モース様はアマッカスをインストールしたようです
「……つっまんねぇ」
バチカルで最も高い階層に位置する屋敷。その一室で、赤毛の少年は不貞腐れた表情で零した。七年前、記憶を全て失ってから久しく、彼は生活に何不自由しない豪華な屋敷の中で、不自由な暮らしを強いられていた。
「ガイの奴も今日はどっか行ってていねーし。ヴァン師匠もいねーし」
見上げていた空から視線を外し、ルークはベッドに転がった。背中を覆うまで伸びた髪がベッドに無造作に広がる。
まだまだ日は高いけれど、このまま寝てしまおうか。そう思っていた矢先のことだった。扉がノックされる音が部屋に飛び込んできた。
「ルーク様、いらっしゃいますか?」
「ん、おう。入っていいぞ」
こうしてルークの部屋に入る前にお伺いを立てるのは屋敷の使用人だ。使用人とはいえ、流石にベッドに寝転がったままでは体裁が悪い。そう思ったルークはベッドから起き上がって手早く髪を整えると、入室の許可を出す。ルークの許可を得てから開かれた扉の先には、屋敷に仕えるメイドの一人がしずしずと頭を下げていた。
「失礼します。ルーク様にお客様がお見えになっております」
「客、俺に?」
「はい! ルーク様お待ちかねの、ヴァン謡将と大詠師モースがいらしてますよ」
メイドが笑顔で言った言葉に、ルークは先ほどまでの退屈そうな雰囲気はどこへやら、パアッと顔を輝かせた。
「ヴァン師匠とモースが来てるのか!? 今日は稽古の日でもいつもの
「どうやら火急の用件とかで、クリムゾン様をお訪ねになったらしいのですが、ルーク様にも是非お会いして下さいと言ってまいりました」
「さっすが! サンキューな。またペール達も交えてお茶会でもしようぜ!」
「ええ、行ってらっしゃいませ」
見かけに合わないはしゃぎようを見せて部屋を飛び出していくルークをメイドは微笑ましげに見送った。
そんなメイドの視線を背中に受けながら、花壇の世話をしているペールの脇を駆け抜け、ルークはいつも食事を摂っている食堂へと慌ただしく駆けこんだ。
「ヴァン師匠! モース!」
「……ルーク。もう少し落ち着きなさい」
食堂に飛び込んできたルークを迎えたのは、父であるクリムゾンの厳しい声。それに対し、少しバツが悪そうに頭を掻いたルークだが、クリムゾンと共に部屋にいる人物を目にするとすぐに気を取り直した。
「ルーク、私を師匠と呼んでくれるのは嬉しいが、それならば大詠師モースにも敬称を付けるべきだぞ」
「いえいえ、それだけルーク様が心を許して下さっている証拠です。それに、ルーク様といるときは私はただのモースでいると言ったのです」
苦笑しながらルークを窘めるのは顎髭をたくわえ、歳に見合わぬ風格を備えた神託の盾騎士団の主席総長、ヴァン。一方、そんなヴァンの横に座り、穏やかな笑顔を浮かべたままルークに手招きしているのはローレライ教団の大詠師、モース。ルークはモースに招かれるままに彼の隣に座った。
「今日はどうしたんだよ、稽古の日でも伯父上に呼ばれたわけでも無いんだろ?」
ルークはウキウキとした様子を隠そうともせずにモースとヴァンに問いかける。
「少しファブレ公爵にお伝えすることがありましてね。最近会えておりませんでしたが、ルーク様はきちんと良い子にしておられましたか?」
「子ども扱いすんなよなー。ちゃんと使用人たちとも上手くやってるし、嫌いな勉強だってやってるんだぜ?」
「おやおや、それは素晴らしい。昔はあんなに手の付けようがないワガママさんだったのですが」
「ちょ、昔の話は良いだろ!」
あらあらうふふとでも言いたげなモースをルークは頬を少し赤らめて遮る。このまま他愛ない世間話でも始めてしまいそうな雰囲気だが、そんな空気はクリムゾンの咳払いで払拭された。
「ところで、用件をまだ伺っておりませんが」
「おっと、失礼いたしました。これは内密にお願いしたいのですが、導師イオンが何者かに拐かされてしまいまして。ヴァンにはこれからその捜索にあたっていただきます。そして私も混乱する教団本部を治めるためにしばらくはこちらに顔を出せなくなってしまうかと」
「えー! マジかよ、師匠の稽古とモースの話が数少ない楽しみだってのに!」
モースが口にした内容は、ルークにとっては受け入れ難いものだった。屋敷に囚われた自分が唯一思いっきり身体を動かせるヴァンとの剣術の稽古も、大詠師の職務であちこちを飛び回っているモースが語ってくれる話も、狭い世界しか知らないルークにとっては無くてはならない大事な時間だ。それを奪われてしまうのは今の彼にとって耐え難い苦痛だった。
だが、そんな甘えを許してくれる大人は今この場にはいない。
「ルーク様、そうは言っても誰かがやらねばならぬ事です。それに、数少ない楽しみと言ってもあなたには使用人たちとのお茶会があるではないですか」
「……ってもよ、そんなに頻繁に誘ったらあいつらにも迷惑だしよ」
モースに諭されたルークは、それでもどこか納得がいかないように口を尖らせていたが、これ以上言っても何も変わらないと思い直し、次々に溢れそうになる愚痴を堪え、ヴァンの方へと目を向けた。
「それじゃあ今日は俺が満足するまで稽古に付き合ってくれよな、ヴァン師匠!」
「勿論だとも。稽古が終わればモースも交えて茶を飲みながら話そう。しばらく会えなくなる分、私もモースもお前が心行くまで付き合うつもりだ」
「やりぃ! じゃあ俺中庭で待ってるから!」
ヴァンの言葉に顔を輝かせたルークは、父親であり、当主でもあるクリムゾンへの挨拶もそこそこに食堂を出て行った。それを見送ったクリムゾンが小さくため息を零す。
「ハァ、少しは落ち着きを覚えて欲しいものだが」
「良いではありませんか。以前のようにただ腐っているだけよりはこれくらい無邪気な方が可愛げがあります」
「その節はモース殿にはお世話になりっぱなしだったな。私やシュザンヌよりもよほど子育てが上手だ」
「仕事柄、人に説教をするのは慣れていますからね。子どもを諭すのも同じことです」
モースはそう言って懐かしむように目を細める。クリムゾンとヴァンもそれに引っ張られて在りし日のルークを思い起こしたのか、各々に味わい深い表情をしていた。
「さて、伝えるべきことは伝えましたし、ルーク様の稽古に行きましょうか」
「そうだな、それが終われば茶会か。クリムゾン様も、奥方と参加されてはいかがです?」
「……そうだな。それまでに仕事を片付けておくとしよう」
三人はそう言って席を立つ。だがヴァンとモースは知っている。その約束が果たされることは無いということを。ここから全てが始まるのだということを。
「全て、お前の思い描いた通りというわけか? モース」
ダアト、ローレライ教団本部の中、大詠師の執務室で二人の男が向かい合っていた。
「あなたに以前お話しした通りだったでしょう? 細部は違えど、ここからも大筋は変わりませんよ」
厚い扉を閉ざし、鍵をかけてしまえば、防音処置が施されたこの部屋の会話を知る者はヴァンとモースのみ。だからこそ、二人は何を取り繕うこともなく話が出来る。
「末恐ろしいものだな、星の記憶というものは」
「あなたが当初考えていた計画すら、この星全体からしてみれば誤差のようなものということ。真に我々の本懐を遂げるにはあなたのやり方では不足ですよ、ヴァン」
「だがお前はまだ何か手を打っている。この星から忌々しい
ヴァンは思い返す。ホドが崩落し、唯一残った妹と共にユリアシティで細々と生活をしていたとき、モースが突然訪ねてきたことを。世界への、
「私が思いついた計画が、かつてお前に渡された封筒に入っていた紙に寸分違わず書かれていたときは流石の私も背筋が凍りつく思いだった」
「そうでもしなければあなたが私と腹を割って話すことなどしなかったでしょう?」
それもそうかもしれない、とヴァンは思った。事実、一度は手を差し伸べてきたモースをヴァンは拒否したのだから。だが、自分が胸に秘めた計画を、誰にも話してすらいないその全貌を言い当てられてしまっては、モースを無視し続けることは出来ない。だからこそ神託の盾騎士団に所属し、主席総長となる前からモースとは関係を構築してきた。人を見る目について、ヴァンは相当の自信を持っている。だというのに、モースは全く底を見せない。気付けばヴァンは自らの計画についての助言をモースに求めるまでになってしまっていた。
「そうして私はお前と同志、いや共犯者となったわけだ。しかし解せんな。何故お前の知る筋書きのままに進めようとする? それでは何も変わらないだろうに」
「いいえ、完全に同じ筋書きにはなっていませんよ。ルークは周囲と打ち解ける術を知り、私はあなたとこうして共犯関係になった。六神将も私の命令をきちんと聞く。ルーク達も私の記憶よりも強くなるでしょうが、彼らに立ちはだかる壁もまた、確実に私が知る筋書きよりも険しいものになった」
「それでお前は何を望む? いつも私が聞いてもはぐらかしていたが、ここに至っては聞かせてもらっても良いのだろう?」
ヴァンは何度目になるか数えるのも億劫になってきたかねてからの疑問を再度投げかける。モースはいつも怪しげに笑っては曖昧なことを言って終わらせてきたが、今日は聞かせてもらうまで退く気は無かった。この男がどこまで見据えているのか、何を求めているのかを知りたい。自分でも見通せないその心の奥底に一体どんな恐ろしい考えを沈めているのか。
モースはヴァンの言葉に少し沈黙し、目を閉じた。その様子にまたしても真意を聞くことは出来ないのかと落胆しそうになるヴァンであったが、次にモースが言った言葉にその不安は払拭される。
「そうですね、ここらで話しておきましょうか。とはいえ、隠し立てするほどのものではありませんがね」
「ほう、遂に聞かせてもらえるのだな」
「ええ、まず初めにあなたの誤解を解くために言っておくことがあります」
ヴァン、あなたの計画はそのまま進めると良いでしょう。
そう言い放ったモースに、ヴァンは暫し言葉を失う。
「それはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。レプリカ計画を進めましょう。そのためにルークを作ったのですから。ルーク達が険しい壁を前にして折れてしまうようであれば、当初の予定通り世界をレプリカに置き換えてローレライを消滅させてしまえば良い」
「……それでお前の目的は達せられるのか?」
「私の目的はあなたと同じですよ、ヴァン。この世界を
人の意志は
そう言ったモースの表情に、かつて己の計画を詳らかにされたとき以上の怖気が背筋を走っていくのをヴァンは感じた。この男はルーク達がレプリカ計画を潰すことを微塵も疑っていない。例えどれほどの困難が襲い掛かったとしても、それら全てを乗り越えると純粋に信じている。
「人の可能性は
狂っている。ヴァンが抱いた感想はそれだった。ルーク達に更なる困難を与えるためだけに、この男は全力を傾けようとしている。そしてその困難をルーク達ならば絶対に乗り越えると信じているのだ。曰くモースの頭に巣食ったユリアの
「さあヴァン。これからは忙しくなりますよ? 手始めに私も
「……そう、だな」
躍るような足取りで執務室を出ていくモースに続きながら、ヴァンは頬に流れる汗を拭う。人の可能性を信じ切っているこの男は、いずれ自分をも凌ぐ脅威となってルーク達の前に立ちはだかるだろう。そしてその結果、この星そのものが滅んでしまうとしても、それすらも彼らならば乗り越えると盲信して邁進してしまうだろう。
ともすればヴァン自身を超える狂気。人の可能性に心奪われたがために魔王への道を歩み始めた男を前にして、ヴァンは図らずも自らを冷静に見つめ直す機会を得たのだった。
モース「人間賛歌を謳わせてくれ! この喉が嗄れ果てるほどに!」