大詠師の記憶   作:TATAL

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傷つくものと私

 いつの間にか意識を失っていたのか。気が付くと私は柔らかなものに包まれて横たわっていた。瞼越しに光を感じ、そっと目を開ける。

 

「ッ、痛!」

 

 だが、右目に鋭く走った痛みにその試みは阻まれた。手をやってみると、顔の右半分を覆うように布が巻かれているようだ。左目だけを意識して開けば、どこかの病室であるらしい、白い壁に囲まれた部屋だ。フェムに船から連れ出され、アリエッタが運んでくれたのだろうか。個室のようで、ベッドに備え付けられたサイドテーブルには水差しとグラスが置かれている。それを見て喉の渇きを自覚した私は、半身を起こしてグラスに水を注ぎ、一息に呷る。冷たい水が喉を通って渇きを癒してくれ、私はホッと一息ついた。それと同時に扉が開かれる。

 

「おや、目が覚めていましたか」

 

 その声と共に部屋に入ってきたのはこの数日で何度見たか分からない顔だ。彼にしては珍しく普段の黒を基調とした細身のスーツの上に白衣を纏っている。

 

「相変わらず怪我をするのは上手いですね。研究者としてでなく医者として私をここまで扱き使った人間はあなたくらいのものです」

 

「いつも面倒をかけてすみませんね、ディスト」

 

 ため息をつきながら椅子に腰かけたディストは、私の頭を両手で押さえて触診を始める。

 

「血まみれのあなたをフェムとアリエッタが担いで駆け込んできたときは流石の私も肝が冷えましたよ」

 

 運が良かったですね、とディストは言う。聞けば、もう少し刃が深く食い込んでいれば、私の右目は視力を失っていた可能性が高かったらしい。しばらくは目の保護のために眼帯生活を余儀なくされるという。

 悪人顔に増々磨きがかかりますねぇ! とケラケラ笑うディストを私はジト目で睨みつけた。

 

「冗談はさておき。本当に危ないところでした。リグレットのことがあったばかりだというのに、何故先走った行動を?」

 

「……謝ることしか出来ません。どうにも私はこうすべきと思うことがあるとそれで頭が一杯になってしまうようで」

 

 表情を真剣なものに変え、常のような軽い口調が鳴りを潜めたディストは、視線だけで私をたじろがせる迫力を醸し出していた。高笑いとわざとらしい怒った仕草で周りを和ませてくれるいつものディストの姿はそこには無い。彼のあの姿は彼が意図して道化を演じていたものだったのだろうか。今の、無表情でありながら静かに怒りを放つ姿が彼の本来の気質なのだろうか。どことなく、ジェイドと似た雰囲気を感じた。

 

「あなたの謝罪は聞き飽きましたよ。何度言われてもその悪癖は直る気配が無い。簡単に自分の身を投げ出し、傷つき、それでも何度も自ら傷つきに行こうとする」

 

 それがどれだけ周りの人間を苦しめているか分かりますか?

 

 ディストの言葉が部屋に木霊する。

 

「他人が見ればあなたの行いは聖人なのでしょう。何も知らぬ民衆はあなたのことを称えるでしょうね。他者の為に、躊躇わずに自らの身を差し出す聖人と。ですが、あなたに近しい人はどう思うのです? あなたに傷ついて欲しくない、そう思う人を蔑ろにし続け、()()()()()()()()()()()()のために、()()()()()()()()()()()を傷つけ続けるのですか?」

 

 ディストの言葉に私は何も言い返せないまま、ベッドに視線を落とした。

 

「アリエッタとフェムがね、泣いていました。この話を聞いた他の兄弟達も、アニスや導師イオンも泣くかもしれません。あなたが身を裂かれれば、あの子達も心が引き裂かれる痛みを感じるでしょう」

 

 あなたはそれでもまだ、このようなことを続けるつもりですか……?

 

 ディストから投げかけられた問いに答える言葉を私は持たない。彼も私の身を案じてくれているのはひしひしと感じている。だが、その気持ちに応えることが私には出来ない。すぐに裏切ってしまうと分かっていることを、私は約束できない。

 私は私を慕ってくれる人を傷つけたいわけではない。そもそも、アニスの頼みを受けてタトリン家の借金を肩代わりしたのも、導師イオンや他の兄弟達を助けたことも、ルーク達を助けることも、その全ては私のエゴでしかない。誰かに慕って欲しくて、認めてもらいたくてやった行いでは無いのだ。ただ、私が私自身を許せなかったからしただけのこと。その結果、私のことで皆が傷つくのだとすれば、

 

「……私は、血も涙もない醜悪な怪物であれば良かったのかもしれません」

 

 あの記憶の通り私が振る舞えていたなら、私が傷ついても誰かが泣くことは無かっただろう。私に与えられた役割のまま、()()()()()()でいられたなら、こんなことにならなかったのかもしれない。

 

「そんなことが土台無理な話なのは、他ならぬあなた自身が理解しているでしょうに」

 

「ですが、これからも私はこうするでしょう。私が傷つくことに痛みを感じる人もいる、その通りです。それでも、私は……」

 

「破滅願望でも持っているのですか、あなたは」

 

 破滅願望。言い得て妙な表現だ。事実として、私はこの頭に巣食う忌まわしい記憶の中の私を亡きものにしたいと思っている。ともすればそうなってしまいそうな今の私も消し去ってしまいたい。私は悪人だと、救われるべき人間ではないのだと思い続けているのは、いつか私が私自身を殺してしまいたいと考えているからなのかもしれない。

 

「そうかもしれませんね、ディスト」

 

 私は顔を上げてディストと目を合わせると、もう一度彼の名を呼ぶ。彼の目が少し見開かれ、そして直後にすっと細められる。私がまたぞろろくでもないことを言いだすと確信したように。

 

「あなたに頼みたいことがあるのです」

 

「聞きたくありません」

 

 内容も聞く前からディストはそう言って両手で耳を塞いだ。私が口を開こうとすればアーアーと言って掻き消そうとする。辛抱できなくなった私はディストの手を捕まえると無理矢理耳を開かせる。

 

「あなたにしかお願いできないことなのです!」

 

「止めなさい! そう言うってことはあなたも周りも傷つくような不幸な手段なのだということは分かっていますからね!」

 

「それでも、私に出来ることはこれくらいしかないのです」

 

「あなたがそうまでしなければならない理由は無いでしょう!」

 

 私が頼むことの内容を聞いてもいないのにディストは頑なに首を振って話を聞こうとしてくれない。その様子はいつもの彼からは想像もつかないものだった。飄々としていて、掴みどころのない不敵な彼の姿は見られず、駄々っ子のようにどこか幼さを感じさせた。

 

「私はね、フォミクリーを復活させた人でなしです。恩師のレプリカを解き放つためにあらゆるものを利用する外道ですよ。でもね、友人を大切に想う気持ちだって持ち合わせてる外道なんです。それにあなたが傷つくようなことをすればあの子達が泣いてしまうじゃありませんか」

 

 ディストの言葉に私は呆気に取られて手から力を抜いてしまった。この男からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。

 

「てっきりあなたは私を与しやすい利用相手として見ているものとばかり」

 

「そんな相手を私が甲斐甲斐しく治療するとお思いですかね、あなたは」

 

 私と視線を合わせないようにそっぽを向いて、ディストはボソボソと呟く。その姿に何だか私もいたたまれない気持ちになって彼の手を離す。

 

「ジェイドとネフリー、ピオニー、そしてネビリム先生が私の世界でした。ネビリム先生を真に蘇らせるために、私はあなたが持つネビリム先生のレプリカ情報と研究資金を狙い」

 

「私はあなたの持つフォミクリーへの知見と研究者としての頭脳を欲した。互いに利用するだけの関係でした」

 

「そう、だったはずなのですがね」

 

 眼鏡を中指で押し上げて彼は視線を私へと戻した。

 

「どうやらただの協力者というには少しばかり情を掛け過ぎてしまったようです。あなたにも、あの子達にも」

 

「……私に掛ける分も、あの子達に目をかけてやって頂けませんか」

 

「あの子達の親が務まるのはあなただけでしょうに」

 

「今のあなたでも十分務まると私は思いますがね」

 

 素直にそう思えるくらいには今のディストは優しい表情をしている。最初は私の依頼でデータ採取をしていただけだった。だが、その日々の中で、あの子達が育っていくのと同じように彼の中でも育っていったものがあった。

 

「だから、今こそあなたに伝えておきたい」

 

 私の記憶を。私が背負うものを。あなたの頭脳ならば、打開できるはずだと信じて。例え私が居なくなったとしても。

 

 私の口から語られることを、ディストは黙って聞いていた。時折何かを堪えるかのように目を閉じたり、ガリガリと頭を掻きむしったりもしていたが、何はともあれ口を挟むことは無かった。

 

「……これがあなたの妄想ならば後世に遺る大作になるでしょうね」

 

 語り終わった後、彼が言ったのはこれだった。

 

「そんなつまらない冗談をあなたが言うとは思えないので、これは事実なのでしょうね。少なくともあなたの中では」

 

「ご理解いただけて何よりです」

 

 ディストは納得してくれたらしい。わざとらしく大きなため息をついて肩を落とし、下を向く。だが、再び顔を上げた彼の顔にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「しかし、とても面白い。第七音素(セブンスフォニム)によるものか、あるいはローレライの計らいか。いずれにせよあなたはユリアの預言(スコア)に等しいものを、あるいはそれ以上の知識を有している。であれば今までの動きにも理解が出来る。未来を知っていたのなら、道理でダアトの運営もあの子達の保護も、ルークの手助けもあそこまで上手くやれたわけです」

 

「ですが、それも限界が来ています。私が彼らを手助けできるのも後少し。私だけでは足りない」

 

 そして私は口にする。彼にお願いしたい三つの望みを。

 

 それを聞いたディストの顔色は再び怒りで赤く染まった。

 

「そんなことをさせるのですか! よりにもよってこの話をしておいて!」

 

「あなたならば、今のあなたならば聞き届けてくれるのではありませんか?」

 

 私はディストの両手を取って固く握りしめる。握りしめられた両手に視線を落としたディストはいからせていた肩を下げると、力無く項垂れる。

 

「……あの子達に泣かれるのは嫌ですよ」

 

「あの子達の世界に居るのは私だけではありませんよ」

 

 


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