あれは嘘だ
ローレライ教団本部へ続くダアトの目抜き通り。私は導師イオンと並び立って歩き、後ろにはカンタビレとディストを筆頭に神託の盾騎士団、そしてダアト市民が続く。
「あの……、導師イオン? そろそろ離していただいても」
「ダメです」
私がおずおずと切り出した言葉は言い切るか言い切らぬかどうかといったところでバッサリと切り落とされてしまった。私の右腕は今導師イオンがガッチリと捕まえてしまっており、離してくれと言おうものなら彼にしては大変珍しい鋭い視線が私を貫くため、私はすごすごと引き下がることしか出来ない。
「ま、その程度は甘んじて受けるべきでしょうね。あの兵士がもし逆上していれば今頃あなたは死んでいたワケですし」
後ろでディストが導師イオンを援護する。ディストには先ほどの手の怪我と首の傷を治してもらったため、彼にそう言われてはもう何も言えない。いつの間にか頭が上がらない人が増えてしまった。
「ディスト。あなたもどうしてモースを止めなかったのですか」
「もちろん最悪の場合は止めに入るつもりでしたとも。それはカンタビレとて同じこと。ただ、我らが大詠師様があの程度の状況を切り抜けられないワケがありません。そうでしょう?」
導師イオンの恨み節にもディストは飄々と返す。しかし肩越しに振り返ってみれば、彼の頬に冷や汗が一滴流れ落ちるのが見えた。どうやらディストにとっても今の導師イオンの迫力は中々に恐ろしいものであるらしい。視線だけで助けてくれと訴えかけてみるが、憐れむような目を向けられるばかりであった。
「導師イオン。もうすぐ教団本部が見えます。あまりこうした姿を見せるものではありませんよ」
「…………このことはアニスとティア、シンク達にも後で報告しますからね」
思わず背筋がピンと伸びてしまうほど末恐ろしいことを呟いて導師イオンは渋々私の右腕を解放してくれた。そうか、この戦いが終わっても子ども達から逃れることは出来ないのか。
今後のことを考えて少し憂鬱になってしまいながらも、私は教団本部の正面扉の前に遂に辿り着いた。扉を守る神託の盾兵は、私達の姿を見て一度は武器を構えたものの、後に続く人の波を見ると抵抗する気を失くしたのか剣を収め、脇へと退いた。
「ローレライ教団の導師イオンが今戻りました。扉を開けなさい!」
導師イオンの凛とした声が響く。大勢の群衆が詰め掛け、物理的にも圧力を増した集団の先頭に立った彼の姿はまさしく人々を導く人間だ。隣に立つ彼の姿が眩しく映り、私は思わず目を細めた。
目の前に聳える荘厳な装飾を施された扉は、導師イオンの言葉に応えるように重たい音を響かせながら左右に開いた。教団本部にいる人間全てを掌握する時間はオーレルには無かったらしい。私と導師イオンは開いた扉へと歩を進め、そのまま一番奥の講堂を目指す。ここまで私達が無事に来てしまった以上、オーレルに逃げ場は無い。彼に残された道は、私を公衆の面前で論破し、自らが大詠師として相応しいことを市民に認めさせるか、諦めて導師イオンの下に出頭するかである。逃げ出せば彼は自ら権力を放棄し、二度とローレライ教団には戻れなくなる。彼がどのような選択をするかは分からないが、生粋のアジテーターであり、自らの信念を正しいと信じて疑わぬ彼であれば、事ここに至って逃げることはないのではないかと思えた。
そして教団本部に乗り込んだ勢いそのまま、最奥の講堂へと足を踏み入れた私は、ステンドグラスから差し込む光を背に受けて壇上から忌々し気に見下ろす彼と目が合った。
「モース……。忌々しい背信者め。よくもおめおめとここまで戻ってこられたものですな」
広く、天井も高い講堂でともすれば呟き声など耳に入る前に消えそうに思われがちだが、音の反響を計算し尽くして設計されたこの部屋においては、壇上の人間が発する声は容易く聴衆の耳に届く。オーレルの言葉には、私に対する怨嗟が色濃く滲んでいた。
「詠師オーレル。あなたのやろうとしていることを、私は認める訳にはいきません」
導師イオンを伴って壇上に登った私は、彼を正面から見据えて言い放った。今までのらりくらりとはぐらかしてきた私の真意を、今こそ皆の前で話すときがきた。
「認める訳にはいかない……? ……この私こそが! 始祖ユリアの遺した
私の言葉に対し、詠師オーレルは激する。
「市民達よ、目を覚ませ! 今まで我らが長きにわたる繁栄を享受できたのは何故だ!
私が言葉を発さないのをいいことに、オーレルの弁舌は加熱する。彼の言葉は重たい。その通りなのだ。遥か昔から続く始祖ユリアの
「私を糾弾したいと言うならば良いだろう! 囀ればいい! どのような手練手管で人々を惑わせたのかは知らぬが、貴様の妄言が私に通用するとは思わないことだ!」
そこまで言い切ってオーレルは肩で息をしながら私を睨みつける。彼の迫力と、真に迫った弁舌は人々を呑み込み、私に向けられる目に疑いの色が混じり始めるのが感じられた。私は深呼吸を一つ挟むと、オーレルに向けてではなく、私を見つめる市民に向かって語り出した。
「始祖ユリアよりも私を信じるなど愚かなこと。詠師オーレルの言うことは確かにその通りでしょう」
群衆がざわつく。その上から塗り潰すように、私は「だが、」と言葉を続けた。
「私達は
生きるとはすなわち選択の連続だ。
「始祖ユリアの愛はこのオールドラントを包み込んで余りあるものでした。遥か天空に浮かぶ譜石帯がその証明でしょう。ローレライと契約し、この世界の行く末をローレライから聞き出したユリアはそれを空に浮かべました。そうして私達の営みを見守ってくれているのです。母が子どもを見守るように」
今こそこの場にいる人々に打ち明けよう。始祖ユリアはキムラスカとマルクトの戦乱を
「私達は今こそ一人で立ち、歩いて行くべきでしょう。ユリアの詠んだ戦争が待つ未来を、マルクトを滅ぼしてキムラスカが得る繁栄の未来よりも、キムラスカとマルクトが手を取り合って共に更なる繁栄を成し遂げる未来を創り上げることを選び取るときが来たと、私はそう思っているのです」
だから、あなた達の力を借りたいのだ。私一人の力では全く足りない。この世界の行く末を変えるなどと大それたことを、私一人で成し遂げられるわけが無い。私達は一人一人では取るに足らない力しか持たない。だから手を取り合いたい。
語り終えた後、講堂内は誰かの息遣いすら聞こえそうな静寂に包まれていた。私は深々と皆に向かって頭を下げる。こんな異端者を受け入れて欲しいと、大詠師として、皆を助ける許しが欲しいと。
「ふ、ふざ……ふざけるな!」
その沈黙を破ったのは私の横で怒りに震える男の叫び声だった。
「始祖ユリアの
そして民衆に向かって唾を撒き散らしながら訴えかける。彼もただ必死なのだ。自らが掲げた信念に忠実であるに過ぎない。ともすれば私と彼の立ち位置は逆であったかもしれないのだ。
明るく、安心できる
それとも闇に覆われた荒野か。
その荒野はともすれば暖かな花畑かもしれないし、触れた人々を呑み込む底なし沼かもしれない。私には信じることしか出来ない。私を信じてついて来てくれた人々が、
オーレルの言葉が終わっても民衆たちの間には重苦しい沈黙が横たわっていた。私は頭を下げ続ける。ふと横に誰かが立つ気配を感じた。
「皆さん。僕からもお願いします。人は
その気配は導師イオンだった。彼も私と同じように民衆に向かって頭を下げる。その姿に人々の間から僅かに声が漏れた。だが、それきり声は消え、互いに出方を窺うように顔を見合わせている。
「フン、そんな媚びるポーズをしたところで、真に正しいのが誰かは明らかだ。惑わされてはならんぞ敬虔なるダアト市民よ。ユリアの
そんな私達を見て勝ち誇った様子を見せるのはオーレル。彼は大袈裟な身振り手振りで民衆へと語り掛ける。
「ああ! まったくその通りだ!」
だが、そんなオーレルを遮るように群衆の間から大きな声が上がる。そしてダン、という音と共に壇上に登ったのは市街で私に剣を突き付けた副官の男だった。
「
そう捲し立てる男に、オーレルの笑みはますます勝ち誇ったものに変わる。しかし、その先に続いた彼の言葉に、オーレルの笑みは凍り付くことになった。
「……だがよ、俺達はあのとき見ただろ! 俺が突き付けた剣に迷うことなく身を投げ出したんだぞ! 俺達が
思わず顔を上げて私は男の顔を見つめた。市街で項垂れて私達の後ろをついて来ていた姿は今はもうどこにもない。今の彼は憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。
「モース様。俺はあなたを信じる。あなたが
そう言い切った彼に続くように、群衆からはポツポツと同意するような声が上がり、いつしかそれは講堂全体を震わせるような大音声となって響き渡った。