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「臆するな!」
怒号が響く。
「歩兵は下がり、騎馬隊が前に出ろ。下がったものは残党を狩れ!」
鉄の打ち合う音がする。鉄の匂いに生臭いそれ。赤い液体が飛び散った。
一際大柄な男が馬にまたがり、声を上げる。夜のような黒い髪が日の光に照らされる。深い緑の隻眼は獣のように輝き、鋭く敵を見つめている。
男が声を上げる。それに、兵士たちはまるで夢を見るように叫んだ。
片手に持った大剣を、まるで棒きれのように軽々と振り回すその様は歴戦の戦士そのものだった。
男の一振りで鮮血が舞う。男の一振りで命が終わる。
それは味方にとって守護神であり、敵にとって悪魔に等しかった。
「王に続け!我らが偉大なるロット王に!!」
兵を鼓舞する号令に、戦が一つ、終わろうとしていた。
「あーあ。」
ロットはたき火を眺めながらため息をついた。適当な倒木に腰掛けていた。
「陛下、気を緩めるのは早いかと思いますが?」
「ダイルか。いいや、気を緩めてはないんだが。ただ、この頃異民たちが多いだろ。さすがにここまで連発されるとなあ。」
ロットはそう言った後、とんとんと肩を叩いた。
ロットがいるのは、異民族の目撃があった海辺近くの森の中だ。敵の死体の処理や負傷した兵士の手当などに時間を取られてすでに夜だった。
さすがにこの時間から動くことも出来ないと野営を始めることにしたのだ。
ロットは自分の部下の一人である、騎士のダイルに目を向けた。父の臣下の息子である彼とは長い付き合いだ。
燃えるような赤毛の青年は女性からの人気が非常に良い。ただ、堅物の気があるのが玉に瑕だろう。
「これから冬だって来るってのになあ。帰ったら、蓄えの確認もして。村の方で飢え死ぬのがでねえか見とかねえと。そういや、食事は全員行き渡ったか?」
「ええ。行き渡りました。それよりも、次はいつ、来ますかね。」
「さあな。わかるわけねえだろ。」
ロットはそう言い捨てた後、両手で顔を支えて肘をつく。
「・・・・うちの奥さん、何してるかなあ。」
何気なく、彼はそういった。時間も時間なので、そろそろ食事でもしているだろうかと自慢の美人の奥方を思い浮かべた。
それにダイルは変わることなく鉄仮面を保ったまま、ロットをじっと見る。
「陛下、で。お子はいつ頃?」
「・・・・・やっだあ。ダイルったらすけべえ。」
ロットは若干引きつつそう言ったが、それにダイルはひるまない。がしりとロットの肩を掴みぎちぎちと締め上げる。
後ろからのぞき込むように鉄仮面がロットに言い寄る。
「ようやく女が出来たと思ったら手も出せないようなふぬけだとは思いたくないのですが?」
「いつから夜のことに足を踏み込むほど不躾になったのか、教えて欲しいんだがな!?」
「上の人間の家庭事情なんて下のいい娯楽ですよ?というか、あなたがやることヤッてないのなんて大体想像できます。」
「やっだなあ、お前がそんなこと言うの!!」
ロットとダイルはあくまで互いにしか聞こえないほどの声でぼそぼそと喋りつつ、肩を握りしめながら向かい合う。
それを遠目に兵士たちは眺めていた。
「陛下とダイル卿、またやってるよ。」
「何話されてるんだろうな?」
「陛下、この頃妃を娶られただろ?構ってもらえなくて寂しかったんじゃないのか?」
周りの兵士たちはそんな様子もいつものことと放っている。
そんなひそひそ声も存在したが、二人は気にすることもなく話し続ける。
「やだもくそもありませんよ。彼女が何故、この国に来たのか、わかっているでしょう。」
それに、うっと思わずロットは言葉を飲み込んだ。それは、言われると少々痛い言葉だった。
ぶすくれたように口を突き出したそれは普段よりもずっと幼い顔になる。それをダイルは呆れた顔で眺めた。
そうして、はあとため息を吐いた。
「・・・・遠方から来た花嫁を気遣うのは結構ですが。あなたがたの婚姻はそんなものではないのですよ。」
「・・・・わかってる。」
ちくりちくりと刺される言葉にロットはダイルの肩を掴むのを止めて、また倒木に座り込んだ。そうして、ふてくされたかのように肘をついた。
「今日はお早くお休みください。」
「・・・・へいへい。」
生返事を返して、ロットはまたたき火を眺めた。寝ると言ってもこのまま適当に座り込んで目をつぶるだけだ。
去っていたダイルは振り返ることもなく自分の元いた場所に戻っていく。
(わかっては、いるけどなあ。)
わかってはいるけれど。
ロットは胸の中に抱いた女から故郷を奪った罪悪感が消えないのだ。
仕方が無い。変えることなどできないし、覆すこともない。けれど、ロットという個人はせめて彼女に誠実にあらねばならないと、そう思うのだ。
「父上が死ぬ前に、妻への接し方、聞いとけば良かったなあ。」
ロットの父もまた妻以外の誰も内にいれることはなかった。それはロットの怠惰故であり、父の堅物故のそれであろうとも。
父もまた、己の国に来てくれた女に誠実であろうとしたのは事実だろう。
(帰ったら。おわってないせいむが。ああ、そうだ。そのまえに。)
彼女にただいまと、言わなければ。
そんなことを思いつつ、ロットはゆっくりと眠りについた。
さやさやと、音がする。
伸びた草葉がそよぐ、音がする。それに、ロットはゆっくりと起き上がった。
そうして、きょろりと辺りを見回した。
ロットがいたのは、まさしく翠の海、という言葉が正しかった。
風が吹けば、木々のない草原はまるで海のように波打っている。きらきらと、きらきらと、黄昏の光に照らされた草原はまるで金色の海のようだった。
「わあ・・・・・!」
きらきらとした、美しいそれにロットは、いや少年は立ち上がる。
未だ、十にも満たない少年は、己の姿に欠片も疑問を持たない。彼は衝動のままに走り出した。
たった、と子供の軽やかな足音が辺りに響く。暖かい、春のような風を全身に浴びて少年は走る。
そこで、彼は躓いてそのままでんぐり返しで転がった。草原に沈み、目の前に広がる黄昏色の空。暖かく、かすかに甘い匂いのする風を肺いっぱいに吸い込んだ。
(このままここでしばらくねむりたいなあ。)
ぼんやりとそう思った。帰らなくてはなあとぼんやりと思ったが、それでもしばらくはここにいたいと思う。
それほどにロットにとってそこは居心地の良い場所だった。
穏やかな草葉のこすれる音に耳を傾けて、まぶたを閉じた。
そうしていると、頭上から声がする。
「・・・・起きなさい。」
冷たく、厳しい。まるで、鋼のような声だった。その声にロットの意識は覚醒する。
がばりと起き上がった。
そこにいたのは、黄昏の光の中に立っていたのは、一人の男だった。
青年とはいえないほどに老いたそれは、揺るがぬ仮面のような顔でロットを見下ろす。
鉄のような黒い髪、雪のように冷たい灰の瞳。
「父上?」
掠れた声を出した少年に、男は冷たく眼を細めた。
「少し、付き合いなさい。」
低い、威厳のある声音は変わることなくロットにそう言い放った。
その日、モルガンは完璧な外面は保っていたものの内心では狂喜乱舞していた。
だって、数日間異民族の討伐のために城を空けていた夫が帰ってくるのだ。
そのために停滞していた、男への誘惑をまた再開できるとモルガンはウキウキしていた。
(戦のあとは血の気がなかなか押さえられない。そうして、秘蔵の酒で酔わせれば今夜こそ。)
内心で怪しく笑うモルガンではあるが、外面の武装は完璧だ。外から見れば、戦いに出た夫を憂う貴婦人にしか見えない。
椅子に座り、物思いに耽っているように見えるモルガンはお付きの侍女から見ても絵になった。
ほう、と侍女からその美しさにため息が漏れ出た。
といっても、そんな彼女の内心はどうやって夫を手込めにするかどうかなのだが。そんなことは侍女たちの知るところではない。
そうして、モルガンはふとロットの話していたことを思い出す。
もうすぐ冬が来るため、保存食についてを考えなければいけない。モルガンはそれについて意見を求められていた。
(保存食、ここら辺ならば魚を燻製にするかしら。そうだ、魚がどこら辺で捕れるか教えようかしら。)
ブリテンという島について、モルガンは己の庭のように自覚している。そうして、魔術を使えば、魚の漁獲量を上げることなどたやすい。
モルガンはそう考えてうきうきする。
ロットは基本的にモルガンの手柄を奪うということはしない。臣下や使用人たちにもモルガンの提案のおかげで上手くいったと大々的に言って回る。
それをよく思わないものはいたが、ロットの元々の性格を理解してかまたかと呆れられていた。
おかげで城の中でのモルガンの評判は非常に良い。
それを、人としてのモルガンは認められたと嬉しく思う。
それを、モルガン・ル・フェは己を称えるものと心地よく思う。
それを、湖の乙女は助けになれたと嬉しく思う。
(ロットは間抜けよね。)
そんなことをぼんやりと思う。
だって、王妃の言葉なんて自分の考えに飲み込んで、手柄にしてしまえば良いのに。
ロットは基本的に褒め称えるべきものは褒め称える。
それに嫉妬だとか面倒なことにならないかと思えばまた違う。ロットは基本的にバランスのいいあり方をしていた。
さっぱりとしている性格で、王にしては敷居が低く親しみを持たれている。常の態度が軽く、侮られるあり方はよいガス抜きになっている。
(けど、あれは、少しずるい。)
モルガンは使い魔の眼を介してみた、夫の戦い振りを思い出した。
いつもは、まるでひなたぼっこで微睡む犬のようだ。大きく、のっそりしていて、愛想も良く、モルガンに懐いている。
けれど、血と、汗と、泥に塗れたその男はなによりも勇敢なる戦士であるとモルガンは改めて理解した。
黒い髪が、日の光に照らされる。天使の輪が浮かぶようにきらきらと輝いていた。犬のように気軽に触る髪は、まるで黒い獅子の鬣のようだった。鋭い、若葉の瞳。
そうして、大剣を振り回すその様はまるで荒ぶる獣のようだった。
「穿て!王に続くが良い!!」
怒号が響いて、絶叫が響く。
鉄の匂いがした、焼け付くような殺意を感じた、ひりつくような冷たさを感じた。
ぞくりと背筋が震えた。
それを、人としてのモルガンは慕われるのがわかると胸を高鳴らせた。
それを、モルガン・ル・フェは国に這い寄る虫をよく退治したと褒めてやろうと思う。
それを、湖の乙女は勇猛なる戦士を称えたくなる。
モルガンはちらりと窓の外を見た。おそらく、そろそろ騎士団が帰ってくる頃だろう。
(あれの顔を見たい。)
きっと、ロットはいそいそと出迎えるモルガンを見れば破顔するだろう。そうして、心の底から嬉しそうに、それこそ尻尾を振る犬のようにただいまとでも言うだろう。
そうだ、褒めてやろう。
今日も、あれは頑張ったのだ。自分の手駒が手柄を立てたのなら褒めてやるのが道理であろうから。
もちろん、そんな事実はないのだが、モルガンにとってはそうなのだ。
そんなとき、慌ただしく、彼女の自室の扉を乱雑に叩くものが一人。そうして、訪れた存在が叫んだ言葉にモルガンは固まった。
ロットが帰還したと、そのある騎士は言った。そうして、こう付け加えた。
「王が、王が!眠られたまま、目を覚まされないのです!」
それにモルガンは己の油断を恥じたのだ。