その報告が飛び込んできたのは私の気分とは似ても似つかない快晴の日だった。
「アブソーブゲートにヴァンの剣が無かった?」
「はい、キムラスカもマルクトも緊急会談を開くべきと」
ハイマン君から手渡された調査隊の報告書に目を通しながら、私は頭の中で自身の記憶を反芻する。アブソーブゲートから剣が奪われたということは六神将が遂に動き出したのだろう。私達の捜索も虚しくリグレットとラルゴは追跡の目を振り切ったということだろう。外殻大地降下の混乱に紛れてヴァンを信奉していた一部の神託の盾兵も姿を消していることから、彼らの助けも借りていることは想像に難くない。
「会談はどこで?」
「両国の中立地点ということでダアト、もしくはユリアシティを希望しています」
「でしたらダアトが良いでしょう。警備も厚くできますし、ユリアシティとなると移動手段も限られる」
私は椅子から立ち上がり、ハイマン君を伴って執務室を出る。この情報は導師イオンにも伝えておかなくては。
「ハイマン君、出来るだけ早い日程で会談のセッティングを。カンタビレにも連絡をお願いします」
「はいっ!」
ハイマン君は心得たとばかりに廊下を駆けていく。細かい指示を出さずとも彼ならこれで十全に準備を整えてくれる。
私は導師イオンの居室に辿り着くと一度息を整え、ノックの返事が来るのを確認してから扉を開けた。部屋の中では、導師イオンが椅子に腰かけて古ぼけた装丁の本を机に広げていた。蔵書庫から何か持ち出してきたのだろうか。
「導師イオン。ヴァンが動き出したようです」
「ヴァン達が……。分かりました、キムラスカとマルクトには?」
「両国から既に会談の要請が届いています」
私の持つ記憶についておおよそ全てを把握している彼は、私の言葉にも大きな動揺を見せることなく立ち上がった。こういうところは年不相応に落ち着いて見える。とはいえ今はそれがありがたい限りなのだが。
「では僕達も動かないといけませんね。
「ええ、残念ながら」
導師イオンの言葉に私は否定の言葉を返す。外殻大地降下から暫くして、アブソーブゲート調査隊が地核振動の活発化を報告していた。原因は
「ですが事態は思ったより悪くありません。アッシュは神託の盾騎士団に残り、宝珠の行方も分かっている。ディストもこちらに協力的ですしアリエッタも味方。ヴァンもしばらくは潜伏するしかないと思います」
「その間に僕たちは国家間の協力体制を盤石にしておかなくてはいけませんね」
「ええ、その通りです。私の力不足で申し訳ないのですが、世界はまだ
「頭を上げてくださいモース。むしろ僕にまだ出来ることがあって嬉しいくらいですよ」
導師イオンはそう言って柔らかく微笑む。彼の導師たる所以がこういったところに垣間見える。どこまでも彼は優しく、人々の為に働くことを厭わないのだから。私は彼の言葉に従って頭を上げると、彼の翠の目を見つめる。夏の木漏れ日を思わせる彼の瞳は、見る者を不思議と安心させてくれる光を湛えていた。
「導師イオン、どうか約束して下さい。もしもの時は、自分の身を第一に考えると」
「……僕がザレッホ火山で死んでしまうと?」
「それは分かりません。ですがあなたを狙う者がいることは事実です。ヴァン達が動き出した以上、警戒し過ぎるということはありませんから」
「警戒すべきはあなたの方ですよモース。アブソーブゲートでのヴァンはあなたに並々ならぬ執着を見せていましたから。こうして戻ってきた以上、またどうにかしてあなたを捕らえようとするかもしれません」
導師イオンにそう窘められるも、私は何故あの男が私などにそこまで執着しているのか理解が出来ていなかった。何かがあるとすれば私が捕らえられていたときのことだろうが、肝心の私の記憶が曖昧なため、その理由に思い至らない。とはいえ、ここまで導師イオンが言っているし、更にはアブソーブゲートから帰ってきたルーク達も声を揃えて私に気を付けるように言ってきたものだから私もある程度警戒するようにはしていた。
「自分を軽んじているつもりはありませんよ。アリエッタも付いてくれていますし、アリエッタがいないときはシンクも来てくれますから」
「それに、あたしもちゃんと目を光らせてるからな」
部屋の入り口から聞きなれた声が飛んできて、私と導師イオンは口を閉じて視線を向ける。そこには扉にもたれかかるようにして黒髪黒衣の女剣士が立っていた。神託の盾騎士団の現主席総長であるカンタビレだ。
「ハイマンから聞いたよ。ヴァン達が動き出したんだってね」
カンタビレは私達に歩み寄りながらいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「そんなに難しい顔してるんじゃないよ、モースに導師イオン」
「おっと、そこまででしたか?」
「そこまでさ。二人して深刻な顔しても何も解決しやしないよ。ダアトのトップ二人がそんな顔してたら下の人間が不安になる。お前達はいつも通りにしてれば良いのさ」
そう言ってバシンと軽く背中を叩かれる。ともすれば気楽すぎるとも思えるが、いつもと変わらない彼女の態度が今は頼もしい。
「そうですね、カンタビレ。僕達にはあなたがついていますからね」
「そういうことです、導師イオン。あたし達を使えばいい。モースに押し付けられて主席総長になっちまったんだ。なら給料分の仕事はしてあげないとね」
「フフ、頼もしい言葉ですよ、カンタビレ」
導師イオンの顔にも笑顔が戻る。それを見てカンタビレも先ほどまでの不敵な笑みは鳴りを潜め、少し柔らかな表情になった。
「ではカンタビレ、早速頼らせて頂いても?」
「ああ、言ってみな大詠師モース」
「ルーク! ティア!」
「イオン! 久しぶりだな!」
ダアト港で出迎えたキムラスカからの使者はルークだった。傍らにはティアも控えているのも見える。外殻大地降下後、ティアはファブレ公爵家の嫡男を意図せずとは言え誘拐してしまったことを償うため、ファブレ公爵家に奉公に出ていた。こうして二人でダアトに寄越したのは彼らが事情を深く知っているというだけでなく、少しは羽を伸ばせるようにという大人達の気遣いもあったのかもしれない。
「お久しぶりです、モース様。兄さんの密葬の時には、お世話になりました」
「久しぶりですね、ティア。あれから公爵家に奉公に出ていましたが、大事ありませんでしたか?」
「はい。クリムゾン様も、シュザンヌ様もとても良くしてくださいました。ナタリアも度々来てくれて、仮にもルークを屋敷から連れ出してしまったのにこんなに楽しい思いをして良いのか不安になるくらいで……」
どうやらティアも元気でやっていたらしい。彼女のファブレ家への奉公は、ヴァンとの戦いの後で塞ぎ込みかけていた様子を見かねた私がクリムゾンに持ちかけて決まったことだった。実のところ、償いというのは建前であり、クリムゾンも自由になったのに屋敷からあまり出ようとしないルークを心配し、旅の仲間が近くにいれば気も紛れるだろうという双方の利害の一致があって今回の件は決定した。アッシュのファブレ家への養子入りとナタリアとアッシュの復縁を見据え、ルークとティアの仲を目敏く見抜いたクリムゾンの秘めた思惑も無かったかと言えば、嘘になる。
「ルーク様、本日はようこそおいで下さいました」
「ああ……っと、大詠師殿においても御壮健なようで何よりだ。今日は実りある会談になることを期待している」
私がルークの前に進み出て腰を折れば、ルークは最初こそ導師イオンへと向けるものと同じ笑顔を私に向けたが、すぐに気付いて言葉を取り繕って見せた。導師イオンとルークは個人的な友好を結んでいると認知されているが、私とルークはそうではない。また、今回の訪問は一応公式の行事となっているため、最初だけは形を取り繕っておかなければいけなかった。
「ふふ、屋敷で閉じこもっていると聞いていましたが、きちんと公務に出るための勉強をされていたのですね」
「……ハァ、抜き打ちテストなんてヒドイと思うぜ、モース」
私がニヤリと笑って見せれば、ルークも肩の力を抜いてため息をつく。
「すみません。私としても気にしないのですが、何分こうした形式的なことを重視するお偉方もいますからね」
「そうだな。俺もティアとナタリアに口酸っぱく言われて何とか覚えたよ」
「仲良くされているようで何よりです。娘同然に思っている大事な部下ですから、ルーク様にはそれに相応しくなって頂かなくては」
「モース様!?」
「ふ、相応しくって! べ、別に俺とティアはそんなんじゃ!」
相も変わらずルークとティアはあまり進展していないらしい。私としては二人が互いを憎からず想っていることは分かるので、この束の間の平穏で距離が縮んではいないかと思っていたのだが。後でクリムゾンに手紙を出してみようか。
「おや、仮にもティアの主人筋に当たるわけですからね。従者の質で主人が見極められると言いますが逆もまた然り。ルーク様がしっかりしていないとティアも軽んじられる、という意味で言ったつもりでしたが……。どうやら何か別の意味で捉えられたようですな?」
「なっ、ぐっ、し、知らねぇ!」
私の言葉にルークは耳まで赤くしてそっぽを向いてしまった。ティアも同じ顔色で俯いている。こうした反応が初々しくて可愛いものだからついつい揶揄ってしまいたくなるのだが、あんまりしつこいと嫌われてしまいそうだからこの辺にしておこう。
「さて、ルーク様にティア。マルクト側の船も見えたことですし、一緒に出迎えて頂いても?」
「お、おう。……ホントに敵う気がしないぞ、モースには」
「そうね……、ほらルーク、襟が曲がっているわ」
私の隣に並んだルークが、ティアの小言を受けながら襟を直されている。その様子を見て、彼らがバチカルでもこんな様子であったならクリムゾンもやきもきしただろうと思い、思わず頬が緩んでしまったのだった。