ロット王は愛妻家   作:藤猫

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我が星、または流星

最近は、どうだ。

鍛錬に励んでおります。

勉学は?

師がついております。

礼節は?

はい、しております。

 

たわいもない会話が続く。

黄昏色の草原は、変わることなく美しかった。ロットは父に手をとられて歩いていた。

それは、ロットにとって何よりも幸福なものだった。

父と、たわいもない話が出来る。

それが嬉しくて、ロットはにこにこと笑いながら、それに答えた。

その時だ、また、声がした。

 

へいか。

 

それに、ロットは立ち止まることはなかったが後ろを振り返った。それに、彼の父は引き留めるように手を引いた。

 

「どうかしたか?」

「・・・・父上。あの、帰らなくてもいいのでしょうか。」

「・・・・今日はいいだろう。せっかく、二人きりだ。」

 

それにロットは目を見開いた。そうして、どこか悲しそうに微笑んだ。ロットは立ち止まると同時に繋いでいた手を解いた。

 

「どうかしたか?」

「・・・・最初に礼を言おう。確かに、良い夢を見せてもらった。だが、所詮、夢は夢だ。」

 

幼い少年が浮かべるにはあまりにも不釣り合いな、老いた瞳でロットは父の姿をしたそれを見た。

 

「何を。」

「父はそんなことを言ってはくれなかった。彼の人は、どこまでも国のために生き、死んだ。私にそのような言葉をかけることはついぞ無かった。」

 

ロットは悲しそうに微笑んで己の胸に手を当てた。

 

「我が名は最果ての地、オークニーのロット王。」

 

そう名乗ると同時に、幼い少年の姿は瞬きの内に鎧を纏った騎士になり果てた。ロットは目の前にたたずむ、白のよく似合う男に問いかけた。

 

「人と夢魔の合いの子よ。私になんの用だろうか?」

 

ロットがそう言うと同時に、まるで糸がほどけるように父の姿は消えていく。そうして、残ったのは白銀の髪をした、一人の麗しい男だった。

 

「・・・・そんなことまでわかるのかい?いや、その眼、何か仕掛けがあるのかな?」

 

 

変わることなく、黄昏に染まった草原に二人は立っていた。

ロットの視界は、老いた魔術師がかけたそれさえも消え失せたことがわかるが、他人がいないせいか世界は風の音一つしない。

目の前の、純白の男からは特別敵意は感じなかった。

けれど、同時に友好的ではないことも理解した。

 

「いや、すまないね。夢の合間を散歩していたら、少しだけいたずらをしたくなってね。」

「・・・なれば貴公は、悪意はなかったと。」

 

ロットの問いに男はにっこりと微笑んだ。

 

「ああ、ただ、少しだけあなたの夢を覗きたくなっただけだよ。」

嘘。

 

「いや、ひどく美しい夢だったものだから。途中から横やりをね。」

嘘。

 

「あなたがそんなにも高貴なる人だとは知らなくて。」

嘘。

 

ロットは重ねられた嘘。突風のように吹き抜けた真実に目を閉じた。

はっきり言うのならば、ロットは焦っていた。

 

(一応、建前として王っぽく名乗ったが。待て、この夢魔、まさか彼の有名な賢者マーリン!?)

 

彼の放った言葉に見え隠れする真実の中にあった単語、ウーサー王、モルガン、諸諸からして彼は完全にウーサー王に近しい存在だった。

元々、敵意を感じ取れるロットは、それがないものに対してどうも動きが鈍ってしまう。

夢魔といってもさっさと追い払う気だった。

 

(そんな今更。いや、今更、ですらねえのか。)

 

ロットは苦みの走った表情を浮かべて口を開いた。

 

「偽るのはそこまでにしていただこう、マーリン殿。」

 

ロットの言葉に、純白の男、マーリンは目を少しだけ見開いた。それにロットはあまり関心が無いように目線を下げた。

 

「このような大業な術を行使し、わざわざ私に話しかけるような理由を持つなど彼の君しかいないだろう。」

「・・・・名まで当てられてしまってはもう、ごまかすことは出来ないだろうね。やっぱり、君、隠し球を持っているのかい?」

「そのようなことはどうでもよいことだ。あなたが何を持って、我が夢に現れたのか。いいえ。違うか。モルガンのことだろう。」

 

それに、マーリンは緩やかに微笑んだだけで答えなかった。それは殆ど答えであったが、ロットにとって偽りを吐いた時点で全ての真実は理解できていた。

 

「娘の心配をした義父殿の暴走、などとかわいいものではないはずだ。」

「あ、わかる?まあ、手紙でわざわざ君に指摘されない限り、嫁いだ娘に関心を持たなかったものね、ウーサーは。」

 

マーリンからは、やはり敵意は感じなかった。まるで、凪いだ水辺のようだった。

ロットは少しだけ苛立っていた。マーリンが父の夢を見せたことは明白で、けれど理由がまったくわからない。

モルガンが理由でマーリンがわざわざロットに接触してきたことは事実だ。けれど、何故、わざわざ手紙でさえも関心を見せなかったモルガンを目当てにやってきたのか、わからなかった。

 

(・・・・いや、本当は、わかっているんだ。)

 

なんとなく、理由はわからずとも、モルガンという女が父に疎まれていることなんてとっくに理解していることだ。

元より、この縁談はおかしかったのだ。

ウーサー王は、実質的なブリテンの長だ。そんな彼の実子であるモルガンを嫁にしたいものは多くいたはずだ。

ロットは確かにオークニーを治める長だ。けれど、ウーサー王がわざわざ娘を嫁がせて繋がりを作るほどのうまみはない。

北の果て、冷たく、突風の吹き荒れるオークニーは蛮族が侵入しやすく、肥沃な大地があるわけではない。普通の親ならば、わざわざ娘を嫁がせることはない。

ロットは最初、父とウーサー王の間で特別なやりとりがあったのだと思っていた。けれど、王を継いで調べたがそんなものはない。

ロットとモルガンの婚姻は、どこまでもウーサー王にとって益のないものだった。

それをずっと、ロットは考えていた。

モルガンは特別な問題の無い娘だった。だからこそ、何故なのか。

 

(何かが、ある。彼女には、何かが、あるのだ。)

 

ロットは迷うように視線を彷徨わせた。いや、理由がなんであろうと、わかってはいるのだ。

けれど、それを言葉にするのは、あんまりにも残酷な気がした。残酷で、悲しい。

一瞬だけ、考えた。一瞬だけ、考えて。

それでもロットは言葉を吐いた。

 

「貴公は、いや。ウーサー王はモルガンを何故、そんなにも厭う?死んでも構わないと、そう思うほどに。」

 

掠れた声でそういった。それに、マーリンはゆるりと目を細めた。ロットはそのままに言葉を続ける。

 

「賢者殿。我らにいったい何を望んでいる?」

 

答えなどどうでもよかった。ロットに、どう足掻いても真実がわかる。言葉さえ吐かせれば、それでロットの勝ちだった。

マーリンは、それに微笑んだ。そうして、そのまま仮面が剥ぎ取れるように表情を正した。

 

「うん、いいね。どうしようか、君のこと、気に入ってしまいそうだ!」

 

能面のように無表情のそれは、それに反してやたらと生真面目な声を出した。

まるで、マーリンの後ろで誰かが代わりに喋っているようだった。

 

(いいや、違う。)

 

ロットは考えを改めた。

それは、ただ単に衣装のように表情を変えているだけだ。

嬉しいから微笑んでいるわけではない。悲しいから悲しげなそれを浮かべているわけではない。

少なくとも、今は。

 

「どのような意味だ?」

「・・・・いや、残念だ。私が知る上で、君は全くといって良いほど登場しない。だからこそ、モルガンを君に嫁がせたのだけれど。思い違い、いいや、見間違えてしまったのかな?」

「何を言っている。」

 

そこには嘘はなかった。そこまで堂々と本音をさらしたそれにロットは少なからず驚いた。

 

(ともかく、早く本音を探らねえと。目一杯に本音を読むのはさすがにきつい!)

 

ロットの青い目、妖精眼は真実を見ることが出来る。けれど、それを植え付けられたロットは所詮は人間であり、その目はあまりにも彼に負担を強いた。

 

「いいね、よし、君には話してもいいだろう。」

 

マーリンはそう言った後、また。にっこりと微笑んだ。

 

「さて、ブリテンの滅びる話をしよう。」

 

それは、まるで悪夢の始まりのような声だった。

 

 

さて、私はいくつもの予言をした。

私が見た未来では、ブリテンは滅びる。

何故か?

魔術師でもない君に説明するのは難しいけれど。

例えば、冬を生きられる虫はいないだろう?夏に溶け落ちない雪はないだろう?

それと同じかな。

ただ、世界の理が変わり、このブリテン島はそれに適応できない。

生命と同じさ。どんなものにも寿命はある。ただ、この島は遠いか近いか、そのうちに滅びる。

それがモルガンとどんな関係があるのか?

うーん、色々と理由があるんだけれど。これも、説明が難しくてね。

・・・・わかりやすく。それはそれはわかりやすく説明するのなら、彼女はブリテン島という、土地の守護者という説明が一番かな。

私は予言をした、彼女は良きものにはならなかった。

そうして、ウーサー王は彼女を後継には選ばなかった。そうだね、君に嫁がせたのは、ひとえに時間稼ぎにはなるだろうとは思っていた。けれど、蓋を開ければどうだろう。

きみは良き夫だった。良く、彼女を愛した。よく、彼女を認めたものだ。

ロット王、君は彼女を拒絶しなくてはいけなかった。

ああ、そうだ。ロット王。

最果ての地の、優しく、賢しい王。

君は、人の敵であるモルガンを拒絶しなくてはいけなかったんだ。

 

 

朗々と語る言葉は、まるで本当に聖書に出てくる予言者のようだった。

優しい、泣きたくなるようなそんなふうに見える顔で、彼は微笑んでいた。

どれほどに優しかろうと、それは結局仮面でしかないのだけれど。

それでも、優しく見えたのだ。

 

「敵?彼女が?」

 

オウム返しのようにそう言えば、マーリンは肯定のためにか頷いた。

 

「ああ、そうだよ。もう少し詳しく言うと、彼女はブリテン島という土地を守る意思であり、その上に住む生物に関してはまた別物だ。そうだね、そういった機構に意思を付け加えた。そんな存在かな。」

「それだけのことで、あなたたちは彼女を厭うたのか?」

「・・・・君がそんなことを言うなんて思わなかったよ。」

「賢者殿、それはこちらの台詞だ。ただ、予言にそうあるから、貴公はあの子を否定するのか?」

「それが彼女の運命だからね。君、私の言いたいことをわかっているのかな。彼女は・・・」

「理解!?ああ、てめえの言うことが全部真実だってことぐらい理解してんだよ!ただな、運命なんて都合のいいもんがあるって宣ってることに、俺は怒ってんだよ!」

 

噛みつくような言葉でロットは吐き捨てる。取り繕った言葉など放り投げて、感情のままに叫んだ。それにマーリンは興味深いものを見るような目をした。

ロットは、マーリンの言葉に嘘はないことは理解していた。読み取った真実は魔術の知識があまりないロットには理解の及ばないことばかりではあったけれど。

それでも、ロットには認められないことがある。

 

「運命なんて、都合の良いものがあるはずがないだろう。そんなものがないからこそ、人は罪に罰を求める。そんなものがないからこそ、誰かの手放さなかった善性を尊ぶ。罪も祈りも、最初から決められたものでしかないのなら、選択なんてもの無意味だ。咎を背負うは、罪を犯してからのこと。」

 

ロットの焼け付くような怒りを含んだそれに、マーリンは仕方が無いと肩をすくめた。

 

「・・・まあ、君はあれを見ていないものね。ロット王、なら、反対に聞きたいけれど。君はどうしてそんなにも彼女を信じることが出来るんだい?」

 

ロットはそれに一瞬だけ口を噤んだ。

確かに、モルガンという女はどこまでも嘘つきだ。本当を話した事なんて欠片だって無い。

いつだって、敵意と憎しみを纏って世界を見ている。

 

(それでも。)

 

ロットは知っている。予言者曰く、いつか、この島を滅ぼすと言われた女が初めて言った本音を。

 

寂しい望郷の思い、歪な世界への愛。

そうだ、少なくとも、ロットは知っているのだ。女の、いじらしい、嘘の中にあった真を。

ロットはこの島の現状を本当の意味で理解しているわけではない。

マーリンの、島の滅びというそれを真であると理解しても。

それでも、その女の中に見た真を知っている。

 

「なら、賢者殿。モルガンの心をあんたはどれほど知っている。この島を、人を、世界を、どんなふうに思っているのか知っているのか?」

「モルガンがどんな思いを持っていても、辿り着く結末は変わらないよ。」

「愛を示す気がないのなら、愛される事なんざ望めると思ってんのか!?」

 

ロットはそれに理解する。

モルガンが、いつか世界を滅ぼすというならば、己を厭い続ける場所だって憎んでしまうだろう。

そうだ、その女は人間だ。

嘘つきで、本音なんて飲み込んでしまう。故郷を求めて、置いてけぼりの子どものようで。

それでも、この島が愛おしいと言う。己が守れと生まれた世界を素直に愛している女。

己を愛してくれない父を、目の前の賢者を、彼女はどう思っただろうか。

 

(モルガン、それは、寂しいな。それは、ひどく、悲しいな。)

 

ロットはマーリンへたたき付けるように言った。

 

「モルガンの未来は彼女が決めるものだ。彼女がこれから送る全てによって変わっていくものだ。我が妃の心が、未来を決める。厭うなら厭えばいい、あれは我が国の女王だ。不確かな未来にせいぜい踊ってろ!」

 

言葉を切った後、ロットは、もう一度口を開けた。

 

「賢者殿。未来を見たから今までの行いをしてきたのか?運命故に人と交わったというのか?散々に積み上げた全てを、運命だからと流されてきたのか?あんたが手を加えたからこそ、変わったこともあっただろう。それなら、確定した未来なんてあるはずがない。」

それは、違うはずだ。そうであるというならば、あまりにも悲しいじゃないか。

 

囁くような声でロットは言った。

怒りはある、あの寂しい女を、その心に触れることもなく否定するそれに苛立っている。

けれど、彼女が自分の側にいるのは、彼らのおかげだ。

その美しい女と共に居られる今もまた、彼らの計略の上であるならば、怒る資格などないだろうとも思えていた。

目を伏せたロットの耳に、何か、笑い声が聞こえてくる。それに、顔を上げれば、何故かにやにやと嬉しそうに笑うマーリンの姿があった。

 

「・・・賢者殿?」

「ふふふふふ、いや、ごめんね!でも、嬉しくてさ。彼女が大きくなるまでそりゃ、選定のためのもろもろだとか準備は多いよ。でも、だからといって、物語が始まるまでは待ち遠しいだろう?いやあ、こんな所によさそうな主人公がいるなんて!」

「いったい、何を・・・・・」

「まあ、間近で見るのは無理そうだけど。これは付箋ぐらいはつけておいてもいいかもね!」

 

今までの話の筋から外れた言葉にロットは思わず、警戒のために体を硬くした。その時だ、ぴしりと何かの砕ける音がした。

ロットは思わず、音のする方に視線を向けた。黄昏色の空には、何故か、大きめの亀裂が出来ていた。

 

「え?」

「あ、やば。」

「まああああああああありん!!!」

 

ロットは草原に響き渡る妻の声に呆然とする。マーリンは慌てた様子で足を動かした。

 

「はははは、じゃあ、私はお暇させてもらうよ。」

 

マーリンはそこで、何か良い思いつきをしたかのように頷いた。

 

「そうだ、ロット王、君には面白いものを見せてあげるよ。なに、慌てる彼女なんて楽しいものを見せてくれたお礼さ。」

 

マーリンはその言葉の後に、持っていた杖を振った。それに、霧が辺りに広がった。ロットは思わず目をつぶった。

目を開けた先、そこには、美しい国があった。

白亜の城、明るく希望に満ちた民の姿。そうして、美しい王の姿を、ロットは見た。

そうして、瞬きの内に、ロットの目の前に地獄が広がる。

死体の山が転がっている。誰も彼もが死に絶えている。そうして、丘の上でただ一人、美しい王がその地獄に絶望している。

 

(ああ、そうか。)

 

あの国の末路が、この死体の山で、地獄であるのだと奇妙な確信が生まれる。

遠くで、諍いの声がする。海を渡った侵略者たちの声がする。

滅ぶのだ、この島は、これから、滅んでいく。

また、視界が切り替わる。

そこには、女がいた。ロットの妻である女が、その地獄を眺めていた。

ロットの知る、取り繕いなどはない。

その瞳は、憎しみと怒りと、そうしてざまあみろという復讐心で燃えさかっていた。

ロットは、マーリンの言いたいことを理解する。

お前がどんなふうに思おうと、モルガンという女はこの地獄を作り出すのだと、そう言いたいのだと理解する。

けれど、ロットは、それでも、馬鹿みたいに思ってしまったのだ。

 

(・・・・きれいだなあ。)

 

その、怒りと憎しみに、激情に燃える青い炎のような瞳は、まぶしいほどに美しかった。

 

ロットは激情を持たない。

彼の人生とは、与えられたものへ、それ相応のものを返すという意思に過ぎない。

何か自分から、全てを捨ててもいいと思えるものなんてなかった。だからこそ、たった一つの何かに一目散に駆けた、焔のような女を美しいと思ってしまったのだ。

 

(なあ、モルガン、お前さん、お星さんみたいだな。ああ、そうだ、お前さんは、まるで流れ星みたいだ。)

 

昔、流れ星を見て、それはどこに行くんだろうと思った。その星は、墜ちるわけでも、消えるわけでもなく、ただ、自分の知らない、遠いどこかに駆けて行ってしまうのだと思っていた。

ああ、そうだ。

その、これがいつかに訪れる未来だとして、その崩壊を孕んでいるとしても、それでもなお、全てを置いて、願った何かのために駆けていく流れ星のような女は美しかったのだ。

 

(綺麗だな。綺麗な、星みたいな、流星みてえ。)

 

何もかもを放り投げて、それでもたった一つの願いのために駆けていく。

ロットには、そんなものはない。そんな、己の人生をかけた願いなんてものをもたない。彼は、受け継いでしまっただけの人間だ。

焔のような、そんな女だった。それをみて、ロットは理解する。

 

知っている、わかっている。

きっと、これは触れてはいけないものだろうと。

触れてしまえば最後、それはきっと己を壊すだろう。

それでもなお、輝かしい星に一度だけでも手を伸ばしたいと、そう、思ってしまったのだ。

手を伸ばしたとしても、きっと、それは自分だけを見てくれることはないのだとしても。

手を伸ばす、夢幻だとしても、その美しいものに手を伸ばす。

その憎しみが、怒りが、女の漏らした真の中にあった深い愛と知っているが故に、その女のいじらしさが愛おしくて。

手を伸ばした、その時だ。

燃えさかる、滅びた世界に亀裂が入った。

がちゃんと、何かの壊れる音がする。

 

「ロット!」

 

誰かが、自分の名を呼んだ。なじんだ、声に仰ぎ見た。

黄金の光が降り注いでいた。青い炎が自分を見ていた。

星が、自分に落ちてきた。

底も天もないような、暗闇の中で、黄金の色が降り注いだ。

 

「手を!」

 

手を伸ばす、星が、自分に手を伸ばしていた。ロットは、思う。

柔らかな手が、自分のがさつで大きな手と重なった。

きっと、自分はこれ以上に美しいものに出会う事なんてないだろう。それでもいい。それでも、こんなに美しいものがあったのだ。

 

 

 

 

「くそ!!あの、夢魔!先に逃げていたのか!」

 

けたたましいモルガンの声に、ロットは意識を浮上させた。気づけば、なじんだベッドの上で寝転がっていた。

体はまるで泥のように重く、眠りすぎたかのように億劫だった。

ロットはまぶしいものを見るように、何かを罵倒している女を見上げた。

 

(・・・モルガン。)

 

まぶたを開けていることさえも億劫だった。

風邪一つしたことがないほどに頑丈な己には珍しい不調を感じながら、ロットはなんとか、ベッドの近くに立つモルガンに手を伸ばし、そのまま引きずり込んだ。

 

「え?」

 

あまりにも軽い女をベッドに引きずり込むことぐらい、ロットには簡単なことだった。

 

「え、ま、まさか、ここで初めて!?い、いいえ。ようやく、ようやくなのですね。まあ、言いたいことは色々ありますが、ようやく私の魅力を理解して。で、ですが、せめて、湯浴みをしたいとも。」

 

彼女は頬を赤らめて何かを言っているけれど、ぼんやりと夢うつつを上下しているロットには理解できていなかった。ただ、彼は、その青い瞳を見ていた。

 

(きれいだな。)

 

思うことはそれだけだった。

先ほど見た地獄は、きっと、事実なのだ。きっと、事実で、この女はきっと自分を見てくれないだろう。

彼女にはもう、あんなにも憎しみも怒りも、復讐心さえ孕んでしまうような愛があるのだから。

 

(でも、それでいい。)

 

最初から、そうだった。ロットはただ、己の娶る女が不幸にならなければそれでよかった。

恋も、愛も、なくたって生きてこれた。

することさえもないと思っていた。だから、例え、この思いが叶わなくたっていい。

あの未来まで時間があるのなら、何か、何かが変わればいい。彼女が、それでも愛せるものさえ出来れば良い。例え、それが自分でなくても。

 

ロットはその美しい瞳を、その、青い炎のような目を間近でみたいと思った。そっと、顔を寄せればモルガンはぎゅっとまぶたを閉じてしまう。

ロットはそれを残念に思いながら、うとうととまたまどろみに引き込まれていく。

 

(そうだ、モルガン、できたらいい。あんなにも、何かを憎まなくて良いように。大丈夫だ、だって、あんなにもこの世界を愛せたなら、きっと。ああ、モルガン、お前さんが、あんなにも何かを憎まなくて良いように、俺は、せめて。)

 

そんなことを思って、ロットはまた、眠りの中に落ちていった。

 

 

 

(マーリンめ!私のものに手を出すなぞ!)

 

モルガンは怒り狂っていた。モルガンはロットの目を覚ますことはもちろん、マーリンにもそれ相応の罰を与えようと思っていた。

が、自分がロットの夢に介入したときには、マーリンはすでに逃げていた。

モルガンはロットのベッドの脇に立って、怒りを叫んでいたが、自分に伸ばされた手にそれを止めた。

ぽすんと、軽くベッドに放られて、気づけば自分の体に太い腕が巻き付いていた。

 

「あ、あれ?」

 

思わず声を漏らした。そうして、ロットが自分をベッドに引きずり込んだことを理解する。

怒りなどはそれによって吹っ飛び、彼女は全神経を目の前の男に向けた。

それに、人であるモルガンは思わず身を固くした。

それに、モルガン・ル・フェは鈍いこれもようやくかとガッツポーズをした。

それに、湖の乙女は微妙なタイミングだがまあいいだろうと棚に上げた。

普段は犬のように陽気そうで愛想の良いロットだが、眠さのせいか気だるそうに目を細めるその様はやたらに色っぽい。

自分に顔を近づけてくるのに、モルガンは覚悟を決めて目をつぶった。

そんな時、目を開けているべきではないだろうと。

が、待てども暮らせど、ロットはやってこない。

そうして、かすかに寝息が聞こえてきた。

まさか、そんな、とは思った。

恐る恐る目を開けた。そこには、すやすやと健やかに眠っているロットの姿があった。

モルガンはすんと、真顔になり、夫の太い腕から起き上がる。

そうして、己の拳に強化の魔術をかける。

その時、モルガンの中の三人の心が一つになった。

 

(こんの、くそが!!)

 

骨を砕かぬ程度の優しさのこもった拳がロットの腹に叩き込まれた。

 

 

 

 

「ふ、あはははははははは!」

 

マーリンはとある夫婦のやり取りを見て爆笑していた。彼は自分の工房にて笑い転げていた。

 

「あーあ、面白いなあ。」

 

マーリンがロットのことを探ったのは単にモルガンのことがあってのことだ。

元々、ウーサー王もマーリンもロットになんの期待もしていなかった。一応は昔からある一族で、古い血族と言えども、その程度だった。

北の果て、そこでモルガンが何をしようと、時間がかかるだろう。

次代になる若者が少しでも時間稼ぎになればいい。

ロットは所詮は贄だった。

けれど、蓋を開ければどうだろう。

ロットの政治は安定しており、民からの信頼もある。

懸念した通りのモルガンの話など、かけらだってなかった。

マーリンはロットというそれに興味を惹かれた。会ったこともないそれが、どんなものか。

マーリンは、男の言葉を思い出す。

それは、島の化身をただの女とした。それを心底信じていた。

只人が、当たり前のように誰かを愛するように。

美に魅入られたわけでも、操られているわけでもなく、力に焦がれているわけでも、恐れに震えているわけでもない。

ただ、それは、モルガンというそれを慈しんでいるらしい。

 

「ふふふふ、楽しいなあ。」

 

マーリンの見た世界では、彼の姿はほとんどなかった。だからこそ、ただの端役として贄としたのだ。

それでも、好奇心に負け、話しかけてみれば見事に当たりを引いた。

 

(端役なんてとんでもない)

 

悲恋なんて好みであるはずがないけれど。その、人と人にはなれぬ女の話は美しい気がした。

 

運命なんて都合の良いものがあるはずがない。

 

男の言葉にマーリンは微笑んだ。

変わる未来はない、滅びはどんなものにでもある。

 

(運命は、太陽みたいで、子猫のようで、雨であり、風なのさ。)

 

彼はああ言ったけれど、マーリンは知っている。

変えられないものがあることを。

運命とは、太陽のように絶対的で。子猫のように気まぐれに、過程や結果で姿を見せて、雨のように恵みを与えることもある。そうして、風のように全てを攫って消えてしまう。

そんなものだ。

マーリンはわくわくした。

起こるべき結末に何がどうなるかは分からないが。

それでも、本命の物語が始まるまでの暇つぶしになるだろうと、ほくほくしながら笑った。

 

 

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