「ああ……、あなた達ですか」
訪れたルーク達を出迎えたのは、常の胡散臭い笑みをちらとも見せていないディストだった。トレードマークの豪奢な譜業椅子にも座っておらず、白衣に身を包んで疲れたように簡素な椅子に腰かけていた。
「ディスト、えらく疲れている様子ですね」
その様子を見咎めたのはジェイドだった。幼馴染が普段見せない憔悴した姿に眉を顰めている。
「いえ、何も。ただ色々と忙しくて疲れてしまっているだけですよ」
「あの、俺達モースに言われて来たんだ。アッシュと俺を調べて、障気の中和方法を探すって言われて」
何も無いと頭を振ったディストの前にルークが歩み出る。
「そう、そうですね。まずはルークの身体を少し調べさせてもらいましょうか。他の皆さんは宿屋で休んでいなさい。ジェイドは残って手伝ってくれますね?」
「……良いでしょう」
そう言ってジェイドも部屋の隅に掛けられた白衣を手に取る。ルークとジェイド以外はディストに促されるまま宿屋へと戻り、部屋に残るのは三人だけとなった。
ディストの対面に置かれた同じく簡素な椅子に腰かけながら、ルークは不思議そうな顔で部屋中を見渡す。
「……なあ、アッシュはまだ来てないのか?」
「そうですね。今の間にルークのことを調べておきますよ。最近は体調に何か変わったことはありましたか?」
「え? いや、そりゃ別に無いけど」
「そう、それは何よりです。……コンタミネーション現象にはまだ猶予はありますね。データ採取も兼ねて精密検査もしておきましょうか」
ルークは言われるがままにベッドに横たえられ、そこにディストがあれこれと器具を取り付けていく。画面に映し出される様々な数値を眺めながらも、ディストはどことなく上の空だ。それを横で見ていたジェイドが何かを察したように一瞬目を見開くと、顔を曇らせた。
「ディスト、やはり……」
「何も言わないでくださいよ。一番腹立たしいのは私なのですから」
いつもならジェイドと話をするときのディストはこのようなぶっきらぼうな対応はしない。気持ち悪いほどの笑みを浮かべてご機嫌なはずだが、今はそんな様子は一切見られない。しかめっ面のまま画面を見続けている。
「お、おい、ジェイドもディストも何を話してるんだよ……?」
「……いえ、何もありませんよルーク。今はあなたのデータを採らせてください。これが終わればあなたも宿に戻って休みなさい。私とディストで今後のことを考えておきますから」
不安そうなルークにジェイドはそう言い聞かせ、真剣な顔でディストと共に画面を見つめる。二人の様子にただならないものを感じたが、身体のあちこちに計器類を取り付けられているルークは動くことも出来ずに大人しくしているしかない。
「なあ、これで何が分かるんだよ?」
「あなたとアッシュは共にローレライとの完全同位体です。単独で超振動が起こせるのはそのためですね。あなた達の音素振動数データがあれば、超振動を単独で起こす装置なんかも開発出来るかもしれません」
「! じゃあその装置があれば障気も……」
ディストの言葉にルークは明るい表情になるが、ディストの表情が変わらず沈んだままなのを見て途中で言葉に詰まる。今のディストが言う装置が完成すれば、ルークもアッシュも犠牲になることなく障気を中和することが出来るはずだ。だというのに何故、彼の表情はこんなに優れない?
「今こうしてデータ採取している段階ですよ。いくら私とジェイドがいても時間が掛かります」
「じゃあ何のために……?」
「それでも、策を講じないわけにもいかないでしょう?」
そう言ったきり、ディストは固く口を閉ざしたままだった。
ルークの身体を調べ終わると、ディストとジェイドは半ば強引にルークを部屋から追い出し、宿に戻るようにと言い含めると、扉を閉めてしまった。帰れと言われたものの、ただならぬ様子のディストが気になったルークが素直に宿に戻るわけもなく、そのまま扉の前から動かず、むしろ耳を扉に寄せて中の会話を聞き出そうとする。
「さて、私達二人だけになったことですし、話して頂けますね、ディスト?」
「ジェイドなら察しもついているでしょうに。わざわざ私の口から言わせるのですか?」
「……モースは、やはりその道を選んだのですか?」
「子ども達のことは私とジェイドに任せると。あなたもモースから話を聞いているのでしょう? 導師イオンはともかく、次に話したのがあなたで散々協力してきた私がその次というのが少々業腹ですがね」
「止めなかったのですか」
「逆に聞きますがジェイドなら止められましたか? 私のちっぽけな頭じゃルークかアッシュを犠牲にする方法しか示せませんでした」
「……いえ、あなたはやはり優しい。私ではもっと残酷なことしか言えないでしょうね。私ではルークに、死んでくださいとしか言えません」
(死ぬ……超振動での障気中和のことか)
「あのお優しい大詠師サマはそのどちらもお気に召さなかったようですよ。だからといってこんな手に走るなとは言ったんですがね」
「ですが彼に
(待てよ、まさかモースは俺とアッシュの代わりに障気を中和して死ぬつもりなのか!?)
部屋の中から漏れ聞こえてくる声にルークは心臓を鷲掴みにされたような心地になる。頭に浮かぶのは常に穏やかな笑みを絶やさず、ゆったりとした詠師服に身を包んだ男の姿。誰に対しても穏和な姿勢を崩さず、捻くれた子どもだった自分にも大人として接してくれた。それだけでなく、自分たちの旅を表からも裏からも助けてくれた存在だ。彼が居なければ、アクゼリュスで自分はその手を夥しい量の血で染めていたことは想像に難くない。アクゼリュスを崩落させただけで自分は大きなショックを受けた。もしそこに、更に数多の人の命を奪っていた事実が圧し掛かっていたなら、自分の心は完全に折れてしまっていたかもしれない。
(皆に知らせないと!)
少なくともアニスや導師イオン、ティアにはこのことを伝えなければ。ルークは自分がこっそりと盗み聞きしていたということも忘れ、慌ただしく廊下を駆けて行った。
「……で、ルークにこれを聞かせたのは何故ですか?」
ルークが走り去ったのを聞き届け、ディストはジェイドに問いかける。
「おや、あなたも聞かせたかったのではないのですか?」
それに対し、ジェイドは肩をすくめて返した。それを見てディストはため息を吐き、頭をがしがしと掻きむしる。
「否定はしませんがね。私では止められませんでした。ですが、あなた達なら、とも思います」
「本当に止めるべきかどうかは私にも分かりませんが」
ジェイドはそう言って視線を床に落とす。本当にモースを止めて良いのだろうか。止めたところで、今のままではルークやアッシュが代わりに犠牲になる道しかない。結局は誰かがその負担を抱える必要があり、それをルークに背負わせることを良しとしなかったモースが代わりに抱えようとしているだけだ。そしてモースが代わりになるのならば、ルークとアッシュは確実に助かる。ディストと自分が何をしてでも彼らを生かす手段を見つけ出すだろう。そしてヴァンの企みを阻止するにも、ルークとアッシュは重要だ。ローレライの完全同位体であるルーク達だからこそ、ローレライの鍵を扱って地核、そしてヴァンに囚われたローレライを空の音譜帯に帰すことが出来る。考えれば考える程、ルークがモースを止めて代わりに犠牲になることのメリットが少なくなる。
「ルークの代わりにモースが死ぬ。ある意味、モースの言う記憶の世界よりも良い結果になるでしょうね」
「それ、本気で言っているのですか、ジェイド?」
小さく呟いた言葉を聞き逃さなかったディストは、剣呑な目をジェイドに向けた。必要があればどこまでも冷徹になれるのがこの幼馴染であるのは承知しているものの、今の発言はディストにとって見逃せるものでは無かった。
「あくまでも実利を考えた場合ですよ。ルークの音素乖離は防がれ、我々の研究が進めば二人のコンタミネーションも何とかできるかもしれない。キムラスカは余人を以て代えがたい王族の血を失わずに済み、導師イオンも死なない、ダアトはキムラスカとマルクトの両方に大きな貸しを作ることが出来るでしょう」
「ですがその結果としてどれだけの人が絶望することになりますか? ルークやアッシュは代えがきかない、確かにそうでしょうよ。でもね、あの大詠師こそ一番代えがきかないだろう人物であることはあなたも分かっているでしょう」
「だとすれば後はどちらをより重く見るかでしょう。ルークか、モースか。どちらを生かし、どちらを死なせるのか」
「ええ……、そうですね。……そうでしょうとも!」
吐き捨てるように叫んだディストは、細い指を固く握りしめて机に振り下ろした。ドガンと大きな音を立て、上に載った書類がふわりと浮き上がるくらいの勢いで。
「私は天才ディスト様ですよ! だからモースの頼みを引き受けることが現実的に最も利益が大きいと判断しました! でもね、あなたなら、私に並ぶ、いや私を凌ぐ天才のジェイドなら何か他に道を考えられるんじゃないんですか!?」
ディストはジェイドの胸倉を掴んで叫ぶ。彼が今まで見せたことの無い剣幕で。ジェイドは抵抗すること無く、ディストの手に自身のそれを重ねた。
「……私を買い被り過ぎですよ。あなたの判断は間違っていない。残酷な私に言えるのはそれだけです」
「私は、私がやったことは、子ども達を傷つけることです。私じゃ、モースの代わりになんかなれやしないんですよぉ……!」
「……今のあなたは薔薇でも死神でもなく、洟たれですよ、サフィール」
「それはあなたもでしょう……」
ディストの手を握りしめるジェイドの手。重ねられた二人の手が震えているのは、どちらかの手が震えているせいなのか、あるいは両方の手がそうだからなのか。