ちょっと長くなりそうなので、ロット側のパートは次回にします。
感想、いただけると嬉しいです。
さやさやと、草の揺れる音がする。
暖かな日の中で、ロットはただ、少し前を歩く父を追いかけていた。
ゆっくり、ゆっくりと幼子でも十分なほどにゆっくりと歩く。
ロットはちらりと父の顔を見た。
父は、変わることなく無表情のまま歩いている。戦に行くとき、背中を向けて去って行ったその風景をよく覚えている。
けれど、ロットはその時間がこのまま続けば良いのになあと思った。
ロットの父は王として生き、そうして義務を遂行するためだけに死んだ。
記憶の上でロットは、父親から構ってもらった記憶は殆ど無い。
いつも、政務や戦に走り回っていた。母がロットを産んで数年ほどで死んでから、それは顕著になったと臣下から聞いている。
疎まれていたわけではないと知っているし、気にかけてもらっていたのも知っている。
心のどこかでこれが夢だとロットは知っている。
(でも。)
父はロットの方を振り返りもせずに、ただ、歩いている。寂しくなど無かった。悲しくもなかった。それこそ、いつものことだった。
けれど、その時間はまだ、続けば良いとも思ってしまった。
これが夢だと、ロットはちゃんと理解していた。きっと、眠る前に父のことを考えていたせいでこんな夢を見てしまったのだろう。
それでも、今はその夢に浸っていたかった。
(へいか・・・・・・)
かすかに、どこから声がした。それにロットは自分を夢から起こす声かと、後ろを振り向いた。
「ロット・・・・」
けれど、すぐにその声にロットの意識は夢の中に引きずり込まれる。振り向いた先には今まで前を向いていた父が振り返っていた。
彼はすっとロットに向けて手を差し出してきた。
「離れるといけない。」
それにロットは恐る恐る手を伸ばした。己の、幼い手を父は緩く握った。
手を繋いで、草原を歩く。
もう少しだけ、その夢を見ていたい。
(そうだ、きっと。本当に起きなきゃいけないのなら。誰かが蹴飛ばしてでも起こしてくれる。)
ロットは冷たい、鎧に覆われた手をそれでも宝物のように握りしめた。
「どういうことですか!?」
滅多にないモルガンの怒鳴り声に伝令を伝えに来たらしい騎士は恐縮したように話し始めた。
「その、戦が終わり、野営をしておりました。その折りに陛下を起こそうとしたのですが。揺すっても、声をかけても起きられず。」
「眠り続けたまま、だと?」
「苛立ったダイル卿が陛下に手を出したのですが。それでも起きられません!」
モルガンはそれに固まった。
ただの人であるモルガンは夫の異変に慌てた。
妖精であるモルガン・ル・フェは何かに呪いをもらったかと苛立った。
湖の乙女としての彼女はロットのそれを心配した。
多くの感情がない交ぜになる中、騎士はモルガンにまた深々と礼をした。
「そろそろ、帰還されるかと!」
その台詞と共に外が騒がしくなる、モルガンは慌てて窓辺に近寄った。明らかに外にいる人間たちがざわついている。
「・・・・私も、陛下を出迎えます。」
それに侍女たちははいと、慌てて返事をした。
モルガンは部屋の中を歩き回っていた。侍女を下がらせた今、部屋の中にはモルガン一人だけだ。
食料等を積んでいた荷車に乗せられたロットは眠りこけたままだった。普段、どんなに熟睡していようとモルガンが声をかければ起きてきた。
よくしつけされていると、内心では思っていた。モルガンは、きっと、今回だってそうだと思っていた。
けれど、ロットはこんこんと眠り続けていた。
よく調べようと近づこうとしたが、呪いが移るやもしれぬと側近たちに遠ざけられた。
今は魔術の知識もある医者が対応しているのだという。
けれど、モルガンもわかっている。ロットの現状がけして病気の類いでないことぐらい。
(あの医者に対応が出来るはずがない。)
けれど、表向き、モルガンはただの女だ。薬草についてはさほどの警戒をされないだろうと伝えてはいるが、魔術となればまた違う。
ただの女であるモルガンはロットの運び込まれた寝室に入る許可は出なかった。
(蛮族たちの下手な呪いにかかっているのか?)
それとも、もっと別の何かか。
モルガンは、眠りというそれに嫌なことを思い出す。
純白と、黄昏の色。そんなものを思い出す。それにちりちりと首に嫌なものが走った。
モルガンは首を振った。
その思考を急いで振り払う。そうだ、今はまだ早計だ。そうであると決めつけるのは早すぎる。
呪いや他の何かであるならば、扱いは慎重でなければいけない。モルガンは苛立ちを飲み込むと、侍女を呼んだ。
「湯を持ちなさい。夫の元に向かいます。」
「王妃、今は陛下にお会いにはなれません。」
「私に出来ることはほとんどありません。ただ、戦に行った王の身を清めるだけはしたいと思って。」
寝室の前で待機していた赤毛の騎士がそういった。
モルガンは悲しげに眼を伏せて手を組んだ。祈るようにそうして、上目遣いにダイルを見た。それは、心の底から夫を心配する妻の様相だった。
「そうはいってもダメなものはダメです。」
赤毛の騎士の言葉にモルガンはぴくりと目尻を震わせた。
それは自分の言葉をすげなく断るその様だとか、自分の魅力に対しておくびも出さないそのあり方だろう。
(いっそのこと、魔術を使って。)
そこまで考えて、モルガンはその男がロットの騎士であるダイルという存在であることを思い出す。
(うち、田舎の方でそこまで人手がいないからな。わざわざ残ってくれる。おまけに有能で気心知れてるやつの存在はありがたいんだよ。)
その言葉を思い出して、モルガンは少しだけ体の動きを止めた。ダイルに何かあればとモルガンは、思わずしょぼしょぼにしょげたロットの顔が思い浮かんだ。
それにモルガンの中で仄かに、やめておいてやろうという慈悲が浮かんでくる。
(でも、ここで寝室に入らないということもできない。)
モルガンは視線を下に向けた。その時、ダイルは思わず固まった。というのも、モルガンの後ろにいた彼女のお付きの侍女たちに思いっきり睨まれたせいだった。
なに、主人の恋路を邪魔してるの?
そんな圧がひりつくような感触となってダイルに伝わる。恐ろしいとはお世辞にも言えないような、敵意ではあるけれど。
(敵でもない女の怒りには触れない方が良いとは、陛下の言葉か。)
ダイルは軽くため息をついて、ドアの前から体をどかした。
医者である男は、ロットの体を清めることを許してくれた。そうして、医者は退室し、部屋にはモルガンと侍女二人だけが残る。
モルガンはそれに従い、彼の寝間着を脱がせてその体に触れた。
(・・・・鍛えている。)
女のモルガンは初めて見る夫の体に少し落ち着かなくなった。
モルガン・ル・フェは所詮は儚い人間の体と気にしなかった。
湖の乙女は戦士らしい体だと気に入った。
鉄のように鍛えられた体は、そのまま血潮を巡らせていた。お湯で湿らせた布でその体を拭った。
(初めて見るこの男の裸体が、こんなことになるなんて。)
モルガンは自分に対して情けなさを感じながら、それでもロットの状態について探る。
(夢を、見ている?)
深く、深く、意識がどこかに入り込んでいることをモルガンは意識した。
それに彼女の脳裏にはある、夢魔のことを思い出す。
自分を追い払った、片割れ。自分を否定した、人で無し。
(いいえ、落ち着かなくては。)
そうと決まったわけではない。もっと、たちの悪い妖精に目をつけられたのかもしれない。
(意識に関係する魔術は繊細。なら、これを解くにはそれ相応の準備が必要になる。なら、今はこの場から立ち去って。)
モルガンは手を引こうとした。ロットの、未だ眠り続けている夫の体から手を引こうとした。
その時だ、モルガンは、甘い匂いを感じた。
花の蜜のような、甘い匂い。
それにモルガンの脳裏に、ある男の姿が思い浮かんだ。
まるで夢のように美しい男、人で無いもの、己を追いだしたもの。父の、味方。
モルガンは思わず、己の口元を手で覆った。
「王妃様、どうされました?」
近くで侍女の声がしたが、そんなことは聞こえていない。
(マーリンが今になって?)
考えるが目的がわからない。
自分の様子を探りに来たのか?
だというならばもっとわかりにくい方法を使うはずだ。
モルガンの夫が邪魔になった?
いや、モルガンを閉じ込めておく檻をわざわざ殺すのか?
いくつもの可能性が浮かんでは消えていく。
(いや、今は。今は、まだ、様子を見なくては。)
マーリンに敵意があるのか、自分の魔術の知識を披露するタイミングも早い。今のところ、ロットは眠っているだけだ。夢を見ているだけだ。ならば、命に危険は無いはずだ。
そうだ、所詮はブリテン島を統べるための駒なのだ。
たとえ、これが死んでしまっても、次に王となる存在を手駒にすれば良い。
ロットをわざわざ手間をかけて、救う理由はモルガンにはない。
ロットがモルガンの夫になったのは偶然で、それに必然はない。理由はない。
「王妃様?」
その時、突然動きを止めたモルガンを不思議に思い、侍女が話しかけてくる。
「・・・・はい。」
「どうかされました?」
「王妃様は、陛下のことが心配なのよ!」
「あ、そ、そうね。」
「まったく、鈍いわね。」
話しかけてきた侍女は、片割れの言葉に納得したらしく頷いた。そうして、叱責した方の侍女はモルガンを気遣うように微笑んだ。
「王妃様、大丈夫です。陛下はきっとお目覚めになります!昔から、体だけは頑丈な方ですから!ですが、そうですね。帰城のあいさつもなくこんなことになるなんて思いもしませんでした。」
あいさつ、その言葉にモルガンは眠り続ける男を見た。
長いまつげが揺れていた。
(あいさつ、そういえば、聞いていない。)
このまま、それもなくこれはいなくなるのだろうか。何か、変わってしまうのだろうか。
瞬きの内に、モルガンは見た。
雄大なブリテン島、美しい故郷、けして振り返ってはくれなかった父。
ああ、そうだ。
それは、モルガンの、なくしたものだ、奪われたものだ。
散々に、散々に、ただ、そうあれと願われて、そうあれとあろうとして、否定されたものたち。
白昼夢が消え失せて、そこには黒い髪の、男が一人。
「また。」
「え?」
モルガンは、まるで雷鳴のように叫んだ。
「また、私から奪うのか!!」
それに侍女たちは思わず身をすくめた。温厚な王妃がそんなにも怒り狂うなんて考えたこともなかったのだ。
「お前たち。」
「は、はい!」
「部屋から出て行きなさい。そして、私が出て行くまで、けして扉を開けるな。」
モルガンはそう言った後、氷のように冷たい青い瞳で侍女をにらみ付けた。それに、彼女たちはまるでウサギのように跳びはねて、寝室を出て行く。
人払いされた部屋の中にはモルガンだけが残った。
そうして、彼女は部屋に誰も入れなくなるように魔術を使った。
眠る男に向かい合い、歯を食いしばった。
人であるモルガンは、もう失いたくないと縋るように手を伸ばした。
モルガン・ル・フェは、己のものに手を出されるのが我慢ならなかった。
湖の乙女は、夢魔ごときに己が戦士を奪われることが我慢ならなかった。
「そうだ、お前は私のものだ。」
モルガンは魔術を使うためにロットを見た。
「おい、どうした?」
ダイルはロットの寝室から飛び出てきた侍女を見て、不審そうに見つめた。
彼女たちは顔を青くして、ダイルに言った。
「お、王妃様が出て行けと言われて・・・・・」
ダイルはその程度で王を置いてきた二人に舌打ちをした。ダイルはモルガンをあまり信用していない。
まだ、信用を置くには彼女は日が浅い。
ダイルはそのまま部屋に入ろうとするが、扉は堅く、開かない。異変を感じたダイルは扉に体をたたき付けるが、一向にそれは開かない。
「・・・・お前たち、他の騎士を呼んで来い、今すぐにだ。」
それに侍女たちはまた跳びはねるように駆けていく。
(どういうことだ?あの女、いったい何を・・・・)
そこまで考えて、ダイルの脳裏にロットの言葉を思い出す。
うちの奥さん?結構かわいい人だよ。きっと、寂しい人だ。
そんなことを言った。少なくとも、ロットは、彼女を信用している。
ダイルは、ロットの人を見る目を信用している、彼自身を信頼している。
ダイルの父を殺したときのように、ロットはけして間違えないのだと。