「選抜隊の監督ですか?」
地暴星サイクロプスのギガントはいきなりの命令に驚いた。
聖域への侵入を行うのは冥界で役職を割り当てられている者ではなく、無役の冥闘士が実働隊となることになっていた。
これは単に、役職付きの冥闘士を聖域に送り込むことで冥界の業務遅延が発生するのを防ぐためである。
「ああ、いま監督官を選定している」
上司にあたる天猛星ワイバーンのラダマンティスは苦々しいとも取れる表情をしている。
あまり笑顔のない人物ではあるが、日頃に増して表情は固い。
ハーデス城の執務室で兜だけを脱ぎ、冥衣姿のラダマンティスは、警備任務から呼び戻した冥衣姿のギガントに執務机越しに決定事項を説明する。
石造りの城の一室を改修した執務室で頼りない電気ランプの灯りと、窓近くには補助のろうそくの灯が揺らめいている。
まだ涼しい時期だからいいが、夏冬などの気温が極端な時期は地上のハーデス軍は苦慮する。
冥界にいるハーデス軍は軍隊というよりは、職業集団に近い。
ポセイドンの率いる海闘士は言うならば、海底神殿の各柱を守る警備員である。
冥闘士の一部には冥界での死者の動向を監督する者、獄の実務に従事する者など多種多様だ。
冥界、海界と違い聖域は「地上の愛と平和」を守る常備軍なのだ。
彼らは別段、日常の業務を持っていない。訓練だけである。
「パンドラ様より聖域への選抜隊による侵攻そのものは黙認いただいているが、監督官を入れることを厳しく言われた」
「何か、気になることでもあるのでしょうか。裏切者など」
「つまらんことを言うな、と言いたいところだが、ミーノス、アイアイコスにも子飼いの冥闘士の動向の調査をしている」
冥界三巨頭は役職ではないが、三名とも中間管理職として多くの冥闘士や雑兵の管理を行っている。
地上世界と冥界をつなぐ穴の管理はラダマンティス一派であり、冥界全体の警備はアイアコス、冥界内のモニュメントの管理運用はミーノスとなっている。
人員を一番自由に動かせるのがラダマンティス一派であり、人数は多い反面役職のない面々でもある。
「それでは日程は変更されますか」
「仕方あるまい。2日ほど日程を遅らす。他の面々にも伝えておいてくれ」
「承知しました。選抜隊の人数を絞りますか」
「絞るか…」
ラダマンティスの言葉はギガントに向けたものではなく独り言だったが、ギガントはラダマンティスのいつも以上の表情の硬さと、日ごろの倍は多い口数に事の重要度を感じた。
「パンドラ様から綱紀粛正の原因が説明されていないなら、相当面倒なことが要因かと」
ラダマンティスはギガントとの会話が嫌いではない。
武人肌でありながら、物事の周辺をよく見る。
強面の外見とは違う協調性と理性は末端の冥闘士をまとめるには適しているとラダマンティスは思っている。
「確かにな。パンドラ様も綱紀粛正については壁の向こうからの命令を匂わせていた。そう考えると攻めるより、まずは身内の調査か」
嘆きの壁の遥か向こう。
永遠の命を持つ者だけが辿り着けることが出来る場所。
冥王ハーデスの住まうところでもある。
そこからの命令となると冥王ハーデスからの勅命と言っていいだろう。
(聖域侵攻についてはある意味で予定調和として判断されているだろう。ポセイドンとの一戦で聖域の弱体化はある程度表面化した。黄金聖闘士は守りにしか使えず、白銀聖闘士は結構な数が重傷、ポセイドンに勝ったといえどその体制は保守的。一度叩き、人員的なダメージを与えるもよし、捨て駒だけぶつけて内紛を起こすも良し)
ラダマンティスの脳内では、今回の聖域侵攻の目的を振り返る。
(だが、このタイミングで内部調査は我々も一枚岩ではない可能性が残るか・・・)
三巨頭による派閥抗争はあるもののそれはあくまでの派閥同士の牽制であって、冥界による地上制覇という最大目標にひびを入れるものではない。
「選抜隊について二次選抜をすることにしましょう。裏切り者がいるならば絶対に聖域に行きたがります。二次選抜に向けて異常な行動を取る者を選抜から弾いて監視を付けるなどはどうでしょうか」
「早々に手配しよう。日程は2日と言わずに遅らそう。念のためパンドラ様にも共有しておく」
ラダマンティスは手元の紙にメモをする。
羽根ペンのインクは薄い。すでに古くなっており紙へのノリも悪い。
資材の少なさもこのハーデス城の問題の一つだ。
「綱紀粛正の原因はどのあたりですかね」
「不敬なことを考えるな」
叱責というよりはギガントの軽口をたしなめる。
「失礼しました!」
ギガントは背筋を伸ばす。
「壁の向こう側から見ればパンドラ様以外は信用ならぬ者たちだろう。俺を含めてな」
それは自嘲ではなく、ラダマンティスから見れば当然のことだ。
あくまで自分たちは神々に仕える人間であり、ラダマンティスが仕える神は人間など信用しない。
だからこそ信頼できる。
人間に頼る神など惰弱極まりないという考えによるものだ。
「まもなく聖戦が開戦されます。正直に言えば、問題の要因は聖戦以上の何かなのでしょうかね」
「探偵ごっこはそこまでだな。あまり頭を使うのは得意じゃないのでな」
「俺も余計な知恵を使ったようで」
「いや、お前の助言は助かる」
ラダマンティスは少年時代はイングランド領のあるフェロー島で港湾の作業員の仕事をしていた。
荒い口ぶりの割には自分より年若い者に指示を与え、組織の年長者からは指示を受ける。今の中間管理職としての素養は冥闘士になる前に培っていた。
ギガントも出身地のユーゴスラビアで建設現場の若手の取りまとめ役をしており、この二人の呼吸が合うのはそういったお互いの立場を想像しあえる背景もある。
若く優秀な中間管理職と末端の取りまとめ役。
この二人でなければ冥界の最大派閥である、ラダマンティス派はまとめられない。
ラダマンティスの側近といえる冥闘士は何人かはいるが、阿吽の呼吸で応じてくれる右腕はギガントである。
◆
「ため息ですか、ミーノス様?」
天貴星グリフォンのミーノスは冥界の裁判所にある休憩室で手元の書類を見ながら息を吐いたところで、天英星バルロンのルネが心配したように声をかける。
その手には二人分のティーカップ。
ミーノスの座る席のサイドテーブルに一つ置き、正面の椅子にルネも座る。
「そのように見えるかね」
休憩室では二人とも冥衣を脱ぎ、ストレスのない状態である。
二人とも、冥衣の下はカジュアルな服装だ。
カジュアルといっても、ラフな服装ではなくそのまま役所の人間としても通用できる程度のカジュアルさだ。
ネクタイをしていないだけ、革靴を履いていないだけ、そういった程度のカジュアルさでもある。
これはミーノスの管轄が裁判所であり、ミーノスがラフな服装を好まないからでもある。
ミーノスが見る書類は、紙といっても現代的なものではなく羊皮紙だ。
これは冥界の伝統という面もあるが、地上の紙は冥界では劣化が早く、数年と保てない。
地上では最新のパソコンなどで書類仕事は簡便になったが特殊な世界である冥界では導入することはできない。
電力もなければ精密機械が冥界の瘴気に耐えられるとは思えない。
冥闘士でも新しもの好きであるミーノスとしては、マッキントッシュのPC導入をあきらめたのはこの数年の最大の後悔だ。
(問題は風紀取締という名の内部監察を作るか、どうか)
サイドテーブルの紅茶に手を伸ばし一口。
ミーノスの好むやや甘めの紅茶だ。
(冥闘士での適任は、このルネかさもなければギガントか、ある程度事務仕事の適性がある方が…)
ミーノスの考える派閥のバランス感としては、ギガントに選抜隊の現場指揮と監督官を兼任はさせられない。
ラダマンティス一派で選抜隊が完結してしまうと選抜隊の行動が抑えられない。
冥界の一大作戦の先駆けとなる選抜隊の軍功をすべてラダマンティス派にもっていっていかれてはハーデス軍のバランスが崩れる。
そういった考えを巡らすと、実戦能力と監督能力、撤退判断のできる人間をラダマンティス派以外で選ばねばならない。
「監督官をする気はないかね」
裁判官代理として見るとルネはミーノスとしては重宝している。
基準と手順を遵守し、ミーノスが多忙の際の裁判を過不足なく行える。
多少伝統にうるさいところがあるが、先に挙げた実戦能力も判断能力も及第点どころではない。
「あれですか、ラダマンティス様が動かれている?」
「ああ、独断とされているが、ある意味ではパンドラ様も黙認の任務だ。あまり勝手な真似をしないよう、場合によっては撤退の見極めが出来る人間を置きたくてな」
「ラダマンティス様の派閥外で」
「その通り」
想像力に富み、ハーデス軍のパワーバランスも承知している。
こういった部分もミーノスがルネに一目を置くところだ。
「私でよろしければ、喜んで」
そういってルネも手元の紅茶を一口。
やや、得意げな笑いをして。この笑いを優越感ととるか余裕をとるかは上司次第だが、ミーノスは後者として認識している。
「私も裁判官としての業務量を増やさなければな」
ルネが地上に出向くことを考えるとミーノスの裁判官としての時間も増やす必要がある。
裁判官代理から本役への引継ぎの時間を考えてルネが質問する。
「出立は近いのでしょうか?」
涼しげなルネの微笑みには余裕がある。
ある程度先を予想している者の笑みだ。
ミーノスも同様の笑みを浮かべる。
「ラダマンティスがいらぬ知恵を使ってな。二次選抜を行うので聖域攻めは少し先だ」
「二次選抜ですか、慎重ですね」
ミーノスの回答に予想の範疇内といったように口角を上げ、紅茶を飲み干す。
サイドテーブルに書類を置くとミーノスは追加の情報を伝える。
「冥界に来た3人の黄金聖闘士が交渉に応じた。それ以外にも戦力がある程度いる。冥闘士の参加はそれらをうまく使う役目だ。戦闘員を多く送り込むこともあるまい」
ルネは予想の範疇外の情報に少しを見開く。
「あの3人以外でも?」
「書類は後日だ」
ミーノスはそう答えて紅茶に口をつける。
「聖域の関係者ですか?」
「ああ、黄金聖闘士ではないがね。先程口頭で伝えられたので詳しくはわからん。だが聖域攻略に協力しようと言うのだ、何かしらの思惑はあって然るべきだろう」
ルネの質問に答えると、ミーノスは紅茶の最後の一口を飲み干す。
「永遠の命以外にですか」
ハーデス軍の少なくない者たちが望む永遠の命。
それ以外を望む者がアテナの軍団にいた。
ルネとしては凡百の聖闘士が永遠の命以外に何を望むのか理解ができない。
その解答を簡単にミーノスが答える。
「聖域の人間が我々に組するのだ。一筋縄で考えるのはよした方が良いだろう」
「確かに」
内心を見透かされた悔しさもなく、聡明な上司の言葉にルネはうなずく。
「では戻ろうか」
そう言ってミーノスは立ちあがる。
◆
「イワン!」
「何だ?!」
名前を呼ばれた天敗星トロルのイワンは亡者と思い少し怒気を込めて声を出す。
冥衣を着こんだ男は巨漢に分類される。
厳めしい顔にしゃがれた声。
その外見の印象は、今いる第三獄の岩山の厳しさをそのまま擬人化したようにも思える
そこにいたのは亡者ではなく三巨頭の一人、天雄星ガルーダのアイアコスであった。
「なんだ〜アイアコス様じゃないですか」
途端に口調が砕ける。イワンは本来は陽性のお調子者だ。
鬱々となりがちな冥界の仕事の中で、ほかの仲間とともに、それなりに楽しく仕事をしている。
もとはソ連のエヴェンキの管理区で木こり仕事をしていた。
そういった経験もあり野外での仲間とともに仕事するのは慣れっこであった。
「仕事の調子はどうだ?」
アイアコスの声は今一つ調子の上がらない声。
普段は仕事のことよりも、飯の話が多い。
「どうだじゃないですよ、ポセイドンのあれで死者数増えて、獄の振り分けが渋滞してますよ」
「他の獄の奴らも文句言ってたよ」
イワンが振り向かず、親指で後ろを指す。
そこには地上の水害で亡くなった人々が次の獄へと進む列をなしていた。
数か月前、アテナとポセイドンの戦で地上の人々は水害により少なくない数が亡くなっていた。
その影響をもろに受けているのが冥界だ。
「カロンの野郎だけ小銭稼いでますがね」
肩をすくめておどけるイワン。
三途の川の渡し守を自任する天間星のカロンは時折、意識のある亡者から銭を巻き上げる。
ただ元来の人の良さもあるので必ずしも労働の対価といえるほど銭を手に入れられてはいない。
「わかっている」
アイアコスが渋い顔。
「まあ、お零れで奢って貰ってますがね、ははは」
「そうか」
イワンの馬鹿笑いに反比例してアイアコスは冴えない表情を見せる。
「なんかパンドラ様から面倒事言われましたか?顔に出てますよ」
「おいおい、いつも通りだろう」
「アイアコス様、めちゃくちゃ顔出るんでわかりやすいですよ」
ポーカーフェイスを貫いたつもりが表情にすべてが出ていると指摘され、アイアコスはしゃがみ、長くため息をつく。
「はぁ~、パンドラ様から綱紀粛正の話が出た。このあとカロンにも注意するが、知性ある亡者との接触は気をつけろよ」
先ほどとは口調の硬さは消えたが、それでも面倒ごとに巻き込まれたことを告げる声の重さはあった。
「それ言ったら俺たちより、ルネ様とかシルフィード様辺りじゃないですかね」
「そうなのか?」
アイアコスはしゃがんだ状態から顔だけイワンに向ける。
「ルネ様は裁判官代理で亡者と話すこと多いですし、シルフィード様達は地上と冥界行ったり来たりなので外部との接触多いっすよ」
生きている人間と接触の多いラダマンティス一派、意識ある亡者に詰問する立場にある裁判所の面々。
獄内でルーティン業務をこなすアイアコス派の面々よりも、他の2派閥の方が何かしら自己に有利な事象を起こしやすい。
イワンとしては説明もする必要のないと思っていた。
木こり時代も木こりたちよりも、モスクワと往復していた事務所の監督の方がいい車に乗っていたし、生活も良かった。
人との関りが多いものほど、チャンスが多い。
「なんだよ〜、マジか」
アイアコスは立ち上がりつつ、兜を脱ぎ頭をかく。
「俺たち獄の担当は。ほらルーティン作業メインなんで他の人と話すなんて業務時間中少ないっすから」
イワンに説明されたが、アイアコスが気になったのは別のところだ。
「ロックと話さないのか?」
ロック。天角星ゴーレムのロック。第三獄をイワンとともに管理する冥闘士だ。
「話したくっても距離ありますからね、それに業務時間ズラさないと仕事が詰まるんで飯食うのも別々ですよ。仕事終わりにたまには飯いけますけど、ここんとこポセイドンのアレで行けてないんで」
「ちょっと、ラダマンティスに話して人数出してもらうわ」
自分が部下の状況を把握していなかったことに少しへこみながらも解決策を考える。
ネパールでの裕福な階層出身のガルーダとしては、組織の根幹は人であり人数であることを父親の仕事を見て理解していた。
数十人という大工をまとめる父親はそのあたりを幼少期のガルーダに厳しく伝えていた。
「聖域攻めは?」
「何でも少し先に延ばすらしいから、何人かは引っ張って来れるだろ」
「アイアコス様もマニュアル改訂でデスクワーク増えてんでしょ?」
イワンもアイアコスを心配する。本来は現場の人であることは承知しているが、獄の見回りもままならないほどデスクワークに忙殺されているのは知っている。
「別に現場仕事じゃないから大丈夫だ。つまらんがな」
「また飲みに連れてってくださいよ?」
おどけた声でイワンはねだる。
「変な色気出さずにちゃんと仕事したらな、じゃあ次行くわ」
アイアコスは釘を刺すのを忘れない。
次は第四獄にいる天罪星のフレギアスのところだ。
一人業務を任せっきりにしてしまい申し訳ないとアイアコスは思っているが、フレギアスは「第四獄までくる亡者も少ないので暇です」とポーカーフェイスで答えるだけだ。
「たまにはドイツビール以外が飲める店でお願いしますよ!」
離れたところでイワンからリクエストの追加の声がかかる。
後姿のガルーダは片手だけ挙げて答える。
◆
パンドラはタナトスとヒュプノスの命令で綱紀粛正を命令した。
理由を問うても「ハーデス軍内に怪しき動きがある。目を光らせよ」だけ。
下手に愚痴を言えば神の力で死を賜る可能性もあり、余計なことは言えない。
「ふぅ」
ため息が精一杯だ。
簡素な私室。かつての栄華はなく、天蓋もないベットにパンドラは寝転ぶ。
パンドラは美しい少女である。
黒髪、黒い瞳、そしてその美しき肢体。
`
(ラダマンティスだけでなく、全勢力で攻めてしまおうか)
「ふぅ」
美しいため息を知るのは死と眠りの双子の神だけである。
おしゃべりしただけです。