いものの、顔を顰めた。
「こらこら、止めなさいアニス」
「はぁい。起きたらまたからかってやろーっと」
私の言葉に素直に従ったアニスだが、その目には依然として悪戯っぽく輝いている。これはシンクが起きたらまた騒がしくなりそうだ。私はシンクの身体が冷えないように私に掛かっていた毛布をかけてやると、ベッドから抜け出した。
「モース様、どこに行くんですか?」
「横になって休めましたからね。少し身体を動かしてきますよ。シンクを見ていてもらっても良いですか?」
「……無理しちゃ駄目ですよ?」
そう言ってジト目になるアニスに苦笑いを返しながら扉を開く。廊下の少し冷えた空気が顔に当たり、まだ微かに残っていた眠気が覚めていく。廊下に出た私は窓から外を眺めながら歩を進める。外を舞う雪は室内の光を反射しているようで、雪の向こうに見える街の灯りが幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「時計が無いので分かりませんが、夜も更けた時間でしょうか」
「ええ、子どもはもう寝る時間ですから」
誰に聞かせるでもない呟きに廊下の奥から返事が返ってきた。暗い廊下の先に目をやれば、そこに立っていたのは青い軍服を身に纏った男。いつもの薄ら笑いではなく、今はいつもより穏やかな笑みを浮かべているように見えるのは気のせいだろうか。あるいはこの男にも故郷への思い入れというものがあるということだろうか。
「眠れないようなら一杯、付き合って頂けますか?」
「……ええ、お付き合いいたしましょう」
そう言って導かれたのは知事邸の一階に設えられたバーカウンター。こんなものが知事邸にあるとは、客人をもてなす為にあるのかもしれないが案外知事というのは役得があるものなのだろうか。
勝手知ったるとばかりにカウンターを漁り、グラスに琥珀色の液体を注ぎ、私に差し出した。丸く削られた氷が少し暗めの照明に映えて美しい。
「……ユリアシティでは済まないことをしました」
「何故あなたが頭を下げるのですか」
自分の分のグラスを用意し、口を湿らせたかと思えば開口一番私に向かって頭を下げたジェイド。ユリアシティでのことと言えば、ラルゴが乱入してきたときのことだろう。とはいえ、どうして彼が頭を下げるのだろうか。私は彼の肩を押さえ、頭を上げさせる。
「自分で言うのも何ですが、私は人よりも多少頭が回ります。だから、あの時はあなたにラルゴを足止めしてもらうことが最適だという判断が間違っていたとは思いません。ですが、最適が必ずしも最善ではない。本当ならばあなたと共にラルゴを撃退することが最善だったのではないかと、そう思えてならない」
そう言うジェイドは私と目を合わせようとはしない。いつも冷静で、高みから見下ろすようなその目が今は力なく目尻を下げているのを見ると、何故か私の方が罪悪感で居心地が悪くなってしまう。
「あなたは私の前ではよくしょぼくれた顔をしますね。あなたの判断は当然正しいものでしたし、あの場で出来る最善だったに決まっているでしょう。そもそも私もあなた達に陛下達を連れて逃げるように指示したではありませんか」
「ですが、そのせいであなたはヴァンに囚われた。あのような目に遭わされて」
「私の身がどうしたというのです。作戦を何としてでも完遂することが第一です」
「あなたがそれで良いとしても、それで納得しない人もいることをあなたは知っておくべきだ」
あなたが傷つくことで、あなた以上に傷つく人もいる。
ジェイドはそう言ってグラスを一息に呷った。私もそれに合わせて手に持ったままのグラスに口をつけた。氷が溶けて少し薄くなったアルコールが喉を通り、じんわりと身体が温まる。暖炉があるとはいえ、雪の降るケテルブルクの夜は冷える。
「そうですね。私も軽率なことをすべきでは無かったのかもしれません。ヴァンに捕らえられ、情報を抜かれてしまった」
「……そういう意味では無いのですが」
どこか不服そうなジェイドはそう言って手酌でグラスに酒を満たし、再び呷る。何も言わずに向けられた瓶口にグラスを添えると、なみなみと注がれる。
「モース、あなたにはやはり聞いておかなければならないことがあります」
「ジェイド……?」
「地核でローレライが我々に接触してきました」
ジェイドの言葉は、かつての私ならば驚愕に言葉を失う情報だっただろう。だが、今の私はそれを予め知っている。その内容が私に関わるものでないということも。
「ローレライがあなた達に、ですか。ヴァンのことで何か?」
「……驚かないのですね」
「地核にはユリアとの契約でローレライが留まっている。ユリアの血縁であるティアが地核に近づけばローレライが接触することも予想出来たことです」
用意しておいた言い訳を口にする。勘の良いこの男ならばこれがただの言い訳だと気付くかもしれない。だが、それで私の抱えている秘密に辿り着くことはない。誰が予想出来る? 私が未来の記憶を持っているなど。
「予想出来た、ですか。ではこれは予想出来ましたか?」
殉ずる者に聞け、我が預言の行く末を。
彼の口から出たその言葉は私の記憶に無いものだ。殉ずる者。古代イスパニア語での私の名を呼ぶ存在など、他に考え付かない。
「……それは一体誰が?」
「あなたなら言わなくても理解出来ているのでは?」
ならばやはりこれを言ったのはローレライなのだろう。だが、何故ローレライが私の名を呼ぶのか。何をルークに伝えたかったというのだ。
「病み上がりのあなたに聞くべきでは無いと分かっています。ですが、聞かずにはいられませんでした。モース、あなたはユリアの血縁でもなければルークやアッシュのようにローレライの完全同位体というわけでもない。そんなあなたが何故、ローレライに認識されているのか。ローレライの
あなたは一体何者なのですか。
ジェイドの言葉に、私は返す言葉を持たない。彼が問うたことは私が自問し続けてきたものだ。
「……前にあなたに問われましたね。どこまで私は知っているのか、と」
「ええ、聞きました。はぐらかされてしまいましたが」
「あの時の言葉も嘘ではありませんよ。私にも分からないことばかりなのですから」
テーブルに目を落とし、グラスの中の氷を指先で弄ぶ。何を言うべきか、言わないでおくべきか。
「預言の行く末とは何なのです。それはユリアの遺した
預言の行く末
ローレライが何の意図を持ってその言葉を発したのかは分からない。私が持つこの記憶はローレライによってもたらされたものだというのか。だとすれば、何故私を選んだのか。しかし、それを考えるより前に、今は彼の疑問に答えるべきだろう。
「……
「第七譜石の
「……第七譜石は未だ見つかっていませんよ」
「それは……、では一体どうしてあなたがその結末を知っているのですか」
私はそれに答えるのに一瞬躊躇った。この先を知っているのは導師イオンのみ。いつかはジェイドに話すことも考えてはいた。それが早まっただけのことだと自分に言い聞かせ、グラスを傾けて口を湿らせる。
「荒唐無稽な話だとあなたは思うかもしれません。ですが、これは少なくとも私にとっては事実だということを、前置きさせて頂きます」
そして私は語り始める。私の原点、頭に巣食う忌まわしい記憶を。かつての私が辿った結末。かつてルークが辿った結末、あるいはこれから辿るかもしれない結末を。
それを聞くジェイドの表情は読めない。グラスに浮かべた氷に視線を留めたまま、口も挟まず、私の話に耳を傾けていた。
「──これが、私からあなたに話せることです」
語り終えた私はグラスに残った酒を喉に流し込んだ。すっかり薄まってしまった酒は、引っ掛かることもなく喉を通り抜けていく。ジェイドほどの男が私の話を早々信じることはないだろう。だが、この男ならば私の話をきちんと活用してくれるはずだ。
「……にわかには信じ難い話ですが。あなたが言うのならば、そうなのでしょうね」
しかし私の予想を裏切り、彼はあっさりとそう言ってのけた。
「信じるというのですか? 私の話を」
「それが真実だと仮定すれば、驚くほどすんなりとあなたの動きが理解出来てしまいますからね。だからあなたは私のことも知っていたし、的確に手を打つことが出来ていた」
そう考えてしまえば、納得するしかありません。そうやって言われてしまえば私には返す言葉も無い。いや、彼に信じてもらえることは喜ばしいことのはずなのだが。
「それに、あなたがルークを気に掛けるのはそういうことだったのかと得心がいきましたから」
「……だって、情けないじゃありませんか」
どうして彼一人が全てを背負わねばならないのだ。ローレライの完全同位体、アッシュとの因縁、レプリカとしての宿命。どれもこれも、生まれて七年の少年が負うには重すぎる。それをどうすることも出来なかった自分が、周りが、情けなくて仕方がない。
空になったグラスを両手で包むように持ち、私はそう呟く。ジェイドが横目にそれを眺めているのを感じながらも私の独白は止まらない。
「
「私には、あなたが語る記憶のあなたが想像もつかなさ過ぎるんですがね。ですが、情けない大人というなら私もそうでしょう。あなたから見て私は少しはマシに映っていますか?」
「よっぽどキチンとしていますよ、今のあなたは」
「でしたら、何よりです。少しはあなたの重荷を引き受けられる人間になれたということですか」
「私の重荷を?」
「以前言いましたよね。私には寄りかかることの出来る人がいますがあなたにはいるのですか、と」
あなたは寄りかかられることに慣れ過ぎていますからね。大詠師モースに頼られる人間など、光栄ですね。
そう言ってジェイドは穏やかに笑い、グラスにお代わりを注ぐ。
そうか、今私はジェイドを頼りにしているのか、頼りにして、良いのか。誰かを頼る。カンタビレにも言われたことだ。だから多くの人間に力を貸してもらった。だが、私が抱えているものを知って欲しい、私だけでは背負いきれないそれを、支えて欲しい。そんなことを思っても、良いのだろうか。
「……何をしてやったりな顔をしているのですか」
グラスを受け取ると、今度は一息で全てを呑み込んだ。薄まっていないアルコールが喉を焼き、咳き込みそうになるのを堪えて天を仰ぐ。視界が滲むのはアルコールのせいだと言い聞かせて。
「モース。話してくれてありがとうございます。あなたが抱えた重荷、私にも背負わせてください。おや、あなたの涙など、珍しいものを見ましたね」
「……私の泣いている姿など、まともに見れたものではないと言ったでしょう」
こんなことを思うのは間違っているはずだ。なのに、何故心から拭い去ることが出来ないのだろう。
今更、許されたいだなんて。