小説投稿サイト『グリモワール』。
小説掲載数約9万作。ユーザー数は約30万人の規模を誇る小説投稿サイトである。
メールアドレスさえあれば誰でも登録可能で、時間さえあれば手軽に小説を投稿することができ、ユーザー登録をしなくても閲覧できる気軽さから様々な作家が自身の作品を投稿し続けている。
かくいう私も〝
書くジャンルは学園モノのラブコメを約一年半くらい続けてて、ありがたいことに私の作品が好きだって言ってくれるファンもいたりする。二次創作も書いてなくはないけど、あんまりそっちは人気がないみたい。
そもそも、私がこうした活動を始めたきっかけは高校一年生の頃、友人に誘われてトークアプリのグループ機能を使った自作の小説投稿を始めたのが全ての始まりだった。
数人しかいない小さなグループだったけど、活動自体は楽しくて、高校を卒業して大学生になってからも変わらないメンバーで小説投稿を続けていた。
私の彼氏とも、この活動を通じて出会っていて、彼は登場人物がジョークを飛ばすアメコミヒーローみたいなのが出てくるアクション系の小説を好んで書いていた。
ちょっと優柔不断で消極的なところはあるけど、根は真面目なのかグループを組んでやっていた時は誰の作品に対してもちゃんとした評価をしてくれる優しい人だった。
そんな彼の人柄に私は興味を持っていて、高校卒業間近に彼から「君の書く小説のように君を幸せにしたい」なんて今時誰も言わないような告白を貰い、あまりにそれが可笑しかったもんだから交際を始めたんだけど、そもそも私も彼も小説はそこまで多く読む方じゃなくて、むしろ漫画やアニメの方が読む側としては好きだったりした。時々、カードゲームもして遊んだっけ。
それでもグループでの小説投稿は続けていて、
この頃の私はオリジナル作品が完結していたという理由で、当時好きだった漫画の二次創作をずっと書いてた。他の人からは「新作とか出さないの?」って言われてたけど、元々私には自分の力だけでストーリーを考える才能なんて無いのはわかっていたし、かと言ってイラストが特別上手なわけじゃなかったから仕方なく文章だけで済む小説という形で投稿を続けていただけに過ぎなかった。ちなみに彼も似たような理由だったらしく、自分の描くイラストにコンプレックスを感じていて、文章なら辛うじて書けるからそうしているだけとのことだった。
大学を卒業して、
私はアパレル系の会社に、彼はホテル関連の会社にそれぞれ就職して晴れて社会人になった。
私達の関係は就職してからも続いていて、あのグループでの小説の投稿頻度はめっきり減ってしまったけど、オリジナル作品だけは未だに新しいストーリーを考えてて、よく互いの部屋に行き来しては、二人で考えた内容を携帯のメモ機能に保存していた。
就職してから数ヶ月くらい経った頃。
最初は何にもできなかった仕事にも徐々に慣れ始めた、ある日のこと。
あのグループで当時活動していた友達から何年か振りに連絡が来て、一丁前に社会人としての苦労話なんてしちゃったりして互いに近況報告をした後は、活動していた当時の話に花を咲かせた。
そして、話の盛り上がりがピークに達してきた時、その友達は私にこんなことを言ってきたのだ。
「『グリモワール』っていう小説投稿サイトがあるんだけど、あんたも何か小説を出さない?」と。
確かに私にはいくつかオリジナル小説を書いてはいたし、今でも彼と共同でストーリー自体は考えてはいた。けれども友達の誘いに、その時の私はどうにも気乗りしなかった。
私の書いてきた小説なんて所詮は高校生が考えられる程度のお粗末なクオリティで、書こうと思えば誰でも書けるものばかりだから、小説投稿サイトに出したところで私の作品なんて誰も目にしない。
誰の目にも触れてもらえない私の作品が、まるで私そのものを否定されてしまうかもと思うと、どうしても小説投稿サイトに投稿するという選択ができなかった。
それでも、心の奥底で
私は期待してしまっていたのかもしれない。
もしも、私の作品を、友達だけじゃなくて、
もっと色んな人に見てもらえたら、誰かから〝良い作品だね〟と褒めてくれたなら、それはきっと、これまで大した目標もなく生きてきた私にとって
そんな馬鹿みたいな夢の話を思い描きながらも、友達に言われてからも暫くは私は仕事をしながら平凡な毎日を過ごしていた。
相変わらず、彼とはストーリーを考えながらメモに残して、キャラクターを考えては下手くそなイラストでイメージを完成させる。
たったそれだけのことだけど、
私にとっては彼と過ごす大切な時間なわけで、
誰の目にも触れない二人だけの秘密だったけど、
決して無駄な毎日だとは思ってなかった。
そして、今から約二年くらい前のこと。
携帯の容量が私達の書いたストーリーで一杯になってきた頃のことだ。
「ねぇ、僕らの考えてきた小説を『グリモワール』に投稿してみない?」
私が友達と最後に話してから数ヶ月後くらいの頃に彼から突然、そんな申し出をされたのだ。
あの優柔不断で消極的な彼からまさかそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかった私は、嬉しいと思う反面、少し
あまりに
けど、それを直接聞き出すのはどこか
「どうだろう。私は、継続的に活動しつつけるのって結構大変だと思うけどなあ」
私にしてはごく自然に言葉を返せたと思う。
すると、彼も私の弱腰に納得がいかなかったのか珍しく食い気味になる。
「僕は君の事が好きだ、君の書いた小説も大好きだ。だから、今までこうして僕達は小説について考えることができたんだ。僕達がやってきたことをこのまま埋もれさせたくない」
何年か振りに聞いた彼からの愛の言葉に、
私は、ほんの少し照れてしまうのと同時に彼に対してどこか
いつもの彼なら、自分が言ったことに対して私が何かを言い返せば、一旦は考え直してくれるのに今日の彼は
そして、たじろぐ私に彼はさらに続けた。
「君の小説の良さを一番理解しているのは僕だ。君の小説はもっとみんなから評価されるべきなんだ」
「けど……」
「お願いだから……ねぇ、いいだろう?どうしても君と組んでやりたいんだ」
そう私の目を真っ直ぐに見つめる彼が、
本気でそんなことを言っているように感じてしまう。私と彼は高校時代からの付き合いで、トークアプリのグループ内での個人的活動とはいえ、私と彼は自分のストーリーを何個か完結させて、就職してからも、二人でいくつもストーリーを考え続けてきたから継続して何かを書き続けるということに関しては問題ないと思っていた。
それにグループの友達にしか自分の小説を見せてなかったとはいえ、私の書いた小説は多少なりは友達からも評判を呼んだ。
なにより、彼が真剣に想いをぶつけてくれたのに、それに応えないのは私の中で後味の悪いものを残してしまう。たとえ、それが何の役にも立たない娯楽の為だとしても、私は彼に最後まで付き合う決意をしたのだと思う。
「わかった、そこまで言うなら一緒にやろうか」
私が唇に笑みを浮かべながら彼に手を差し伸べると、彼もそっと優しく私の手を取って微笑み返してくれた。
「やった…!ありがとう!」
彼の喜び具合に私は気を引き締める意味も込めて、彼に宣言した。
「でも、やるからには人様には見せられるくらいのものは書くつもりだからね」
それから、私達の小説活動は
私達が小説を投稿するにあたってまず最初にしたのは
正直、私は高校時代に考えた作品を『グリモワール』に出そうっていう気が起きなかった。
リメイクして出そうかとも彼に言われたけど、私が高校時代に考えたストーリーを、私が最後まで書き続けるには些か意気地が足りなかった。
一方で、彼の方は自分の高校時代の作品を出すことには抵抗がなかったのか、はたまた私の気持ちを汲み取ってくれたのかはわからないが、私達の最初の投稿作品は彼が高校時代に書いていた作品となった。
彼からの誘いとはいえ、やるからには人様に見せられないような作品を書くまいと決めた私が早速及び腰になってしまったのが申し訳なかったのだが、彼は「気にしなくて大丈夫だよ」と笑って勇気付けてくれた。私もそんな彼の厚意に甘えてしまって、いつも頼りなく見えていた彼がとても頼もしく見えた。
元々、私は小説のストーリー自体を考えることは苦手ではなかったので、細かなストーリーやキャラクターの性格を作成するのはどちらかというと私が得意なのでは?と私が率先して担当することになった。だけど、
何か目標を持って活動すること、それが一銭にもならないような自己満足でも、二人で小説について話す時間は今まで以上に楽しかった。
私は彼と小説投稿を続けるために、
いくつかの
「どんなことがあっても
「初投稿をしたら、どんなに忙しくても必ず週に一度は次話を投稿すること」
「物語が決定的に破綻しないように、投稿する前に友達に見てもらって正直な感想をもらうこと」
他にも色々ルールは決めていたけど、
特に気を使っていたのはこの三つだった。
いくら趣味の活動とはいえ、
どんなものにも、他者と関わって生きていくためには
小説投稿を続けるにも
彼は私から提示されたこの条件を二つ返事で承諾した。あまりに簡単に事が進むものだから私自身、不安に思うところはあったけど、初めてのことだからそう思うだけなのかもしれないと、そう思い込むことにした。
そして、今から二年前
いよいよ私達の初投稿の時が来た。
初投稿は私の家でやることにした。
『グリモワール』へのユーザー登録は私がノートパソコンを持っているからという理由で行い、最低限の規約だけは読んだ。
いざマイページの「新規小説作成」から彼との共同作品を携帯のメモからコピーアンドペーストしてみる。
「いよいよだね……」
私の隣で期待を胸に気分が上がっている彼に反して、私個人としてはそこまで気分が盛り上がっていたわけではなかった。
小説投稿サイトと言っても、大多数は趣味の範疇でやっている人ばかり。
見てもらう人も暇つぶし程度に読みに来ている人ばかりなのだから私達だけが無駄に気分を上げても仕方ない。
それに、私には自信があった。
私達の小説は誰かに読んでもらえるだけの力がある。読む人が読めば、きっとちゃんとした評価をくれる人はいる。
それが信じていたから、私は特に初投稿に対して気分が高揚することもなかった。
だから私は、いや、私達には
投稿してから一時間くらいの間、
彼は私のノートパソコンの前から一歩も動くことをしなかった。
まるで置物のようにずっとパソコンの画面ばかりに目が向いていた。
私が「夕食作ったけど食べる?」と聞いても、彼は「後で食べるから先に食べていてよ」と断られてしまったくらいだ。
そんな齧り付くように見ていても、すぐに評価なんてされるわけないんだから、大人しくご飯食べればいいのに。
そう思いながら私は作ったカレーライスをスプーンで掬って口一杯に頬張った。
投稿してから数時間後、
アクセス数を見ると「56人」となっているのが見える。コメントや感想は0。
彼はこの結果に少し納得していないのか、
結局、私の作ったカレーライスを食べてくれることがなかった。
露骨に落胆している彼に、私は食べ終わった食器をリビングのすぐ横のキッチンで洗いながら、なるべく傷付けないように彼に励ましの言葉を掛けた。
「まだ三話までしか投稿してないんだからしょうがないよ。明日になったら次の話を出そう?」
私の言葉に彼は不満そうにしながらも首を横に振ったと思えば、突然こんなことを口走ったのだ。
「ねぇ、明日出す予定の分も出してしまわない?」
「………え?」
私は耳を疑ってしまった。
確かに投稿ペースを守るために話自体はかなり書き終わっていて、全120話を予定している小説で今は50話くらいまではやろうと思えばすぐに出せるところにまではあったが、
無理に投稿ペースを上げれば後が辛くなるのは目に見えていてし、私も彼も仕事がある以上、小説のことだけを考えて生活するには無理があった。
だから、私はそれを言葉で伝えた。
「ちょっと待って?話のストックはあるけど、いきなりペースを上げたら後が大変だよ?私も
だけど、彼は引いてはくれなかった。
「けど、もうアクセス数の伸びも悪くなって来たし……」
投稿から数時間経つと目に見えてアクセス数が減って来てしまっていた。
彼の気持ちがわからないでもない。
私だって、もし彼の立場だったら、きっと明日なんて待ち切れずに次話を投稿してしまっていたかもしれない。
けど、私達には
私はそれを破ってまで投稿を続けたくはなかったのだ。
私は不安で爪を噛み始める彼に優しく諭した。
「気持ちはわかるけど、これは私達のためだから、せめて明日まで待とう?」
そう言うと、彼は大人しく首を縦に振ってくれた。それに安心して私はシャワーでも浴びることにしようとリビングを後にした。
そして、事件は起こった。
私がシャワーを浴び終わってリビングに帰って来ると彼は手洗いにでも行っているのか姿が見えなかった。私は髪を乾かすついでにパソコンを開いて今のアクセス数を確認しようとした時だった。
私は、パソコンの画面を見て、思わず自分の目を疑った。
「え……!?どういうこと!?」
なんと、三話までしか投稿していなかったはずの小説が
私が予想だにしていなかった事に動揺していると、リビングに帰ってきた彼が、私を見てあからさまに動揺した。
「あ……ごめん、
彼が動揺している一方で、
私は彼のした事がその一瞬だけはどうしても許せなくって、つい声を荒げて彼を責め立ててしまう。
「なんで勝手な事したわけ!?それに私のパソコンを勝手に開くなんて信じられない!パスワードも掛けていたはずなのになんで知ってるわけ!?」
私のノートパソコンは別に仕事用だったと言うわけではなかったが、
車の保険やショッピングサイトなどで頻繁に使っていたものだから勿論、簡単に人に見せるようなものでもなかった。そもそも、ノートパソコンにはちゃんと一度スリープ状態にすれば再起動時にパスワードを求める設定にもしていたはず。
「君がキーボードを触る指を見て、なんとなくこれじゃないかってパスワードを打ったら……」
「だからって、それが人のパソコンを見る理由にはならない!それに私言ったよね?明日まで待とうって!理由があるから敢えて投稿しなかったのに、なんでそんなことしたわけ!?」
私があまりに剣幕になるもんだから、
彼も両目に涙を浮かべながら、必死になって弁明の言葉を並べる。
「君は悔しくないのかい!?僕達が必死になって考えた話が読んでもらえないだなんて!僕は悔しいんだよ!読んでもらえないことが!」
「当たり前じゃん!私達はプロじゃないんだよ?そんなすぐに人から評価されると思ったら大間違いなんだよ!」
この時の私は正論を言ったつもりだった。
私達は学生時代から人より多く物を書いてきたわけじゃない。当然、真剣にやっている人は私達以上の時間を使って小説を書いて応募やらなんならしている。
そんな人達に比べたら、私達のやっているのはおままごともいいところ。
それを何を思い上がったのか、自分が時間を掛けて作った小説がすぐに評価されると勘違いしてしまっている彼の思想に私はほんの少しだけ腹が立った。いや、それは言い訳だ。
本心ではやっぱり、パソコンのパスワードを勝手に解除されて、勝手に小説を投稿したことが一番許せなかったと思う。
私の言った言葉に返す言葉も無くなったのか、
彼は諦めたようにその場で項垂れる。
「ごめん……もうしないと
「
思えば、なんでここで私は彼としっかり話し合っていなかったのだろう。
もしも、彼としっかり話し合ってさえいれば、
この後、
私達の初投稿から数週間が過ぎ、
あれから彼は毎日のように私の家にやって来ていた。下手をすれば徹夜業務もあると聞くホテル業だというのによくもまぁ、毎日七時頃に私の家に来れるものかと疑ったが、
彼は「今は
「あのね?気持ちはわかるけど、仕事はきちっとしてきてよね?小説が原因で辞めましたとか本当に私、許さないからね?」
「大丈夫……大丈夫だよ、僕は将来的には君と結婚したいんだ。そのためにも今のうちに安定した収入を得ないとね」
さりげなくプロポーズされたような気もしたけど、私はなんて答えるのが正解だったのか、思わず言葉を探しながら「あ、あぁ…そうだねぇ」なんて曖昧な答えになってしまった。
それよりホテル業はそんなに儲かるのだろうか?
私の勝手なイメージだけど、ホテル業というと勤務時間の割には給料が飛び抜けて良いというイメージがない。これを読んでいる人でホテル業に勤めてる人はごめんなさいね?
私はあれから彼の要望通り、毎日一話ずつ投稿を続けていて、大体三十話くらいまでは投稿し終えていた。ストックとしては第七十話くらいまで残っていて、ちゃんとペースさえ守っていれば最終回まで躓く事なく、完結させられる予定だった。
彼もあれから私のパソコンを勝手に覗くようなことはなくなった。尤も、私があの事件の後にパスワードを変えてしまったというのが大きいだろうけど。
それでも相変わらず、コメントや感想は0。
ただ、「お気に入り」登録というものは「5人」に増えていて、私としては初めての投稿にしてはかなり満足していた。
元々、『グリモワール』はアニメ・漫画などの原作を自分なりに改変した二次創作が多く投稿される傾向に強くて、オリジナル作品も全く無いわけではなかったけれど、かなり少数派であることは否めなかった。
その中でも私達の小説を好きだと言ってくれる人が僅かにでもいたとありがたく感じるべきか。気の迷いで登録してしまったという線もなくはないけど。
ある日の夜、いつものように
彼が私の家で次の小説について考えている時だった。
「もし、この話が完結した時、次は君の小説を出そうよ」
彼が不意にそう言ってきた。
彼は既に次の小説について考えていて、
どうやら今日はずっと私の小説について考えていたらしい。
言われた時は、「そろそろかな」と思う反面、やっぱり心の奥底で「いや、まだじゃないかな」と思い止まってしまう私がいて、咄嗟に「まあ、まずはこの小説を完結させてから考えよ?」なんて、また曖昧な返事をしてしまった。
でも、間違った事は言ったつもりもなかった。
話のストックはあってもまだ全話を書き切ったわけではない。これから冬の時期に入るわけだし、彼も今まで通り、私の家に来れるかどうかわからない。
だから、小説の事はまずちゃんと完結させてから次の小説を考えるべきだと思ったのだ。
そして、私の考えをを裏付けるかのように、
彼の仕事が繁忙期に入り、私の家に来れる日がすっかり無くなってしまった。
けど、私達としては、最初から繁忙期に関しては予想してその間の投稿について話し合いが済んでいたから別に会えなくて寂しいなんて思う事はなかった。話のストックだってまだ残っている。
だから繁忙期に入ってからも私は彼の代わりに毎日投稿を続けた。
コメントや感想が来なくたって、私の小説じゃないしって思うと、酷い話だけどそこまで苦じゃなかった。
そのせいなのか私は気付いてなかった。
それから年が明けてしばらくした頃、
彼の仕事が落ち着いてきた時、私は以前から抱いていた
あれだけ余裕のあった小説のストックが
元々、全120話を予定していた彼の小説だけど、第九十話を出した頃からもう既にストックが数話分しか残されておらず、彼の執筆速度も目に見えて落ち込み始めたのだ。
最初に決めていた「どんなに忙しくても必ず週に一度は次話を投稿すること」もいつしか守られなくなっていって、ひどい時には更新日時から一ヶ月後の投稿の時もあった。
「ねぇ、最近……投稿ペース落ち込んでない?」
このままではいけない、そう感じた私は躊躇わずに彼に聞いてみた。
こたつの中でテレビを見て笑う彼が私に視線すら向ける事なく答えた。
「そうかな?でも、しょうがないと思うよ。去年は忙しかったもの」
違う。それは言い訳だ。
だって、約束したじゃない。
忙しさを理由になんてされたら、私だって暇なわけじゃない。仕事があるんだ。
「確かにそうかもしれないけど……このところ、かなり文章も雑になってきたんじゃない?」
彼の話は、最初こそ人物の描写こそあれど、最近、特に最後に更新した第九十二話に関してはほとんど台本形式といって差し支えないものになっていた。
ただでさえまともに評価なんて付いてなかった小説なのに、こんなことをされては当然、評価なんて付くわけはない。
だけど、彼はそんなことには一切興味が無さそうに言ってくる。
「そう思うなら、君も小説を出してみればいいじゃないか。そろそろ僕のも終わりにさしかかってきてるわけだし」
そうじゃない。そういうことじゃないんだよ。
「違うじゃん……そういうことじゃないよ。なんで、最近の話を適当に書いてるのかってことを言ってるんだけど」
なんだか嫌な意味で気持ちが昂ってきているのがわかる。
そんな私の感情を逆撫でするように彼は呑気にこう言うのだ。
「適当なわけないじゃない。僕は真面目に書いてるよ」
「真面目に書いてないじゃん!投稿ペースだって、最後に投稿したのいつ!?」
「うーん、二週間前くらい?」
「私、週に一度は投稿するってルールに決めてなかった?」
「そうだね」
「なんで守らないの?」
「それは仕事が……」
「私だって仕事してるんだけど」
「けど、実際は君が書いてるわけじゃない。僕が書いてるんだ」
「ストーリーとキャラ設定は私が考えてるじゃん!」
思わず、声を荒げてしまった。
壁の薄いアパートだ。もしかしたら隣の部屋の住民がいたら丸聞こえ。苦情が来たら正直に謝ろう。
それでも私の感情が収まることはなかった。
私は机の上のテレビのリモコンを乱暴に取り、テレビの電源を落とした。
「ねぇ、
私が率直に聞いてみると、
彼は頬杖をついて、半ば面倒そうに答える。
「そりゃあ……将来的に僕の小説が書籍化やアニメになんてなればなぁ……なんて」
「…………」
人って生き物は本当に馬鹿な話を聞くと何も言えなくなるのか。呆れ返って物も言えないという言葉を聞くが、私はこれほどまでにこの言葉を痛感した時はなかったと思う。
「私は今、
そう語尾を強くして言ってやると、
彼も心外だと言わんばかりに言い返してきた。
「失望?なんでさ。君だって自分の話を書けば僕の気持ちがわかるはずだ」
「一つの小説すらまともに完結させられない人の気持ちなんて知らなくていいよ!」
「君さ……もう少し、言葉を選んでくれよ。頭に来るじゃないか」
彼が明らかに苛立ちを募らせているのがわかる。
彼が仕事のストレスで、少し精神的に不安定になっていたのは私も知っていた。だから私も投稿される前に見た文章が台本形式みたいになっていた時も彼に強く言えなかった。
けど、彼がそんなに呑気にしてるなら私が言葉を止めてやる必要なんてない。今、悪いのは彼の方だ。
「私は正直、もう君とやっていくなんて無理だと思ってる」
「はぁ?」
「私は趣味でも人に見せるからにはそれなりに良いものを書きたかった。
「僕?僕は……」
彼が次に放った一言は間違いなく、私の記憶から一生離れる事はないだろう。
「僕は、僕は自分の小説を書く時……とても気持ちいいんだよ。自慰行為と言ってもいいかもね……僕は自分の小説で自慰行為をしていたんだよ」
聞いた私が馬鹿だった。
こんな言葉を、そんな下品な言葉を、
冗談でも彼から聞きたくなんてなかった。
これまで一緒に過ごしてきた時間を返してほしい。私はこんな人のためにストーリーを考えていたと思うと、途轍もなく、吐き気がしてくる。
「なんで次話を投稿する前に友達に見せるのもやめたわけ?」
「もう九十話も投稿してるんだよ?友達に見せなくても、もう大丈夫だよ」
「どこからそんな自信が湧いてくるわけ?大作家にでもなったつもり?」
「どうしたの?今日の君、なんか変だよ?」
「変なのは
「そこまで言うなら、これからは君と僕がそれぞれ別のアカウントで書いていけばいい!」
互いに苛立ちを募らせていく内に、
時刻は夜の二時を回った。壁掛けの電子時計の二時を知らせる音が室内に虚しく響き渡る。
「とりあえず落ち着こう、僕も言い過ぎた」
彼はそれだけを言うと、
こたつから立ち上がって、自分のリュックを片手に玄関へ向かう。
そんな彼に、私はそれ以上何も言えなかった。
それまでずっと我慢してきたんだ。
私が自分の小説を投稿しなかったのだって、
共同のアカウントを使っている以上、一つの小説を完結させずに次々と別作品を出すのは私のプライドが許さなかった。
今にして思えば、それは無駄なプライドだったのかもしれない。もし、私がもっと早くにそのプライドを捨てて、アカウントを別にして自分の小説も投稿していれば、
彼にちゃんと言い返すことができたのかもしれない。
そして、私の部屋の扉を閉めたその音で、
私はようやく我に返った。
静寂の部屋の中、私の啜り泣く声だけが響き渡る。
私が一番よくわかっていたじゃないか。
これは所詮、子供のままごとだってことくらい。
生半可な気持ちで続けられるほど小説投稿は甘くないことなんて。
それなのに、彼の言葉に惑わされて、簡単に乗せられた私のこの数ヶ月はなんだったんだろう。
そう全てを悟った私の心はもうとっくに冷め切ってしまっていた。
次の日の夜、
仕事から帰ってきた私の携帯には彼からの着信が何件も残されていた。
トークアプリにもメッセージが届いていた。
『昨日のことはごめん。直接謝りたいからこれから会えない?』
どうして私はこうも愚かなのだろう。
気が付いた時には私は彼の部屋に来てしまっていた。
「昨日のことを改めて謝りたいんだ。本当にごめん」
開口一番、玄関先で彼は私に膝を折って、土下座しながら謝ってきた。それに対しての私の答えはとてもシンプルなものだった。
「そう……もういいよ」
「それじゃあ……」
「君が望むなら、もう別のアカウントを使おっか。今のアカウントは君にあげるよ」
「………え?」
「聞こえなかった?今使ってるアカウントを君にあげる。だからこれからは一人で勝手に小説投稿をすればいいよ」
私にしては酷く落ち着いた様子で、話を聞いていた彼は動揺で息を荒げているのがわかる。
「待ってよ!確かに昨日は言葉の綾で……」
「言葉の綾?だとしても、言っていい言葉と悪い言葉があるじゃん……私、ずっと我慢してたんだよ?」
「違う……違うんだよ……話を聞いて……」
そう言って、彼は私の体にしがみついてくる。
そのあまりの必死な様に私は怒りを通り越して呆れ返っていた。
「私ね?今、凄い機嫌が悪いんだ。金輪際、私の前で小説の話をしないで……最後の
その言葉を最後に、
私は彼の腕を振り解いて彼の部屋を後にした。
あれだけ昂っていた気持ちも、随分と落ち着いてきた。
あれから私は彼とは会ってない。
彼が小説投稿を続けているのさえわからない。
けど、彼がいたから、私は今こうして自分のアカウントで小説を投稿できている。
そういう意味では凄い感謝はしてる。
そりゃあ、毎週一話ずつ投稿するのは大変だけど、誰にも言われず、ただ自分の好きなものをかけるのは
それでも頭に浮かぶのは、
彼の最後の顔。
仕事のストレスを拗らせたせいで、結局私達の中で未完で終わってしまった小説のこと。
私も今はそこまで大きなストレスもなく、小説を書けてはいるけど、私自身がいつ彼と同じようになってしまうのか、それが不安で仕方ない。
そうならないように、私は最後まで書き続けないといけない。
今度はもう言い訳なんてできない。
これは、私自身の