大詠師の記憶   作:TATAL

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仮面の下の色と私

 謎の預言士(スコアラー)が人々を引き連れて向かったのはケセドニアの港に停泊している一隻の船。積み荷の何人もの水夫が荷を運んでいるのを見るに貿易船に便乗してきたのだろう。キムラスカとマルクトどちらの船籍を騙ったのか定かではないが、レプリカを用いれば船籍の偽造も造作ではないため考えるだけ無駄なことだ。

 預言士(スコアラー)は慣れた足取りで船へと乗り込んでいき、それに付き従う人々も続々と乗り込んでいく。その集団に紛れて私とフェムも渡し板を渡って船に足を踏み入れる。先導してきた預言士(スコアラー)は私達を甲板まで連れて行くと、そこで振り返り、私達を見渡しながら口を開いた。

 

「よくついて来てくれました。これから求める皆さま全員に預言(スコア)を授けましょう。同志が別室にあなた方を連れて行きます。預言(スコア)を聴いた者から船を降りなさい。今のローレライ教団は預言(スコア)を聴くものを弾圧するかもしれません。ここで見たこと、聞いたことを口外しないよう。どこにローレライ教団の手が伸びているか分かりません。我らもここに来るまで多くの迫害を受けてきました。この場に居る人々はそのような人間では無いと我らは信じていますが……」

 

 そう言って仮面の預言士(スコアラー)は僅かに見える口元を歪めた。弾圧、という言葉を聞いて聴衆の身が固く強張るのが目に入った。この預言士(スコアラー)は人々の不安を煽るのが大層上手い。事実としてローレライ教団が預言(スコア)を放棄したことは無い。積極的に預言(スコア)を詠むことこそ無くなったものの、それでも求める者がいれば預言(スコア)を詠むこともある。それでも、大詠師である私と、何より導師イオンが預言(スコア)に頼らない方針を打ち出した。それによって預言(スコア)を盲信する人々の間には言い知れぬ不安が蔓延したはずだ。その不安はいつしか怯えになり、想像の中の脅威を無際限に膨らませていく。障気の噴出も相まってこうした人々の中では、今のローレライ教団が世界を滅びに向かわせているように見えているのだろう。そこをこの預言士(スコアラー)は巧みに刺激した。こんなことを言われては、存在しない弾圧に怯えた人々はここで起こったことを決して口にしない。この預言士(スコアラー)に脅されたという自覚も無いまま、むしろ感謝までするかもしれない。

 

「では、私の前に居るあなたから、参りましょうか」

 

「おお、感謝いたします!」

 

 預言士(スコアラー)は自分の前に立つ男を示すと、感激に打ち震える彼を連れて船内へと消えていく。残された人々は、知り合い同士で身を固め、一人で来たものは周りから少し距離を取って。誰もが油断なく周囲の人間に目を光らせている。先の預言士(スコアラー)はこうなることまで見越して先ほどの言葉を残して行ったのだろうか。この場にいるのは皆預言(スコア)を求めるという目的が一致したある種の仲間のはず。だが、その連帯意識が生まれることを先ほどの言葉が許さなかった。こうして監視の目が少なくとも誘い込まれた人々が自然と互いを見張る監視員となる。怪しい動きをすればすぐに船員に知らせることだろう。これで私とフェムもかなり動きにくくされた。

 

「……どうする? このままじゃ見す見す生体情報だけ抜かれてレプリカを作られる羽目になるよ」

 

「とはいえ易々と動くことは出来ないでしょう。何か混乱でも起これば別ですが」

 

 隣に立つフェムが私に囁く。視線をそちらに向けないように意識しながら私もそれに声を潜めて返した。

 預言士(スコアラー)は大っぴらに人々の目の前でレプリカ情報を抜くことは無い。預言(スコア)をだしに別室で作業にあたり、その間は監視の目が緩むと考えていた。その隙を縫って船内に潜み、フェレス島の位置を特定、あわよくばフェレス島への潜入も考えていたのだが、ここで怪しげな動きをしてしまえば耳目を集めてしまい、目的を達する前に船を降ろされてしまうだろう。

 

「言っておくけど、僕に囮になれって言うのは無しだからね? 囮になるならモースだ。それで僕が潜む」

 

「ですがそれでは……」

 

「モースが敵地に一人残されるのはあり得ない。今のダアトの状況分かってる? ここでこんな事してるのだって本当はダメなんだよ」

 

 ヒソヒソ声なのにドスを利かせるという器用な芸当を披露するフェムに、私は言葉に詰まる。私が居なくともダアトは何とかなる、と言いたいところだが、現実はそうもいかない。着実にダアトの経営陣に掛かる負担は増えているし、そこで最終決定権を持つ私が消えてしまえば完全にダアト中枢が麻痺してしまう。少なくとも今の偽装神託の盾兵による問題を解決し、両国からの圧力を解消しなくては私が動き回るのは難しい。だからこそ彼の言う案が現実的な妥協点であることは理解出来る。それでも彼を一人敵地に、それも絶海の孤島に残してしまうことに感情的に納得できないことには変わりない。

 

「……その時はアリエッタに頼んで彼女の魔物に偵察してもらうだけに留めましょう。それでもフェレス島の位置は掴めます」

 

「了解。それが落としどころだね。ま、だったらどこかでさっさと抜け出すのが吉だね」

 

 そう言うとフェムは両手を頭の後ろで組んで周囲で目を光らせている人々の観察に戻った。私も集まった人々と甲板で作業に勤しむ船員たちを観察する。船員達は一見すると皆何かの作業に従事しているように見えるが、その中に数人、虚ろな目で私達を眺めている者がいる。生気を感じない目、何の感情も窺い知れない能面のような表情。彼らは恐らく。

 

「レプリカも交じってるね」

 

「各地でレプリカ情報を抜き取っているのです。単純労働力として打ってつけでしょう」

 

 最初に刷り込みで決まった作業を教えてしまえば、後は文句を言うことも無く働くだけ。アスターの言う通りこれほど便利で、そして悍ましい技術は無い。彼らは自らの置かれた環境に疑問を抱くことを知らないのだから。自分が苦しいことを主張することを知らず、ただ限界が来るまで黙々と働くだけの血肉で出来た機械を生み出せることの何と恐ろしいことか。

 今すぐこの船で暴れ、先ほどの預言士(スコアラー)を捕まえてしまいたくなる衝動を、拳を強く握りしめて堪える。ここで私が怒ったところで大局的には何も好転せず、むしろ私達の動きが敵に知られるのみで事態が悪化するばかりだ。この場は情報を得ることに専念すべきだ。

 

「……あんまり強く握ると手を傷つけるよ」

 

 私の様子を見かねたフェムが、そう言って自身の右手を私の右手に重ねた。その暖かさに、私は自分の手から少しずつ力が抜けていくのを感じる。いけない、どうしてもレプリカ達を前にすると、感情のコントロールが上手くいかない。それは私の中に彼らレプリカを良いように扱い、最後には捨て駒とした忌まわしい記憶が根付いているからだろうか。

 

「すみません。冷静さを欠いていました」

 

「いいよ。それだけ怒ってくれること、僕は嬉しく思うから」

 

 表情は変えず、それでも口調はどこまでも優しく、フェムは私の手を労わるように撫でてくれた。

 

 


 

 

 その後も順番に呼び出され、甲板から少しずつ人が減っていく。私達は甲板の隅の方に立っていたお陰で、呼び出されることも無いまま時間が過ぎていく。私はそっと視線を空に向けた。船の上空、目を凝らせば、ガルーダが旋回しているのが映る。どうやらアリエッタが伝言を終え、船に偵察を飛ばしてくれたらしい。これで最低限の情報収集を行う手筈は整った。後は上手くいくか分からないが、私とフェムが二人揃って潜入できるかを試すだけだ。

 私は隣のフェムと視線を合わせ、頷き合うと、これ見よがしに胸を手で押さえて咳き込みながら甲板に蹲った。

 

「おい、どうした!」

 

「ああ、大変だ。伯父はこのところの障気で身体を壊していたんだ。どこかで休ませてあげないと!」

 

 私の様子を訝しんで近づいてきた船員に、フェムが焦ったような声と表情で縋りつく。もちろん演技だ。だが、これならば私が鼻から下を布で覆っていることの言い訳もつくし、どこかの船室で休ませて貰えればそのまま船内のどこかに身を潜めてしまえばいい。

 

「ねえ、どこかの船室を借りられないか? 横になって休ませてあげたいんだ。障気で身体を壊して医者も匙を投げちゃって、もう預言(スコア)しか頼れるものが無いんだよ」

 

「む……、そうは言うがな」

 

 フェムの懇願にも船員はどこか渋い顔で首を易々と縦には振らない。その表情には、私を船内に留めることで他の船員に感染しないかを疑う気持ちがありありと現れていた。

 

「それは大変ですね、すぐに部屋に連れて行って差し上げて」

 

 これ以上粘っても無理か、大人しく船を降りるしかないと考えていた私達を救ったのは、人々を扇動していた仮面の預言士(スコアラー)だった。声色には私達を気遣う様子を滲ませているが、表情は窺うことは出来ず、その胸中に何を抱えているかは見えない。

 

「し、しかしですね……」

 

「構いません。預言(スコア)を求める者は我らの同志ですから。例え障気に身体を侵されているとしてもそれを理由に排することはあってはなりませんよ。さ、こちらへどうぞ」

 

 何か言いたげな船員を優しく、されど有無を言わせぬ口調で黙らせると、預言士(スコアラー)は私達を船内へと招き入れた。そして船員用ではなく、客人用と思われる調度品の整えられた船室へと通される。

 

「少しここで休んでいらしてくださいね」

 

「ああ、親切にありがとうね」

 

「構いませんよ。我々は預言(スコア)を求める同志に手を差し伸べるのが役目。預言(スコア)がきっと、あなたの伯父の身体を治す術を指し示してくれることでしょう」

 

 微かに見える口元は柔和な笑みを浮かべており、口調はどこまでも気遣わしげだ。心の底から私の体調を心配しているように見える。どこまでが演技で、どこまでが本心なのか読み取ることが出来ない。それはフェムも同じようで、警戒をしているが、どこか困惑を隠せていない。それほどまでに仮面の預言士(スコアラー)には敵意が無いように見えるからだ。

 

預言(スコア)があれば、本当に伯父は助かるんだよね?」

 

「おや、不安ですか?」

 

「どこの医者に聞いても皆首を横に振ったんだ。不安にもなるさ」

 

「そう……、それはお辛いことでしたね。ですが安心して下さい。預言(スコア)こそが万民救済の唯一の道標なのですから」

 

 フェムの疑問に預言士(スコアラー)は口元に浮かべた笑みをそのまま、私達へと歩み寄ってくる。

 

「障気のこともユリアの預言(スコア)に詠まれていました。であれば、その対策が詠まれていないはずがありません」

 

 私の前に立った預言士(スコアラー)は口元に浮かべた笑みを増々深くし、仮面越しに私の目を覗き込んでくる。私は仰け反ってしまいそうになるのを堪え、仮面の奥にあるであろう預言士(スコアラー)の目と視線をぶつける。

 

「でも、あなたのことをユリアはお救いにはならないかもしれませんね?」

 

「は……?」

 

「マズい!? モース!」

 

 だがそれ故に反応が遅れた。身体が反応するより、預言士(スコアラー)が動く方が早かった。顔の右半分、眉から頬の下にかけて、何かが光る。思わず右目を閉じたが、その上を冷たいものが通り過ぎる感覚が走った。遅れてやって来るのは灼熱の如き痛みと何かが流れ出す感覚。

 

「ぐっ、あぁぁぁぁ!!」

 

「モース!? くそっ、僕が付いていながら!」

 

 切られた、と認識すると同時、フェムが私を肩に担ぎ、船室の窓を勢いよく蹴破って外に飛び出していた。その後ろから、預言士(スコアラー)の狂ったような笑い声がついてくる。

 

「アハハハハハ! 預言(スコア)を蔑ろにする反徒には罰を! 約束された繁栄を見通せない曇った目ならばいらないでしょう、大詠師モース!」

 

 辛うじて左目を開け、フェムの肩越しに笑い声の主を見る。血の滴るナイフを片手に、預言士(スコアラー)は嗤っていた。顎を上げて嗤うその仮面の下からは、嗤い声とは対照的に憤怒の色に染まった瞳が覗いていた。


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