「・・・・何故、あなたは笑う。」
それに、血に濡れた男はゆるりと微笑んだ。その男は、血に濡れてなお、美しかった。
夜のようなブルネットの髪を軽くなでつけ、緑色の澄んだ瞳はきらきらと輝いている。
王子様という呼称がぴったりな甘やかな顔立ちはまさしく人目を引くだろう。その見目は、彼の息子であるガウェインによく似ていた。ただ、片目を覆った眼帯だけが差異であっただろう。
「これでいいのさ、青二才。これで、全てが丸く収まるってもんだろう?」
どこか間延びした声音はその見目に反して非常に軽い。ただ、死にかけてなお輝く瞳。
男を前にしたアーサー王は口を噤んだ。
アーサー王にとって散々に争ったそれは確かに宿敵でさえあった。けれど、男は変わることなく飄々と笑う。
男の名前はロット王。
アーサー王の義兄であり、そして悪名高き妖妃モルガンの夫であった。
ロット王、いやロットとここで呼ぶ彼は幼き頃から才のある少年だった。武勇にも優れ、賢しい少年であった彼は、なんというかいささか面倒くさがりな部分があった。
戦うのも、王になるのも、そういった人生なのだからと世界の果てと言っていいオークニーで当たり前のように次代の王になるための修行にいそしんでいた。
穏やかな時代、などとはお世辞にも言えない。そんな中でもロットはさほど悲観をしていなかった。
元より、彼は図太くて、少々夢見がちな性をしていたため何かあってもその時はその時だと考えていた。
そんな性格でなければ、彼はきっと妖精と勝負などしなかっただろう。
「さて、どうしたものかなあ。」
間延びした印象を受ける声音でそんなことを呟きながら、ロットは歩いていた。というのも、彼も少年から青年に変わる年頃になった。そのため、ロットの結婚話が進むこととなった。
ロットはそれも王子の義務だと深く考えはしなかった。ただ、一つだけ心配事があった。
妻になるはずの女性とちゃんとやっていけるかどうかだった。
王妃以外の女性を迎える、なんていう選択肢もあるのだろうが、残念ながら女性を二人も抱えて生活するなどと言う繊細且つ気力のいることなどロットはごめんだった。
出来るなら妃になる女性と和やかに過ごし、子供をなして、そうして争いは絶対にあるだろうが国を滅ぼすことなく死ねればそれで十分だった。
それ故にロットは悩んでいた。
出来れば、結婚する女性がどんな人か知り、うまくやっていける準備をしたいと。
が、そんなうまい話があるわけもなく、彼はふらふらと城近くの森をうろついていた。
「なんかあるかい?」
なんてことをなじんだ馬に聞いたとしても、欠片だって返事が返ってくることもない。
それでもロットは気にすることもなくのんびりと森を歩く。所詮は息抜きで、本当に何かしらの答えを欲しているわけではなかった。
その声を聞くまでは。
聞こえてきたのは、弾むような歌声だ。お世辞にも美声ではないけれど、弾むようなそれは聞いていると笑いがこぼれてくる。
誰も僕には勝てはしない。
ロットは好奇心のまま、ふらりふらりと声のする方に、馬から下りて近づいた。
そこには泉が広がっている。ロットはそれに首をかしげる。
幾度も通っていたというのに、自分はその泉に気づいていなかった。
そうして、泉のほとりには小さな、子供のような人影があった。それは泉の水をすくい上げながら、歌を歌っていた。
誰も僕には勝てはしない。
誰がわかるか、僕の名が。
トム・ティット・トット、トム・ティット・トット!
幾度だって、歌おうよ。
誰だって、僕の名前を知りはしない!
それは、ほんの出来心。それは、ほんのいたずら心。
いくら面倒くさがりであっても、未だ幼いロットは傲慢で、向こう見ずで、考えなしであったのだ。
勝負をしようと持ちかけた。
次に、また泉を訪れた彼は妖精にそういった。
自分よりもずっと小さい、小人と言えるそれはロットの言葉に頷いた。
勝負に負ければ、ロットはとっても素敵な宝物をあげると持ちかけて。
そうして、わかりきった勝負の結末で、ロットは妖精の名前を応えて見せた。
妖精は言った。
望みはなんだい?
山のような宝物?きらめくような奇跡?美しい姫君?
いくつも唱えられる賞品を、ロットは首を振って否定する。彼は、高らかに唱えて見せた。
僕の奥さんになる人と仲良くなれるように、本当を見分ける宝物が欲しい。
曖昧で、正直に言えばどうとでも取れるそれに、妖精はにたりと笑った。
いいよ、いいよ、奥さん思いの旦那様。
そんなにも望むというならば、どんな真実も見える目をあなたにあげよう。
そうして、あなたが歩む、いつかの日々を見せてあげる。
そうして、右目に鋭い、痛みが走った。
きっと、それが全ての始まり。
妖精を騙し、彼は真実の見える目を手に入れた。本来ならば存在しなかった、あり得ぬIF。
彼は見た、真実を。
己の住むブリテンが滅ぶ日を、とある少年王の輝かしい日々を。
そうして、ただ一人たたずむ、ひとりぼっちの女を見た。
「どーしよっかなあ?」
ロットはその日、うんうんとうなっていた。自分の執務室、考えるべき事は山ほどある。緊急性の高い物はひとまず置いているのでなんとかなるだろうと思っていた。
そんなとき、ドアをノックする音が響いた。それに視線をやると、目の覚めるような女が一人。
淡い金の髪をしたそれは、まるで魔性のように微笑んだ。
「すこし、よろしいでしょうか?」
「ああ、いいよ。かわいい奥さん。」
ロットはにこにこと相好を崩して彼女を出迎えた。女はそれを当然のように受け止めて、すたすたと部屋の中に入っていく。
彼女はロットの後ろに回り、そうしてその肩をするりと撫でた。
「なにか悩まれているんですか?」
「ああ、それがな。」
ロットはそのまま悩んでいる執務についてを話す。それに、女はにこにこと笑いながら聞いて、それはと口を開けた。
それはロットの悩みどころをたちどころに解決してしまうものだった。ロットは嬉しくなり、にこにこと笑いながら己の妻に微笑んだ。
「さすがだ、モルガン。」
「いいえ。あなたのお役に立てて何よりです。」
美しい女の微笑みに、ロットは目を細めた。
可憐で、美しくて、瞳には苛烈な何かが混ざっている。
そんな女が何者であるか、ロットは全てではないが知っていた。
それが、いつか国を滅ぼすものであることを。
ロットが妖精に与えられたのは、文字通り真実を見抜く物だ。嘘があれば、たちどころに真実をロットの目にさらしてしまうそれは王としてやっていく分には丁度良かった。
ごうごうと、嘘と真実がまるで嵐の中のように吹きすさんでいたけれど、魔術の施された眼帯で一時的には効力を抑えることも出来た。
美しい緑の瞳を、片方青くして帰ってきたとき、父王とお付きの魔術師はカンカンに怒り狂い、そうして少年の傲慢さがどれほどのものかを説いた。
妖精と取引をしてしまったお前の死に方はきっとろくな物ではないだろう。
魔術師は哀れみを込めた目で、ロットに眼帯を渡した。
けれど、ロットは真実を見抜けるという事実を誰にも言わなかった。魔術師でさえも、ロットに埋め込まれた青の瞳が何であるか見抜けはしなかった。
そうして、ロットは自分が見せられた光景を考えていた。
この島は、どうやら滅ぶらしい。
異国の何かに蹂躙される民、そうして、多くが争ったらしい死体の山。
そうして、輝かしく戦い続ける金の髪を王冠のように結った少年の姿だった。
ロットはなんとなく理解していた。それは、真実で、実際に起ることであると。そうして、それに関わる一人の女の姿を見た。
(できるだけ関わらないようにしよう。)
その女のことを思い出して、ロットは固く誓う。元より、ロットは面倒くさがりの、日和見主義だ。
彼の思うのは、王になる上での義務で、自分の民の安全を守ることだけだった。だから、島の滅びに何かが出来るなんて欠片だって思わなかった。
だから、自分が死ぬまで、その日まで何気ない日々が続けばそれだけでよかった。
けれど、そんな意思も簡単に崩れてしまった。
いつかに、騎士として情けなくないものとして死ねればいいと、それだけを願っていたのに。
ロットは、女に出会った。自分と引き合わされた、美しい女。
黄金の髪をした、少女のように可憐で、騎士のように勇猛で、魔女のように恐ろしい。
それでも、輝くような女に出会った。
自分の住む島を滅ぼすことに関わっているらしい女は、何でもロットの妻になるらしい。