今年中には終わらせます。
評価。感想ありがとうございます。
感想いただけると嬉しいです。
(きまずい・・・・・)
ロットはその日、森での狩りの後、執務に戻る気であった。けれど、その途中にモルガンの侍女に会ってしまったのだ。
かれこれ長いこと特別な用もないというのに妻に会わないロットの印象など最悪なわけで。数人の侍女たちの圧に負けて、ロットはモルガンの自室にまで足を向けていた。
正直に言えば、ここからさっさと逃げ出したい気持ちもあったが、さすがにそれは情けなさ過ぎる。
ロットはのそのそと、その扉を叩いた。
「・・・・すまない、失礼する。」
丁度、ベッドの上で休んでいたモルガンは部屋に入ってきたロットに、顔を輝かせた。けれど、次の瞬間心の底から不機嫌そうな顔をした。
「・・・・陛下、御久しゅうございますね?」
モルガンの猫なで声にロットは気まずそうに、大柄な体を縮こませた。それにモルガンはいい気味だと内心で思う。
侍女に涙ながらにロットのつれなさを語ったおかげか、彼女たちは仕事をしてくれたらしい。久方ぶりに会う夫はしおしおと萎れていた。
なんというか、へたり込んだ尻尾と耳を幻想してしまう。
モルガンは、それに少し可哀想に思ってしまう。
モルガン・ル・フェは、少しだけ赦してやろうかと悩んでしまう。
湖の乙女は、ここで早々としつけた方がいいだろうと考えた。
そんな三者三様の中で、モルガンはともかくと、ベッドの近くにあった椅子を示した。
「ともかく、お座りください。」
「ああ、失礼する。」
椅子にちょこんと座った彼は、おそるおそるという体でモルガンを見た。モルガンはなんとか気を取り直して口を開く、ともかくは浮気の真偽を確かめねばならないと考えた。
「長い間、お渡りがなく寂しゅうございました。何か、ご用があったのでしょうか?」
「いやあ、その。」
ロットはモルガンの言葉に視線をうろうろとさせた。それに、モルガンの中で浮気、というそれが現実味を帯びてくる。
浮気、浮気、浮気。
その単語が頭の中でぐるりと巡れば、モルガンの中で、怒りと同時に悲しみがわき上がってくる。
モルガンの人生は、選ばれないものだった。
島に選ばれ、されど父に選ばれず。故郷を離れ、見知らぬ土地に一人でやってきた。それでもよかった。一人でもよかった。
結局、誰もがこの島の人々の滅びを目的としたモルガンを厭うた。
それでよかった。いつか、どんなことがあっても、この島の王になる。そう、定められたのだ。そう、自分は受け入れたのだ。
誰が、どんな目に遭おうとも。マーリンにも、民にも、そうして。
(父上にも。)
認めさせるのだ。そのために、何もかもを利用するのだと、誓ったのだ。
けれど、北の果ての国で女はその男に会ったのだ。
恵みも、災厄も、愛するのだと言ったその男は、誰も取らなかったモルガンの手を確かに取ってくれたのだ。
だから、モルガンは、ほんの少しだけ、島に住む人々と共に生きていくことだって考えてしまっていた。
それほどまでに、その、厳しい寒さの国はモルガンに優しかった。
もちろん、それは元々女性というものに縁の遠かった王の良縁を逃すものかという思想はあったが。
それでも、確かにオークニーはモルガンの国であった、居場所であった。
居心地が良かったのだ、その国では誰もモルガンを嫌なものとしなかったから。
けれど、モルガンはロットの裏切りの可能性に、氷が背筋を滑り落ちるような感覚がした。
また、自分は追いやられるのだろうか。また、自分は違うどこかに追いやられるのだろうか。
心のどこかで、そんなことを男がするわけが無いと思う。そうなったとしても、ただですませることなどないと奮い立たせた。
けれど、心のどこかで、またかと思う自分がいる。
モルガンは、ぼんやりと自分を見なかった父のことを思い出す。
モルガン・ル・フェは、自分を厭うた何かを憎んだ。
湖の乙女は、ヒトとはそういうものだと諦め染みたものがあった。
モルガンはじとりとした眼でロットを見た。それは、緑の瞳をしょもしょもさせて口を開いた。
「その、色々あってな。」
誤魔化すような言葉に余計にモルガンの中で、男への疑惑が膨らんだ。それに、ああと考える。
この男をどうしてやろうか、そんな鬱々しい考えが浮かんだ。
「・・・・私のことなど、お忘れなのかと思っていましたよ。父上のように。」
皮肉げに吐き出したそれに、がたーんと勢いよくロットは立ち上がった。そうして、モルガンに顔を近づけた。
驚いた彼女の顔に、ロットはまた慌てた様子で己の頭をぐしゃぐしゃにかき回す。そうして、非常におたおたしながら椅子に座った。
そうして、手を組みうなだれる。組んだ手に顔を当て、まるで祈るような姿勢を取った。
「・・・・俺はな、神様なんて信じてないんだ。」
唐突な告解に、モルガンの方がまた驚いた顔をした。そうして、思わず返事をする。
「教会から、目の敵にされそうですね。」
「・・・・まあ、な。いや、そういう話じゃなくてな。」
あー、ロットは悩むような仕草をした後に、口を開いた。
「母は、俺を産んで死んだんだ。」
「私も、同じように亡くなると。」
「いや、それも、確かにあるんだが。」
ロットは訥々と話し始めた。
昔、子が出来ると喜んでいたものがいた。何はともあれ、俺もそれを喜んだ。新しい民が出来るのは、嬉しいことだろう。
でもな、死んだ。
小さな、小さな体だった。泣きもせずに、生まれて。生きることもなく死んだ。母親も死んだ。残った男の、頼りなく、絶望しきったそれを覚えている。
その時な、思ったんだよ。
「神様なんていないんだと。」
ロットは視線を床に下ろしたまま、組んだ手を握り込んだ。
「どんなことがあっても、死ぬときは死ぬ。俺は、生きることなく死んだ命に、そう思った。あの子こそ、生きるべきものだった。けれど、それでも死んだ。だから、ぼんやりと。」
あなたが死んだら、どうしようか、なんて。
その言葉にモルガンの眉間に皺が寄った。そうして、無言でうなだれるロットの頭に無言で打撃を加えた。
「あた!?」
驚きに声を上げたロットにモルガンが目を見開いて黙る。
「そんなくだらないことで悩まないでください!」
「く、くだらなくは・・・・」
ロットはそんなことを言うが、モルガンには関係のない話だ。
モルガンは島そのものだ。そんな自分が、出産ごときで死ぬなんてあり得ないことだ。
そんな理由で自分に会わなかったのかと思うと馬鹿らしいと同時に腹立たしくてたまらない。
が、ロットのそのしょぼけた顔を見ていると、そんな言葉も喉の奥に引っ込んでしまった。
モルガンは、その不安に思う姿をいじらしいとも思ってしまう。
モルガン・ル・フェは、ロットを情けないと思った。
湖の乙女は、そんなロットを愛らしいと思った。
自分の喪失に、そんなにも痛ましい顔をする己の夫を、心底いじらしいと思ったのだ。
そのため、モルガンはその男の心配を吹き飛ばすために、きっぱりと言い切った。
「いいですか、こういったことに男の出来ることなんてありません。あなたはオークニーの王なのです。ならば、私に任せて構えて置いてください!」
「は、はい!」
背筋を正した男は呆然とモルガンを見つめた。モルガンは、それに続けた。
「・・・あまりにも、来られないので。ほかによき人でもおられるのかと思いましたよ。」
冗談交じりにそう言えば、ロットは固まった顔のまま無意識のように首を振った。
「そんなことはない。モルガン、お前さんよりも美しい女になんて出会ったことがない。」
星のように、まばゆい。そんなお前から目移りするなんてありえないだろう?
突然のそれに、モルガンは目を丸くした。そうして、顔に熱が集まるような気がした。
どっと、胸が痛む気がした。
(いえ、腹が・・・・)
その時、股の間に生暖かい感覚を覚える。それに、モルガンはその時が来たのだと理解した。
「へ、陛下!誰か、呼んで来い!」
その言葉に、ロットは何かを覚ったのか、けたたましい音を立てて部屋から飛び出した。
うなり声のような声がする。それこそ、まるで獣のようだった。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!
ロットは、まるで断末魔のような妻の声に廊下の壁にもたれて手を固く組んでいた。城中の人間が慌ただしくしている。
ああ、ああ、死んでしまいそうな声を妻は叫んでいる。
ロットはそれに、久方ぶりに感じる恐怖で、涙ぐんでさえいた。
自分がどちらかと言えば強者という事実は理解している。けれど、妻がそんなにも苦しんでいるのに、何も出来ない己の情けなさよ。
(ああ、これが・・・・)
命をかけて、命を紡ぐ生き物がいる。
父の言葉が、理解できる気がした。父は、この声を、どんな気持ちで聞いていたのだろうか。
ああ、その女が命をかけて、命を産もうとしている。
ああ、ああ、そんな苦しみをして、女は子どもを産むのだろう。
ぼたりと、頬を涙が流れていく。
ああ、ああ、愛おしいなあ。
涙を流して、固唾をのんで、祈るように手を組んだ。
そうして、そんなことを思った。狂おしいほどに、男はその女を愛おしいと思った。
産声が、響いた。
おぎゃあ、おぎゃあと、何かが泣いている。生まれてきたのだと、そう世界に小さな何かが泣いている。
ロットはそのまま、ぼたぼたと、赤ん坊と同じように泣いていた。
忘れるものかと思った。忘れることなどないと思った。
その、命の声をロットは忘れることなどないと思った。
侍女たちに呼ばれて、ようやく呆然としていた意識を奮い立たせた。そうして、ふらふらとそのまま部屋に入る。
ベッドの上にいるモルガンは顔は青白くあるものの、意識ははっきりとしている様だった。
そうして、ロットの方を見る。
「へいか?」
疲労の色の濃い彼女はぼんやりとした顔でロットを見た。ロットは赤い目でそれを見たが、モルガンは淡く微笑んだ。
「・・・・大丈夫でしたでしょう?」
ロットはそれにこくりこくりと頷いた。その時、ようやく、男に侍女の一人が話しかけてくる。
「陛下、男の御子です。」
ロットはそれに反射的に手を差し出し、すぐに引っ込めて己の手を服で拭った。そして、その小さなものを受け取った。
熱いほどに温かだった。まるで、燃えている様なそれ。
小さな、たしかに生まれてきたそれ。
ロットはまた、涙ぐみそうになる。父が死んだ時以来の涙だ。
「ありがとう。」
それだけをなんとか言えた。
ロットは幾度も、ありがとうと呟いた。
「名前を、名前は、ガウェインにしよう。」
ロットはモルガンにそう言った。
「がうぇいん?」
「五月の鷹、春を告げる鳥だ。」
この国に良きものを連れてきてくれた、あなたにちなんで。
父の腕の中で、小さなそれは腕をパタパタと動かしていた。