モルガンさんの赦しについて。
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おそらく、あと一話で終わりになります。
「お前は・・・・・・・」
そんなことをロットが言ったのは、明日、出征に出かける夜のことだった。
共に寝室に引っ込んだロットは部屋に置かれた椅子に座り、ベッドの上に座るモルガンを見た。
モルガンはそれに眉間に皺を寄せた。唐突に何かを言いかけ、それでも黙り込んだ彼にモルガンはロットを見た。
「何の話ですか?」
「いや、その。」
頬杖を突き男は椅子にもたれかかった。男の体重を受け止め椅子が軋んだ音を立てた。
「・・・・・正直な、話をしていいか?」
揺らぐ蝋燭に照らされてロットはどこか収まりが悪そうに、どことも言えない空間を見上げた。モルガンはそれを促すように頷いた。
「あの子の、ことなんだが。」
それにモルガンはぴくりと目尻を震わせた。モルガンも男の、あの子という呼び方に全てを察してしまった。
鋭くなったその瞳にたじろきながら、ロットはもそもそと言葉を紡いだ。
「その、アーサー王のことなんだが。」
「それのことについて、私の見解はすでに伝えたはずです。」
にべもないそれに、ロットはああと頷いた。思い悩むようなロットの顔にモルガンは眉間に皺を寄せた。
気に入らない。そんな表現ですむほどの感情ではなかったけれど、己の中で渦巻くそれに名をつけるならばそうであった。
モルガンは夫が何を気にしているのか気になった。
モルガン・ル・フェはアーサーを気にする夫に苛立った。
湖の乙女は浮気ではないかと目を光らせた。
そんな彼女らの感覚など知るよしも無いロットは気まずそうに口を開いた。
「・・・・これからの戦で、もしも、の話なんだが。出来れば、アーサーについては、叶うなら、その。」
アーサーを生かそうと、思っている。
その時のモルガンの感情を、どう表現すればいいのだろうか。
納得があった。この男がまだ未来のある少女を殺すことを忌避するだろう。
怒りがあった。ロットさえもあの妹を選ぶのだろうか。
悲しみがあった。まるで、夫から自分を否定されたかのようだった。
それにロットは心底申し訳なさそうな顔をした。
「・・・・それがどういった意味なのか、わかっているのですか?」
「そうだな。ああ、わかって、はいる、はずだ。」
「なら、なぜそんなことが言えるのですか?」
それに、ロットは低くうなり声を上げた。そうして、観念するように首を振った。
「わかっている。わかっては、いるんだよ。これがどれほど愚かな願いで、馬鹿なことを言っているのか。」
そうだろう。だって、アーサー王は敵なのだ。自分たちはこれから彼女と殺し合う。ならば、ロットのそれが彼女を生かすという選択肢がどれほど愚かなのかわかるはずだろう。
(・・・・お前も、あれがいいのだろうか。)
少女のことを思い出す。美しいかんばせよ、清廉な心よ、正しさを願うあり方よ。
それはモルガンにはないものだった。彼女は自己のために王になりたかった。
己の肯定のために王になりたかったのだ。
マーリンが王に立てるような存在が、自己のための願いなど持つことはないだろう。かの男は、何よりも言ってしまえば美しいものを好んでいたから。そうして、マーリンの言う美しいものというのはどこまでも自分とはかけ離れていた。
憎悪が、己のことを焼いた。悲しみが、喉の奥からせり上がってくる。
それもまた、あれに惹かれているのだろうか?
(ゆるさない・・・・・)
漠然と思ったのはそれだけだった。
目の前のそれはモルガンのものだ。
黒曜石のような髪を梳るのも、愛に溢れた若葉の瞳にのぞき込まれるのも、そのたくましい腕に抱かれるのも、優しく微笑んでもらえるのも。
それは、モルガンのものだ。己だけのものなのだ。
青い瞳から、光が消えていく。ロットは、少しだけ気まずそうに視線をうろうろとさせながら、おそるおそる言った。
「・・・・お前の、敵対しているとはいえきょうだいを殺したくなかったんだ。」
吐き出されたそれはあまりにも予想外だった。ロットは顔を伏せて、すまないと一言だけ吐き出した。
モルガンは、あまりにも予想外なそれに眼を瞬かせた。
「それは、どういう、意味でしょうか?」
「・・・・俺は一人だったから、恥ずかしい話、きょうだいってものに憧れてたんだ。もちろん、いればいた分面倒だろうが。それでもせめてお前にアーサー王と決着をつけて欲しいと、思ったんだ。」
モルガンは無言でベッドから下りて、ロットのいる椅子へ近づいた。座った男の、うつむいた顔をそっと手で押し上げる。男はひどく気に病んだ顔をしていた。
見上げた先の女の顔に、ロットはまた、言葉を紡いだ。
「俺ははっきりとお前さんの心を理解することは出来ない。ただ、辛いだろうと、それぐらいしかわからない。その怒りは否定されるものではない。その悲しみはなくなっていいものではない。ただ、アーサーと決着だけはつけるべきじゃないかと、お節介なことを考えたんだ。」
お前たちはきょうだいだから。憎むにせよ、哀れむにせよ、どちらにせよ。せめて、せめて、相容れないのか、それとも相容れるのか。
それがわかってから、憎んで欲しい、怒って欲しいと、手前勝手に思ってしまったんだ。
男は、とつとつとそう語った。どこか苦しむようにそう言った。
「己が出会ったアーサー王とは、どこまでも、誰かのためにしか生きていなかったんだ。」
それがあまりにもやるせなくてなあ。
どこか、なんだか、彼女は何かに踊らされるような傀儡のようでしかなくて。
か細い声が、男の苦悩を表しているようだった。そうして、ゆっくりと首を振った。
「すまない、お前の心を踏み荒らすようなことを言った。忘れてくれ。」
「あなたは、私があれを憎むことを否定しないのですね。」
きっと誰もが言うのだろう。アーサーを憎むものではないのだと。
だって、彼女の何が悪いのだというのだろうか。彼女は生まれてきただけだ。彼女は、父にそうあれと言われただけだ。
モルガンの手にできなかったものを彼女は持っている。
そうだ、モルガンにだってわかっている。嫉妬と、怒りと、悲しみが曇らせてはいたけれど。ギリギリで彼女は踏みとどまっていた。
男の翠の瞳を見ていれば、まだ狂うこともなく正気であれた。
わかっている、賢しい彼女だとてわかっている。
アーサーの、彼女自身の罪はいったいなんだったのだろうか。
けれど、怒ることも、苦しむことも、憎むことも止められないのだ。どうして、あれだけが、そう思う心は止められなかった。
モルガンの言葉に、ロットは少しだけ驚いた顔をした後、苦笑交じりに言った。
「・・・・・心が自由にならないことぐらい、俺も知っているよ。」
モルガンの頬に、男の硬い手のひらが押しつけられた。
「お前は、たくさんのことを我慢して。たくさん、苦しい目にあって。そうしてここまで来たのだろう。アーサー王には罪はない。だから、俺はあの子を憎めない。でも、お前の心はお前だけのものだ。だから憎みたいなら憎んでいい。それはお前さんが救われるために必要なものだったはずだ。」
モルガン。
男は、彼女の名前を呼んだ。優しい声で、彼女のことを呼んだ。もう彼ぐらいしか呼ばない、己の名前を。
アーサー王には罪はないのだと俺は思う。あの子の願いは誰かに手渡されたもののようだったから。あの子は、どこまでも、誰かのためにしか生きていないようだったから。でもな、それ以上に、お前さんだって何も悪いことはないんだよ。
それに、モルガンは、呆然と呟いた。
「・・・・ほんとうに?」
わたしは、ほんとうに、わるくない?あれをうらむ、わたしは、ほんとうに?
自分は、ずっと悪い子だと思っていた。だって、そうだろう。
いつか、自分は、この島の命を悉く滅ぼすために、生まれたのに。
そうあれと願われて、そうしなくてはいけないと思った。そのために、生まれたのだから。
だから、ずっと苦しんだ。
だって、それは、とても悪いことだから。
愛して欲しい、父に、あの人に、美しい彼に。けれど、疎まれることに納得もしていた。だって、自分は、そんな彼が愛したものを悉く滅ぼすのだから。
だから、憎んで、悲しくて、怒って、それでも心のどこかで納得していた。
ああ、そうだろう。だって、自分は、そういうものだから。
いつだって、板挟みだった。
人の営みの中で認められたいという自分。それを滅ぼすことを願う自分。
王になりたかったのは、結局、ウーサー王は自分を見てくれないことを覚ってのことだった。
どうせ、誰も認めてくれないのなら、信じてくれないのなら、疎まれるのならば。
願われた自分でありたかった。
子どものような顔をしたモルガンに、ロットは頷いた。そうして、そっと、彼女を抱きしめた。
それは、恋しい女を抱くと言うよりは、ガレスを抱くときの仕草に似ていた。
「当たり前だ。モルガン、お前は一体、何をしたっていうんだよ。」
滅ぼしたのか?獣にも劣る行為をしたのか?不貞でも働いてしまったのか?お前は、何もなしていないんだ。お前は、何も悪くないよ。だから、モルガン。
「好きに生きるといい。」
本当に、優しい言葉だった。
誰も言ってくれなかった、誰も望んでくれなかった。いつだって、彼女は自分の願われたそれのために生きていた。
「恨むのも、憎むのも、愛するのも、理解するのも、お前の選択だ。だから、俺は、お前に会って欲しいと思ったんだ。ちゃんと、理解して、憎んで欲しかったんだ。身勝手なことを言ったな。」
ぼんやりと、脳裏に浮かんだ少女。自分の会ったことのない、妹。
それに、人であるモルガンが、どこかで、微かに、嫌いたくないなあと思ってしまった。
それを、モルガン・ル・フェは怒った。けれど、己自身の願いに沈黙した。
それを、湖の乙女は好きにするといいと思った。
モルガンは、掠れた声で、呟いた。
「わたしは、わるくない?」
「ああ。当たり前だ。この国を愛し、よくあれと願うお前が、どうして悪いことなんてあるものか。俺は、お前の味方だよ。」
それに、モルガンは、いいと思えた。
ずっと、滅びのあり方を抱え続けていた。それさえも放り出してしまえば、自分はとても悪い子になってしまうから。
でも、いいかなと思った。悪い子でもいい、それでもいいから。この男の側にいたいと、女は心の底からそう思った。
モルガンは出陣していく男のことを見送った。ついて行きたかったけれど、国の留守を任された手前、そうも言っていられない。
それでも、モルガンは男の帰還も、勝利も疑っていなかった。
「後を頼む。」
その言葉に無邪気に、信頼を寄せられているのだと、嬉しがっていたのだ。