大詠師の記憶   作:TATAL

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コミュ回は出来るだけ2話/週更新で進行を早くする所存です


雪の街、ルーク達と私 3

「何だか、随分と顔色が良くなりましたね」

 

 机を挟んで相対する導師イオンの声音は柔らかいものだった。

 

「そうでしょうか?」

 

 窓の外に向けていた視線を導師イオンに戻すと、彼が穏やかな笑みを浮かべているのが見えた。

 

「ええ、そう見えます。昨夜何か良いことでもあったのですか?」

 

「良いこと……。ええ、そうですね、良いことがありました」

 

 私の脳裏に蘇るのは昨夜のジェイドとの会話。あれからは何か話し込むこともなく、ただ静かにグラスを傾けるだけの時間だったが、とても居心地の良いひと時だった。沈黙の時間を気まずいものと思わず、互いが互いの存在を当たり前に受け入れている空間。あれほど穏やかに酒を飲んだのは随分と久しぶりなように感じる。

 

「ルーク達は今日はどうすると?」

 

「今朝は明日のアブソーブゲート突入に向けての準備を。午後からは各々で身体を休めるとのことです」

 

 導師イオンの問いに答えつつ、私は手元の便箋を折りたたむと封筒にしまい、蝋で封をする。これで五枚目の手紙が書き上がった。

 

「ところでモースは先ほどから何の手紙を書いているのですか?」

 

 きょとんとした顔で私の手元を覗き込む導師イオン。隠すものでもないため、手元に広げていたもう一枚を差し出す。手紙を受け取った導師イオンはそれに目を通して内容を確認する。

 

「これは、キムラスカのファブレ公爵に宛てたものですか?」

 

「ええ、そうです。明日にはダアトに戻り、またひと悶着起こそうというのです。それが成功に終わるとしても失敗に終わるとしても、出来る限りの根回しをしておく必要があります。こっちはマルクトへ、そしてこっちの手紙はダアトへ。ネフリー知事の名でそれぞれ出してもらいます」

 

 手紙を矯めつ眇めつしていた導師イオンは、私の言葉にため息をつくと手紙をそっと机に戻した。

 

「相変わらず慎重というか仕事熱心というか。もう少し身体を休めても良いと思いますが」

 

「心配性なだけですよ。それに筋を通すべきところはきちんとしておく。たかが手紙一枚で周りの人も自分も動きやすくなるのならやっておくべきでしょう」

 

 机に置かれた手紙を丁寧に折り畳むと、先ほどまでと同じように封筒に入れ、丁寧に封蝋を施す。私が打てる手筈はこれくらいだろうか。私は背もたれに身体を預けて肩や腰の凝りを解し、ネフリー知事の使用人が淹れてくれた紅茶に口を付ける。すっかり冷めきったその温度に、もう昼になっていたのかと気付いた。

 

「ジェイドに私の記憶について話しました」

 

「……そうですか。あなたの重荷を支える人が増えて何よりです」

 

 ぽつりと零した私の呟きに、導師イオンは多くを言わなかった。常と変わらない穏やかな表情で受け止めてくれる。その姿を見ていると、彼が生まれて数年しか経っていないとは信じられない。ある種の老成した雰囲気すら感じられるその佇まいは、彼が導師という地位だけで人々に慕われているわけではないことの証左だ。

 

「……モース、本当にダアトに戻るのですか?」

 

「導師イオン?」

 

 不可解なことを言った導師イオンの表情はこれまでに無い真剣なものだった。彼の膝の上で握られた拳が、彼の内心の緊張を表している。

 

「今の大詠師を下すくらいならば、僕と詠師トリトハイムがいればどうとでもなるでしょう。モースがそこまで頑張る必要は無いと思います。ヴァンに囚われ、拷問を受けた。あなたはそれでも足りないと思うのでしょうが、僕から見ればもう十分すぎるくらいにあなたは自分の罪に向き合ったでしょう。後のことはルークやジェイド、僕達に任せてあなたは表舞台から退いても誰も責めはしませんよ。ダアトだけではない。キムラスカでもマルクトでもあなたを受け入れてくれる場所はあります。ヴァンに目を付けられたとしてもあなたに手出しをさせないように、導師である僕が取り計らうことだって。だから……」

 

 休んでもいい、と。

 

 どこまで優しい声で彼は言う。その言葉は私にとって甘い毒で、決して受け入れてはならない言葉だ。それを受け入れてしまえば、私はどこまでだって堕ちてしまう。あの記憶の中の私のように、醜い怪物となってしまう。外見ではない、心がだ。つくづく救いようがない。心の底では誰かの赦しを求めているのに、いざその選択肢を提示されても受け入れることを私自身が許さない。

 

「導師イオン。あなたやルーク達が戦っているのに背を向けるような人でなしに、私をしないで下さい」

 

「モース……」

 

「私はこれでもあなた達よりも長く生きているんです。あなた達より長くこの世界で生きる幸運を享受しているんです。その幸運が続くように、次に大人になる者にそれを繋ぐことが大人の役割だと私は思っています。だからあなた達を少しでも守らせてください。あなた達が生まれて良かったと思えるように。これからも生きていたいと思えるように努める許しをください」

 

 気づけば私は机に額を付けんばかりに頭を深く下げていた。何も知らない人が見れば、私が導師イオンに懺悔しているように見えたことだろう。実際、これは懺悔だ。傲慢な私の自己満足をルーク達に押し付けることの許しを得ようとしているのだ。

 

「頭を上げてください、モース。僕たちを助けようとしてくれているあなたが頭を下げる必要なんてどこにもないじゃないですか」

 

 顔を上げて導師イオンと視線を合わせる。彼の表情は痛ましいものを見るように歪められ、その目からは今にも涙が零れそうになっていた。私は席を立つと、彼の隣に腰かけ、昨日シンクにそうしたように頭に手を乗せた。シンクのそれとは違い、導師イオンの髪は柔らかく、よく手入れされていることが分かる。それは二人の環境の違いが生んだもので、二人が違う存在であり、互いを代替する存在ではないことの証明だ。

 

「どうしてあなたが泣きそうになっているのですか、導師イオン」

 

「……僕はイオンのレプリカです。レプリカには親という存在はいません。……でも、僕には父親がいるんですよ、モース。その人は他の誰にも想像が付かないようなものを抱えていて、自分に出来ることを全力でやりきって、それでも手から零れ落ちるものを仕方が無いと切り捨てることが出来ない優しい人なんです。僕はその人にずっと守られていて、僕を守るために傷だらけになることも厭わない人です。僕は僕の大切な人が傷つくことが嫌なんです。ルークも、アニスも、ティアも、ガイ、ナタリアやジェイド、ミュウ、アリエッタ、ディスト。僕の周りの人が傷つくのは辛いことです。でも、何よりも、あなたが傷つくことが僕には耐えられそうにない、モース」

 

 だから、休んでくれと、彼は言った。守られてくれと。

 

 父親。私でもそんな存在になることが出来ていたのか。そう思うと、胸の奥から熱い塊がこみ上げてくるのを感じた。それは喉を通り過ぎ、鼻を抜け、目頭に突き立って流れ出そうとする。目を閉じてその波をやり過ごし、落ち着いてから再び目を開いた。

 

「ありがとうございます、導師イオン。そこまで心配させていたのかと情けない限りです。猶更あなた達を置いて逃げることなど出来ませんよ。あなたが私を父親のように感じてくれているように、私もあなたやシンク、他の兄弟達を子どものように感じています。だからこの情けない父親代わりの人間にもう少し格好つけさせてくれませんか」

 

 そう言って導師イオンと視線を合わせる。ここ数日、私はあちらこちらからこうして助けてもらってばかりいるような気がする。ディストも、アニスも、シンクも、ジェイドも、そして導師イオンも、私には勿体ないほどの人だ。それに報いようと思えば私の何を差し出せば良いのだろう。

 

「……仕方ないですね。無理はいけませんよ? 今度あなたが傷つくようなことがあれば、ヴァンの前に僕やシンクがあなたを閉じ込めてしまうかもしれません」

 

「ハハハ、それは怖い。そうならないように鍛錬を積みますとも」

 

 私と導師イオンはそう言ってどちらからともなく笑いだした。そうだ、私は彼らの、導師イオン達の父親代わりなのだ。だとすれば、何としてでも彼らを守り通さねばならないだろう。シンクがエルドラントで散ることが無いように、導師イオンがザレッホ火山で音素(フォニム)に解けることが無いように。

 

 


 

 

 雪の降り積もるケテルブルクの中心にある公園は、雪遊びに興じる子ども達で溢れかえっていた。午後の日差しは上空にかかった雲で遮られ、その暖かさを減じてしまっていたが、広場を走り回る子ども達にとってはそれくらいがちょうど良い具合なのかもしれない。広場を抜けて少し人も疎らになった辺り、入り口付近に、見慣れた朱赤を見とめた。

 

「奇遇ですね、ルーク様」

 

「おわっ!? モースか」

 

「驚かせてしまいましたか。すみません」

 

「良いよ、ボーっとしてたのは俺だし」

 

 ルークに促され、備え付けられたベンチ、彼の隣に腰を下ろす。奇遇、と口では言ったものの、実際の所は彼を探しに来たのだ。

 

「他の皆とは話をしましたか?」

 

「……ああ。皆、覚悟を決めてた。ティアも、肉親と戦うことになるのに、躊躇わないって」

 

「そうですか」

 

 両手を組み、視線を落とすルークの横顔はいつかバチカルで見たそれよりも数段大人びて見えた。

 

「俺、さ。皆の前ではちゃんとしなきゃって思ってもやっぱりダメでさ。多分、ヴァン師匠と向き合う覚悟が一番出来てないのは俺なんだと思う」

 

 それは近しい間柄だからこそ零せない彼の内心。ティアの覚悟も、ナタリアの想いも、ガイやジェイド、アニスが戦う理由を受け止めた彼は、だが一番幼く、純粋な子どもなのだ。子どもであって良いはずなのだ。

 

「俺なんかよりアッシュの方が強い。俺じゃヴァン師匠に勝てないかもしれない。それに何より……」

 

 まだ、あの人に認めて欲しいと思ってる。

 

 そう言って彼は自嘲するように笑った。

 

「情けないよな。変わるって思ったはずなのに、結局何にも変わっちゃいないんだ。アクゼリュスを消滅させたときから、俺は何も成長していない。人を殺す覚悟だって全然出来ちゃいない」

 

「情けないものですか。あなたにとってヴァンという存在はそれほど大切だった。あなたにとって親とも言えるような存在だ。それを簡単に切り捨てることが出来ないのは当たり前ですよ」

 

 それでも、

 

「あなたは前に進もうとしている。そのことを批判することも、嘲ることも貶すことも、例え誰が何と言おうとこの私が許しません」

 

「……ハハッ、やっぱりモースって大詠師なんだな」

 

「と言いますと?」

 

預言(スコア)を信じなくても、モースを信じるって人はダアトに沢山いるんだろうな」

 

「宗教家は口が上手くないとやっていけませんからね」

 

 少しおどけたように言うと、ルークはへへっ、と先ほどまでの自嘲するような笑いでなく、肩の力が抜けた自然な笑いを漏らした。

 

「アブソーブゲートで待つヴァンは生半可な相手ではないでしょう」

 

「……ああ」

 

「あなた達に任せるしかない無力な私を恨んでくれても構いません」

 

「そんなことしない。モースは十分俺達を助けてくれた。ヴァン師匠との決着くらいは、俺の手でつけなくちゃいけないんだ」

 

 そう言って顔を上げたルークの顔は、先ほどまでの弱弱しいものではなかった。確たる決意を秘めた、一人の戦士の顔だ。この顔が出来るのなら、私がこれ以上何かをする必要はないだろう。

 

「ええ、よく言いました。あなたはやはりとても強い子だ」

 

「わっぷ! ちょ、いきなり何すんだよモース!」

 

 私は弾みをつけてベンチから立ち上がると、少し乱暴に朱赤の髪を右手でかき混ぜた。

 

「ルーク、あなたの周りにはあなたを支えてくれる人がたくさんいます。今みたいに迷ったときは、遠慮せずに大人に頼ってください。こうして話をするだけでも良い。解決策を提示することが出来ず、話を聞くことしか出来ないかもしれません。それでも、あなたが抱えているものを、周りの人も支えたいと思っていることは忘れないでいてください」

 

「……なんかモースって宗教家というよりはやっぱり父親みたいだよな」

 

「ハハハ、そう言って頂けて光栄ですが、本当の父親には敵いませんよ」

 

 


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