それからは以前にも増して目まぐるしい日々となった。これまでもあった
そして今日、私はアリエッタとフェムを供にしてダアトを離れ、ある場所へと向かっていた。移動手段はアリエッタの友達、大型鳥獣のフレスベルグである。最初の頃こそ訓練もしていない人間が移動中に転落する可能性もあって周囲から大反対を受けていたが、今となっては身軽に移動できる手段として当たり前の顔をして使っている。周囲が大反対する余裕すら無くなってきたということでもある。他にも、アリエッタの魔獣使役能力は疑う余地も無いこと、それに船や馬車よりも空を行く方が襲撃の危険が却って少ないこともハイマン君達の心配を和らげた要因だろう。
私の前に座るアリエッタが機嫌良さげに鼻歌を歌いながら、私に身体を預けてくる。チラリと横に目をやれば、胡乱な視線を向けてくるフェムが見える。さすがのフレスベルグと言えど、三人を乗せて運ぶことは出来ないと、フェムは一人ガルーダに乗って私とアリエッタに帯同している。
「お、アリエッタ。見えてきましたよ」
そんなフェムに苦笑いを返すと、私は眼下に見えてきた街をアリエッタに指差して伝える。このまま街中に降りる訳にもいかないため、一度街外れに着陸する必要がある。
「ん、それじゃあ降りるね。お願い」
アリエッタはそう言うと、跨ったフレスベルグの首を軽く叩く。それだけで意を得たりとばかりにフレスベルグは高度を下げ始め、フェムを乗せたガルーダもそれに続く。ゆっくり、螺旋を描くように降下していくのに合わせ、小さく見えていた街が見る見るうちに視界を埋め尽くす大きさになっていく。
「砂漠の街ケセドニア。来るのはあまり気が進まなかったのですがね」
視界の先、どこまでも続く砂漠を眺めながら、これから始まる会合へのため息が抑えきれずに零れたのだった。
「いやはや、ここ最近はきな臭い話が溢れておりますな、大詠師殿」
「ええ、まったく」
砂漠の街の中でも一際豪奢な建物を訪れた私達を出迎えたのは、このケセドニアを一代で自治区にまで押し上げた稀代の商人、アスターだった。小柄な体躯を少しでも大きく見せるためか、常に腰に手を当てている彼は、綺麗に整えられた口髭の下に笑顔を絶やさない。しかし、その目は常に油断なく光っており、内に秘めた野心が僅かながら顔を覗かせていた。
「死んだはずの者が翌日には歩いている。ただし記憶も何も無いままで。
「お耳の早いことで。その通りです。是非ともあなたのお知恵をお借りしたいと思ったのですよ、アスター殿」
彼の執務室に通されると、早速とばかりにアスターが口火を切る。ダアトという特殊な事例を除けば、ケセドニアはオールドラントで唯一の自治区となった街だ。それも武力では無く、経済によって。砂漠という生産力に乏しいこの街がそこまでの存在感を出せるようになったのは、この街がキムラスカとマルクトの国境線上に位置していること、バチカルからザオ砂漠、ケセドニアを通じてマルクトの食料庫であるエンゲーブを結ぶ輸送網の要となっていること、それだけでなく両国の陸路貿易においてケセドニアが如何に重要な地位を占めているかと言うことは、キムラスカとマルクトの陸路における接点が南ルグニカ平野に位置する国境の街カイツールを除けばケセドニアのみ、キムラスカが南ルグニカ平野のカイツールを維持する上で海路以外の輸送網を担っていると言えば伝わるだろうか。それもあってケセドニアを巡るキムラスカとマルクトの対立は熾烈だったが、両国共にチョークポイントとなるケセドニアを維持する軍事費を捻出し続けるのは厳しい。そこに目を付けたアスターが二大国を相手に交渉と貿易で渡り合い、自治権を捥ぎ取ったのである。
そんな傑物を相手に私程度がまともに渡り合えるなどとは思えない。ケセドニアともダアトは商取引をいくらか行っているが、通商交渉でこの男を言い包められた試しがない。故にアスターを相手取った交渉はその重要度に拘わらずいつも胃壁が擦り減るような心地だった。
「大詠師殿も頭を悩ませているのですな。偽装兵は口々にモース様のためになどと口走っていたと商人が噂していたものですから、てっきりこれも何かの謀かと」
「あなたを相手にして私の稚拙な策が通用すると思えるほど自惚れてはいませんよ」
試すように言葉を投げかけるアスターに対し、私はきっぱりと否定する。その一挙手一投足を相手がさり気なく、されどしっかりと値踏みしているのは承知している。このアスターという男に下手な嘘や誤魔化しは通じない。キムラスカとマルクトから毎日数多の商人が通り、街自体にも土着の商人達が犇めいているこのケセドニアを文字通り掌中に収めている男だ。そもそもの経験値が雲泥の差なのだから。
「フフフ、試すような真似をして失礼しました。大詠師殿がそのような見え透いた策を弄するとも思えませんが、歳を重ねると猜疑心ばかりが大きくなってしまいましてな」
「疑うことよりも信じることは何倍も難しい。ですが、それを続けてこられたからこそアスター殿の下で今のケセドニアがあるのでしょう」
「相変わらず人の心を擽るのが上手いお方だ。して、実際のところはどうなのです?」
「レプリカ、というものに聞き覚えはありますか?」
私の言葉にアスターは暫し考え込むように口髭を手で弄ぶ。
「ふむ、寡聞にして聞き及んでおりませんな」
彼の情報網にも引っ掛かっていなかったとあり、興味をそそられたのか、椅子に座ったまま身を乗り出したアスターに対し、私は持て成しとして差し出された果実水で口を湿らせると、話し始めた。
「ふむ……、そっくりそのままの見た目の人間を生み出す技術ですか。ゾッとしませんな」
話を聞き終えたアスターは神妙な面持ちで顎に手を当て、机に視線を落として考えを巡らせる。
「身内の恥を晒すようで言いにくいのですが、ローレライ教団から離反した詠師オーレル、詠師かつ神託の盾騎士団の元主席総長であるヴァン、リグレット、ラルゴを中心とした者達の企てです。キムラスカ、マルクトとダアトの信頼関係を崩し、戦乱を巻き起こそうと彼奴らは動いています」
「戦争、ですか」
その言葉と共に、アスターの目が一瞬危険な光を放ったのを、私は見逃さなかった。
「アスター殿、まさかとは思いますが戦乱を望まれているわけではありますまいな?」
咎めるような声になってしまい、しまったと思ったものの、今更取り繕うことは出来ない。
「戦乱には金の話が付き物ですからな、商人としては気になってしまうのも仕方がないというもの」
それに、とアスターは続ける。
「フォミクリーとは、見方を変えれば素晴らしい技術ですな。死を厭わない兵士を無際限に生み出せる。成程、この技術の生みの親が禁忌としたのも分かるというものです。そして兵士が生まれれば装備を与えなければならないのも事実。商人として、目の前にある金貨が詰まった袋を見捨てる選択肢は無い」
「その結果として世界中から目の敵とされたとしてもですか?」
「元来商人なんてものは嫌われ者ですよ。自らでは何も生み出さず、物を右から左に流すことで金を掠めとる。盗人と罵られた時代もあったものです。それ故に商人は善悪よりも金の持つ力を貴ぶのでしょう」
アスターにレプリカについて話をしたのは早まったのかもしれない。ルーク達に対しては善良な統治者としての側面しか見せていない彼だが、ケセドニア自治区を纏め上げ、二大国と対等に渡り合うためには善良であり続けるだけでは無理だ。アスターの中には支配者としての冷たい一面が確かに存在している。今私と一対一で向かい合っている状況では、その冷徹で計算高い商人としての彼が強く表に出ているのかもしれなかった。
「加えてローレライ教団は
今のローレライ教団と今後現れるであろう新生ローレライ教団。ケセドニアとしてどちらにつく方が得であるかをアスターは天秤にかけている。それは、自らの力があればキムラスカやマルクトを丸め込めるという自信からきているのだろうし、実際このまま手を拱いていてはローレライ教団の弱体化は避けられない。
「つまり、ケセドニアは今までのダアトと積み上げてきた信頼を無に帰すことも考えられる、ということでよろしいか?」
私の言葉で室内には重苦しい沈黙が立ち込める。アスターから視線を逸らさず、その奥に隠された真意を読み取ろうとするが笑顔という分厚い装甲に覆われたそれを見抜くことは私には出来なかった。
「今のダアトはキムラスカ、マルクト両国と非常に親密な関係を築いています。戦乱による短期的な利益よりも、信頼に依る長期的な利益を採るのがケセドニアの主人であるアスター殿の選択だと私は信じています」
「……ふむ」
言葉を重ねる私に対してアスターが発したのは一言のみ。私は背筋に冷や汗が伝うのを感じ、更に言葉を紡ごうとするが、それより先に目の前の男の肩が震えだしたのに気付いた。
「……くくっ、流石の大詠師殿も焦りましたかな?」
「まさか……、私を試したのですか? 意地の悪い方だ」
アスターはそこで我慢しきれないように呵呵大笑する。私はドッと力が抜けるのを感じ、身体をふかふかの椅子に沈めた。
「もちろんただ試したわけではありません。商人としての勘が、レプリカは大きな富を生むと言っています。しかし、私は既に商人だけでなく為政者でもある。金を追いかけるだけで許される人間では無くなってしまいましたからね」
「今ほどあなたが商人でなく為政者であってくれて良かったと思ったことはありません」
「ハハハ、例え商人であったとしても私は大詠師殿を選んだと思いますがね?」
「おや、それはまたどうしてです?」
「商人は金を貴ぶだけではようやく三流。二流は情報を貴び、一流は信頼を貴ぶ。私は自身が一流であると自負していますので」
そう言ったアスターの顔は先ほどまでの朗らかな笑顔から、再び油断ならない商人のものに戻っていた。