宿屋に駆け込んだルークの鬼気迫る様子に、他の面々は何事かと怪訝な様子だったが、話される内容を聞くうちに全員が表情を強張らせていった。
「ルークの代わりにモース様が犠牲になって障気を中和する……!?」
「何でそんなこと……!」
アニスとティアが今にも泣きだしそうな声で叫ぶ。導師イオンは何も言わず、ただ椅子に座って机を見つめているが、固く握りしめられた両拳が内心をこの上なく表していた。
「嫌な予感ってのに限って当たっちまうんだな……」
「ガイ、まさか気付いていましたの?」
「確証は無かったさ。ただ、今までのモースの策に比べて今回の策はあまりに杜撰だったろ? いつもは未来を知っているみたいに解決策を用意してたのが、今回は時間稼ぎしている間に何とか方法を見つける、だぜ? 俺達に言えないような策があるのかも、くらいは考えてた」
「じゃあ何で……!」
その時に言ってくれなかったのか。そう言いかけたアニスの言葉は途中で詰まった。ガイが感付いたとして、それを自分達に言ってくれたとして、何が出来たのか。自分達に言えることは、
「俺が言って、モースが素直に言ったとしてどうする? 代わりにルークに死んでくれって言うのか?」
アニスが言いかけて止めたことを、ガイは強い口調で言う。モースを止めるのは良い。だが障気の中和は死活問題だ。被害者は出始めており、その場凌ぎの時間稼ぎだけではいずれ各国のリソースが尽き、ヴァン達に対抗する力まで無くなってしまう。
「俺だってモースに死んでくれなんて言いたかないさ。でもな、ルークに同じことを言えなんてもっと残酷だぜ」
ガイの言葉にアニスもティアも何も言えない。モースを慕う二人だが、それと同じくらいルークのことも大切な仲間だ。どちらかを選べというのはあまりにも酷な話だった。
「ごめん、ガイ」
「良いさ。気持ちは分かるからな」
しょんぼりと肩を落としたアニスに、ガイは優しい口調で返した。ガイとて、モースを見殺しにしたいわけではない。ただ、ガイの中ではルークがより重たかっただけ。そのことは誰に責めることも出来ない。誰もが何も言えないまま、宿の一室には重苦しい沈黙が立ち込めていた。
「そうやって慰め合って目を逸らしても何も変わらねえぞ」
そんな沈黙を破って部屋に足を踏み入れてきたのは、深紅の髪を靡かせたルークのオリジナル。その顔はいつにも増して険しい。後ろには仮面で表情を窺わせないシンクも続いている。
「アッシュ!」
「鬱陶しいから寄るんじゃねえ、ルーク。こっちも話はディストから聞いてる。お前達と相談しなきゃならないことがあったからな」
「相談……?」
ティアがよく分からないと言いたげに首を傾げる。今までアッシュがルーク達に一方的に話をすることはあっても、相談をしたことなど無かった。アブソーブゲートでヴァンを討つまではその動向をヴァンに知られないためという理由があったものの、それ以降もあまり顔を合わせたがらなかった彼から出る言葉としては珍しいものだ。
「ああ、相談だ。俺とルークとモース、三人のうち誰が死ぬべきかっていうな」
「アッシュ! 何てことを言いますの!?」
アッシュから告げられた内容にナタリアが悲鳴のような声を上げた。だがそちらに視線を向けることすらしないで、アッシュはルークの顔を見つめ続けていた。
「いいか? 俺達は選ぶしかないんだ。俺ならローレライの剣を使ってフェレス島のレプリカ共だけで障気を中和できる。各地のレプリカはフォミクリー装置で物資を複製すればモースの望み通り当座を凌げるだろうよ。結果としてモースとルークが生き残り、ヴァンを止める。ルーク、お前も同じだ。劣化しちゃいるが俺のレプリカであるお前ならローレライの剣を使えば俺と同じことが出来る。その場合は俺とモースが残る。それで最後がモースだ。
「ルークかアッシュか、それともモースか。それ以外の手は無いのか?」
「ヴァンの妹はローレライの解放に不可欠だからこんなところで死なせるわけにはいかねえ。キムラスカ王族のナタリアも今後の世界の為にも生き残ってもらわなきゃ困る。他に誰がいる? なにも知らない
ガイの問いに対するアッシュの答えは正しすぎて冷たいものだった。
「悪いけどボクは言うよ。犠牲になるならそこのレプリカだって」
「シンク!? お前!」
突き放すような口調で言ったシンクに向かって、ガイが気色ばんで詰め寄った。小柄なシンクの胸倉を掴みあげて睨みつけるが、仮面越しにも感じられるシンクの怒りはそれ以上だった。
「今のダアトを纏められるのはモースだけだ。翻ってそこのレプリカが死んだってアッシュが残る。ヴァンは責任持ってアッシュとボクとで止めれば良い。どう考えても一番現実的で、メリットがあるだろ。それに、前にも言ったはずさ。モースが居ない世界なんてボクにとって何の価値も無いってね!」
「ルークはまだ七年しか生きてないんだぞ! これ以上何を背負わせるって言うんだ!」
「二人とも止めて!」
今にも殴り合いにまで発展しかねない二人の様子に、ティアが割って入り、掴み合った二人の距離を離す。シンクもガイも肩で息をしながら互いを睨み合っていた。
「……そこの導師サマも何か言ったらどうなんだい」
そこでシンクはふと視線を椅子に座ったまま一言も発さない導師イオンへと向けた。彼は拳を握ったまま、目を閉じていたが、シンクの言葉にゆっくりと瞼を開けると、彼を見る面々を見渡した。
「……すみません。僕も、モースには死んでほしくありません」
そして小さく、本当に小さな声で、選択を口にした。
「イオン……」
「ごめんなさい、ルーク。出来ることならあなたにも、アッシュにも死んでほしくなんかない。……でも、モースは僕にとって自分以上に大切な人なんです。僕は導師として、誰に対しても穏やかで、正しい人物でいなくてはいけません。だけどモースだけは、正しくなくとも、諦められないんです。導師としては失格ですが、これがイオンとしての選択になります」
今にも泣きそうな声だった。周囲からは導師イオンとして振る舞うことを求められてきた彼が仲間に初めて見せるその姿は、いつもの大人びた少年ではなく、幼い子どものように思えた。
「イオン様……」
「すみません、アニス。僕は正しい導師でいなくちゃいけないのに、そうなれませんでした……」
「そんな、そんなこと言わないでください! 謝るのは私の方で……!」
ごめんなさい、ごめんなさい、と。涙を流しながら導師イオンに縋りついたアニス。自分が弱かったせいで言えなかったことを、導師イオンは代わりに言ってくれた。言えば誰よりも優しい彼が傷つくと分かっていながら、アニスは止められなかった。彼が代わりに言ってくれたことに安心感すら覚えてしまった自分が情けなくて、許せなくて涙を流すしかなかった。
「私は……私には選べませんわ! どうして誰かが死なねばならないのですか! 何か、誰も犠牲にならなくて良い方法がどこかにあるはずですわ!」
ナタリアはそう言って顔を覆う。隠しきれない涙が両手の隙間から零れ、彼女の苦悩の深さを示していた。彼女の様子に、アッシュも表情を曇らせるが慰めの言葉を掛けることはしない。他者にも、自分にも厳しいアッシュだからこそ、今ナタリアを慰めることは浅ましい行為のように思えた。自分を庇ってくれと言わんばかりの行為に思えてしまった。ナタリアから目を逸らしたアッシュは、ガイを押さえているティアに水を向ける。
「お前はどうなんだ、ヴァンの妹」
「……どうしても、選ばなくちゃいけないの?」
「選べ。ローレライ解放の鍵になるお前の意見は他の奴らよりも重い」
アッシュの言葉に、ティアの表情が歪む。唯一の肉親であるヴァンを討たねばならない、それだけでも彼女の心は軋みを上げているのだ。
自分を惜しみ無く慈しみ、未熟な自分を教え諭し、いつも身を案じてくれた。いつしか肉親に等しい情を向けていたモース。
旅を共にし、良いところも悪いところも知った。償いという口実で、屋敷で共に過ごした短い日々で、もっと互いに理解を深めあった。未だ言葉に出来ないけれど、大きな想いを向けているルーク。
フォミクリーの犠牲者であり、自分の居場所を奪われたまま孤独に7年間戦い続け、モースの力もあってようやくそれを取り戻そうとしているアッシュ。
どれかを選べ、と言われて選べるものでは到底無かった。何かを言おうと口を開けど、掠れた息が漏れるばかり。
誰も選ぶことなど出来ないと、ナタリアのように言えれば良かった。けれど、障気に覆われた世界を幼い頃からユリアシティで目にしてきた彼女だからこそ、障気を一刻も早く何とかしなくてはならないと分かる。
「……わた、しは……ルークに、しんでほしくない」
身体がバラバラに引き裂かれてしまったように胸が痛む。それでも彼女は口にした。口にしてしまった。選んでしまった。どれだけ残酷な選択だと分かっていても、気付けば掠れた息と共に零れてしまっていた。一杯になった器から堪えきれずに雫が溢れていくように。
旅が始まる前の彼女であれば、迷うことは無かった。モースを選ぶことに躊躇いなど無かった。その方が、彼女にとって楽だった。けれど、それは意味の無い仮定。
今となってはこうしてルークを選んでしまうことも、あの大詠師の思い描いた通りなのではないかと考えてしまう。あの旅も、屋敷での日々も、いつもその裏には大なり小なりモースの思惑があった。あの旅があったから、ヴァンとリグレット、モースしかいなかった彼女の閉じた世界には今や旅の仲間達が加わり、中でもルークがひときわ大きな存在になった。旅を通して成長していたのはルークだけではない。一緒に笑い、時にはぶつかり合い、感情を表に出すことが得意でなかった彼女は、いつしか仲間の前では素直になることを躊躇わなくなった。お膳立てされていたみたいではないか、何かの物語のように。
全ては今この瞬間、彼女がモースではなくルークを選ぶことになるように。それはどこまでも優しく、思いやりに満ちてはいるが、誰よりも残酷な企み。
ティアの足から力が抜け、床にへたり込んでしまう。気が付けばその瞳からは大粒の涙が後から溢れて止まらなかった。
「ティア……」
ルークはティアの名前を呟くが、アッシュ同様に駆け寄って慰めることはしなかった。自分を選んでくれたことは嬉しくてたまらない。けれど、今ここで選ばれるべきは本当に自分なのだろうかという思いが拭えないでいたから。
「取り敢えず、さ。ジェイドが帰ってくるのを待とう。皆で落ち着いて、もう一度話し合おう。モースだって今すぐにダアトを離れて障気の中和に行くことだって出来ないだろうし、頭を冷やせば何か考えだって浮かぶかもしれないだろ? 最初に話を持ってきた俺が言うのもなんだけどさ……」
結局、一行の中で一番冷静に話を進められたのは当事者であるはずのルークだった。彼の言葉に従って、一行は暫しそれぞれ思い思いの時間を過ごす。
誰もが誰かを想って、自分以外の誰かが悲しまないようにと願いながら、結局はそれ故に誰もが悲しむ未来しかない。やり切れぬ気持ちを抱えたまま、皆が言葉に出来ない気持ちを抱えたまま、誰とも話さないまま時間は過ぎていく。
ジェイドが帰ってきたのはすっかり日が沈んでからだった。
「なるほど……、そういう話になっていたのですね」
宿に戻ったジェイドを出迎えたのは暗い顔をしたルーク達と珍しく憂いを帯びた表情のアッシュとシンク。それだけでジェイドは全てを察した。自分が帰ってくるまでに何が話されていたのか。そして今から何を話そうというのかも。
「ジェイドを待って、皆で決めたいと思ったんだ」
そう言うルークを、ジェイドは眩しいものを見るかのように目を細めて見つめる。彼にとって今のルークはあまりにも眩しすぎた。どうして彼は自分を責めないのだろう。こんなことになったのは、全て過去の自分のせいだというのに。責めてくれれば、詰ってくれればいっそ楽だった。だというのに、どこまでも優しすぎるこの子は自分を決して責めたりしない。ならば自分が今すべきことは、何だろうか。
「……モースはフォミクリー装置に自らを繋いで疑似超振動を起こすつもりでしょう。かつてヴァンがそれによってホドを消滅させられたように」
「でも、
ルークの疑問に正直に答えるべきかどうか、一瞬躊躇われた。だが、隠したとてすぐにバレてしまうことだ。彼らが自分で決めたいと言うのなら、そのための判断材料を自分の勝手な都合で隠すべきではない。そう考えたジェイドは、少しの沈黙の後、口を開く。
「譜眼ですよ」
「譜眼?」
「ええ。私は自分の眼に
「あの眼帯は、まさか……!?」
「ティアの言う通り、眼帯は然るべき時まで
「じゃあモースの策にはディストも関わってるってのか?」
ガイの言葉にジェイドはこくりと頷く。
「ディストの協力無くしてモースの計画は成就し得なかったでしょう。そして
「致命的な事態……どういうことですか、ジェイド?」
「
導師イオンに問われるまま答えたジェイドの言葉に、室内に緊張が張り詰めた。ジェイドの言葉が確かならば、例えモースの代わりにルークかアッシュのどちらかが犠牲になったところで結局モースが助かることは無いということだ。
「
そこでジェイドは一旦口を閉ざす。これより先は口にしたくない。けれど、言わなければならない。それが自分の役割だから。
「……実利を考えるならば、いずれにせよ死を避けられないモースが犠牲になることが一番でしょう。こうなることまで考えて、彼はこの計画を実行しました。ルークかアッシュを選ぶメリットが一つも無い。合理的に考えればモースが死ぬこと以外の答えはありません」
導師イオンやアニス、ティアにはモースと同じくらい大切に想える仲間ができた。導師イオンとディストならばフローリアン達を無下にすることは絶対にない。アッシュが自暴自棄になって死んでしまわないようにキムラスカに彼の居場所を取り戻す算段までつけた。ルークが自己犠牲に走ってしまわないよう、自尊心を持ち続けられるよう、旅を陰から見守り続けた。ルークとアッシュが万が一にも犠牲にならないよう、情理で皆を縛り付けた。その情理の縄は底抜けの思い遣りで編まれた縄で、だからこそどんなに冷徹な計算で導き出された答えも、どんなに情に満ちた選択も刃が立たない。
「例えディストの装置で抑えていても、体内に取り込まれ続ける
そして少なくともその選択を自分とディストは支持する。支持せざるを得ないことを示した。絶望に染まるルーク達の顔が見ていられなかったが、目を逸らすことは自分には許されない。ディストがモースから重荷を引き継いだように、自分もモースが背負ったものを引き受けるとかつて言ったのだから。
「……今日は夜も遅い。皆、休んだ方が良いでしょう」
口から出てきたのはそんな時間稼ぎの言葉だけ。今ほど自分という存在が薄っぺらく感じられたことは無かった。