大詠師の記憶   作:TATAL

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ヴァンの意志を継ぐ者と私

 果たしてリグレットの指が引鉄を引くことは無かった。私に向けていた視線を傍らの茂みに向けたかと思えば、彼女は勢いよくその場から飛び退いたからだ。そしてそれとほぼ同時に、何か巨大な影が私とリグレットの間に立ち塞がった。

 

「……ライガクイーン。ここを新たな縄張りにしていたか」

 

「グルルル……!」

 

 リグレットに牙を剥き出しにして威嚇していたのは幼いアリエッタを拾い、自らの仔として育てた異例の魔物、ライガクイーンだった。黒い体毛に稲妻のように走る金色の模様が毛を逆立てているために一段とハッキリと分かる。私は弾が掠った右足を庇いながら立ち上がると、ライガクイーンの隣に立つ。

 

「ありがとう。お陰で命拾いしましたよ、誇り高き魔獣の母よ」

 

 ライガクイーンの視線は油断なくリグレットを見据えているが、右耳がこちらを向いていることから私の言葉を認識してくれているようだ。私は弾かれたメイスを拾うと、音素(フォニム)を練り上げて抗戦の構えを見せる。リグレットはそんな私とライガクイーンを交互に見やると、構えていた譜業銃を下ろした。

 

「これ以上ここで戦う意味は薄いな。ここは退かせてもらおう」

 

「見逃がすとでも?」

 

「手負いの分際で何を言っている。見逃すのはこちらの方だ。それに本来の目的は既に達せられている」

 

「本来の目的……? 一体何を」

 

 私の言葉が終わる前にリグレットが指笛を鋭く鳴らす。その音色に呼ばれた鳥型の魔物、ガルーダがリグレットの手を掴むと、瞬く間に上空へと運び上げた。アリエッタが使役していたのとはまた別に、彼女も自らの移動手段を確保していたらしい。

 

「貴様に話す必要は無い。閣下の計画を邪魔させはしない。ローレライの鍵を手に入れるのは我々だ」

 

 そう言い捨てると、リグレットは飛び去って行く。譜術で追撃することも考えたが、リグレットと再び戦闘となった場合に勝てる可能性は限りなく低い。ライガクイーンが来てくれたとはいえ、私は負傷しており、尚且つアリエッタのようにライガクイーンと十全に連携を取ることは出来ないのだから。彼女の言う通り、私は彼女に見逃されたに過ぎない。

 視界からリグレットの姿が消え、そこでようやく私は緊張を解いた。同時に身体が無視していた痛みを再度訴えだす。立っていられなくなり、ライガクイーンの身体に寄りかかる格好となってしまった。

 

「すみません。今しばらく、肩をお借りしたいのですが」

 

「グル……」

 

 私がそう言うと、ライガクイーンは私の顔を一瞥し、脚を折って姿勢を低くしてくれた。そして私に身体を擦り付けてくる。これは、乗れと言われているのだろうか。そもそも魔物と友好関係を結ぶ人間はアリエッタを除いてまずいない。あるとすれば調教による使役関係くらいのものだ。通常のライガや先のガルーダ程度ならば上下関係を教えることで使役することは出来なくも無いが、ことライガクイーンが人を背に乗せることを赦すとは思えない。ライガの群れを率いるボスであり、誇り高い女王である彼女がたかが人間に背を許すなど誰が信じられるというのか。

 

「えぇっと……、乗れ、ということでしょうか?」

 

 私が恐る恐る尋ねると、肯定するように大きな尻尾がゆらりと振られ、私の身体に巻き付いた。どうやら本当に乗っても良いらしい。私はおっかなびっくりクイーンの背に跨る。もしこれが私の勘違いならば私はすぐさま振り落とされて激怒したクイーンに無残に喰い殺されてしまうだろう。

 だが、私の心配をよそに、クイーンは私が跨るのを確認すると、ゆっくりと身体を起こし、森の外に向かって歩き始めた。命を救ってくれたばかりか森の外まで送っていってくれるらしい。恐らくこの森一帯を支配下に置いている縄張りのボスが人間を背に乗せて送迎してくれるなど、恐らく最も安全な移動手段だろう。アリエッタが私のことをライガクイーンに言い含めておいてくれたのかもしれない。というより、そうでなければ彼女が私の味方になってくれる理由が思いつかない。

 

 そのままクイーンの背に揺られることしばらく、木々が疎らになり、街道が見えるくらいの場所にまでやって来ることが出来た。街道には私の後を追って来ていたのか、数人の神託の盾兵を率いたアリエッタがおり、ライガクイーンとそれに跨った私の姿を見ると曇った表情を輝かせて走り寄って来る。神託の盾兵は視界にライガクイーンを捉えた瞬間に剣を抜き放って警戒したが、アリエッタの反応とクイーンの背にいる私の姿を見て安心したのか、すぐに警戒態勢を解いてくれた。

 

「ママ! モース様!」

 

「ああ、アリエッタ。あなたの母親に命を救われました。本当に助かりましたよ」

 

 森と街道の境目で立ち止まり、ライガクイーンは私を背から降ろす。街道は人間の縄張りで、そこを侵すつもりはクイーンには無いということだ。ライガクイーンがダアト近郊の森にその居を移して以来、街道にライガの姿が確認された事例が増えたことも報告も無い。それだけライガクイーンは群れを統率しており、そして人間との縄張りをきちんと線引きしているのだ。アリエッタを拾って育てたことといい、魔物の中でも極めて理性的だ。

 私はライガクイーンに相変わらず肩を借りた状態で、飛びついてくるアリエッタを受け止めた。彼女は最初こそ笑顔を見せていたが、私の右足に滲む血を見るとその目に見る見るうちに涙が溜まっていく。

 

「モース様、怪我したの?」

 

「ええ、リグレットが現れました。ライガクイーンが来てくれなければこの程度では済まなかったでしょう」

 

「モース様、お怪我をされているところ申し訳ありませんが、すぐにご報告したいことが!」

 

 アリエッタの頭を撫でて宥めていると、追い付いてきた神託の盾兵の一人が私に声を掛けてくる。ヘルムによって表情こそ窺えないが、声色からして深刻な案件であることが窺える。

 

「聞きましょう」

 

「はっ。現在の障気発生によりダアトでは市民の間で混乱が起こっています。事情を聞こうと教団本部に人々が殺到し、教団員で対応中ですが手が足りておらず。更に拘留中の詠師オーレルが今回の混乱に乗じて逃げ出したとのこと」

 

「市民の混乱はともかく、詠師オーレルが脱走、ですか」

 

「はい。見張りの話では、同じく神託の盾兵が交代要員として来たとのことでした。ですがそれは本来の交代要員では無く、何者かが成りすましていたと思われます。本来の交代員がやってきたときには部屋はもぬけの殻になっていたらしく」

 

「成程。リグレットが言っていた本来の目的とはこのことでしたか」

 

 障気が再び発生したことによる混乱に乗じて捕らえられていた詠師オーレルを連れ出すことがリグレット達の目的だったのだろう。

 

「ですが何故詠師オーレルを連れ去ったのか……」

 

 分からないのはそこだ。詠師オーレルは私と同じく第七音素(セブンスフォニム)を扱う才を持たない。仮にリグレット達が私の記憶にある通り新生ローレライ教団を名乗るとしても、シンクがこちらにいる以上預言士(スコアラー)はいない。そこにオーレルが加わったところで大きな意味は無いはずなのに。あるいは記憶の中の私がそうしたようにオーレルに無理矢理第七音素(セブンスフォニム)を流し込み、導師として担ぎ上げるつもりなのか。

 

「だがそれでヴァン達に利があるとは思えない……」

 

「モース様、まずはダアトに戻って怪我を治そう……? 皆モース様のことを心配してるよ?」

 

「あ、ああ、すみませんでした。つい考え事に夢中になってしまって」

 

 グルグルと繰り返される答えの出ない問い掛けは、アリエッタの言葉で遮られる。彼女の言う通り、まずは先走ってしまったことで心配をかけた人々に謝らなければ。それにここでいくら考えを巡らせたところで答えが分かることは無い。まずはリグレット達が再び動き出したこと、そして彼女達がまだローレライの宝珠の在り処を掴めていないことという情報を得られたのだからそれで良しとすべきだろう。後はルーク達やディストとその情報を共有しながら対策を練っていかなくては。

 

 


 

 

「それで、また突っ走って怪我をしたわけですか。懲りないですね、あなたも」

 

「耳が痛い限りです」

 

 数日後、教団本部の執務室には、私を呆れたような目で見下ろすディストの姿があった。障気の発生を受け、情報共有のためにベルケンドから呼び出されたのだ。ついでに私の怪我の様子も何故か診てくれている。私はあなたの主治医じゃないんですけどね、とお小言をくらいながらではあるが。むしろ頼む前に彼が傷を見せろと言ってきたのに。

 

「あまり急かすことはしたくないのですが、障気については」

 

「ジェイドやスピノザ、ベルケンドとシェリダンの技術者連中の協力もあって進んではいますよ」

 

 私の右足と右手の傷を診ながら、ディストは言う。

 

「もちろん十分とは言いませんがね。でもあなたに以前渡した第七音素(セブンスフォニム)強制排出装置のデータもあって何とかならないことも無さそうですよ」

 

「本当ですか!?」

 

「こら、動きなさんな! ええ、本当です。障気は第七音素(セブンスフォニム)と結びつく。それはつまり第七音素(セブンスフォニム)に親和性があるということですからね。体内に取り込まれた障気を体外の第七音素(セブンスフォニム)に引っ張らせれば理論上は障気を身体から取り除ける、というところまでは進んでいます。第七譜術士(セブンスフォニマー)が障気に侵されたなら症状の緩和は可能でしょう。ですがまだ第七譜術士(セブンスフォニマー)以外の人が障気蝕害(インテルナルオーガン)を発症したときの治療法は確立していません。下手に第七音素(セブンスフォニム)を注入しようものなら精神汚染からの肉体崩壊が始まりますからね」

 

「早々上手くはいかない、ということですか」

 

 ディストの言葉で脳裏に思い浮かぶのは私の記憶の世界の中、私に惑星預言(プラネットスコア)を詠むよう強制された導師イオンが、自らが消える間際にティアの体内にあった障気を引き取ったときのこと。ディストが言うことは、それと同じ現象を装置を使って起こすことが出来れば障気による病を治療ないし緩和が可能、ということなのだろう。本来はここまで出来ているだけでも目覚ましい進歩であるはずなのだが、それでも歯痒い気持ちは抑えられない。障気によって弱っていくのは体力の無い子どもや老人からなのだ。そして第七音素(セブンスフォニム)を扱える人間はとても少ない。一般市民を助ける方法を早く見つけないと遠からず障気による死者が発生してしまうだろう。

 

「何を悔やんでいるのかは分かりませんけどね。何でもかんでも欲張ろうとはしないことです」

 

「……ばれてしまいましたか」

 

「隠せているつもりでしたか?」

 

 私の内心の葛藤を見透かしたように、ディストは私の目を見て言った。丸眼鏡の奥に見える薄紫の瞳が剣呑な光を帯びていた。

 

「そんな考えでいるから一人で焦って危険に飛び込んでしまうんですよ。それで今回も怪我をしている。いつか取り返しのつかない傷を負いますよこれじゃ!」

 

「い゛っ!?」

 

 包帯を巻き終えた上から、ディストが私の右足をペシンと叩く。それも狙い澄ましたかのように傷のある場所を。私は声にならない声をあげて悶絶する。

 

「ま、気長に待ちなさい。ジェイドが居なくとも、私とスピノザで障気に関する問題は何とかしてみせましょう。なのでまずあなたがすべきことはアリエッタやシンク達に怒られながら傷を治すことです。そもそも大詠師が何で戦いなんてしてるんですか。文官筆頭のくせに!」

 

 その後もディストの小言は延々と続き、定期的にペチペチと傷の辺りを叩かれるものだからその度に情けない声をあげることになってしまったのだった。


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