大詠師の記憶   作:TATAL

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備える者たちと私

 ダアトでの仕事がようやくある程度の落ち着きを見せた頃、私は政務をハイマン君やトリトハイムに任せてベルケンドを訪れていた。

 かつてはキムラスカの譜業研究都市であったベルケンドであるが、今はマルクト、ダアトも関わった国際研究都市になっており、シェリダンとの技術交流も含めて第七音素(セブンスフォニム)の力に頼らない、より省エネルギーかつ高効率な音機関、譜術の研究が盛んに行われている。そしてこのベルケンドの研究施設の一角に、私の目的地はあった。

 

「お邪魔しますよ」

 

「おや、これはまた珍しい客がやって来ましたね。ダアトの運営はよろしいので?」

 

 研究所の一室、ベルケンドの中でも特に潤沢に予算がかけられ、最新鋭の機材に資料が揃えられたその部屋は、音機関、譜業、譜術、とにかく研究に携わる人間であれば憧れない者はいないだろう。そんな部屋の主は入ってきた私を見るといつもの飄々とした口調で語りかけてくる。相も変わらずどのような原理で浮いているのか分からない譜業椅子に腰かけた彼は、恐らく過去一番に輝かしい表情をしていた。

 

「頼りになる部下がいますからね。外殻大地降下の混乱もようやく落ち着きを見せ始めました。ここいらで一度あなた方に顔を見せに行こうと思ったのですよ、ディスト」

 

「ふむ、殊勝な心掛けですね! 素晴らしい! やはり理解あるパトロンというのは得難いものですねぇ!」

 

 私の言葉にディストは高笑いで答える。そう、ここはベルケンドに設置されたディストの専用研究室だ。ヴァンに捕らわれていた私を治療するためにダアトを出奔した際にディストはご丁寧に神託の盾騎士団師団長としての仕事をきっちりと部下に引き継いでいた。そうして身軽になった彼は、マルクト皇帝からの恩赦を受け、私がかねてからの借りを返す意味を籠めてベルケンドに彼専用の研究室を設立するようにピオニー陛下とインゴベルト陛下に掛け合ったのだ。機材や資料は勿論、()()も彼が望むままに。

 

「そろそろ来る頃かと思っていましたよ。とはいえ、まだ研究はあまり進んでいるとは言い難いですが」

 

 その言葉と共にディストの後ろから現れたのは白衣を纏った紅瞳の眉目秀麗な男。マルクト軍人でありながら、譜術研究、フォミクリー技術の第一人者であるジェイド・カーティス大佐だった。彼は今マルクト軍の研究所から出向という形でディストの研究室に身を寄せている。常駐しているわけではないが、それなりの頻度でベルケンドを訪れ、ディストとフォミクリーを始めとする様々な課題について議論と検証を重ねているようだ。

 

「久しぶりですね、ジェイド。何か不自由していることはありませんか?」

 

「ええ、お久しぶりです。不自由どころか、研究には快適過ぎて中々マルクトに戻るのが億劫になってきてしまうほどですよ。何せこの研究室には太客がついているものですからね」

 

 私の問いにジェイドは肩を竦ませながら笑う。言葉は皮肉っぽいが、随分と柔らかな口調になったものだ。この分なら、ディストともうまくやれているのだろう。

 

「ならば良かった。あなたにはディストと共にやって頂きたいことばかりですからね」

 

「人遣いの荒い出資者殿ですね。ま、期待を裏切るつもりはありません」

 

「私とジェイドの二人ならばどんな問題だろうと解決できるに決まっているでしょう! 大船に乗ったつもりで構えてなさい!」

 

 ディストはそう言ってジェイドと肩を組もうとするが、ジェイドはそれを一瞥することすらなく躱すと、私の方へと歩み寄ってくる。

 

「それで、今日は何を聞きたいので?」

 

「そうですね、コンタミネーション現象というものについて講釈頂ければと」

 

 私がそう言うと、ジェイドの眼が面白いものを発見したと言わんばかりにスッと細められた。

 

 


 

 

「……つまり、コンタミネーション現象とは物質を構成する音素(フォニム)と元素の融合を意味するわけです。本来交わることの無い元素同士を音素(フォニム)が引き合う力によって結び付けていると言えば良いでしょうか。したがって固有振動数の近いものであるほどこの現象は起こりやすいと言えるわけですね」

 

 私の問いから始まったジェイドのコンタミネーション現象に関する講義は、私の予想以上に噛み砕かれて理解し易い内容としてまとまっていた。

 物質を構成するのは元素と音素(フォニム)であり、このうち音素(フォニム)は似たものが互いに結びつこうとする力を持つ。それぞれの物質が持つ音素(フォニム)固有振動数が異なる上、元素同士が互いに反発するため、普段は物質同士が結びつくことは無い。しかし、譜術によって物体の固有振動数を調整し、例えば自らの身体と同調させた上で、元素の反発力を弱めてやることによって物体と人体が融合するコンタミネーション現象が発生する。ジェイドはこの技術を駆使して右腕に槍を融合させており、好きなタイミングで具現化させて振るっているわけだ。もちろん簡単なわけが無い。この技術は一歩間違えば物体同士の反発作用によって重篤な音素乖離現象を引き起こす危険性を孕んでいる。更に言えば、素人がジェイドの真似をして右腕に槍を融合させたとしても、それを二度と取り出せなくなったならばまだ良い方、最悪は予期せぬタイミングで具現化し、更に具現化する場所が右手では無く自分の胸を貫く形になることも有り得る。ジェイド以外にコンタミネーション現象を使いこなしている人間がいないことがこの男の異常な天才性の証左でもある。

 

「なるほど。であれば完全同位体であればある種容易にそうした現象が起こる可能性があるわけですね」

 

「そうですね、理論上はそうなります。……いや、ということはまさか」

 

 私が顎に手を当てながら呟いた言葉にジェイドが頷いていたかと思えば、彼は私に信じられないものを見るような目を向けてきた。

 

「ルークがローレライの宝珠を見つけていないというのは、彼が宝珠をコンタミネーション現象によって体内に取り込んでいるからであると?」

 

「その可能性もあるかもしれないと思っただけです。アッシュが各地のセフィロトを巡っても見つけられなかった。そもそもローレライが送り先を間違えるようなことをするとは中々思えません。ということはルークは宝珠を確かに受け取っている。ただし、それが目に見えない形になっているだけだと考えてみたのです。そもそも剣と宝珠がその形のまま地核から飛び出してくるなんて思えませんしね」

 

「……その可能性は確かに高いです。更に言えばルークはアッシュと違って構成音素(フォニム)第七音素(セブンスフォニム)のみのレプリカ。同じく第七音素(セブンスフォニム)で構成されているであろうローレライの宝珠を取り込むのに抵抗は少ない。そしてローレライの剣も宝珠も、ローレライが生み出したもの。となれば固有振動数もローレライと同じ、ひいてはアッシュやルークとも……。むしろ言われてみて何故この可能性に思い至らなかったのかと歯噛みする思いですね」

 

 やはり大詠師など辞めて研究者になられてはいかがです? と冗談めかして言うジェイドに私は曖昧に笑って返すことしか出来ない。これは私が真相が明らかになった筋道を知っているから。つまりはカンニングして得た答えだ。そんな私が発した言葉でここまですぐに結論を導き出せるジェイドと並んで研究者になるなど烏滸がましいにも程がある。よしんば研究者となったとしても、早晩そのメッキは剥がれて周囲を失望させてしまうだけだ。

 

「それにあなたの仮説が正しいとすれば、やはりオリジナルとレプリカの間で起こるビッグバン現象も……。ディストの研究資料と合致しますね。モース、あなたの言葉でまた一つ道筋が見えたかもしれません。転職先がまた一つ増えましたね」

 

「勘弁してください。私があなたとディストの議論について行けるわけが無いでしょう。そこまで自惚れたつもりはありません。私の素人考えからそこまで発展できるあなた達がスゴイだけですよ」

 

「おや、またフラれてしまいましたか」

 

 短時間で二度も勧誘してきたジェイドに私はきっぱりと断りを入れる。こんな天才たちと共に働いたら毎日劣等感に苛まれてどうにかなってしまうに違いない。思えばこんな天才達に食らいついて研究を続けているスピノザとは末恐ろしい人間なのかもしれない。

 私は脱線しかけた話を元に戻すことを要求するように咳払いを一つ挟む。今話しているのはローレライの宝珠の行方についてだ。それ以外の問題についてはまた別の日に考えてくれればいい。

 

「話を戻しましょう。ルークとローレライの宝珠がコンタミネーション現象を起こしている可能性についてです」

 

「問題はもしそうだとしてもどうやってルークの身体と同化しているローレライの宝珠を取り出すかになりますね」

 

「確かにその通りです。すぐに考え付く方法としてはルークの身体から極限まで第七音素(セブンスフォニム)を乖離させるというものがありますね。自身の構成音素(フォニム)を減らすことで異物、この場合は宝珠の違和感を増幅させ、取り出す」

 

「そのような方法を私が許すとでも?」

 

「もちろん思いませんし、私もするつもりはありません」

 

 ジェイドの発案に、私は拳を握りしめる。その道の先にあるのは避けられないルークの消滅だ。そのようなことを認められるわけが無い。そうならないためにディストとジェイドというこの世界で一、二を争う頭脳を揃え、潤沢極まりない環境を整えているのだから。

 

「もう一つはルークの音素(フォニム)コントロールを向上させる方法でしょうね。各地のセフィロトを操作するときは超振動の出力を調整するだけでした。それに加えて音素(フォニム)で譜術を形成する、実際に回復術を使用して人体に音素(フォニム)が作用する感覚に鋭敏になるなどで自身の内にある宝珠の存在に気付いてもらう。そうすれば後は超振動を放つのと似たようなものだ。自身の中にある宝珠の構成音素(フォニム)を意識し、放つことでコンタミネーション現象は解除出来ると思います」

 

「とはいえ根気強さが求められる方法ですね」

 

「その通りです。それにルーク自身も音素(フォニム)コントロールがあまり得意ではない。ヴァンが動き出すまでに間に合うかは賭けになりますね」

 

「間に合わない前提で動くべきでしょう。それ以外にも解決すべき問題は山積みなのですから」

 

「そうですね。ではルークには訓練をしてもらうようにはしましょう。私からルークに手紙を出します」

 

 その言葉と共に、壁に掛けられた時計が時を告げる。見れば、もう日が落ちる時間だ。気が付けば研究室には私とジェイドしかいなかった。ディストはいつの間にやら帰ったらしい。私は席を立つと、ジェイドに一度頭を下げる。

 

「面倒なことばかり押し付けてしまい、すみません。あなたとディストが頼りなのです。子ども達の為に、お願いします」

 

「……相も変わらず、その身が潰れそうなほど多くを背負っている人ですね。ケテルブルクで私はあなたに言いましたよ、あなたの抱えた重荷を私も背負うと」

 

 そう言ってジェイドは柔らかく微笑んだ。その顔は、彼が戦場に立つ軍人であるとはとても思えないほど穏やかで、そしてあどけない笑顔だった。


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