5月第一週は毎日19時に投稿。第二週からはこれまで同様に週一ペースになります
平穏な忙しさと私
外殻大地降下はオールドラント中が知ることになり、尚且つその衝撃は物理的にも精神的にも凄まじいものだった。
ダアトには
そんな私は今、執務室の中で追い詰められていた。
「あの、皆さん落ち着いては頂けませんか……?」
「ボクは落ち着いてるけどね」
「アリエッタも、れいせい」
ソファに横たえられ、上から押さえつけられては身動きが取れない。私は肩を押さえ付けているシンクの手を外そうとするが、却ってシンクの手に力が籠められてしまい、私の身体の自由が増々奪われてしまう。そうでなくとも、今の私の身体の上には桃色の髪をばさりと広げた少女が圧し掛かっているのだ。戦況はどう考えても挽回不可能だった。
「ボクはアニスからモースのことを頼まれてるからね。無理し過ぎてるようなら多少乱暴でも休ませるようにって」
「アリエッタも、大詠師守護役として、お仕事してるだけ」
「私はともかくシンクも無茶をしてるでは無いですか。アブソーブゲートでのこと、私は忘れていませんよ」
「必要も無いのに自分から剣の前に身を差し出すようなことをしたモースが言えることじゃないよね?」
「「……」」
これ以上言っても不毛なことを悟り、私とシンクは互いに押し黙った。私は諦めて身体から力を抜くと、ソファに全体重を預けた。そして私の上に乗っているアリエッタの頭に手を乗せる。アリエッタは私の手を心地よさそうに受け入れてくれ、顔をだらしなく緩める。
大詠師守護役。この役職はほんのつい最近できたものだ。具体的には外殻大地降下後。更にこの役職が出来たのは導師イオンの強い提言があったためだ。そして初代守護役となったのがアリエッタ。今の彼女は神託の盾騎士団の師団長であり、同時に大詠師守護役でもある。その職務内容は大詠師である私の守護、とされているが実際はお目付け役だ。私が無茶をしているとアリエッタが判断すれば、その情報は導師イオンの耳に入り、導師守護役であるアニスを通じてシンクが私を強制的に休ませようと飛んでくる。このやり取りも既に十回は繰り返されているのだ。
「ほら、少しは寝てなよ。アブソーブゲートの調査隊もまだ不審な点は無いって報告してるし、キムラスカとマルクトからの避難民受け入れも多少は落ち着いた頃なんだから、休憩しても問題ないだろ?」
「……ええ、そうかもしれませんね」
私はシンクへと向けていた目を天井に移す。アブソーブゲートには定期的にキムラスカとマルクト両軍の合同調査隊が向かっており、調査内容は私も含めて両国に共有されている。それによれば、まだアブソーブゲートの最深部に突き立てられたヴァンの剣はそのまま残っているらしい。それはリグレットとラルゴが動き出していないということを示している。また、カンタビレが主導して行っている神託の盾騎士団によるラルゴとリグレットの捜索も不発に終わっている。出来ればアブソーブゲートに彼らが侵入する前にその動きを捉えておきたい。静かになると、途端に頭の中にはぐるぐると今後のことが巡ってくる。私の知る筋書きとは異なる道を辿り始めているというのに、私は未だに私の記憶に縛られている。
「ほら、また難しいこと考えてる」
「ん、すみません。考えても仕方ないことだと分かってはいるのですが、ね」
シンクに窘められ、私は頭の中に浮かんでいた取り留めのない考えを振り払う。ふと視線を下げれば、私の上に乗っていたアリエッタはすっかり寝息を立てていた。安心しきった顔で眠るアリエッタの顔を見ると、肩に入りかけていた力が抜けていくのを感じる。この子にここまで信頼されていること、シンクが私を心配してくれることの重みを改めて感じられた。
「モースが何を抱えていて、何を不安に思っているかなんてボクには分からない」
シンクが私の傍らに立ちながらポツリと溢す。
「無理に聞き出すつもりもないよ。でも、それとは別にそんなモースを心配することもあるってことは理解しておいてよね」
「……肝に銘じておきます」
彼の気遣いにそう返すことしか出来なかった。シンクだけではない。私の周りには、私以上に私を大事にしてくれようとする人がいてくれている。導師イオンも、アニスも、ティアだって。自分たちの方が大変だというのに、それを差し置いて私を気遣おうとする。そんなことをしてもらえる人間ではないと思いながらも、弱い私はそんな皆に甘えてしまっているのだ。
私は頭に何か温かいものが乗せられた感覚を覚え、閉じかけていた目を開く。見上げれば、シンクの右手が私の髪を撫でつけていた。
「シンク……」
「ケテルブルクでしてもらったことのお返し。ほら、今ここは安全だよ。ボクだって、アリエッタだっている」
「ええ……、そう、ですね……」
シンクの声に誘われるように瞼が落ちていく。人に頭を撫でてもらうなど、いつぶりだろうか。まだ小さかった頃、今はもういない両親にそうしてもらったような朧げな記憶が蘇る。確かに、これはとても安心できる。シンクも、アリエッタも、私が撫でたときに同じように思ってくれていたのだろうか。だとすれば、この上なく嬉しいことだが。
私の意識はいつしか夢の世界に落ちていた。久方ぶりに、よく眠れそうだ。
「ヴァンと奴の部下はまだ動き出していない、か」
「そうです。ですが、備えるに越したことはありません」
優しい午睡を過ごした私は、今は私を訪ねてきたアッシュと二人きりで執務室にいた。シンクやアリエッタは渋ったが、無理を言って退出してもらったのだ。
「ヴァンはローレライを捕らえた。降下作戦の時にローレライから接触してきたことがその証拠だ」
そう言ってアッシュは腰に佩いていた剣を私に見えるように差し出す。黒い音叉、その二又に分かれた部分から銀色の刀身が生えた剣。創生暦時代の記録に、ユリアが携えていたと記されている伝説の剣だ。
「ローレライの鍵」
「ローレライはラジエイトゲートにいた俺とアブソーブゲートにいたルークに鍵を託すと言っていた。俺に送られてきたのは剣。とすればもう一方に送られたのは」
「ローレライの宝珠でしょう」
アッシュの言葉を引き継ぐ。ローレライはやはり地核に逃れたヴァンによって捕らわれたのだろう。そして捕らわれる直前、ユリアとの契約の証であるローレライの鍵を自身の完全同位体であるアッシュとルークに送り込んだ。ローレライの鍵はローレライを地核に縛り付ける楔であり、ローレライを解放するための鍵。剣と宝珠を揃え、ヴァンに捕らわれたローレライを空高くある音譜帯に返してやる。それが私達に与えられた使命になるのだろう。
「そうだというのにあの坊ちゃんはローレライの宝珠なんぞ知らないときた」
アッシュが吐き捨てるように呟く。そう、ローレライからのメッセージを受け取ったのはアッシュもルークも変わらない。だが、アッシュはローレライの剣を手に入れたのに対し、ルークはローレライの宝珠を受け取っていないという。その真相は、ルークが構成音素にまで分解されたローレライの宝珠を、コンタミネーション現象を起こして自らの身体に取り込んでしまったというもの。そのため、ルークはローレライの宝珠を受け取ったことを知覚できず、後に再び世界を覆った障気を超振動によって消し去るために自身の体内音素を使い果たして消失寸前になるまで宝珠を取り出すことが出来なかった。
「各地のセフィロトを回っちゃいるが宝珠の影も形も無え。あれをヴァンに確保されちまったらローレライの解放が難しくなる」
「アッシュ、焦ってはいけません。まだリグレット達は動いていないのです。ルークが宝珠を受け取っていないと言っても何か勘違いをしている可能性があるのですから」
「チッ、どこまでも手間を掛けさせるお坊ちゃんだ」
ただ私の口からその真相を言うことは憚られた。そもそも言ったところで自発的にコンタミネーション現象をコントロールできないルークでは宝珠を取り出すことが出来ない。その辺りに関しては専門家に一任しておくのが最も効率的だろう。
アッシュは苛立たし気に舌打ちをするが、私はそれを宥めるように彼の肩に手を置く。
「逸る気持ちも分かりますが、それだけに目を向けて視野狭窄になってしまってはいけません。こういうときこそ些細な喜びにも目を向けなくては」
「呑気だな、大詠師。そうやってのんびりしてるうちにまたヴァンに出し抜かれても知らねえぞ」
肩に置いた手を振りほどくことはしなかったものの、アッシュは鋭い目で私を射抜いた。それに気圧されそうになるが、気持ちを引き締めて堪える。そもそも、私の記憶ではこのときのアッシュは神託の盾騎士団からも離脱して無茶な単独行動をしていた。それを思えば今こうして曲がりなりにも神託の盾騎士団に残り、私に協力してくれているだけで彼は大きく変わっている。ならば、私は彼が私の知る運命を辿らないよう、引き留める重石を少しでも多く積み上げよう。
「出し抜かれることになったとしても、使命に殉じることだけを追い求めてはいけません。あなたの出生記録や戸籍についてようやく諸々の手筈を整えることが出来たのですから」
「!? ってことは」
私の言葉にアッシュは先ほどまでの険しい顔は何処へやら、弾かれたように顔を上げ、その仏頂面に僅かに喜色を滲ませた。
「ええ、あなたはダアトで代々詠師を輩出している家系に生まれ、神託の盾騎士団の師団長を務めあげ、今は詠師補佐も兼任している。ダアト内では出生も立場も盤石です。マルクトやキムラスカ貴族との婚姻が出たとしても無理なく受けられる程度にはなったでしょう。王族との婚姻となればもう少し箔付けが必要になるでしょうが、それもこれまでの功績と王女を影ながら守り抜いたことでファブレ公爵家が養子に迎えるというシナリオでクリアできると考えています」
アッシュが置かれた立場はとても複雑なものだ。元はファブレ公爵家の一人息子だが、今はその立場にルークがいる。彼に残されたのは
「……そこまでしてお前に一体何の得があるってんだ」
「私の贖いの一つとして受け取って頂ければそれで結構。あなたが恩を感じてくれれば儲け物ですが」
「それがお前の謝罪というなら受け取る。恩を感じるかは別だ」
アッシュはそう言って私の手を振り払い、背を向ける。ただ、私を振り払った彼の手も、彼の口ぶりもいつもより優しく感じたのは、私の気のせいだろうか。