夜、どうにも寝付けなかったルークは宿屋を出て、人気のない広場に出ていた。音機関の街ベルケンドのトレードマークである大きな歯車の音機関も、今は停止している。ぼんやりと月を見上げながら、先ほどまでの会話を頭の中で反芻する。
「……モースを犠牲にするのが一番の選択、か」
空に手を翳し、月の光に透かす。アッシュも、モースも、誰かに必要とされている。自分が誰かに必要とされているだなんて考えたことも無かった。アクゼリュス崩落の後、自分と言う存在がヴァンに利用されるだけの傀儡であると、そうでなくとも大人達の思惑のために動かされるだけの存在に過ぎないのだと思っていた。変わりたい、変わらなくちゃいけないという決意を断髪に籠め、自分に出来ることを精一杯頑張ってきた。だけど自分一人の手で救える人の数なんてちっぽけなもので、自分が成してきたことは、モースが人知れず敷いてくれた道の上を歩いてきた結果に過ぎないのではないかとも思う。
「俺って本当に生き残って良いのかな……」
口を衝いて出るのはそんな後ろ向きな言葉だった。モースは凄い人間だ。それはルークにだってハッキリと分かる。なら自分はそんな凄い存在が自らを投げ出して守るほど、自分という存在に価値があるものなのだろうか。
「所詮、アッシュの代わりでしかないもんな」
レプリカ、代用品。周囲がそう言ったことは無い。けれども、他ならぬ自分がそう思ってしまっている。自分なんかに一人の人間として生きていく資格はあるのか、たくさんの人の故郷を奪い、それでもみっともなく生き足掻いている自分なんかに。
「そんな悲しいことを言わないで」
「ッ! ティアか……」
突然背後から投げかけられた言葉に驚いて振り向けば、そこに居たのはティアだった。いつもの冷静な表情は消え去り、悲痛な顔でルークを見つめていた。
「あなたはアッシュの代わりなんかじゃないわ。ルークという、この世界でたった一人だけの掛け替えの無い存在よ」
「でもさ、俺はやっぱりアッシュのレプリカで……」
「レプリカだとしても、私が一緒に旅をして、屋敷でお世話をしたのは今ここに居るルークよ。アッシュじゃないわ」
卑屈になってしまうルークの隣に立つと、力無く下がった彼の右手を、ティアの両手が包み込んだ。冷え切ったルークの手が柔らかな温かさに包まれる。
「ルーク。私にとってモース様はとても大きな存在よ。あの人はとても優しくて、ただの部下でしかない私のことを気遣ってくれて、こんなことを言うのはおかしいかもしれないのだけれど、まるで父親みたいだって思っていたわ。だからモース様がご自分を犠牲にする選択をしたことは辛い。……きっと、イオン様やアニスと同じくらいに」
でもね、とティアは続ける。儚い笑みを浮かべながら。
「あなたも私にとっては大切な存在よ。だから、代わりに犠牲になるなんて言わないでちょうだい」
「ティア……、だけどそれじゃあ」
その先の言葉をルークは言えなかった。ティアがルークの胸に縋りついてその先を言わせなかった。
「言わないで……、お願い」
ルークからはティアの顔は見えない。けれど、きっとティアは泣いているのだろう。胸に顔を埋めた彼女の肩が震えていたから。ルークはおずおずと彼女の肩に手を乗せる。
「……ごめん」
「私こそ、ごめんなさい。あなたが一番辛いんだって分かってるのに……」
互いに謝り合い、暫しの沈黙が二人の間に流れる。ルークはティアの肩の震えが収まるまで口を閉ざしていた。初めて会ったときは冷たくて、自分よりもずっと大人びて見えた。冷たい軍人のように振る舞う彼女が実はその仮面の裏側には柔らかく、繊細な心を持っていて、唯一の肉親であるヴァンを討たねばならないと自分に重たい十字架を科していた。そんな彼女にとって、モースの存在はどれだけ救いになったのだろうか。味方がいないと思っていたときに、自分を気遣ってくれた存在が、味方だと公言してくれることの心強さを、ルークは痛いほど理解している。
だからこそ、ルークが次に言う台詞は決まっていた。
「なあ、ティア。やっぱり俺、モースを止めたいんだ」
「代わりにあなたが犠牲になるって言ったら、怒るわよ」
「そう言うわけじゃない。……でもさ、このままモースの考え通りにして良いのかな。それって結局、ヴァン
涙目で自分を睨みつけるティアと正面から目を合わせて、ルークは決意を籠めた表情で続ける。
「この世界のことはモースだけじゃない、俺や、アッシュや、皆と一緒に決めていかなくちゃいけないんだ。どれだけ優しくても、どれだけ俺達のことを第一に考えてくれてたんだとしても、モースに俺達の言葉をぶつけなきゃいけないんだ、と思う。結局何も変わらないかもしれない、何も変えられなくて、俺か、アッシュか、モースが犠牲にならないとどうにもならないのかもしれない。それでも、誰かから押し付けられた結果じゃなくて、選ばされた選択肢じゃなくて、自分の意思で道を進んだ結果として、それを受け止めなくちゃいけないんだ」
「ルーク……」
ルークの目には自分が犠牲になればという卑屈な光も、諦めの光も浮かんでいない。自分の意思で道を切り拓く。そんな思いを秘めた一人の男の顔だった。
「ティア、これは俺のわがままかもしれない。でも、一緒に来て欲しい。一緒にモースに会いに行こう。何も変わらないとしても、俺達の言葉を届けに行こう。大詠師の言いなりになってたら、
「ええ、ええ! そうね、ルークの言う通りだわ!」
ティアの顔に笑みが戻る。そして胸に湧き上がる衝動のままに、ティアは再びルークの胸元に飛び込んだ。
「私はあなたについて行くわ。あの人に私達の言葉を伝えに行きましょう!」
いつからだろう、自分が守らなくてはいけないと思っていた存在が自分を守ってくれるようになったのは。戦いだけじゃない、心を守ってくれるルークの存在がここまで頼もしく思えるようになったのは。
「ティ、ティア、その……ちょっと苦しい」
「あ、ご、ごめんなさい!」
ルークの言葉に、今自分達がどのような状態になっているか冷静に認識してしまったティアは、弾かれるようにルークから離れた。そして先ほどまでの重苦しいものとは違う、むず痒くなってしまう沈黙が二人の間を漂う。
「と、とにかく、明日の朝、皆に話してみようぜ」
「そ、そうね! 皆が反対しても、私はあなたについて行くわ!」
ぎこちない空気を振り払うように、ルークとティアはわざとらしく明るい口調で言葉を交わす。
「そうと決まればもう戻りましょ? ちゃんと寝て、明日に備えないと」
「そうだな。皆をちゃんと説得できればいいけど……」
「大丈夫よ、今のルークの言葉をそのまま伝えれば良いのよ。私も味方になるわ」
心配そうなルークを励ますようにティアは微笑みかける。少しは不安が和らいだのか、ルークも表情を緩めて、二人は並んで宿へと戻っていく。
先ほどまでの沈んだ表情のルークとティアはいない。決意を秘めた表情で歩く二人の手はしっかりと繋がれていた。
モースを追ってフェレス島に向かう。
宿の一室に集まった面々を前にルークはハッキリと言い切った。
「それは、モースの代わりにお前が犠牲になるってことか?」
ぶっきらぼうに問うアッシュに、ルークは静かに首を横に振って答える。
「いいや、違うよアッシュ。昨日も言っただろ、
そう言って部屋にいる皆を見渡す。誰もがルークを見つめていた。大小あれど皆一様に内心の驚きを隠せずにいた。
「……時として、賢しい大人の意見よりも、無垢な子どもの言葉が本質を突くこともある」
「何だよジェイド、フェレス島のときみたいに俺が子どもだって言いたいのか?」
「いいえ、いいえ違います。あなただからこそ言える言葉だと。私みたいな中途半端な大人には決して言えない、強い言葉だと思ったのですよ」
ジェイドはそう言って穏やかな微笑を浮かべる。だが、現実はルークの言葉のように綺麗に纏まってくれるものでは無い。
「ですが、話したとしてどうするのです? もうモースに残された時間は多くは無い。現実的に取り得る選択肢は少ないでしょう」
「ジェイドの言うことも尤もだ。ルーク、ただ話に行くだけじゃ結論は変えられないぜ?」
ジェイドの言葉に、ガイも同調する。他の面々よりも少しだけ歳を重ねている二人だからこそ、ただ理想を語るだけではいけないとルークを窘める。理想だけを追って、ルーク達がより傷つく結果になることを避けるためにも。
「……分からない。どうすればモースを救えるのかも、誰も犠牲にしないように障気を中和する方法も。だけど、このままじゃいけない。何か動かなきゃ、何も変えられない」
「……具体的な方策が無いまま向かったところで、モースの引き起こす疑似超振動に巻き込まれてしまえば我々も危険に曝されます。徒にあなた達を危険に巻き込まれるような案を認める訳にはいきません」
俯いてしまったルークに、ジェイドは優しく、されど断固とした口調で告げる。既に状況はほぼ決してしまっている。取り得る手段は無く、指を咥えて見ていることしか出来ない。
「大佐、私からもお願いします。何も変わらないかもしれない。でも、言葉を交わすことで分かるものだってあるはずです! モース様と大佐とディストで思いつかなかった方法も、私達皆なら見つけられるかもしれません」
「ティア……、そうは言いますが、やはりどこまで行ってもネックになるのは時間です。
と、そこでジェイドは言葉を止め、部屋の扉へと目を向ける。それに釣られて他のメンバーの視線も扉へと向けられた。
「……誰です?」
ジェイドが硬い声で呼びかけた。自然、ルーク達の手が各々の得物に掛かり、いつでも戦闘に入ることが出来るように体勢を整える。
「ハァーッハッハッハッ!」
だが、扉の外から聞こえてきたのは調子っぱずれの高笑い。誰が聞こうともその声の主を聞き間違えるはずが無い。
「……ハァ、一体いつから盗み聞きしていたのやら」
頭痛を抑えるようにジェイドがこめかみに指を添える。その言葉に応えるように扉が勢いよく開かれ、飛び込んできたのは昨日までの憔悴した様子が嘘みたいな自称薔薇。
「盗み聞きとは失敬ですねぇ、ジェイド! 私はいつでもどこでも現れます。そう、今ここで悩める若者を救うために!」
「モースの譜眼を何とか出来るのか!?」
ディストの言葉にルークが食らいつく。ともすればディストに掴みかからんばかりの勢いのそれを、ディストは鼻先に人差し指を突き付けて制止する。
「落ち着きなさいな、ルーク。確かにモースの譜眼は私なら停止させることが可能です。意図して外さない限り、そうした安全装置を付けておくのは技術者として当然の義務ですからねぇ」
「っ!? だったら……」
「で~す~が~、ただ譜眼を停止させてしまえばあなたかアッシュを犠牲にしなくてはいけなくなります。そんなこと、モースが許すはずもありませんし、誰だって嫌でしょう。さて、ルーク、あなたはどうしたいのです? モースを助けることは可能。しかし助けようとすれば自分かアッシュを代わりに差し出さないといけない。あなたは答えを出せますか?」
ディストは試すようにルークに言う。ルークはディストの言葉に視線を一度床に落としたが、すぐに正面からディストの目を見据えて口を開いた。
「俺か、アッシュか、モースか。誰かが犠牲にならないといけないとしても、それはモースが勝手に自分の命を差し出して終わらせる問題じゃないはずなんだ。もしかしたら間に合わないかもしれない。だけど、足掻くことすら諦めたら、俺達は
それはやはりただの理想論でしかない。モースの代わりに自分やアッシュが犠牲になるとも、モースをそのまま見殺しにするとも決めていない、先延ばしの論理。けれど、自分達の未来を自分達の手で掴み取ろうとする戦士の言葉だ。ただ庇護されるだけを良しとしない、一人の自立した人間の言葉だった。
ディストはその言葉にニヤリと笑みを浮かべる。合格だと言わんばかりに。
「まるっきり駄々をこねる子どもの言葉です。ですが、その覚悟は伝わりました。良いでしょう、フェレス島に向かってあの分からず屋に一発ぶちかましてあげようじゃありませんか! アッシュもそれで良いですね? あなたの言った通り、彼らは誰を選ぶか決めるんですから。場所は少々移すことになりますが」
「……フン、どこで話そうが誰かを犠牲にすることは変わらないだろうがな。ま、モースの勝手な行動には俺もイライラしていたところだ」
アッシュはそう言ってそっぽを向く。素直じゃないですねぇ、とディストはその姿にケラケラと笑ってからジェイドへと向き直る。
「さ、こちらの話は纏まりましたがどうするのですか、ジェイド?」
「……昨日はメソメソと情けなく洟を垂らしていたくせに、随分と早い立ち直りですね」
「過去は振り返らないのが私の流儀ですからね! ハァーッハッハッハッ!」
清々しい高笑いを響かせるディストと、対照的に苦々しい顔をしているジェイド。そんなジェイドの前に、イオンが歩み出てくる。
「ジェイド、僕からもお願いします。モースを追わせてくれませんか?」
「導師イオン……」
「モースを選んでしまった僕がこんなことを言うのはルークに失礼かもしれません。でも、ルークが言ったように、揺り籠の中で守られたまま得られる安穏とした未来よりも、傷ついて、泣いて、それでも自分達で選び取った未来にこそ価値があるのだと、かつてモースも言っていました。なら僕も傷つくかもしれない未来から逃げることはしたくないんです。例え立ち直れるか分からない傷を負うとしても、それでも皆さんと一緒に傷つくことが出来れば、それは僕にとっては価値があるはずですから」
「イオン……」
「……ハァ、他の皆さんも、意見は同じなのですか?」
ジェイドはため息をついて他のメンバーを見渡すが、ガイも、ナタリアも、アニスも決意に満ちた顔でジェイドを見つめていた。
「頼む、ジェイド。俺にチャンスをくれないか? 俺が自分で未来を選ぶことの出来るチャンスを」
そう言ってイオンの隣に並び、二人でジェイドを見上げた。過去のジェイドならともかく、今の彼はルーク達のこの目に弱い。それに、心の底ではルーク達と同じようにしたいと考えていることもまた確かなのだ。計算高く、冷徹な
ジェイドは目を伏せると、やれやれと言わんばかりに肩をすくめ、そして笑みを浮かべてルークの目を見つめ返す。
「あなたが傷つかないようにという、私にしてはとても珍しい思い遣りを無下にするなんて。勿体ないことをしますね?」
「ジェイドはいつだって俺達を思い遣ってくれてるさ」
「何も変えられない、良い方法が浮かぶ可能性なんてほぼゼロですよ?」
「ああ、それでも俺達の手で未来を選びたいんだ」
「なら、私から言うことはもう何もありません」
「ジェイド……! だったら!」
「ええ、行きましょう。フェレス島へ。勝手に突き進んでしまう石頭に一言文句を言って、それでも抑えられなければ殴ってやっても良いかもしれません」
「ははっ、そうだな。行こう、フェレス島へ!」
ルーク達は選択した。言われるがままに受け入れるを良しとせず、例えその先に残酷な結末しか待っていないとしても、自分達でそれを選び取り、受け止めるために。
それは奇しくも、
ここまでどうにか一気に話を持って来たくて休日を二日とも潰して更新しました。
お楽しみいただけたなら幸いです。